第9話 真実のログ
カイトたちの涙ながらの告発配信から一夜が明けた。
ネット上の熱狂は冷めるどころか、加熱の一途をたどっていた。
悠作を「卑劣な泥棒」と断じる正義の暴徒たち。
沈黙を続ける悠作を「逃亡した」とみなすマスコミ。
そして、唯一彼を信じようとするも、多勢に無勢で押し流されそうになっている高橋すずのファンたち。
世界中が、鈴木悠作という男の動向を血眼になって探していた。
そんな中、午後7時。
動画配信サイト『D-Tube』に、突如として一つの配信枠が出現した。
タイトルは『散歩』。
サムネイルは設定されておらず、真っ暗な画像。
配信者の名前は『guest_user_19845』。
一見すれば、設定ミスで立ち上がっただけの過疎配信だ。
しかし、その通知は、かつて悠作の「配信事故」を目撃し、チャンネル登録をしていた数万人のユーザーの元へ届いていた。
『おい! パジャマおじさんが配信始めたぞ!』
『逃亡中の泥棒が何の用だ?』
『謝罪配信か?』
『場所特定して警察に通報しようぜ』
瞬く間に拡散されるURL。
同接数は開始数分で10万人を突破。
コメント欄は、罵詈雑言の嵐で埋め尽くされていた。
だが、画面の向こうにいる当の本人は、そんな騒ぎなど露ほども知らなかった。
★★★★★★★★★★★
場所は、東京大迷宮の隣県にある『埼玉・裏山ダンジョン』のセーフティエリア。
さらさらと流れる地下水脈のほとりに、鈴木悠作はいた。
「ふぅ……。ここなら誰にも邪魔されずに飯が食えるな」
俺は携帯用の魔導コンロを設置し、愛用の調理器具を広げていた。
アパートに帰ろうかとも思ったが、昨晩の「ゴミの不法投棄」の件もあり、なんとなく家の空気が悪い気がしたのだ。
それに、今日は極上の食材が手に入った。
誰にも気兼ねなく、自然の中で味わいたい。
『旦那ァ、なんか視線を感じるんでヤンスけど……』
背中に張り付いた風呂敷――五右衛門が、モゾモゾと動く。
「気のせいだろ。ここは初心者エリアの奥地だぞ。誰も来ないよ」
『いや、もっとこう……電子的な視線というか……。まあいいでヤンス。それより、暇だからカメラ起動していい?』
「カメラ? ああ、ドローンのことか? 好きにしろ。どうせ壊れてて映らないだろ」
俺は適当に返事をした。
ポケットに入れていた壊れかけのドローンを、五右衛門が器用に触手で操作して宙に浮かべる。
俺はてっきり、それがただのラジコン遊びだと思っていた。
まさか五右衛門が、勝手に俺のアカウントで全世界配信を開始しているとは夢にも思わずに。
ブゥーン……。
ドローンが安定した飛行で、俺の手元を映し出す。
「よし、始めるか」
俺はクーラーボックスから、本日の主役を取り出した。
ぷっくりと太った、乳白色の真牡蠣だ。
昨日の帰りに魚屋で「加熱用だけど生でもいけるくらい新鮮だよ!」と勧められた逸品である。
「今日は少し肌寒いからな。体が温まる『土手鍋』にするか」
俺は一人用の土鍋を取り出し、まずは「土手」作りから始める。
赤味噌と白味噌を独自の配合でブレンドし、そこに酒、みりん、砂糖、そして隠し味のすりおろし生姜を混ぜる。
練り上げた特製味噌を、土鍋の縁の内側に、堤防を作るように塗りつけていく。
『おおっ、見事な左官仕事でヤンスねぇ』
「うるさい。これは芸術なんだ」
土手を作り終えたら、鍋の中央に出汁を注ぐ。
昆布と鰹節で丁寧に取った一番出汁だ。
そこに、白菜の芯、長ネギ、椎茸、そして豆腐を並べていく。
火をつける。
出汁がふつふつと沸き立ち、湯気が上がり始める。
「煮えるのを待つ間に、副菜を仕上げるか」
俺はフライパンを取り出した。
レンコンの金平だ。
泥付きのレンコンを素早く洗い、皮ごと薄い輪切りにする。
水に晒してアクを抜き、水気を切る。
熱したフライパンに胡麻油を引き、レンコンを一気に投入する。
ジュワアアアアアッ!
