第16話 嵐を呼ぶギャル
すずとのコラボ配信から数日が経った、ある平日の夕暮れ時。
俺、鈴木悠作は、アパート『ひまわり荘』のリビングで、奇妙な生き物と対峙していた。
「……なんだ、腹減ったのか?」
俺の視線の先にいるのは、白い毛玉――フェンリルの幼体であるポチだ。
ポチは俺の足元で、必死に何かを訴えようとしていた。
「ワフッ! ワフッ!(飯だ! 肉をよこせ!)」
短い尻尾をプロペラのように回転させ、前足で畳をペチペチと叩いている。
どうやら空腹らしい。
成長期の食欲は凄まじい。さっきおやつに魔石を与えたばかりだというのに。
「わかったわかった。今、準備するから待ってろ」
俺が立ち上がろうとすると、ポチは「待てない!」とばかりに、さらに大きく口を開けた。
渾身の力を込めて、威嚇射撃のような要求吠えを繰り出そうとする。
「ワ、ワフゥ……ゥ……」
しかし。
吠えようとした瞬間、ポチの体がグラリと揺れた。
大きく開けた口が、途中から「ふわぁ〜」というあくびに変わる。
そして、瞼が重力に負けたようにトロリと落ちていく。
「……くぅ……」
ドサッ。
ポチは吠え終わる前に、その場に崩れ落ちるように倒れた。
気絶ではない。
ただの「電池切れ」だ。
空腹を訴えるエネルギーすら使い果たし、睡魔に敗北したらしい。
「スピィ……スピィ……」
一瞬で寝息を立て始めるポチ。
前足を投げ出し、無防備にお腹を見せて爆睡している。
その顔は、災害級魔獣の片鱗など微塵も感じさせない、ただの天使のような寝顔だった。
「……お前、野生はどうした」
俺は苦笑いしながらしゃがみ込み、ポチの柔らかな毛並みを撫でた。
指が沈み込むようなモフモフ感。
ずしりと重い質量はあるが、こうして寝ている分には可愛いものだ。
「ま、寝てる間に飯の支度をするか」
俺はポチにタオルケットを掛けてやり、キッチンへと向かった。
今日は冷蔵庫の残り物を使って、手早く済ませるつもりだった。
合い挽き肉の残りと、使いかけの木綿豆腐。
これらを使ってヘルシーなハンバーグでも作ろうかと思っていた、その時だった。
ドンドンドンドン!!
玄関のドアが、リズムよく、しかし乱暴に叩かれた。
チャイムではない。直接の手撃だ。
「……なんだ?」
俺は眉をひそめた。
ポチがビクッとして目を覚まし、「敵襲か!?」とばかりに飛び起きる。
せっかく寝かしつけたのに。
「ちーっす! ここっしょ!? ネットで見た『例のアパート』!」
外から聞こえてきたのは、若い女の声だった。
しかも、やけにテンションが高い。
俺はため息をつきながら、チェーンをかけたままドアを少しだけ開けた。
「……セールスならお断りだ」
「うわ、出た! 生師匠じゃん! マジでここだったんだ! ウケる!」
そこに立っていたのは、季節外れのド派手なギャルだった。
ボリュームのあるカーリーヘアに、露出度の高いクロップドトップス。へそが出ている。
健康的な小麦色の肌と、ジャラジャラとついたアクセサリー。
有名なB級探索者にしてダンサー、山本ゆき子だ。
「誰が師匠だ。帰れ。……ていうか、なんでここがわかった?」
俺の住所はまだ公にはなっていないはずだ。
協会や関係者が箝口令を敷いているし、カイトたちの襲撃も未遂に終わっている。
それなのに、なぜ一介のB級探索者がピンポイントでここに来られたのか。
「え、掲示板見てないの? 特定班のスレに『電柱の住所見えた』って書き込みあったし」
「……マジか」
「ま、ガセ情報も多かったけどねー。でもアタシ、鼻が利くからさ! この辺歩いてたら、なんかヤバいくらい美味そうな匂い……じゃなくて、グルーヴを感じたのよ!」
ネットの情報収集力と、野生動物並みの勘。
現代っ子恐るべしだ。俺は頭を抱えたくなった。
「で、何の用だ」
「あ、そうそう! アタシ、ゆき子! ダンジョンで踊ってる『ユキ・J』って言えばわかるっしょ?」
「知らん」
俺は無慈悲にドアを閉めようとした。
しかし、ゆき子はガッと足を挟んで阻止してくる。
安全靴を履いたつま先が、ドアの隙間にねじ込まれる。
「待ってってば! アタシ、こないだのすずパイセンとのコラボ見たのよ! あの時の師匠のステップ、マジ神だった!」
彼女は興奮気味にまくし立てる。
「あの脱力感! 重心移動! リズム感ヤバすぎ! アタシ、ダンスやってるからわかるのよ。師匠の動きは、究極のグルーヴだってね!」
「……はあ」
「だから決めたの! アタシを弟子にして! あのステップ教えてくれたら、一生ついてくから!」
面倒くさいのが来た。
すずだけでも手一杯なのに、今度はギャルか。
俺の平穏な生活はどこへ行ったんだ。
「断る。俺は弟子なんて取らないし、ダンスも教えられない。帰ってくれ」
「そんなこと言わずにさぁ〜……って、ぐぅぅ……」
ゆき子の言葉が止まった。
