第捌漆話 『瓦礫ノ上ノ晩餐会・拾』
神爪嵐。
身体を大きく捩じり、魔力の波動とともに爪による斬撃を周囲に飛ばす殲滅技。その範囲は大日輪皇國軍が確認したところ半径約300m。範囲内にいれば左右前後上下から繰り出される斬撃により破片すら残さず消え去ってしまう。
その技を、三人の目の前にいるハングは放とうとしている。腕は半分しかない。しかし今のハングは体を攻撃にのみ特化させている。さらに魔王の権利、『意志の増大』も組み合わされれば今から繰り出される神爪嵐はもしかしたらそれ以上の威力だろう。
(うん、これはまずいねえ……)
(やべえ……さっさと距離を取らねえと……!)
神爪嵐の威力を三人は知っている。三人がいる位置ではその範囲内なのは必然。だからこそ今ここではなるべく距離を取らなければならない。もしくは結界に逃げなければ……
ただただ後ろに行くことしか考えていないふたり。
だが、
下がろうとした二人の視界に、一人の少女の背中が。
なんとそれは登尾燐。
全力で魔王へと走る。全く恐れや不安を彼女は見せない。
神爪嵐がもうすぐ放たれるというのに、ただひたすらに技の発生までに間に合うと信じているようだ。
その姿を見て後退を辞めたのは涼也。燐と同じように神爪嵐を放とうとしている魔王へと走る方向を変える。
なぜなら彼女を信じているから。1ヶ月間共に訓練を重ね、積み上げた彼女への信頼は燐が魔王を止めることが出来るということに賭けたのだ。
続いて後退するのを辞めたのは仄。
他の二人が魔王に向かうのを見て一瞬戸惑うも、逃げるよりも立ち向かう方がいいと、仄はそう考えた。
身体をどんどんと捩じっていくハング。腰を180度回転させ、三人には背中が見える。
空気を大きく吸い、全身、特に足に少しでも酸素が行き届かせるようにして加速する燐。
ハングの身体が止まる。どうやら神爪嵐をうつ準備ができたらしい。
今の距離では涼也と仄ではおそらく間に合わない。涼也も左手の鎖銛では立ち止まって狙っても魔王を止められるかどうか。それに間に合ったとしてタイミングが悪ければ防ぐことはできないだろう。
「「「「「「カミ……」」」」」」
ハングが小さく呟く。全身に気を立ち上らせ、いざ神爪嵐を放つとき。
それと同時に燐はただ握っていた刀を走りながら構え始める。
「龍獄門……」
「「「「「「ツメ……」」」」」」
ハングの身体に迸るオーラがハングの右腕に収束し始める。
間に合うか、間に合わないか。
「牙龍閃……」
「「「「「「アラシィ!」」」」」」
ねじりにねじった体を開放、斬撃の嵐が蒼京に再び発生……
「天穿龍迅!」
ハングが腕を振った瞬間に燐渾身の突きがハングの手を貫通、そしてそのままハングの顔に突き刺さる。
「「「「「「ナニィ⁉」」」」」」
燐がハングの神爪嵐を止めたのだ。
神爪嵐が止められたという事実に驚愕と怒りの表情を浮かべるハングに対し、燐は生死を分けたこの選択に勝ったことでこれまでにない恍惚とした笑顔を浮かべている。
完璧なタイミングから技を放ち、ギリギリともいえる瞬間にこの場に合った技を選んだ。
これは偶然ではない。
あのときから、ただひたすらにこのときのために訓練を積んできたからかもしれない。
『つまりワタクシは接近力を鍛えないとですわね!』
燐はある意味素直である。
慧に負けたときから、彼女は脚力や走っている状態からの構えを訓練していた。それだけというわけではないが慧に負けていたらもしかしたら間に合っていなかったかもしれない。
ハングは頭に突き刺さった刀を抜き、貫通している左腕ごと薙ぎ払って燐を吹き飛ばす。その遠心力には抗えない燐だが咄嗟に刀をハングの身体から抜いたあとに吹き飛ばされる。
ハング、燐両名がお互いに追撃を加えようとしたとき、
風邪を切る音が聞こえたかと思えば、ハングの左わき腹に何かが刺さる。
痛みとともにハングがわきをみればささっていたのは……
錨。
初めて見たようなものではない。かつて己が掴んだもの。
錨には鎖がつながっており、その先をたどればこちらへ走ってきている涼也、その左腕の武装だ。
