第15話 氷剣の女帝と荷物持ち
日曜日。
この日、動画配信プラットフォーム『D-Tube』のサーバーは、かつてない負荷に悲鳴を上げていた。
タイトル:『【コラボ】パジャマの英雄・鈴木悠作さんとダンジョン攻略!』
配信者:Suzu's Edge(高橋すず)
開始前から待機人数だけで20万人を超え、配信開始と同時に同接数は50万人に達していた。
画面に映し出されているのは、練馬ダンジョンの中層エリア。
煌びやかな銀の軽鎧を纏った美しき「女帝」高橋すずと、その後ろでヨレヨレの作業着を着て巨大な風呂敷を背負った「おっさん」鈴木悠作という、シュールなツーショットだった。
『うおおおおお! すず様ー!』
『おっさんマジでパジャマで草』
『後ろの風呂敷、なんか動いてね?』
『異色すぎる組み合わせw』
「皆さん、こんにちは! 高橋すずです。今日は私の尊敬する先輩探索者、鈴木悠作さんと一緒に、練馬ダンジョンのボス『アーク・スパイダー』討伐に挑みます!」
すずがカメラに向かって溌剌と手を振る。
その横で、悠作は気だるげに頭を下げた。
「……どうも。荷物持ちの鈴木です」
「鈴木さん、もっと元気出してください! 今日は名誉回復のための特番なんですから!」
「いや、俺はあくまでサポートだから。主役はあんたがやってくれ」
悠作はカメラから視線を逸らし、あからさまに「帰りたいオーラ」を出している。
しかし、その背中に張り付いた唐草模様の風呂敷だけは、カメラ目線で『旦那ァ、もっと愛想よくするでヤンス! スパチャが逃げるでヤンスよ!』と布のシワで顔を作ってアピールしていた。
探索は順調に進んだ。
というより、すずのワンマンショーだった。
「はぁっ!」
すずの愛剣『氷華』が閃く。
襲い来るモンスターたちが、瞬時に凍結し、砕け散る。
A級ランク筆頭の実力は伊達ではない。舞うような剣技と、的確な氷魔法のコンビネーションは、芸術的な美しさだった。
『すず様つえええええ!』
『動きが洗練されてる』
『これ、おっさんいらなくね?』
『後ろで欠伸してるぞあいつ』
コメント欄の指摘通り、悠作は戦っていなかった。
すずが倒した敵の魔石を回収し、五右衛門に放り込むだけ。
時折、すずが喉が渇いた素振りを見せると、すかさずスポーツドリンクを手渡し、汗を拭くためのタオルを投げる。
そのタイミングは完璧だが、あくまで「優秀な付き人」の域を出ていなかった。
「ふふっ、鈴木さんのおかげで体が軽いです!」
「そりゃどうも」
すずは上機嫌だ。
悠作が背後をカバーしてくれているという安心感が、彼女のパフォーマンスを極限まで引き上げていた。
しかし、その「安心感」と、配信特有の高揚感が、わずかな油断を生んだ。
第10階層、ボス部屋。
巨大な蜘蛛型のボスモンスター『アーク・スパイダー』との戦闘中だった。
「シャアアアアアッ!」
ボスが吐き出す粘着質の糸を、すずは華麗なステップで回避する。
氷の足場を作り、空中に駆け上がる。
死角からの急降下攻撃。必殺のパターンだ。
「これで……終わりッ!」
すずが剣を振り上げ、着地と同時に斬撃を放とうとした、その瞬間。
バキッ。
乾いた音が響いた。
すずの右足、ブーツの留め具が、長時間の激しい機動に耐えきれず弾け飛んだのだ。
「え……ッ!?」
着地の衝撃を吸収できず、すずの体勢が崩れる。
足首がグネリと曲がり、彼女は無防備な状態で地面に投げ出されそうになった。
目の前には、ボスの鋭利な爪が迫っている。
『あ』
『やばい!』
『すずちゃん!』
視聴者の誰もが悲鳴を上げた瞬間。
