第47話 捕食者 vs 料理人
東京大迷宮、最下層。地下100階層に広がる黒曜石の空間は、今や巨大な「厨房」と化していた。
「……信じられん。なんだ、あの動きは」
S級剣士であるジーク・ヴァイスが、剣を握る手を震わせながら呆然と呟いた。
彼の視線の先では、俺、鈴木悠作の解体ショーが続いていた。
相手は『終焉の捕食者』。
あらゆる魔物の特徴を継ぎ接ぎした、全長50メートルを超える災害級のキメラ。
その巨体が、俺の振るうサバイバルナイフによって、みるみるうちに「パーツ」へと分解されていく。
『グガァァァァァッ!!』
巨獣が断末魔のような咆哮を上げ、無数の触手と甲殻に覆われた尾を乱れ打つ。
だが、俺の目にはその攻撃軌道が、まるでスローモーションの「点線」のように見えていた。
――スキル【虚空殺】・奥義【無尽解体】。
俺の体は、物理的な法則から半ば切り離されている。
風の抵抗も、重力による束縛も感じない。
ただ、まな板の上の魚を捌くように、対象の「継ぎ目」へと刃を滑り込ませるだけだ。
「甲羅が硬いなら、その下の関節膜を断てばいい」
ヒュンッ。
俺が巨獣の背中を駆け抜けながらナイフを振るうと、S級の魔法すら弾き返した分厚い甲殻が、固定具を失ってボトボトと剥がれ落ちていく。
装甲の下から現れたのは、脈打つ巨大な筋肉の塊だった。
「ほら、見えてきたぞ。一番美味そうな部位が」
巨大な魔力回路が集中する、巨獣の中心部。
そこにあるのは、魔素の過剰供給によって極限まで肥大化し、美しい霜降りのサシが入った「極上肉」だ。
『や、やめろォォォッ!! 私の、私の神が……! こんな、ただの料理人風情にィィッ!』
巨獣の頭部で『蛇の目』のリーダーが絶叫する。
だが、彼の操作魔導具はすでに巨獣の神経系とのリンクを絶たれていた。俺が、巨獣の魔力伝達経路を的確に切断してしまったからだ。
「神じゃない。ただのデカい肉だ」
俺は巨獣の心臓部――その周囲を覆う霜降り肉の塊に向かって、最後の一撃を放つべく跳躍した。
足元から、脱皮して新品になったポチが「ワォォォンッ!!」と援護の遠吠えを上げ、巨獣の注意を引く。
「……ここだ」
俺は空中で体を反転させ、刃渡り15センチのナイフを、霜降り肉の根元へと深々と突き立てた。
そして、手首のスナップを利かせ、筋繊維に沿って一気に引き裂く。
ズパァァァァァァァンッ!!
空間が割れるような音。
巨獣の核を包んでいた極上の肉塊が、綺麗に切り出され、空を舞った。
「五右衛門! 受け取れ!」
『合点でヤンスゥゥゥッ!!』
巨大な風呂敷が空中に広がり、数トンはある極上肉を、血の一滴もこぼさずに亜空間へと収納した。
同時に、核を失った『終焉の捕食者』の巨体が、ビキビキと音を立てて硬直する。
生命活動の完全停止。
圧倒的な質量が、黒曜石の床へと崩れ落ち、地響きと共に動かなくなった。
『あ……ああ……』
肉の山から転げ落ちたリーダーが、へたり込みながら虚空を見つめている。
俺は彼を一瞥もせず、ナイフについた脂を布で拭き取り、鞘に収めた。
「……解体終了」
俺の言葉と共に、戦場に静寂が訪れた。
「……対象の生体反応、完全に消失しました。……素晴らしい。究極の解体芸術です」
俺の背中から降りた瞳が、タブレット端末を見つめながら熱っぽい吐息を漏らす。
