第玖弐話 『荒都・灼殲滅戦 参』
「雲の向こうはどうなっているんだろう?」
かつて少年だった、ただの魔人だったゼノンは、家の窓から空を見上げた。
彼の一族は「王」ほどの立場や権力は持っていないが、大領主ぐらいの領土を持ち、管理していた。一族はひとつの巨大な火山を信仰し、育成した。成長した火山の噴火を脅威として近くの民族や共同体を管理下とした。逆らえば噴火により貴様らを滅ぼす、と。
その噴火で領土を増やし、外敵を防いできた。ゼノンが一族の当主となったころにはその支配の力で「魔王」に就く義務を果たしていた。
征服活動を続けながらも、ゼノンはたびたび空を見上げた。
「雲の向こうはどうなっているんだろう?」
一度魔法で空を飛び、雲を抜けようとした。しかしあの雲はただの水蒸気の塊ではない。あの雲の間は一切の魔法が使えなくなるのだ。魔法を使うためのエネルギーを周囲に吸収される。だから雲を抜けることはできなかった。
その征服の過程でアルトランサとムシャマに出会った。
もともとは軍事的な同盟であったが、ゼノンの「雲の向こうはどうなっているんだろう?」という言葉に共感し、三人の同盟は永劫に続くこととなった。
「面白い野望だね」
「アア! オマエト協力スルノモ悪クナイ」
彼らが同盟を結んだあと、一人の魔人が彼らのもとに訪れた。魔人は言う。
「雲の向こうを見たいらしいな。ならば提案がある。南に進むがいい」
「南?」
「南、その先にある巨大な山脈、それを超えた先に待ち構える門番。彼らを倒したとき、貴様らは目にすることができるだろう。美しい空を。その先にある碧空の楽園にたどり着け」
美しい空という単語にゼノンは惹かれた。黒と灰と赤が占める魔界にはない美しい蒼を見たいと、ゼノンはその魔人と契約を結び、この大規模侵攻を計画したのだ。
「碧空の楽園を私は見たい」
***
(ああ結局……ここでワレの旅は終わりか)
何とも空しい結末だ。
仲間は死に、美しい空は拝めず、幼少より憧れた、魔界の雲の上はなんとも空虚で貧しい黒が広がっていることを今知った。碧空の楽園に憧れるようになったのも、雲の上がこのようながっかりさせる結果となることを予見していたのかもしれない。
それでも魔王は空に手を伸ばす。
今ならば超えられる。魔法を打ち消す雲はない。空っぽな黒でも、何百年と憧れた場所に、この瞬間だけはいける。
(ああ……死にたくない。いや死んでもいい。あと飛べるだけの時間と翼だけあれば……)
彼が伸ばした手は雲も、結界の外壁も、荒都でまだ倒れていないビルの一階の天井にすら届かない高さ。
片腕に力が入らなくなる。
ゆっくりと、右腕が地上に伏せる。
……はずだった。
まだ感覚があった右腕は落ちることはなかった。なぜなら誰かが彼の右手を掴んだからだ。優しく、されど、強く。
ゼノンは右手を掴んだものに話しかける。弱弱しい声で。
「ああ、シャー。我が愛しい属臣よ……すまない。我はここで……終わりのようだ」
自分の顔を覗き込むシャーの表情は悔しがっていた。泣きそうな、怒りそうな。無念を孕んでいる。
「あなたの庇護下のとある辺境の村に、俺は生まれました。そして俺の村が敵に襲われたとき、あなたは『噴火』をもってオレの村を救いました。それからあなたは村のただ一人の生き残りである俺の面倒を見てくれました。俺が付き従い、ともに歩んできたあなたが、ここで終わるのは、俺は悔しくてたまりません」
諦めかけていたゼノンはシャーの無念に感化され、彼もまたシャーの手を握り返す。『意志の増大』が彼をそうさせた。
「我の……我たちの力を継いでくれ……我たちは誰かが死ねばその中の魔王の力は残りの魔王が受け取る契約になっている。つまり……我の中には三つの魔王の力がある」
「それを……俺に託すと……?」
「頼む……!」
ゼノンの意思は魔王というよりも、仲間への最後の願いであった。ゼノンが握る力が強くなる。
「はい」
シャーの硬い決意を含んだ言葉にゼノンは安堵、彼に魔王の力を託す。
「我の中に眠る魔王の力よ。この者、シャー・ステゥグム・アスファハイトの中に移り給え」
その瞬間、シャーは何か大きなエネルギーが胸の中に植えつけられるような感覚を覚えた。
