第42話 防衛戦:ひまわり荘の戦い
木曜日の朝。
東京の上空を、白銀の流星が駆ける。
巨大化したフェンリル――ポチの背に乗り、俺たちは眼下の惨状を見下ろしていた。
「……酷いわね」
伊藤みのりが、風切り音に負けない声で呟いた。
彼女の視線の先、東京大迷宮の入り口周辺は、すでに黒い津波に飲み込まれようとしていた。
魔物だ。
オーク、ゴブリン、リザードマン。数え切れないほどの魔物の群れが、ダンジョンから溢れ出し、市街地へと雪崩れ込んでいる。
「正規の防衛ライン、突破されてます! 予想以上の数です!」
高橋すずが悲鳴のような声を上げる。
協会が展開した戦車部隊や魔導障壁が、数の暴力によって次々と粉砕されていく。
「師匠! どこに降りる!? 最前線に突っ込む?」
山本ゆき子が、やる気満々で拳を鳴らす。
だが、俺の視線は別の場所に向いていた。
魔物の群れの一部が、本流から外れ、住宅街の方角へと流れている。
その先にあるのは――。
「……あいつら、俺の家に向かってないか?」
俺の呟きに、全員がハッとした。
魔物は高濃度の魔力に引き寄せられる習性がある。
現在、練馬区で最も魔力が集中している場所。
それは、茜と純子によって要塞化され、さらにポチの魔力が染み付いた、あのアパートだ。
「おいポチ! 進路変更だ! 家を守るぞ!」
「ワフッ!(了解!)」
ポチが空中で急旋回する。
俺たちの戦場は、世界の命運を賭けた最前線ではない。
俺たちの帰る場所、『ひまわり荘』だ。
アパートの上空に到着した時、そこはすでに包囲されていた。
数百匹の魔物が、ひまわり荘を取り囲み、壁や結界を攻撃している。
「着地するぞ! 蹴散らせ!」
ズドオオオオォォォッ!!
ポチが隕石のように着地した。
その衝撃波だけで、周囲に群がっていたゴブリンたちが吹き飛ぶ。
俺たちは背中から飛び降り、即座に戦闘態勢に入った。
「私が前線を支えるわ! 『アイアン・ウォール』!」
S級ポーター、山田しずかがコンテナを地面に叩きつけ、物理的な防壁を作る。迫りくるオークの棍棒を、素手で受け止め、投げ飛ばす。
「雑魚が群れるな。……消えろ」
S級剣士、ジーク・ヴァイスが抜刀する。
紫電一閃。
雷の斬撃が円状に広がり、数十匹の魔物が一瞬で炭化した。
だが、敵の数が多すぎる。
倒しても倒しても、次から次へと湧いてくる。
「キリがありませんわね。……悠作様、家のローンは残っていますのよ? 壊されたら困りますわ」
加藤茜が扇子を開いた。
彼女が懐から取り出したのは、四色の宝玉。それをアパートの四隅に向かって投げる。
「『四方封陣』展開!」
宝玉が光の柱となり、アパート全体を透明なドームで覆い尽くした。
魔物たちの爪や牙が弾かれる。
鉄壁の防御だ。だが、維持には莫大な魔力を消費する。
「純子! 遠距離の大型を狙え! 結界に衝撃を与えるな!」
「了解です♡ 害虫駆除の時間ですね」
山口純子はすでに屋上の給水タンクの上に陣取っていた。
愛銃『ブラック・ウィドウ』が火を吹く。
遥か後方から魔法を放とうとしていたオーク・メイジの頭が、スイカのように弾け飛ぶ。
百発百中。神技の狙撃だ。
「アタシも行くっしょ! ライブ開始!」
ゆき子が飛び出した。
彼女は魔導士ではない。だが、そのダンスには魔力を操る力がある。
彼女が取り出したのは、茜の店で仕入れた大量の『魔力石』。
「ダンシング・ボマー! アゲてけー!」
ゆき子はブレイクダンスのウィンドミルのような回転で、魔力石を四方八方に蹴り飛ばした。
石は魔物の群れの中心で赤く輝き――。
ドガァァァァァン!!
連鎖爆発。
炎の華が咲き乱れる。
物理的なダンスとアイテムによる広範囲攻撃。これぞB級ダンサーの戦い方だ。
全員が必死に戦っている。
だが、アパートへの波状攻撃は止まらない。
このままでは、いずれ結界が破られる。
『旦那! このままじゃ家がペチャンコでヤンス!』
背中の五右衛門が悲鳴を上げる。
「くそっ……どうする」
『オイラに任せるでヤンス! 一か八か、アパートごと収納するでヤンス!』
「はあ!? 建物をか!?」
五右衛門が俺の背中から離れ、巨大な風呂敷となって空に広がった。
アパート全体を包み込もうとする。
物理法則を無視した、超次元の引越し。
グググググ……!
アパートが地響きを立てて浮き上がる。
いけるか?
