第玖壱話 『荒都・灼殲滅戦 弐』
元帥。
大日輪皇國軍最強の軍人。不変国家の絶対錨のひとり。
彼女から発せられる殺意、敵意。そして一瞬で仲間であるムシャマがやられたという現実。
魔王軍全体が彼女に畏怖する。その場にいた魔将も、魔臣も全員が動けない。
ならば魔王はどうか。
アルトランサは杖の先をこちらをにらみつける元帥へ向ける。彼女には妥協はできない。確実に殺せるような魔法を放たなければならない。
「輝輝光々……薄暗い穴にて一点煌くわが眷属……」
自分の中にある一番強い魔法を、100%の出力を出せるように完全詠唱を始めるアルトランサ。
だが、その次の言葉を紡ごうとした瞬間、元帥が消える。
そしてそれを認識する前に空中に浮遊しているアルトランサの背後から元帥の声が。
「敵の目の前で詠唱とは、愚かの至りだな」
その声が聞こえたかと思えばアルトランサの首に激しい痛みが走り、視界が反転した。
………………
全身の痛みとともにアルトランサは目を覚ます。
視界に映ったのは瓦礫。
なんとアルトランサは倒壊したビル群の中に落とされたのだ。そして彼はもうひとつ気づく。
「なぜだ! ……僕の、ダイヤモンドよりも堅い防御膜が破られている!」
アルトランサは鉱物を操る魔法。
そして常にアルトランサを防御する防御魔法を張っているのだ。防御魔法の硬さは魔王軍のなかで最も硬い。
しかしビルの中で倒れているアルトランサはその防御魔法がない。魔法を解除した覚えはないのだから、つまりあの元帥がアルトランサの魔法を突破したとしか考えようがない。
もちろんそれに納得ができないが。
「……まあいい。さっさとゼノンと合流しないと……」
立ち上がろうとした瞬間、
アルトランサの意識が消えた。そしてもう二度と彼が目覚めることはなかった。
***
「は………………」
そう呟いたのはゼノン。
なぜそう呟いたか。それは彼が見たものがあまりにも理解できない光景だったから。
ゼノンの隣にいたアルトランサが杖を構えた瞬間、ゼノンが見ていた元帥を彼は見失った。気配も察知できない。
だが視界の端に彼女が映る。
彼女は、アルトランサの背後にいた。
(なんだと! 魔法を使うそぶりはなかった。いったいどうやってこの一瞬でアルトランサの背後を⁉)
そう思うゼノンだが少しだけ安心感があった。
なぜならいくら元帥だとして、魔王軍一の硬さを誇るアルトランサの防御を破ることはできないと考えたからだ。
その希望は、いや刹那すぎて希望とすら呼べないかれの考えは見事に打ち砕かれる。
ドン、という鈍い音が鳴ったと思えば元帥の神速の右足の蹴りがアルトランサの首に直撃、今度は一秒前までそこにいたはずのアルトランサがいなくなる。
何かが落ちたような小さな衝撃音がゼノンの耳に届く。
音の方向を向けばはるか数キロ先にアルトランサの気配が。
(ま…………まさか! 蹴っただけで魔王軍最硬を誇るアルトランサの防御膜を破壊し、彼を数キロ先の地上に叩き落したとでもいうのか!)