「嘘でしょ。あのバケモノを……たった一人で、しかも本当に『捌いた』だけ……」
しずかが信じられないという顔で、崩れ落ちた巨獣の残骸を見上げている。
「鈴木さん……すごいです。やっぱり私の目に狂いはありませんでした!」
すずが目を輝かせ、ゆき子は「師匠マジ神!」と飛び跳ねている。
「マスター。あの無礼な小悪党は、私が切り捨てましょうか?」
ジークが雷を纏った剣を、へたり込むリーダーの首元へと向ける。だが、俺は手でそれを制した。
「いや、生け捕りにして協会に突き出す。その方が慰謝料をたくさん毟り取れるからな。こいつの組織の資金、全部吐き出させてやる」
俺の言葉に、ジークは「なるほど、社会的な制裁! さすがはマスター!」と納得して剣を収めた。
「さて」
俺は大きく息を吐き、首の骨を鳴らした。
敵は倒した。極上の肉も手に入れた。
だが、最大の問題が一つ残っている。
「……夕飯の弁当が、潰れちまった」
俺の言葉に、全員がハッとして、岩陰で泥まみれになった弁当箱を見た。
ポチも「クゥーン……」と悲しそうに鳴いている。
「鈴木さん……。気にしないでください。帰ったら、また美味しいものをみんなで食べましょう?」
すずが俺を気遣うように、優しく微笑みかけてくる。
「いや、俺の腹はもう限界だ。今ここには、これだけ腹をすかせた連中がいる」
俺は瞳のナビゲートで消費したカロリーや、先ほどの『虚空殺』の反動で、急激な空腹感に襲われていた。
みんなも同じはずだ。
こんな最下層の、死体の転がる横で。だが、俺は料理人だ。
「ここで食うぞ」
俺は五右衛門を開き、携帯用魔導コンロと、特大の丸い鉄板を取り出した。
「今日は南インドの定食、『マサラドーサ』だ」
マサラドーサ。
米と豆を発酵させた生地を薄くクレープ状に焼き、スパイシーなジャガイモ炒めを包んだ、南インドのソウルフードだ。
本当なら生地の発酵に一晩かかるが、そこは五右衛門の「時間加速・発酵モード」で事前に仕込んでおいた。
俺はボウルに入った真っ白な生地を取り出した。
バスマティライスと、ウラド豆、少量のフェネグリークシードをペースト状にし、発酵させたものだ。
ほのかに酸味のある、ヨーグルトのような香りがする。
「まずは中身の『マサラ』を作る」
フライパンに油を熱し、黒い粒――マスタードシードを投入する。
パチッ、パチパチパチッ!
種が弾ける小気味よい音が響く。これがスパイスの香りを引き出す合図だ。
そこに、ウラド豆、千切りの生姜、青唐辛子、そしてたっぷりの『カレーリーフ』を入れる。
カレーリーフの柑橘系にも似た香ばしい香りが、血生臭い地下空間の空気を一変させる。
「うわ……! すごくスパイシーないい匂い!」
ゆき子が鼻をヒクヒクさせる。
玉ねぎの薄切りを加え、しんなりするまで炒めたら、ターメリックパウダーを振る。
フライパンの中が鮮やかな黄色に染まる。
最後に、あらかじめ茹でて潰しておいたジャガイモを投入し、塩で味を調えながら全体を混ぜ合わせる。
ホクホクのジャガイモに、スパイスの香りと玉ねぎの甘みが絡みついた『ポテトマサラ』の完成だ。
「次は生地を焼くぞ」
魔導コンロの火力を上げ、巨大な鉄板を熱する。
お玉で発酵生地をすくい、鉄板の中央に落とす。
そして、お玉の背を使って、中心から外側へ向かって、螺旋を描くように生地を薄く薄く広げていく。
ジュウゥゥゥゥッ……!