心地よい音が洞窟内に響く。
強火で炒め、透き通ってきたところで鷹の爪の輪切りを加える。
醤油、酒、砂糖を回し入れ、汁気がなくなるまで煽る。
最後に白ごまを振れば完成だ。
香ばしい胡麻油の香りと、甘辛い醤油の匂いが鼻孔をくすぐる。
「……うん、いい照りだ」
続いて、春菊のお浸し。
新鮮な春菊を、塩を入れた熱湯でさっと茹でる。
茹で時間は20秒。これ以上やると食感が死ぬ。
冷水に取り、水気を絞ってから出汁醤油に浸す。
仕上げに削りたての鰹節をふわりと乗せる。
シンプルだが、春菊特有のほろ苦さと香りが楽しめる大人の味だ。
そうこうしているうちに、土鍋からグツグツと音がし始めた。
縁に塗った味噌が熱で溶け出し、少しずつ出汁の中に崩れ落ちていく。
香ばしい味噌の焼ける匂い。
これこそが土手鍋の醍醐味だ。
「よし、主役投入」
俺は牡蠣を、味噌が溶け込んだ濃厚なスープの中へと滑り込ませた。
プリプリの身が、熱い汁を吸ってさらに膨らんでいく。
火を通しすぎないよう、身が縮む直前を見極める。
「……完成だ」
目の前には、完璧な晩酌セットが整った。
俺は愛用のタンブラーに氷をぎっしりと詰め、ウイスキーを注ぐ。
そして、キンキンに冷えた強炭酸水を静かに満たし、マドラーで一回だけステアする。
シュワァァ……。
炭酸の泡が弾ける音。
「いただきます」
俺は誰に言うでもなく手を合わせ、ハイボールを一口飲んだ。
喉を駆け抜ける冷気と刺激。
一日の疲れが洗い流されていくようだ。
「くぅ〜……これだよ」
そして、箸を伸ばす。
まずは牡蠣の土手鍋から。
味噌をたっぷりと纏った牡蠣を口に運ぶ。
熱っ、ハフッ、ジュワッ。
口の中で牡蠣が弾け、濃厚な海のミルクと、甘辛い味噌のコクが渾然一体となって広がる。
生姜の風味がアクセントになり、いくらでも食べられそうだ。
「……美味い」
思わず独り言が漏れる。
すかさずハイボールで追いかける。
濃厚な味を炭酸が切り裂き、口の中をリセットする。
無限ループの完成だ。
レンコンの金平を齧る。
シャキシャキとした食感と、ピリッとした辛味。
春菊のお浸しを摘む。
鼻に抜ける爽やかな香り。
「ワフッ!」
足元で、ポチが「俺にもよこせ」と催促してくる。
俺は冷まして味を薄くした牡蠣を一つ、皿に入れてやった。
ポチはそれを一瞬で飲み込み、満足そうに尻尾を振った。
★★★★★★★★★★★
一方その頃、配信のコメント欄は、予想外の展開に困惑していた。
『……え? 何これ?』
『飯テロ?』
『めっちゃ美味そうなんだけど』
『手際がプロすぎて草』
『このおっさん、犯罪者だよな? なんでこんな優雅に鍋食ってんの?』
『味噌の土手が崩れる瞬間、芸術的すぎる』
『ハイボール飲みたくなってきた』
当初の「叩いてやる」という殺伐とした空気が、悠作のあまりにも平和で高クオリティな調理風景によって、毒気を抜かれてしまっていたのだ。
人は、本気で美味しそうに飯を食う人間を前にすると、怒りを持続させるのが難しい生き物なのかもしれない。
しかし、アンチも黙ってはいない。
『騙されるな! こいつは泥棒だぞ!』
『盗んだ金で食う飯は美味いか?』
『カイトくんたちの装備を返せ!』
コメント欄で再び罵倒が加速し始めた、その時だった。
プツン。ザザッ。
配信画面の隅に、ワイプ画面のような小さなウィンドウが表示された。
ドローンのAIが、何らかのトリガーに反応して、内部ストレージに保存されていた「過去のログ」を再生し始めたのだ。
『――おい、鈴木』
スピーカーから流れてきたのは、聞き覚えのある若い男の声。
カイトの声だ。
『え? なにこれ』
『カイトくんの声?』
視聴者たちがざわつく。
映像は、薄暗いダンジョンの通路を映していた。
数日前の、第18階層での出来事だ。
『お前、今日でクビな』
『……理由は?』
『理由? 鏡見て言えよ。お前、トロいんだよ』
画面には、悠作を見下ろして嘲笑うカイトの姿が鮮明に映っていた。
そして、決定的な瞬間が訪れる。
『おい、その鞄よこせ』
『は?』