現状をかろうじて把握し、驚くことしかできないゼノン。もちろん蹴りだけでアルトランサが落とされたという事実を受け入れることはできない。
アルトランサを蹴り落とした元帥は左手の手のひらをアルトランサの墜落地点へ向ける。
突如アルトランサの墜落地点が大爆発。
天まで届くような黒く巨大なキノコが出現し、倒壊したビルの海に波紋を起こす。破壊と崩壊という名の。
爆風が魔王軍にも届いた。無機質で無慈悲な風だ。
「アルトランサ! おい! アルトランサ!」
ゼノンは魔法で彼に呼びかけるも返答はない。どんなときも必ず一秒後には彼の連絡に応答してくれるはずなのに。
つまり先ほどの爆発で…………
「死んだのか……アルトランサ……」
ムシャマは一撃、そしてアルトランサは二撃。
何百年とともに戦ってきた戦友があっけなく、それこそ彼らが大規模な魔法で葬ってきた雑兵のように死んだことが受け入れられない。もしかしたらこれが強力な幻術魔法なのかと思いたいほど。
魔王にとって絶対にありえない。
元帥は止まらない。
腰に差した刀を抜き、鞘でゼノンへ振り下ろす。咄嗟に両腕を体の前においてガードを試みるも、
ミシミシという骨が折れるような音が腕から鳴り、彼女の刀を受け止めきれずゼノンもまた地上に落とされる。
「ぐ……ぐあぁぁ!」
両腕の関節ではないところが60度ほど折れ、回復に意識を集中しようとするゼノンだが、上空から嫌な殺意を感じすぐに跳躍。背後から衝撃音が聞こえ、振り返ればさきほどゼノンがいたところに刀の鞘を地面に刺した元帥が。
そのまま回復に専念していたらゼノンも死んでいただろう。
逃げているだけではそのまま殺されると考えたゼノンはすぐに反撃に転じる。左手に魔力を集め、魔法を放つ。
「神火山の怒れる噴流!」
広範囲魔法である神火山の怒りを一点に集め超強力な熱線として放つ、ゼノンのとっての対人戦最強の技のひとつである。ゼノンはクマのように身体を広げ、ひとつの砲門として魔法を発動。
これを喰らって生き残った者はいない。全員が熱で跡形もなく溶かされ、または黒焦げになるのみ。
圧倒的な熱量で空気がゆがむ。ビルとビルの間が熱光線で埋まり、マグマのごとき赤とオレンジが荒都・灼に煌いた。
が、
ゆがんだ世界が正される。
一閃により。
曲がりくねった炎しかなかったゼノンの視界に一筋の白い線。視界が晴れた。
一切の炎や熱をゼノンは感じない。
つまり神火山の怒れる噴流が焼失したということだ。
そしてゼノンは目を見開く。
誰一人として生き残ることができなかった神火山の怒れる噴流を喰らったはずの元帥が、
佇んでいた。何事もなく。服の一片燃えていない。
「なぜだ……なぜ生きている……」
息も絶え絶えのゼノンの問いに元帥は無機質な声で答える。
「ぬるい」
「は……」
「日輪にとって、貴様の魔法はぬるすぎる」
ぬるい=熱さが不十分である、なまあたたかいという意味。
摂氏1000℃を超えるマグマを再現した魔法、それを凝縮した神火山の怒れる噴流は、彼女にとって温泉よりも刺激がない。
ゼノンは今まであらゆる魔人たちに理不尽を押し付けてきた。
しかし今はその逆。目の前にいる人間こそが理不尽だ。
最速最硬の魔王におそいと言い、魔王軍トップの頭脳を持つ魔人に愚かと言い、そして魔王軍最熱の自分にぬるいという。
(そうか……ワレは、ワレたちは思いあがっていた。最強というのは魔法だとか技術で敵をたくさん殺し、戦果を挙げた存在ではない。最強は……『否定』だ)
どんな強い魔法も、頭脳も、戦略も、『否定』する存在。それこそが最強なのだと、元帥を前にして魔王は膝をつきながら察した。
勝てない……死ぬ……負ける……いやな予感がゼノンの頭によぎる。
(まだだ!)
絶望する手前でゼノンは踏みとどまった。右手に封印したとある魔法を解き放つことを決意する。
(やつは間違いなく門番で最も強い……ならばここで使ってしまっても問題はない!)
本来は強敵のためのとっておき。だがとっておきを使わないまま死ぬのは意味がない。そして目の前の人間が門番最強ならば、奴を倒せばもはや門番を倒したと言っても過言ではない、少なくとも相手の戦意は削ることができる。
右腕を天に掲げ、ゼノンは叫ぶ。まるで空の上にまで聞こえるような大きな声。
『天よ開け! 地よ割れろ! 全てを焼き尽くす我が熔灼をもって! 大星割!』
右腕の骨に刻まれた魔法陣が発光。ゼノンの右腕がヒビ割れ、そこから大量のマグマが湧き出ては沸騰、空へと昇り超巨大な剣となる。それこそ緋奈の比ではない。結界の中央にある塔の高さまで伸びる。これを撃てば右腕は再生しない。だが威力は絶大。
橙色の禍々しい火山剣が荒都・灼に振り下ろされた。
熱でゼノンの周囲のビルは光りながら溶け、蒸発。大気は揺れ、地は揺蕩う。気体液体個体が入り混じる混沌とした領域が形成される。
(これで死ね! 不変国家の絶対錨!)
