第玖陸話 『戦後数日』
正義のいる病院だが、ここには正義だけではない、結界内だけでは回復しきれなかった人物がたくさん運び込まれ、療養していた。
その中の一室の部屋の扉が開く。
「元気そうですねー隊長!」
入ってきたのは若い青年。ベッドで体を起こし、本を読んでいるスキンヘッドの老兵の横にお見舞いの果物の入った籠を置く。
スキンヘッドの男は青年に目を向けず、本を読み続ける。
「隊のみんな心配してましたよ。結界に運ばれたときは心臓が潰れていたんですから。もしあのとき自分があなたをキャッチして結界に送らなければ……」
青年の言葉を遮るように、スキンヘッドの男、愛沼は本を閉じて青年に叫ぶ。
「あそこで貴様らに命じたのは円盤から出てくる魔人の討伐だ! それを無視してオレを助けるとは……命令違反なのだぞ!」
愛沼の怒りを含んだような言葉に彼の部下は迫力で気圧されそうになるも、さんざん訓練中に浴びせられた彼の怒号とは少し違うように思え、ビビることはせずに言い返す。
「南郷総司令官に言われたじゃないですか。死ぬなって。愛沼さんがやったこともまた命令違反じゃないですか?」
まさか言い返されるとは思わず、愛沼は数秒沈黙し、窓の方を見て部下に言葉を放つも、その声量はすこし小さかった。
「ふん! 上官に反論とは、戦争で過剰な自信でもついたか⁉ ならばその慢心が身の丈に合うよう訓練でも行ってこい!」
そういうと愛沼は口を閉ざす。ちょうど再び扉が開き、ナースが入ってきた。
「検診の時間のようだ。ほら、帰った帰った」
部下も様子を察し、退室。
点滴を入れかいる作業を行うナースに対し、愛沼は少し申し訳なさそうに一言。
「その……人事部に連絡を入れてくれんか。俺の部下に一、いや二週間ほど休暇を取らせてやりたいとな」
その後、翳都蒼京で戦った愛沼の部下には、二週間の有給休暇が与えられたという。
***
「零伐壱摧」
訓練場の結界内に、彼女が放った銃撃と剣戟が同時に炸裂、対戦相手の式神が消滅する。
彼女にとってその一撃ははたから見れば賞賛できるものかもしれないが、彼女にって完ぺきとは言えなかった。もっと威力を上げられる、いや、上げなければならないと考えながら彼女は再び式神を召喚し、技を放つ。
とそこへ、
「少し休め。沙良」
入ってきたのはちょび髭をはやした青年。雲大輔。零伐壱摧の練習をしていた入堂沙良の仲間。
汗だくになった彼女へタオルを渡し、顔の汗を拭く彼女へ大輔が語り掛ける。
「たしかに俺たちは一瞬で魔王にやられた。確かにそれは悔しいが……気負いしすぎるのもよくない。もう少し気楽に立ってもいいんじゃないか?」
大輔の心配の言葉だが沙良は無視、そのまま銃を握る拳に力を入れる。まさにそれは悔しさゆえの態度だ。
「あのとき……魔王に一瞬でやられた。総司令官がいなければ私は死んでいたんだ……これほど腹立たしいことがあってたまるか……」
自分の愛用武器がなかったとはいえ、もう少し早ければ、もう少し自分が強ければあの魔王の広範囲攻撃を防ぐこともできたかもしれない。そう思うと沙良は後悔の念に支配されるのだ。
『強くなれ。入堂家たるもの。七位になったからなんだというのだ?』
負けてからというもの、ある男の声が何度も頭によぎる。まるで脳裏に引っ付いているようで取れないもの。
今まで見たことのない彼女の鬼気迫る表情に大輔の方が折れる。
「……わかった。じゃあ僕も付き合おう」
そう言うと大輔は二本の銃を取り出し、剣を装着。もともと持っていたということはおそらくこういったことを予測していたということだろう。
沙良は大輔が付き合ってくれることに一瞬驚きつつも息を吐き、彼に向き合う。その息とともに多少の緊張も吐き出されたのかもしれない。
お互いが武器を構えて向かい合う中、そこへ一人の青年がやってくる。
「沙良さーん! さ、沙良さーん!」
その弱気な青年、しらすは一枚のチケットを手に持って二人の元へ走ってきた。
戦いをやめた二人はしらすのほうを向けば、彼は息を切らしながら沙良へ叫ぶ。よほど急いでいたらしい。