カメラのフレームレートすら置き去りにする速度で、影が走った。
ドンッ。
鈍い音がして、すずの体が空中で静止した。
いや、支えられていた。
いつの間にか背後に回り込んだ悠作が、片手ですずの腰を抱き留め、もう片方の手でボスの爪を――抜刀すらせず、鞘のまま「カチン」と弾いていたのだ。
「……す、鈴木さん……?」
すずが呆然と見上げる。
悠作はボスの追撃を殺気だけで牽制しながら、すずをそっと地面に下ろした。
そして、彼女の足元に膝をつく。
「……足、出せ」
「え、はい……」
悠作は懐から小型の工具セットと、予備の金具を取り出した。
五右衛門から取り出したのではない。最初からポケットに入っていたのだ。
彼はすずのブーツを掴むと、壊れたバックルを一瞬で取り外し、新しい部品をはめ込んだ。
さらに、革のベルトを絶妙な加減で締め直す。
カチャ、カチャ、キュッ。
所要時間、わずか3秒。
F1のピットクルーも裸足で逃げ出す神業だった。
「……手入れが甘いぞ」
悠作は作業を終え、すずを見上げて静かに言った。
いつもの気だるげな表情ではない。職人の厳しい眼差しだ。
「道具は命だ。ここの革が疲労していることに気づかなかったのか? 華麗に動くのはいいが、足元がおろそかじゃ二流だぞ」
それは、厳しい叱責だった。
しかし、その声にはプロフェッショナルとしての確かな説得力と、彼女の身を案じる優しさが滲んでいた。
「あ……ぅ……」
すずの顔が、瞬く間に赤く染まっていく。
至近距離で見た悠作の真剣な眼差し。
太い腕に支えられた感触。
そして、自分以上に自分の装備を理解してくれていたという事実。
「は、はいぃぃ……ッ!」
すずは涙目になりながら、コクコクと頷いた。
「氷剣の女帝」の威厳など欠片もない。
そこにいたのは、憧れの先輩に叱られてときめいている、ただの乙女だった。
『うおおおおおおおお!』
『おっさんKAKKEEEEE!』
『今の修理速度なにごと!?』
『すずちゃん顔真っ赤www』
『完全に落ちたな』
『放送事故レベルのデレ顔きました』
コメント欄が爆速で流れる中、悠作は「立てるか?」と手を差し伸べた。
すずはその手を握り、立ち上がる。
修理されたブーツは、新品以上に足に馴染んでいた。
「……行けます!」
「よし。じゃあ、サクッと終わらせて帰るぞ。腹減った」
悠作が下がる。
すずは剣を構え直した。
その背中には、先ほどまでの迷いや気負いはもうなかった。
最強のサポーターが後ろにいる。それだけで、彼女は無敵になれた。
その後の戦闘は、一方的な蹂躙だった。
アーク・スパイダーは、乙女心と全幅の信頼を力に変えたすずによって、瞬く間に氷像へと変えられたのだった。
午後6時。
鈴木悠作のアパート。
コラボ配信は大成功に終わり、撤収作業を終えた二人は、悠作の部屋で「反省会という名の打ち上げ」を行っていた。
「お邪魔します……」
すずが恐縮しながら上がり込む。
部屋ではポチが「遅いぞ!」とばかりに飛びついてくるが、すずは慣れた手付きでそれを受け止め、ワシャワシャと撫でた。
「今日は疲れただろ。適当に座っててくれ」
悠作はキッチンへ向かい、冷蔵庫を開ける。
中には、今朝のうちに下準備をしておいた食材たちが、出番を今か今かと待っていた。
「……今日はこれにするか」
取り出したのは、鶏の手羽元、トマト、玉ねぎ、オクラ。
そして、様々なスパイスと、意外な調味料――『ピーナッツバター』だ。
「えっ、ピーナッツバターですか? パンに塗るんじゃなくて?」
「料理に使うんだ。アフリカ、ガボン共和国の郷土料理『チキン・ムアンバ』だ」
悠作は手際よく調理を始めた。