熱の塔が倒れる。灼熱が灰都をさらに燃やす。溶かす。
しかしやはり、彼女は燃やせない。
大星割の剣先が荒都・灼の地面に振り下ろされる前に、落ちた。
それはなぜか。振り下ろす力を込められなくなったからだ。
ボトン、と燃焼しているゼノンの右腕が二の腕から落下する。そして背後から聞こえる厳かな声。
「言っただろう。貴様の魔法はぬるい、と」
生きていた。元帥は生きていた。この灼熱の中、ゼノンの背後で元帥は何食わぬ顔でゼノンを見下していた。
ゼノンは咄嗟に後ろへ跳び退く。彼が一秒前までいたところに元帥の刀が振るわれた。
右腕を抑えながら元帥を睨むゼノン。その瞳には上っ面の敵意しかなく、もはや内心諦めしかない。
(だめだ……こいつに勝てるビジョンが見えない。それほどまでに目の前の不変国家の絶対錨は強い)
いくら抗っても無駄だと本能が告げる。一歩だけ後退しようとしたそのとき、ふとゼノンは振り返って見上げた。
そこには100を超える部下たち。自分を不安げに見つめている。
(そうだ……ワレは魔王だ。すべてを支配し、すべてを破壊する存在。不変国家の絶対錨とて退いてはならない!)
決意を改めるゼノン。不安や恐怖をすべて捨て、目の前の魔王を確実に殺すという明確な意志をもって相対する。
一方まだ心が折れていないゼノンの姿を見た元帥は少しだけ俯く。だがそれはゼノンの覇気に気圧されたわけではない。
「先ほど貴様はこういったな。『天よ開け、地よ割れろ』と。だが今、天どころか結界すら割れていない」
ここで元帥が動く。いままで抜かずに使っていた太刀の鞘と、神々しい金色の糸が紡がれた柄に手をかける。
次の瞬間、ゼノンから見る世界の時間が延びた。体の動きが鈍くなり、周囲の揺れるマグマの流れがゆったりとなる。
一秒が十秒にも二十秒にも感じる中、しかし元帥だけはその時間を体の動きが遅くなることはないようだ。ゼノンの一秒が、元帥にとっては二十秒だった。
彼女は放つ。世界よりかけられた制限、そのほんの一端を開放するための誓願を。
「天照日御子の御名において、大本営に奏上申す。『巫刀・戦羅』、今ここに抜刀の許しを賜らんことを」
彼女の言葉とともに彼女の持つ太刀、巫刀・戦羅の鞘と鍔の間がほんのすこし光る。そして巫刀・戦羅の刀身が初めて姿を見せた。
空。
この魔界の天井は一面を覆う薄暗い雲で覆われている。もちろん魔人もその光景しか見たことはない。
だが、巫刀・戦羅の刀身から放たれる晴れやかで輝かしい光は、この魔界でもっとも空に近い色だった。碧空の楽園が、そこに映っていた。
刀を抜き終わった鞘を腰に戻し、鞘を両手で握り、構える日御子。刀を振り上げる。
(美しい)
その構えはまるで彫刻のような、一枚の絵画のようであった。
魔王であるゼノンはこれまでもあらゆる芸術品を集め、鑑賞してきた。悪魔が地獄に跋扈する絵画、200年前の魔界に君臨した全長20mの魔王の彫刻。彼の城の宝物庫にはたくさんの美術品が納められている。
しかし今、それらすべてはゼノンにとって「醜い」に変わった。
現在視界にある刀に、そしてそれを構える彼女の一枚絵に圧倒されたのだ。他の生物が発する小さな弱弱しい光しか見てこなかった、深海にしか生息できないおぞましい生物は、水面に映るゆらめく金の幻影たる神秘的で温かい太陽に惹かれてしまった。
それを見てしまえばもう戻れない。今まで見た光を光とは思えない。ゼノンが求めている景色が、そこにあった。
見惚れてしまったゼノンはもう動けない。
日御子の一刀が
振り下ろされた。
視界が真っ二つ
に引き裂かれる。
地面を見れば黒
い線が彼女からゼノンに続き、
体の力が抜け倒
れて空を見上げれば、
縦に真っ二つに
引き裂かれた円盤。
結界の外壁が割
れ、雲が引き裂かれていた。
そこの奥にか細
く見える黒い筋。
雲の向こうは魔
界を象徴するおぞましい暗黒だと、
死ぬ間際のゼノ
ンはようやく知ることができた。
第玖壱話を読んでくださりありがとうございます!
アルトランサが撃とうとしてたのはこれまでためた宝石内のエネルギーを凝縮してビーム砲をぶっ放すみたいなやつです。
防がれます。
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