三回の鎖銛の引きよせを使い、彼はもう鎖銛を使うことができないはず。
しかし……
涼也は鎖を巻き取る引き金を引いた。
鎖が勢いよく回収され、涼也は魔王の方に引っ張られる。
なぜ使ったか。それは涼也の鎖銛の説明。鎖に引っ張られるため左腕に大きな負担がかかるが、3回を超える数を撃てば左腕が動かなくなるのだ。決して使えないわけではない。
しかし鎖銛4回目の使用ということはもう左腕は動かない。現に涼也の左腕に感覚はなく、左腕というよりは左肩に引っ張られているようだ。
だがハングはそのことを知らない。
魔王が警戒しているのは自分に重傷を与えた『天落』を撃ってくるであろう涼也。先ほどの攻撃をもういちど撃ってくるのならば今のハングならば耐えられるか。けれどもこれは好機でもある。餌が自分から向かってくるのだから。
右腕の口を開き、それを犠牲にしてでも涼也を倒そうとするハング、ハングに向け片腕で薙刀を振り上げる涼也。
「樫野流薙刀術……」
涼也の方が速い。だがハングもそれは上等。
どんなけがを負うにしろ、左腕で涼也を殺す。体に力を込め、そうハングは覚悟した。
が、
「烈震」
涼也はなんと刃ではなく、その柄で攻撃、ハングをしびれさせる。
烈震は最初に使って以来対策されたため涼也はそれから使っていなかった。しかし片腕で使える攻撃の威力はたかが知れている。
そこで涼也は後続の二人に続けるべく、烈震を選択。
その不意打ちはハングにとって想定外。片手でもその衝撃はハングの骨の髄まで響いた。
(クソガキがアアアアア!)
叫びにならない叫びを心の中で響かせるハング。この戦いにおいてもっともハングをイラつかせたのは彼であった。
戦いにおいて呼吸は大事なもの。
一度行動すれば呼吸を置き、次の行動へ。その呼吸がなければ次の攻撃なり回避なり防御なりに支障が出る。息を止めたまま長距離走をするようなものだ。
その呼吸のタイミングに涼也は攻撃を仕掛けてくる。隙を的確についてくるといったほうが正しいか。だからこそ十分な呼吸ができない。それ以外にもハングにとって嫌な瞬間に嫌な攻撃をされる。この怒りが今になって爆発した。
ハングの激怒はいざ知らず、涼也の顔には余裕はない。左腕は動かず、右腕もあとどれだけ動くか。
あとは託すしかない。
たたきつけた瞬間に涼也はふたりへ叫ぶ。
「二人とも! ここで決めろ!」
涼也が鎖銛を3回しか使えないことは仄と燐両方知っている。4回目の鎖銛使用、そして涼也のその必死な言葉に二人は覚悟をきめる。
ここで終わってもいい、だからここで終わらせる、と。
「龍獄門……真龍技……」
腰を低く落とし、刀を左わき腹付近に構える。大きく息を吸い、精神を統一。
涼也は左腕の鎖銛を発射口ごと外し離脱。彼女の邪魔になないような位置を取る。
彼女がこれから放つ技は、真の龍。牙龍閃や龍爪斬などは言ってみれば龍の牙や爪がかすった程度。たった一つの牙が当たったとてたいした傷は負わせられないだろう。
(龍が、魔王という獲物をかみ砕く。この一撃をもって噛み、喰らい……其の血と肉を我がものとしようではありませんか!)
しかし今はただかすめるだけではない、龍が獲物をかみ砕くのだ。
「龍咬・八牙閃!」
コンマ一秒間に放たれる八つの斬撃が魔王ハングの右腕を中心に放射線のような形をとって放たれた。傷はこれまでよりもより深く、出血も激しい。
傷を口とする余裕すらなく、飢餓によって埋め尽くされた心に一端の危機感が。
龍咬・八牙閃が放たれた直後、魔王の正面に少年が立ちふさがり、魔王へ畳みかける。
「陰陽火之道……」
仄の両腕は燃えていない。彼は左足を激しく燃焼させている。煉によって上がっていた体温は、左足を除いて常温まで戻っている。それはつまり彼がこれから放つ技で今持っている火を使い切るつもりなのだ。ライターは使えないため火の補充はできない。
それでも涼也が言ったように、仄はここで魔王を倒すつもりでいる。
(火は万物を灰へと返す。それは魔王とて例外ではなく。陰陽は運命を決める術なり。さあ拓こう。魔王を……破滅の運命へと! 我が火をもって!)