どこからともなく声が頭の中に響き渡る。
【職業、魔王の就職への『義務』をこれより確認、前任者からの力の譲渡の意思……確認。本人の『魔王的行動』を記憶より検索……確認。本人のステータスを参照……適正あり。承認しました。これよりシャー・ステゥグム・アスファハイトへ魔王の力が譲渡されます】
声の消失と同時にシャーのなかに莫大な量のエネルギーが入り込む。魔王三体分の力がひとつの肉体に凝縮。はりさけそうだ。
だがシャーはそれ全てに耐えようとはしない。あるときはエネルギーに身を任せ、またあるときは肉体が壊れないよう意識する。
鉄を熱と冷却により剣とするように、シャーはエネルギーの奔流の中で魔王の器となる肉体へと形を変える。
数秒後、エネルギーの嵐が止む。
そこに佇んでいたのは、少年のようなシャーではない。
身長は2メートルを超え、筋骨隆々の身体をした灰のような皮膚をした魔人。額からは禍々しくねじ曲がった角が一対、その眼光は一般の兵士ならばにらまれるだけで気絶してしまいそうな恐ろしいもの。
身体の所々に皮膚が剥がれ落ち、そこからオレンジ色の光が漏れている。さらには髪色は赤、宝石のような爪に骨盤付近から生えた、昆虫と悪魔が融合したような羽が生えているのだ。
未だ煮えたぎっている荒都の地面の溶岩にシャーは腕を突っ込み、そこから一本の剣を取り出す。
だがそれは剣と言うにはあまりにも恐ろしい。地獄の山々の風景をそのまま切り取ったようなギザギザとした刃。
シャーは元帥に対し言葉を発するが、それは少年のものではなく、太く、低い。
「お前を殺す」
短い意志を告げ、シャーが動き出す。
一瞬で元帥の間合いへと移動するシャー。刀を振り上げる構えを取りながら。
音速の三倍で刀を振る。ムシャマの権能を受け継いだからだ。
続けざまに三回の剣戟、一般人にとってはシャーが三人に分裂して攻撃してきたと錯覚してしまうだろう。
しかし元帥はすべて回避どころか戦羅で受け止める。
金属が当たる音が三回鳴り響いた。最もほぼ同時すぎてひとつの音としか聞こえない。
防がれたことに驚くシャーだが、すぐに追撃の選択。それに加え大地に意識を向けて魔法を発動させる。地面を盛り上げてどろどろに溶かし、爆発させる魔法だ。
斬撃と魔法の同時攻撃に……
ザン! と元帥の太刀・戦羅が魔法を発動させようとしたシャーの胸を切り裂いた。ムシャマの速度にアルトランサの防御膜、それを元帥は初撃で難なく打ち砕いたのだ。
「まだだ!」
超速で胸の切り傷を再生させ、再びシャーは攻撃を繰り出そうとする。意志を燃やし、殺意を剣に乗せて。
が、
シャーの決意は無駄に終わる。
二撃。シャーですら反応、いや知覚すらできないまさに神速の剣戟がシャーの胸に十字の傷を負わせた。ムシャマの意識ですらとらえることはできず、アルトランサの防御膜も通じない。
「まだだぁ!」
シャーは回復と並行して左手を掲げる。するとシャーの周囲の焦げたビルの海が再び赤く光り、溶岩が龍の形となって元帥に襲い掛かる。その光景はまるで神話の戦いだ。
それに対し元帥は刀も振るわず動きもしない。ただ意識を集中しようとしているのか目を閉じ、溶岩の龍が接近する前に、目を見開いた。
瞬間、世界が割れる。空間という名のガラスにくいを打ち込んだように。そして、
シャーの五感がただひとつ、触覚のみに支配される。痛みという感覚。目は光で真っ白に見えなくなり、耳は轟音で鼓膜がつぶれる。
意識は失うことはなく、感覚を回復させて現状を把握しようとすれば元帥ははるか遠く。どうやら飛ばされたらしい。
割れた空間は本当にそうだったのかと思うほど元通りになっており、何をしたかはわからない。
元帥はゆっくりとシャーへ近づいていく。
一歩一歩の歩みはまるで死神が向かってくるよう。シャーの心に一抹の恐怖。絶望が種から芽吹く。
だがシャーはそれを抑えるように叫んだ。
「まだだぁあ!」
第玖弐話を読んでくださりありがとうございます!
魔王に就職するための義務の一つに「征服活動」があります。
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