第34話 ひまわり荘、要塞化計画
月曜日の夕暮れ。
俺とみのりが全力疾走でアパート『ひまわり荘』に辿り着いた時、そこはすでに物理法則が迷子になる戦場と化していた。
ドォォォォォン!!
腹に響く重低音と共に、俺の部屋の外壁の一部が粉々に砕け散り、粉塵が舞い上がった。
「……は?」
俺は立ち尽くした。
隣でみのりが「嘘でしょ……」と口元を押さえている。
粉塵の向こうに見えたのは、真新しい高級スーツを着た金髪の男――ジーク・ヴァイスだ。
彼は壁だった場所に立っていた。
その拳からは、紫電がバチバチと迸っている。
「ふむ。やはり食後の運動にはちょうどいい。このアパートの壁は、私の打撃の衝撃を吸収するのに適度な脆さを持っていますね」
爽やかな笑顔で何を言っているんだこいつは。
「動くな害虫! 次動いたら、その金髪を黒染めしますよ!」
上空から冷徹な声が降ってくる。
見上げれば、屋上の給水タンクの上に、黒いコートを羽織った山口純子が立っていた。
構えているのは対物ライフル『ブラック・ウィドウ』。
その銃口は、正確にジークの眉間を狙っている。
「おや、狙撃手ですか。殺気が漏れていますよ? ……師匠の家の屋根に土足で上がるとは不敬な」
「貴方こそ、悠作さんの城壁を破壊するなんて万死に値します!」
バチバチと火花を散らす二人。
一触即発。S級同士の喧嘩が始まれば、このボロアパートどころか、練馬区の一角が地図から消える。
「……やめろおおおおおおっ!!」
俺は叫んだ。
S級昇格祝いのデートを中断して駆けつけた結果がこれだ。
俺の平穏はどこにある。
「あ、師匠! お帰りなさい!」
「悠作さん!」
俺の声に気づき、二人が同時にこちらを向く。
俺は肩で息をしながら、瓦礫の山を踏み越えてジークの前に立った。
「おいジーク。説明しろ。なぜ俺の家の壁がない?」
「はい! 食後の血糖値上昇を抑えるため、軽めの突きを行っていたところ、建材の強度が私の想定を下回っておりまして……」
「人の家をサンドバッグにするな! 修理費どうすんだ!」
俺が怒鳴ると、ジークは「む」と考え込み、懐からブラックカードを取り出した。
「では、これで新しい家を建てましょう。都内のタワマンでいいですか?」
「金持ちの解決法!」
話が通じない。
俺が頭を抱えていると、屋上から純子が軽やかに飛び降りてきた。
スタッ、と音もなく着地し、俺の腕に抱きつく。
「悠作さん、無事ですか!? この野蛮人が暴れ始めたので、私が制圧しようと……」
「純子ちゃんも、住宅街で対物ライフルはやめような。警察が来るから」
「はい♡ 悠作さんがそう言うなら、ナイフにしますね」
そういう問題ではないのだが、とりあえず銃を収めてくれたので良しとする。
隣でみのりが、こめかみを指で揉みながら呻いた。
「……もう嫌。胃が痛い。あんたたち、S級としての自覚はあるの? 近隣住民から苦情が来たら、始末書書くのは私なのよ……」
「すまん、みのり。今度また美味いもん奢るから」
俺たちが疲労感に包まれていると、破壊された壁の向こう――部屋の中から、優雅な声が響いた。
「あらあら。随分と派手にやりましたわねぇ」
パチ、パチ、パチ、と扇子を叩く音。
瓦礫の上に紫色の座布団を敷き、優雅に座っていたのは、魔女の骨董店主・加藤茜だった。
「茜……。お前、止めてくれなかったのか」
「止めましたわよ? 『壊すなら、弁償できる範囲になさい』と」
「止め方!」
茜は口元を扇子で隠し、三日月のような目でジークと純子、そして俺を見回した。
「ですが、これは好機ですわ」
「……好機?」
「ええ。悠作様は晴れてS級となられました。にも関わらず、お住まいは築40年の木造アパート……。セキュリティもいいところですわ」
茜がボロボロの壁を指差す。
確かに、しずかにドアを壊され、ジークに壁を抜かれ、もはやプライバシーもへったくれもない状態だ。
「そこで! 私と純子さんで、以前から温めていた計画を実行に移させていただきます」