先ほど魔王に撃ったこの技は、威力を100%出し切ることはできなかった。一発目、二発目、三発目と別々の場所であったからだ。
しかし今回は違う。
完全に同じ場所に技を放つことができる。
右足で高く飛び上がり、左足を鞭のように最大限曲げる仄。右足で魔王の胸に置いて体を支え、左足、足の甲へと熱を集中させる。
燐と涼也の攻撃で動けないハングは恨みを込めて仄へと叫ぶ。
「「「「「「ふざける……」」」」」」
その左足を魔王ハングの顎へとくらわした。
「燎魔尽煤焱————ン!」
地獄の炎ともいえる仄全力の一撃がハングの顎に命中。別々の場所に燎魔尽煤焱を放った時ですらガダンファルには致命傷を与えることができた。もし熾残炎激と同じところに放つことができたのならば?
その結果……ハングの口からのど元にかけて決して魔王でも無事では済まさないであろう傷を与えることに成功。肉がえぐれて首が折れ、熱で焦げている。
「ガ……ァ……」
もはや話すことも叫ぶこともできないのか、ただ弱弱しい、呼吸時に空気が体内とかすれるような音しか出せない。
身体に力が入らず、傷も口にすることすらできない。
ハングを突き動かす飢餓感もなくなり、ハングにあるのは怒りだけ。ただの人間に敗北したという現状に対する怒りだ。
だがその怒りを発散することはできない。度重なる攻撃によりハングは身体を動かすことはできず、崩れ始め、魔法を使うためのエネルギーも残っていない。
「「「「「「バカな……このワレが……魔王であるこのワレが…………」」」」」」
死に体となっても破暁隊の警戒は終わらない。火を使い切った仄を涼也が守り、その近くで燐も刀を構え魔王の一挙手一投足に注意を払っている。
目の前の魔王の生命力は侮れない。次の瞬間には再び動き始めるかもしれないのだ。
ハングの五感が消える。
何も見えず、何も聞こえず、何も感じない。
人間に対する怒りも混濁とした思考の中で消えてしまった。ただ漠然とした怒りは残っている。
(なぜワレは怒っている?)
黒くて狭い箱に閉じ込められているような気分の中、永遠ともいえる刹那をハングは自問自答した。
(ワレを谷底に落としたものにか?)
否、ハングはそこで魔王になる素質を手に入れた。恨みなどあるものか。
(ワレをこの闘争に巻き込んだあの魔人にか?)
否、ゆくゆくはハングは大日輪皇國軍に戦争を仕掛けていただろう。それが早まっただけのこと。そして戦争に参加しようと決意したのはほかならぬハング自身。
(いるはずだ……ワレをここに閉じ込めた存在が……)
その問いに、何者かがヒントを出した。
何も感じないはずのハングは視界の端にあるものを見る。それはあまりにも魔王にとって不快で、忌むべきもの。お互いがお互いを倒すように義務付けられたもの。
(勇者ァ……)
是、己を敗北という結果に結びつかせたもの。
(勇者ァ……!)
怒りが形作られる。明確に、実態をもって。
(勇者勇者勇者勇者勇者ァ!)
勇者への殺意が、意志がハングを動かす。死体寸前の身体を、消えゆく彼の魂を。
飢餓感をなくしたハングは『魔王』の意志に乗っ取られた。
「勇者ァ——————!」
両足で支え切れず、バランスを崩して倒れる直前の魔王が叫ぶ。
魔王を囲んでいた三人の身体に力が入る。恐怖と絶望をはらみながら。
「うん……まだ倒れないのか!」
「うそでしょ……」
「くそが……」
三者満身創痍、もし魔王がまた強くなったならばもはやなす術なし。
顎と胸、腹にかけて開いた巨大な口がつながり、人の形をしたバケモノと形容すべき姿へ変貌。
だが魔王となったバケモノは自分に敵意を向ける三人を無視、彼らに背を向け、そのさきにいる勇者もどきを殺さんと走り始めた。
「緋奈ちゃん!」
「緋奈さん!」
「緋奈ァ!」
そう。
魔王の標的は、
わき腹をやられ、そして勇者の血を吸い権利を行使しすぎたその反動のせいで動けない、八坂緋奈であった。
もはや三人には彼女を救うべく向かうことはできない。
第捌漆話を読んでくださりありがとうございます!!
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