代わりに、彼女の腹の底から、雷鳴のような音が響き渡った。
グギュルルルル……。
「……あ、やべ。鳴ったわw」
彼女は顔を赤らめることもなく笑ったが、その顔色は明らかに悪い。
唇がカサカサに乾いている。
「……お前、いつから食ってない?」
「えっとー、昨日から? ダイエット中でさぁ……でも、ここ来るのに迷って歩き回ってたら、なんか目が回ってきて……」
言い終わる前に、ゆき子の膝がガクンと折れた。
「ちょ、おい!」
「あ、やべ。……ハンガーノック、かも……」
ゆき子がそのまま玄関に倒れ込む。
演技ではない。完全にエネルギー切れだ。
探索者あるあるだが、魔力枯渇や極度の空腹は命に関わる。
「……まったく、世話の焼ける」
俺は見捨てることもできず、チェーンを外して彼女を引きずり入れた。
ポチが「新入りか?」と興味津々で近づいてくる。
「とりあえず、これを食え」
俺はちゃぶ台に突っ伏しているゆき子の前に、丼を置いた。
冷蔵庫の余り物で即興で作った賄い飯だ。
「……なにこれ? ハンバーグ?」
ゆき子がふらふらと顔を上げる。
丼の中には、白米の上にレタスとトマト、そして大きなハンバーグが乗っている。
さらに、半熟の目玉焼きと、特製のデミグラスソースがかかっていた。
ハワイのソウルフード、『ロコモコ丼』だ。
「ダイエット中なんだろ? それは『豆腐ハンバーグ』だ」
俺は解説した。
肉の代わりに、しっかりと水切りした木綿豆腐と、少量の鶏ひき肉を使っている。
つなぎにはパン粉の代わりにオートミールを使用し、食物繊維も豊富だ。
カロリーは通常のハンバーグの半分以下だが、ボリューム感は損なわせていない。
「マジ!? ヘルシーじゃん!」
ゆき子の目が輝く。
彼女はスプーンを掴み、震える手でハンバーグを割った。
ふわりと湯気が立ち上る。
「いっただきまーす!」
ガツッ、とスプーンですくい、口に放り込む。
「ん〜〜〜ッ!!」
一口食べた瞬間、ゆき子が目を見開いて絶叫した。
「ナニコレ!? めっちゃ美味いんだけど! 豆腐なのに肉汁すごくない!?」
豆腐ハンバーグの欠点であるパサつきを、鶏ひき肉の脂と、隠し味のマヨネーズで補っている。
さらに、中に刻んだレンコンを入れることで、食感にアクセントを加えているのだ。
「ソースもヤバい! 濃厚なのにくどくない! ご飯が進む〜!」
ソースは、ケチャップとウスターソースをベースに、赤ワインとダンジョン産の香草を煮詰めたものだ。
酸味とコクのバランスが、淡白な豆腐ハンバーグを引き立てる。
半熟卵の黄身を崩せば、まろやかなコクが加わり、さらに食欲を加速させる。
「はぐ、むぐ……! 美味しい……生き返る……!」
ゆき子は夢中でスプーンを動かす。
ジャンクな見た目なのに、体には優しい。
まさに、現代の女子が求めている「背徳感のないガッツリ飯」だ。
「師匠、これ神! マジ神! コンビニのサラダチキン生活とか馬鹿らしくなるわ!」
「食ったら帰れよ」
俺は自分の分の丼を食べながら言った。
「ワフッ!(俺のは?)」
ポチが足元で催促する。
俺は味付けなしの豆腐ハンバーグを皿に入れてやった。
ポチはそれを一口で飲み込み、「物足りない」という顔をしている。
「……ふぅ。ごちそうさまでした!」
あっという間に完食したゆき子が、手を合わせて叫んだ。
顔色が戻り、肌にツヤが出ている。
回復早すぎだろ。
「……師匠」
「なんだ」
「アタシ、決めた」
ゆき子はドンッ、とテーブルを叩いて立ち上がった。
その瞳は、さっきまでの空腹による虚ろさではなく、確固たる決意に満ちていた。
「アタシ、一生師匠についてく! ダンスもそうだけど、この飯! これが食べられるなら、パシリでも何でもやるし!」
「……は?」
「胃袋掴まれたわー。責任取ってよね、師匠♡」
ゆき子はウィンクをして、勝手に冷蔵庫を開けた。
中から炭酸水を取り出し、ラッパ飲みする。
「ぷはーっ! 最高! ……あ、このアパート、空き部屋ある?」
「ない。満室だ」
「ちぇー。じゃあ、ここに住むしかないかー」
「なんでそうなる」
俺の制止も聞かず、ゆき子は部屋の隅に自分のバッグを置いた。
ポチが「新しい遊び相手か?」と尻尾を振って近づいていく。
ゆき子はポチの頭を撫で回し、「かわいー! あんたも師匠のペット? 名前は?」と早くも馴染んでいる。
俺は頭を抱えた。
すずに続いて、また一人。
俺の食卓を脅かす、騒がしい居候が増えてしまったようだ。
「……俺の平穏は、どこにあるんだ」
俺の悲痛な叫びは、ギャルと幼獣の楽しげな声にかき消された。
こうして、B級探索者・山本ゆき子による「強引な弟子入り」が確定した。
彼女の持ち込む騒音とトラブル、そして底なしの食欲が、俺の生活をさらに圧迫することになるのは、火を見るよりも明らかだった。