『ぐ、ぐぬぬ……! 無理でヤンス! 昨日のリフォームで重量が増えすぎてるでヤンス! 腰が! オイラの布の腰が折れるでヤンス!』
五右衛門が悲鳴を上げて縮んだ。
アパートがズシンと元の位置に戻る。
失敗だ。要塞化の代償がここで出るとは。
「役立たず! ……仕方ない、俺たちが守り切るしかない!」
俺はナイフを構え、ポチと共に前線へ躍り出た。
終わりの見えない防衛戦。
疲労が溜まってくる。
腹が、減ってくる。
「……タイムだ」
戦闘開始から一時間。
俺は唐突に叫んだ。
「は?」
背中合わせで戦っていたみのりが、魔物を蹴り飛ばしながら振り返る。
「あんた何言ってんの!?」
「腹が減っては戦はできん。……補給の時間だ」
俺は五右衛門の口を無理やり開かせた。
戦場のど真ん中。結界の内側とはいえ、いつ破られるかわからない状況。
だが、だからこそ「日常」を取り戻す必要がある。
「今日は『フィッシュ・アンド・チップス』だ」
俺は叫び、携帯用の魔導コンロと中華鍋を取り出した。
油を注ぐ。火力最大。
「ちょっと! 今!? ここで!?」
「うるさい! 揚げ物はスピード勝負だ!」
俺が取り出したのは、昨日深層へ行く途中で狩った『ホワイト・コッド』の切り身だ。
身が厚く、ホクホクとした白身魚。
これに塩胡椒を振り、薄力粉をまぶす。
衣が重要だ。
ボウルに小麦粉とベーキングパウダー。
そこに注ぐのは、水ではない。
キンキンに冷えた『黒ビール』だ。
シュワワワ……。
炭酸の泡が小麦粉を含み、黒褐色の衣ができる。
ビールの炭酸とアルコールが、揚げた時に衣を一気に膨らませ、サックサクの食感を生むのだ。
魚を衣にくぐらせ、高温の油へ投入。
ジュワァァァァァァッ!!
戦場の喧騒を切り裂く、小気味よい揚げ音。
香ばしい麦の香りと、魚の揚がる匂いが広がる。
魔物たちの腐臭を、食欲をそそる香りが上書きしていく。
同時に、ジャガイモも皮付きのままくし切りにして、二度揚げにする。
外はカリッ、中はホクッ。
「揚がったぞ! 熱いうちに食え!」
俺は揚げたてのフィッシュとポテトを、油紙の上に放り投げた。
黄金色の塊。
たっぷりのモルトビネガーを振りかけ、タルタルソースを添える。
「飲み物はこれだ!」
俺が用意したのは、冷たいビールではない。
まだ肌寒い春の朝。戦いで冷えた体を温めるためのドリンク。
『エッグノッグ』だ。
牛乳、生クリーム、卵黄、砂糖を温め、ラム酒を加えたホットカクテル。
仕上げにナツメグを振る。
甘く、濃厚で、スパイシーな香りが湯気となって立ち上る。
「「「いただきます!!」」」
戦闘の合間を縫って、仲間たちが交代で食らいつく。
しずかが、熱々の白身魚にかじりついた。
サクッ!!
軽快な音。
ビールの衣が砕け、中から熱々の蒸気と共に、淡白だが旨味の強いタラの身が顔を出す。
「……っ! 熱い! でも、美味しい!」
しずかがハフハフと息を吐く。
「衣が……信じられないくらい軽いわ。サクサクの食感と、ビネガーの酸味が、油っこさを完全に消している。これなら戦闘中でも胃もたれしないわ!」
ジークもポテトを放り込む。
「芋の甘みが濃い! 塩加減が絶妙だ! ……これぞ、戦場の糧!」
そして、エッグノッグを一口。
とろりとした甘い液体が、喉を通り、胃袋を内側から温めていく。
ラム酒の香りが鼻に抜け、緊張で強張った神経を解きほぐす。
「ふぅ……。生き返るわ」
みのりが目元を緩める。
「甘い……。優しい味ね。こんな場所で飲むものじゃない気もするけど、だからこそ沁みるわ」
ゆき子も、片手でダンス攻撃を繰り出しながら、器用にフィッシュを食べている。
「ウマっ! マジ元気出る! カロリー爆弾最高!」
ポチも巨大な口で、バケツ一杯のフィッシュ・アンド・チップスを一飲みにし、「ガウッ!(力が出た!)」と咆哮した。
その全身から溢れる魔力が、一段と強くなる。
「食ったら働け! 定時までに片付けるぞ!」
俺もエッグノッグを一気に飲み干し、ナイフを構え直した。
胃袋が満たされ、体が温まった。
もう、恐怖も疲れもない。
俺たちの「食事」を邪魔する奴は、誰であろうと許さない。
その殺気が、アパートを守る最強の結界となって敵を押し返す。
ひまわり荘防衛戦。
揚げたてのフライの香りが漂う奇妙な戦場で、俺たちの反撃が始まった。