茜が懐から巻物を取り出し、バサァッと広げた。
そこには、禍々しい魔法陣と、最新鋭の電子回路図が融合したような設計図が描かれていた。
タイトルは『ひまわり荘・絶対防衛要塞化計画』。
「……なんだそれは」
「リフォームですわ。このボロ……由緒あるアパートの外観はそのままに、内部構造とセキュリティを魔導的かつ科学的に強化します」
純子が目を輝かせて補足する。
「私の方で、最新の生体認証システムと、自動迎撃タレットの設計図を提供しました! これで泥棒もストーカーもイチコロですよ!」
「お前が一番のストーカーだけどな」
俺のツッコミは無視された。
茜が電卓を叩き始める。
「工期は今夜一晩。費用は……ジーク様の寄付と、悠作様の追加ローンで賄えますわ」
「おい待て、なんで俺の借金が増える前提なんだ!」
「命と平穏はお金で買うものですわよ? ……それとも、また壁を抜かれて、寝顔を全世界に配信されたいですの?」
痛いところを突かれた。
俺の「定時退社と安眠」のためには、強固な家が必要なのは事実だ。
「……わかった。やれ。ただし、外観は変えるなよ。目立ちたくないんだ」
「契約成立ですわ!」
茜が指を鳴らした。
その瞬間、俺の背負っていた風呂敷――『五右衛門』が、ボワッと光り輝いた。
『旦那! オイラの出番でヤンスね!』
「え? 五右衛門?」
五右衛門が俺の背中から離れ、空中に浮かび上がった。
そして、スルスルと巨大化し、アパート全体を覆うように広がっていく。
「今回の要、セキュリティの中核には、この五右衛門ちゃんを組み込みますわ。アパート全体を『魔法鞄』の亜空間構造とリンクさせるのです」
「……つまり?」
「家そのものが五右衛門ちゃんになる、ということですわ」
理解が追いつかないが、とにかく工事が始まった。
そこからは、魔法と科学が融合した悪夢のようなリフォームショーだった。
茜が召喚した使い魔が建材を運び、純子が配線を張り巡らせる。
ジークも「修行の一環!」と言って、重い鉄骨を素手で運び込んで手伝っている。
俺とみのりは、庭に避難して、その様子を眺めるしかなかった。
「……ねえ悠作。これ、大家さんの許可取ってるの?」
「茜が『金貨3枚で権利書ごと買い取りました』って言ってた」
「仕事が早すぎて怖いわよ……」
みのりが呆れている横で、俺の足元に白い毛玉が寄ってきた。
ポチだ。
騒ぎに驚いて隠れていたようだが、俺が帰ってきたので安心して出てきたらしい。
「ワフゥ……(なんか凄いの)」
ポチは、飛び交う魔法の光や、使い魔たちの動きに興味津々だ。
「危ないからこっちに来てろ、ポチ」
俺が抱き上げようとすると、ポチの視線が、茜が操る「光る蝶」に釘付けになった。
工事位置を指示するためにふわふわと飛ぶ、青白い光の蝶々。
ポチの狩猟本能に火がついたらしい。
「ワフッ!」
ポチは俺の手をすり抜け、短い手足を一生懸命動かして、光の蝶を追いかけ始めた。
トテトテトテ!
まだ幼い体ゆえに、走るというよりは「転がる」に近い動きだ。
耳をパタパタさせながら、必死にジャンプする。
「くぅ〜ん!(届かない!)」
届かない。
蝶はポチの鼻先数センチ上を、からかうように飛んでいく。
ポチはその場でクルクルと回り、自分の尻尾を追いかけるようにステップを踏んだ。
白い毛並みが、夕日に照らされて黄金色に輝く。
ドテッ。
勢い余って、自分の前足に躓いて転んだ。
だが、すぐに起き上がり、「転んでないし! 戦術的ローリングだし!」と言わんばかりにキリッとした顔をして、また蝶を追いかける。
「……っ!!」
隣で、みのりが胸を押さえて崩れ落ちた。
「か、可愛い……! 何よあれ、反則でしょ……!」
「ああ……。和むな」
破壊と再生が繰り返される工事現場の片隅で、ポチだけが平和の象徴のように跳ね回っている。
すると、建材を運んでいたジークが足を止めた。
彼もまた、ポチの動きに目を奪われていた。
「……なんと。あの不規則なステップ……重心移動の予備動作が全くない。