「大本営から送られてきました! 摩利支天祭本戦の! 出場チケットです!」
***
大日輪皇國軍が所有している結界には、実際に人が住んでいるところもある。
その中のひとつ、100を超える部屋を持つマンションを模した結界内。マンションの共用廊下で一人の人物が歩いていた。
灰色のスーツを身にまとい、胸元には控えめな己の所属を表し、誇りとする国章のバッジ。誰も見ていない場所でも彼は背筋を伸ばし、どんな時でも目線ははるか先を正確に捉える。コツコツと歩くたびにマンションの廊下に響く革靴は鏡のように磨かれ、彼が非常に気高い人物、いや「職」についていることを思わせるだろう。
鋭い目つきとスクエアフレームの眼鏡、短くも整えられた髪型という様相からもそううかがえる。
しかしその男の足取りはよく見れば少しだけふらついているようだ。
それは彼が疲れているから。
それほどまでに彼が就いている職業は忙しい。
鍵がかかっていない不用心な扉を開ける。
「帰ったぞ…………っまったく」
男は目に入ってきたその光景に呆れてしまう。
玄関からまったく足場がない、隅々まで散らかった廊下。人が住んでいるはずだが廊下の明かりはなく、ひとつの扉の隙間から辛うじて見える薄暗い光からそこに住民がいることが男に分かった。
廊下に散らかった服や物体を足でどかしながら、男は光が漏れている扉を開く。
「……おい。なんで以前帰ったときより散らかってるんだ? 丈太郎」
十偉将のひとり、そして戦争で一級戦功をあげた無職、丈太郎がいた部屋は明かりがついておらず、彼が至近距離でにらみつけている液晶画面から放たれるブルーライトが光の原因であった。画面には掲示板が映っており、そこにはここに書くにははばかられるような見苦しい罵詈雑言がつづられている。
「うるさい……今レスバの途中だ……黙ってろ伊織」
伊織と呼ばれた男は眉間に指を当て、彼に呆れてしまう。戦争では英雄ともいうべき功績を上げた彼でも、プライベートではこうも酷いとは。
「ここはオレが借りている部屋なのだぞ? 家主には従ってほしいものだが」
「うるせえな、それはそうと伊織。どうしててめえワイの部屋にいるんだ? 原始大陸の国で仕事だったろ?」
嫌なところをつつかれ、話を逸らす丈太郎。
「戦争が起きると予感し仕事を切り上げすぐに帰国したのだ。現にあそこでは今日革命軍が政府に宣戦布告した」
伊織の職業はこの世界にとっては非常に危険、命に関わるかもしれないものだ。実際伊織の判断が数時間遅ければ戦渦に巻き込まれていたのかもしれない。
「それはご愁傷様。じゃあしばらくはこの国か?」
「いや、三日後に自由連邦共和国に出張だ。経済使節団の随行に急遽指名されたのでな。で、現地企業との投資交渉に入る。利権争いで骨が折れそうだ」
明らかに忙しそうな日程の彼だが、どこか誇らしげな雰囲気があった。
些細な変化だが伊織の表情に彼と幼馴染の丈太郎も気づく。
「またその顔か。そんなにうれしいのか? 仕事もらえるのが」
「まあな。この仕事を、いや試練を乗り越えることができれば、俺はまた成長できる。こんなにうれしいことはないよ」
そう呟く楓の声には確固たる信念が乗っていた。まさに狂気にも似たそれは、普通の人が見れば怖気づいてしまうかもしれないが、彼の幼馴染である丈太郎にとっては聞き飽きた文言だ。
「またそれか。十年前からちょっと変わったな、オマエ」
他人事のように画面のほうを向きなおす丈太郎へ、伊織は笑みを浮かべて言い放つ。
「それと、オマエに摩利支天祭の本戦チケットが来てたから参戦の手続きをしておいたぞ」
「はぁ⁉ 貴様ぁ! 何してんだァ!」
すぐに伊織をなぐるなり文句を言うため立ち上がろうとした丈太郎だがずっと座っていたせいか足がしびれ転倒。
滑稽な彼をあざ笑うように、高笑いを上げながら伊織は玄関へと向かう。
「頑張れよ、伊織」
伊織の背中を押すように、丈太郎の激励が投げられた。
「……ああ。やってみせるさ。お国のために」
彼は楓伊織。
外交官である。
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