第35話 S級最初の指名依頼
火曜日。
アパート『ひまわり荘』が、魔女とヤンデレと筋肉の手によって「要塞」へと改造されてから一夜が明けた。
午前10時。
俺、鈴木悠作は、リビングのソファーで、ダラダラとテレビを見ていた。
「……平和だ」
窓の外では、自動迎撃タレットが、カラスを追い払う軽快な作動音を立てている。
玄関は最新の生体認証ロックで守られ、チャイムを鳴らすセールスマンは五右衛門の威圧スキルで撃退される。
S級探索者となった俺に課せられた義務。
それは「世界平和への貢献」でも「ダンジョンの謎解明」でもない。
いかにして仕事をサボり、定時まで心穏やかに過ごすか。これに尽きる。
「今日は天気もいいし、布団でも干すか……」
俺が重い腰を上げようとした時だった。
ピッ。ウィィィン……。
厳重なセキュリティロックが解除される電子音が響いた。
この家に入室権限を持つ人間は限られている。
現れたのは、協会の制服を着崩した、担当職員の伊藤みのりだった。
「おはよ、悠作。……あんた、またダラけてんの?」
開口一番、呆れたような声が飛んでくる。
みのりはドサッと鞄をテーブルに置き、冷蔵庫から勝手に麦茶を取り出して飲み干した。
「おい、人の家でくつろぐな」
「いーじゃない。私の労働のおかげで、あんたはこうしてダラダラできてんのよ。……ほら、仕事よ」
みのりが鞄から取り出したのは、赤枠で囲まれた分厚い封筒だった。
表紙には『S級指名依頼』の文字。
「……見なかったことにする」
「逃げんな。あんた宛の最初の『指名依頼』よ」
みのりが俺の目の前に封筒を突きつける。
「依頼主は、国立魔導研究機関と、大手食品メーカーの共同プロジェクト。内容は『深層未踏破エリアにおける、特定生体サンプルの捕獲および回収』よ」
「却下だ。面倒くさい」
俺は即答した。
深層? 未踏破エリア?
そんな場所に行ったら、定時退社どころか残業確定だ。命の危険もある。
「報酬は金貨500枚。成功報酬として、メーカーの新商品一年分」
「金なら茜から借りる。物は間に合ってる」
「はぁ……。やっぱりそう言うと思ったわ」
みのりはやれやれと肩をすくめ、封筒の中から一枚の写真を取り出した。
「あんたが『首を縦に振らない』時の切り札、ちゃんと用意してあるわよ」
「なんだ? ハニートラップか? 今さら通用しないぞ」
俺の周りにはすでに、S級美女が飽和状態だ。
だが、みのりが見せた写真は、美女のグラビアではなかった。
それは、魔物の盗撮写真だった。
場所は薄暗い洞窟の奥。
そこに写っていたのは、全長5メートルはあろうかという巨大な獣。
長い牙と、全身を覆う茶色い毛。
一見すれば、ただのマンモスだ。
だが、俺の目は「ある一点」に釘付けになった。
「……おい、みのり。これは……」
「『エンシェント・マンモス』。深層70階層で目撃された希少種よ。……で、こいつの別名、知ってる?」
みのりがニヤリと笑う。
「通称、『歩く霜降り肉』」
ドクン、と俺の心臓が跳ねた。
写真のマンモスの背中や太腿のあたり。毛の隙間から見える筋肉が、美しい桜色をしており、そこに網の目のようなサシが入っているのが見て取れる。
「文献でしか見たことがない……。氷河期の王者が持つ、極上の脂身。融点が極端に低く、口に入れた瞬間に体温で溶けるという幻の肉……」
俺は生唾を飲み込んだ。
市場には絶対に出回らない。S級探索者でも、出会うことすら稀な食材。
「依頼内容は、こいつの『確保』。研究用だから、なるべく傷つけずに持ち帰るのが条件だけど……ま、多少の『損耗』は事故として処理できるわよ?」
「……損耗?」
「ええ。例えば、運搬中に一部の肉が剥がれ落ちちゃったとか、解体しないと運べなかったとか……ね?」
みのりが悪魔のようなウインクをした。
コイツ、俺の扱い方を完全にマスターしていやがる。
「……みのり」
「なによ」
「受ける。今すぐ行くぞ」
俺はソファーから飛び起きた。
定時退社? 安全第一?
