第五話 緑と銀、はじめての交差点
「見て紬! ついに来たよ、私の相棒!」
土曜日の午前中、いつものガレージに一台のバイクが運び込まれていた。
真波がおじいちゃんの家から軽トラで運んできたのは、ホンダ・スーパーカブ50。型式はAA01。排ガス規制が入る直前の、キャブレター仕様の最終モデルだ。
「わあ、綺麗な色……」
紬は思わず、その車体に見入った。
タスマニアグリーンメタリック。深い森を思わせる落ち着いた緑色が、春の陽光を受けて上品に光っている。レッグシールドの白とのコントラストが、いかにも「働く日本のバイク」という凛とした佇まいを感じさせた。
「おじいちゃん、ずっと倉庫で大事に保管してたみたいで。キャブの掃除だけでエンジンかかったんだよ。紬のCLと並ぶと、なんか……すごくいい感じじゃない?」
真波が誇らしげに鼻を鳴らす。
確かに、スクランブラースタイルの銀色のCL50と、ビジネスバイクの王道を行く緑のカブ。形は違えど、どちらも昭和から続く「ベンリィ」の血を引く兄弟のような2台だ。
「よし……じゃあ、行こうか。紬、準備はいい?」
真波が、昨日買ったばかりのフルフェイスを被る。
紬もホワイトのヘルメットを被り、顎紐を締めた。カチリ、という音が、非日常へのスイッチに聞こえた。
紬はCL50に跨り、キックペダルを踏み下ろす。一度で目覚めたエンジンが、トトトッと小気味よいリズムを刻み始めた。
一方で真波のカブも、軽く踏んだだけで「トカカカ……」と静かな、しかし粘り強いアイドリングを始める。
「まずは、近所の渡良瀬川の土手まで。私が前を走るから、ゆっくり付いてきて!」
真波がカブ特有の「ガチャコン」という音を立ててギアを入れた。
紬も緊張した面持ちで左手のレバー、クラッチを握り、左足でシフトペダルを一段下げる。カチッ。一速に入った証の、小さな衝撃。
(左手を、ゆっくり、ゆっくり……)
真波に教わった通り、クラッチを慎重に戻していく。ある一点で、エンジンの回転がわずかに落ち、車体が前に進もうと身震いした。
「……っ!」
スロットルをわずかに捻る。CL50は、驚くほど滑らかに、アスファルトの上を滑り出した。
ガレージを出て、初めての公道。
時速二十キロ。自転車でも出せるスピードなのに、視界の全てが違って見えた。
自分の足で漕ぐ必要はなく、指先ひとつの操作で、鉄の塊が自分を前へと押し出してくれる。ヘルメット越しに吹き抜ける風が、さっきまでよりもずっと力強く感じられた。
「紬、ギア上げて! 二速!」
前を走る真波が左手を振る。
紬は焦りながらもクラッチを切り、つま先でペダルをかき上げた。ガコン、という不器用な衝撃と共に、エンジンの音が少し低く、落ち着いたものに変わる。
スピードが乗る。視界が広がる。
桐生駅裏の細い路地を抜け、緩やかな坂を登り切ると、目の前に渡良瀬川の広い土手が現れた。
青々とした芝生と、キラキラと光る川面。その向こうには、まだ雪を冠った日光の山々が連なっている。
土手の空き地に2台を止め、スタンドを立てる。
ヘルメットを脱いだ紬の頬は、緊張と興奮で赤く染まっていた。
「……すごかった。私、本当にバイクに乗ってるんだ」
「でしょ? 自分の力じゃないみたいだけど、自分の意志でどこまでも行ける。これがバイクなんだよ」
真波が隣で、カブのシートをポンと叩いた。
二人は土手に腰を下ろし、しばらくの間、自分たちの「相棒」を眺めていた。
銀色のCL50と、緑のカブ。
「ねぇ、真波。私、バイトもっと頑張る。それで、もっとこの子のこと知りたい」
「うん。私も。おじいちゃんから貰ったこのカブで、紬と一緒に遠くまで行きたいな。……そうだ、今度の休み、あそこ行かない? 赤城山の麓にある、古い自販機食堂」
「赤城山……。行けるかな、私たちで」
「大丈夫。この子たちが、連れてってくれるよ」
一人暮らしの静かな夜も、何もないと思っていた明日も。
この2台がいれば、きっと鮮やかな色に変わっていく。
紬の心に、小さな、けれど消えない情熱の火が灯った、はじめての春の午後だった。