『聞こえなかったか? その魔法鞄を置いて消えろっつってんだよ。手切れ金代わりに貰ってやるから感謝しろ』
強奪。
明確な、強盗の現場だった。
悠作が盗んだのではない。カイトが奪ったのだ。
『あ、そうだ。これやるよ』
カイトがドローンを投げつける映像。
『壊れかけのポンコツだ。お前にやるよ。……ま、途中でオークの餌になるのがオチだろうけどな!』
そして、転移魔法の光と共に消えていくカイトたち。
残されたのは、装備を奪われ、たった一人で深層に置き去りにされた悠作の姿だけ。
ログの再生が終わる。
画面は再び、幸せそうに牡蠣を頬張る現在の悠作に戻った。
静寂。
そして、爆発。
『はあああああああああああ!?』
『逆じゃん! 全部逆じゃん!』
『カイトが奪ったんじゃねーか!』
『しかも置き去り!? 殺人未遂だろこれ!』
『「オークの餌になるのがオチ」って……最低すぎる』
『おっさん何も悪くないじゃん!』
『てか、装備なしであそこから生還したのかこの人……バケモンか?』
オセロの盤面が一瞬でひっくり返るように、世論が反転した。
カイトのついた嘘は、最も残酷な形で、動かぬ証拠によって暴かれたのだ。
悠作本人は、そんなことになっているとはつゆ知らず、
「あー、やっぱり冬は牡蠣に限るな。……ん? なんか五右衛門が光ってる気がするけど、気のせいか」
と、ハイボールをおかわりしていた。
★★★★★★★★★★★
午後7時30分。
東京都内、コンビニエンスストア『ダンジョンマート』。
そのレジカウンターの中で、山口純子はスマホの画面を見つめていた。
彼女の美しい顔には、恍惚とした笑みが浮かんでいる。
「ふふっ……」
画面の中では、コメント欄がカイトへの怒りと、悠作への謝罪で溢れかえっていた。
『ごめんなさい、信じてなくて』
『おっさん疑ってごめん』
『カイト許さねえ』
「いい仕事しますねぇ、五右衛門さん。まさか、AIに『不正告発トリガー』を仕込んでおいた私の細工が、こんなに早く役に立つなんて♡」
純子は、レジの下で小さくガッツポーズをした。
実は、彼女は以前、悠作が「壊れたドローンを拾った」と店に来た際、こっそりと修理がてらAIにハッキングを仕掛けていたのだ。
『持ち主への誹謗中傷を検知した場合、カウンターとして真実のログを再生する』というプログラムを。
「それにしても……」
純子は画面の中の、幸せそうに鍋をつつく悠作を見つめた。
湯気が立つ牡蠣。照りのあるレンコン。
そして、無防備な寝癖のついた頭。
「悠作さんのお料理、本当に美味しそう……。あーんってされたいなぁ」
彼女はうっとりと頬を染める。
その時、自動ドアが開いて客が入ってきた。
「いらっしゃいませー!」
純子は瞬時に「国民の妹」のような愛くるしい笑顔を作って対応する。
だが、その心の中では、次なる計画を練っていた。
「今回の件で、カイトたちは完全に終わりましたね。……でも、まだ足りないかも。悠作さんの名誉を傷つけた慰謝料、きっちり回収しに行かなくちゃ」
彼女はレジを打ちながら、バックヤードにある対物ライフルのメンテナンス時期を確認した。
こんど悠作に会ったら、お礼に「高級ガンオイル」をおねだりしてみようか。
そんなことを考えながら、彼女は楽しげに歌うように接客を続けるのだった。
★★★★★★★★★★★
埼玉のダンジョン。
鍋をきれいに平らげた悠作は、満足げに腹をさすった。
「食った食った。……さて、帰るか」
撤収作業を始める。
五右衛門が名残惜しそうに『旦那ァ、まだ配信切らなくていいでヤンスか? スパチャが凄いことになってるでヤンスよ』と言ってきたが、悠作は「スパチャ? 知らん言葉だ」と一蹴し、ドローンの電源を落とした。
ブツン。
配信終了。
伝説の「冤罪晴らし&飯テロ配信」は唐突に幕を閉じた。
世界中が手のひらを返し、カイトたちが地獄へ落ちていく音が聞こえる中、鈴木悠作はポチを肩に乗せ、夜道をのんびりと歩き出した。
明日は日曜日。
きっと平和な一日になるだろうと、根拠のない希望を抱きながら。