生地が熱い鉄板に触れ、水分が蒸発する音。
ここで、香りの爆弾である『ギー』を、生地の縁と表面にたっぷりと垂らす。
「バターの匂い! これだけで食欲が刺激されます!」
すずが身を乗り出す。
ギーの力で生地の表面がキツネ色に焼き上がり、パリパリになっていく。
縁が自然に反り返ってきたら、焼き上がりの合図だ。
中心に先ほどの黄色いポテトマサラを乗せ、生地をくるくると筒状に巻き上げる。
全長40センチはあろうかという、巨大な黄金色の筒。
これが『マサラドーサ』だ。
「付け合わせは、ココナッツチャツネと、豆と野菜の酸っぱいスープ『サンバル』だ。……さあ、食え!」
俺は金属製のプレートに、焼き立てのドーサと小鉢を乗せて配った。
そして、五右衛門の奥底から、一本の重厚な瓶を取り出す。
「この強烈なスパイスに合わせるペアリングは、これしかない」
琥珀色の液体。
スコットランド・アイラ島で作られたシングルモルト・ウイスキー『アードベッグ』だ。
グラスに注いだ瞬間、広大な空間に、正露丸のような、あるいは海辺の焚き火のような、強烈なスモーキーな香りが充満した。
ピートの香りだ。
初心者には敬遠されがちなこの強烈な香りが、インド料理の複雑なスパイスと出会う時、奇跡のマリアージュを生む。
「「「いただきます!!」」」
深層に降りてきたメンバー全員が、手づかみで巨大なドーサに挑む。
生地を手で千切る。
パリッ!!
まるで極薄のお煎餅を割ったような、クリスピーな破砕音。
だが、内側は発酵生地特有のモチモチとした弾力がある。
千切った生地で、中のポテトマサラをすくい、さらにココナッツチャツネをたっぷりとつけて口に運ぶ。
「……んんっ!!!」
ゆき子が目をカッと見開いた。
「美味しい! なにこれ! 生地のパリパリとモチモチの食感が最高! ジャガイモはホクホクで、カレーリーフの香ばしさとマスタードシードのプチプチ感が弾けるっしょ!」
「ココナッツの甘いソースが、スパイスの刺激を優しく包み込んでくれます! 永遠に食べられます、これ!」
すずが感動のあまり涙ぐんでいる。
生地の発酵由来のほのかな酸味が、ジャガイモの甘みを引き立てている。
決して重くない。植物性の油と野菜だけの料理なのに、強烈な満足感がある。
そこで、アイラモルトをストレートで一口含む。
「くぅぅぅぅっ!!」
ジークが天を仰いだ。
「強烈なアルコールと、煙の香り! これが、口の中に残ったクミンのようなスパイスの香りと混ざり合い、信じられないほど甘く、フルーティーな余韻に変化したぞ! まるで、戦いの後の静寂のような……至福!」
「アルコールの熱とスパイスの熱。……血行が良くなりすぎるわね。でも、この多幸感は異常よ。筋肉の修復サイクルが加速しているのがわかるわ」
しずかも顔を真っ赤にしてウイスキーを煽っている。
俺もドーサを齧り、ウイスキーで流し込む。
マスタードシードの刺激と、ピート香がぶつかり合い、口の中で爆発する。
その直後に訪れる、米と豆の優しい甘さ。
最高だ。これぞ、労働の後の至高の報酬。
ポチも、自分用の巨大ドーサをバリバリと音を立てて平らげている。
瞳も片手でタブレットを持ちながら、器用にドーサを口に運んでは「脳細胞の活性化が著しいです……!」と呟いている。
薄暗い最深部の空間に、スパイスの香りと笑顔が溢れる。
世界の終わりを呼ぶ魔獣の死骸の横で、俺たちは最高の食卓を囲んでいた。
「……定時は過ぎたが、いい残業だったな」
俺がウイスキーのグラスを傾け、そう呟いた時だった。
ゴゴゴゴゴゴゴゴ……ッ!!
突然、足元の黒曜石の床が、先ほどの戦闘とは比較にならないほど激しく揺れ始めた。
グラスの酒がこぼれる。
「な、何!? 地震!?」
ゆき子が悲鳴を上げる。
「悠作さん! 空間の魔素濃度が異常に低下しています! ダンジョンの『核』が消失した影響で、この階層そのものが自壊を始めています!」
瞳が血相を変えてタブレットを突きつけた。
見上げれば、天井の魔力結晶が次々とひび割れ、巨大な破片が降り注いできている。
ダンジョンの崩壊だ。
「……マジかよ。食後のコーヒーも飲ませてくれないのか」
俺は舌打ちをし、残っていたドーサを一口で胃に収めた。
どうやら俺たちの退勤の時間は、もう少し先になりそうだった。