世界で10番目に美味しい料理とも称される、濃厚なシチューだ。
まずは鍋に油を引き、ニンニクと玉ねぎのみじん切りを炒める。
香りが立ったら、塩胡椒で下味をつけた手羽元を投入し、表面がきつね色になるまで焼き付ける。
そこにカットトマト缶を加え、鶏肉がひたひたになるまで水を足す。
「ここからがポイントだ」
悠作はたっぷりのピーナッツバターを鍋に溶かし入れた。
さらに、チリパウダー、パプリカパウダー、そして隠し味の味噌。
コクと甘み、そしてスパイシーな香りが混ざり合い、異国情緒あふれる匂いが部屋に充満する。
最後に、輪切りにしたオクラをたっぷりと入れる。
オクラのとろみがスープに溶け出し、全体をまろやかにまとめ上げていく。
「……できたぞ」
皿に盛り付けられたチキン・ムアンバ。
トマトの赤とピーナッツの茶色が混ざった濃厚なソースに、ゴロゴロとした鶏肉とオクラの緑が映える。
添えられたのは、バターライスだ。
「そして、食後の飲み物はこれだ」
悠作が小鍋で牛乳を温め、ココアパウダーを溶かす。
カップに注ぎ、その上に真っ白なマシュマロを三つ、浮かべた。
『マシュマロ・ホットココア』。
熱でマシュマロが少しずつ溶け出し、甘い泡となって広がる。
「……スパイシーなシチューには、甘くて温かい飲み物が合うんだ」
「わぁ……!」
すずの目が輝く。
テーブルには、濃厚なシチューと、可愛らしいココア。
戦闘の疲れを癒やすには、これ以上ない組み合わせだ。
「いただきます!」
すずはスプーンでシチューをすくい、口に運んだ。
――濃厚。
トマトの酸味とピーナッツバターのコクが、口の中で爆発する。
鶏肉はホロホロに煮込まれており、骨から簡単に外れる。
オクラのとろみが全体を優しく包み込み、スパイスの刺激が食欲を加速させる。
「美味しい……! 何これ、初めての味です! ピーナッツバターがこんなに料理に合うなんて!」
「だろ? 飯が進むぞ」
すずは夢中でスプーンを動かす。
濃厚な味に舌が満たされたところで、ホットココアを一口。
トロトロに溶けたマシュマロの甘さが、スパイスで火照った口の中を優しく撫でる。
「はぁ……幸せ……」
すずは完全に脱力し、幸せそうな顔でカップを両手で包み込んだ。
今日の配信での緊張も、S級へのプレッシャーも、全てが溶けて消えていく。
「気に入ったなら何よりだ。ポチ、お前は骨を食うか?」
「ガウガウ!(肉もよこせ!)」
悠作は自身のココアをすすりながら、ぼんやりと窓の外を見た。
すずは、ココアの湯気の向こうで、熱っぽい瞳で悠作を見つめていた。
「……鈴木さん」
「ん?」
「私、決めました。……これからも、通わせていただきます」
「は? 何を?」
「ここに決まってるじゃないですか! ご飯担当として!」
すずが前のめりになる。
ココアの湯気で、頬が上気している。
「私、料理は苦手なんです。でも、食べるのは得意です! だから、食材費は出します! ダンジョンのレア食材も採ってきます! だから……また食べさせてください!」
それは、ほとんどプロポーズに近い言葉だった。
しかし、鈍感な悠作は「まあ、食費を入れてくれるならいいか」と軽く受け流してしまう。
「いいぞ。一人分作るのも二人分作るのも変わらんしな」
「やっっったぁぁぁ!!」
すずが歓声を上げ、ポチを抱きしめる。
こうして、トップランカー・高橋すずによる「悠作宅への入り浸り」が確定した。
それは同時に、他の女性たちとの熾烈な「食卓争奪戦」の開幕を意味していたのだが、幸せボケしている今の二人には、まだ知る由もないことだった。