知ったことか。目の前に「幻の肉」があるなら、取りに行くのが料理人の義務だ。
作戦会議だ。
俺たちは早速、アパートのリビングで遠征の計画を立てることにした。
「場所は70階層の寒冷エリア。環境適応装備が必要ね」
「ああ。それと、保存用の大型冷凍庫も要るな」
真剣な顔で話し合う俺たちの周りに、いつの間にか住人たちが集まってきた。
暇を持て余したジーク、暇を持て余したゆき子、そして暇を持て余したポチだ。
「師匠! 何の話? どっか行くの?」
「深層へピクニックだ。……ところで、頭を使ったら腹が減ったな」
肉の写真を見て興奮したせいで、脳が糖分と塩分を欲している。
俺はキッチンへ向かった。
難しい話をする前には、手軽につまめるスナックが必要だ。
「ポップコーンを作るぞ」
「えー、ポップコーン? 映画館のやつ?」
ゆき子が不満そうな声を上げるが、俺のポップコーンを舐めてもらっては困る。
市販の袋入りとはわけが違う。
俺は深底の鍋を用意した。
そこに投入するのは、普通のサラダ油ではない。
『ギー』だ。
バターから不純物と水分を取り除いた、純粋な乳脂肪分。香りが段違いに良く、焦げ付きにくい。
「まずはギーに、ポップコーン用の爆裂種コーンを浸す。ここで重要なのは、塩も一緒に入れることだ」
油に塩を溶かし込むことで、弾けたコーン全体に均一に味がつく。
さらに、隠し味に微量の『ターメリック』と『パプリカパウダー』を加える。
これで食欲をそそる黄金色と、奥深い風味が出るのだ。
蓋をして強火にかける。
鍋を絶えず揺する。
ポン、ポン、ポポポポン!!
軽快な破裂音が響き始める。
鍋の中でコーンが踊り狂っているのが振動で伝わってくる。
香ばしい穀物の香りと、濃厚なバターの香りがキッチンから溢れ出す。
「音の間隔が長くなったら、火を止めて余熱で仕上げる」
ザララァッ!
ボウルに開けると、黄金色に輝くポップコーンの山が出来上がった。
「仕上げに、追いバターだ」
溶かしバターを回しかけ、全体をさっくりと混ぜる。
熱気でバターが染み込み、艶めかしい光沢を放つ。
「飲み物はこれだ」
俺はミキサーを取り出した。
スパイシーで塩気の強いポップコーンには、甘酸っぱく濃厚なドリンクが合う。
ヨーグルト、牛乳、そして完熟マンゴーのピューレ。
氷と一緒にミキサーにかける。
ガガガガッ!
鮮やかなオレンジ色の液体が渦を巻く。
『特製マンゴーラッシー』の完成だ。
隠し味にカルダモンを一振り。これで後味が爽やかになる。
「「「いただきます!」」」
リビングのテーブルに、山盛りのポップコーンと、冷えたラッシーが並んだ。
ゆき子が一番に手を伸ばす。
「熱っ! ……うまーっ!! 何これ、映画館のと全然違う!」
サクッ、フワッとした軽い食感。
噛むとジュワッと広がる濃厚なバターの風味。
絶妙な塩加減とスパイスの香りが、食べる手を止めさせない。
「手が止まらん……! なんだこの中毒性は!」
ジークも、S級の高速ハンドでポップコーンを口に放り込んでいる。
塩っぱくなった口の中に、マンゴーラッシーを流し込む。
とろりとしたヨーグルトの酸味と、マンゴーの濃厚な甘みが、バターの油分を洗い流し、リセットする。
「……無限機関だ。これ、無限に食えるぞ」
「ポップコーンとラッシー……。意外な組み合わせだけど、合うわね」
みのりも書類を確認しながら、ポリポリと食べている。
ポチに至っては、自分用の皿に顔を突っ込んで吸引していた。
「ワフッ!(もっとくれ!)」
「食べ過ぎると太るぞ、ポチ」
俺はポチの鼻についたポップコーンの殻を取ってやりながら、地図を広げた。
「さて、腹ごしらえも済んだ。作戦開始だ」
「悠作、今回は指名依頼だから、パーティメンバーの登録が必要よ。誰連れてくの?」
みのりの問いに、俺は部屋を見渡した。
ポップコーンを貪り食うジーク。
ラッシーで髭を作っているゆき子。
そして、五右衛門。
……まともなのがいない。
だが、戦力としては過剰だ。
「全員だ。……ただし」
俺はジークを指差した。
「お前は荷物持ち見習いだ。俺のサポートをしろ」
「御意! 師匠の背中、学ばせていただきます!」
「ゆき子は囮役だ。持ち前のステップでマンモスを翻弄して、隙を作れ」
「りょ! アタシのダンスで釘付けにするっしょ!」
軽い。だが、こいつらはやるときはやる。
俺は最後に、天井に向かって声をかけた。
「五右衛門。家の方はどうだ?」
『へへっ、アパートの管理システムはオートモードにしておいたでヤンス。本体はいつでも出撃可能でヤンスよ!』
五右衛門が天井からシュルリと剥がれ落ち、俺の背中に収まった。
頼もしい相棒だ。
「よし。行くぞ」
俺は立ち上がった。
目指すは地下70階層。
極上の霜降り肉が、俺を待っている。
「残業はしない。……定時までに、マンモス肉で焼肉パーティーだ!」
俺たちの、S級として初めての遠征が始まろうとしていた。




