第漆捌話 『瓦礫ノ上ノ晩餐会・弐』
(これが魔王、なんと恐ろしいのでしょう……)
登尾燐の刀を手に持つ手に汗がにじむ。
目の前の脅威を目にして、その圧倒的ともいえる覇気に気圧されるというわけではないが、今の自分は死と生の狭間にいると実感しているから。
戦いを楽しむことのできる彼女ですら、緊張が解けない。この一秒一秒の次の瞬間にはあの世行きだと思ってしまう。
だから燐は構えを取る。一切の恐怖を見えない心の刀で切り刻み、精神を統一。
魔王の動作に集中し、次の瞬間に戦闘を始めるために。
***
(あいつが魔王か、俺様に倒せるか?)
火御門仄の炎が彼の心の中のように揺れる。
緊張、不安、恐怖。そういった感情が彼の拳を燃やしている炎に反映されているのだ。
先ほど魔将を倒し、浮かれていた自分は消えた。今この時は死なないよう、全身を燃やすのではなく、熱し、燻ぶらせる。
しかし次の瞬間は一瞬にして爆発できるように。
***
(こいつが魔王ね……本当に怖いわ)
八坂緋奈の心臓の鼓動が速くなる。
彼女は吸血鬼。血関連のことなら制御できる。その一環で心臓の鼓動をある程度操作することもできるのだ。しかし今の彼女はその余裕がない。先ほどの攻撃も彼女が勇者の血を吸っていたからこそできた芸当だろう。もし吸っていなければ反応できなかったかもしれない。
魔王の挙動に警戒しつつ、全身の血を操作する。
「八坂血戦式・朱激」
***
(あれが魔王……この惨状を作り出した張本人……)
スコープ越しでも感じられるその覇気は、たしかに正義が瓦礫の山から感じたプレッシャー。
今すぐにでも飛び出してあの魔王の脳天に弾丸を叩き込みたい。
あふれ出る殺意を抑える。なぜならこの魔王討伐という任務は破暁隊に与えられたもの。
けっして正義個人で好き勝手していいものではないのだ。涼也の言う通り今の彼は魔王の前に出てはいけない。
(人を助け、理不尽を倒す……この義務のために……)
そう自分に言い聞かせる正義だが、再び声が聞こえる。負傷兵を助けたときに消えた声。
——随分と自信過剰だな。二つも義務があるなんて。
今魔王を狙っている正義の真後ろに、声の主がいるようだ。実際には誰もいないが。
——ではもし、どちらかしか選べないとすれば……お前はどうする?
その一言は正義に一瞬の揺らぎをもたらした。
——二択だ。さあどうする?
揺らいだ正義の心はすぐに凪ぐ。雑念は今はいらない。
(そんなこと、今考えることじゃない)
——今はな。だがいつか来る。どちらかしか選べないときが……
嘲笑するような声はその言葉を最後に消えた。
声の言うことは確かに否定できない。しかし今はその答えを考えている場合ではない。
一息ついてから、正義はスコープ越しに魔王を見つめる。
***
四方を破暁隊が囲む中、魔王ガダンファルが動き出す。
武器に、体に力を入れる破暁隊。
高速で破暁隊のうちの一人の目の前に移動し、禍々しい爪が振り下ろされるは……
登尾燐。
彼女は冷静に後ろへ跳躍。ガダンファルの右腕が地面に叩きつけられ、爆音とともに小さなクレーターができた。
回避した燐は着地と同時に剣を構える。
「龍獄門……」
両手で刀を握り、右足にも力を入れる。柄を握る手には青筋、美しい前髪で隠れた額には血管が浮かんでいた。
理由は怒り。
一対多で一側が勝つためにおこなう策は二つ、強いものから狙うか、弱いものから狙うか。魔王ガダンファルは魔王らしい傲慢な魔人である。おそらく多勢に囲まれればどうするかは二つのうち後者だろう。
ガダンファルは彼を囲う破暁隊四人のうち、彼女を選んだ。ということはつまりガダンファルは彼女が四人の中で一番弱いと考えたのだ。
舐められたと考えた燐は激昂、怒りを刀に乗せる。
「龍牙突!」
登尾燐の全力の刺突がガダンファルの右腕に突き刺さる。しかし彼女の刃はガダンファルの皮一枚貫いたのみ。己の技が通じないことにお嬢様らしくない舌打ちをしてしまう燐。
一方全く痛みを感じないガダンファルは不敵な笑みを浮かべながらもう片方の左腕で彼女につかみかかろうとする。
「樫野流薙刀術・烈振」
ガダンファルは当然涼也の一撃を燐につかみかかろうとした左手で防ぐ。だが涼也は防ぐのを承知でこの技を放った。なぜならこの技は傷をつけるのではなく、衝撃を与えるのだから。
もちろんガダンファルはそのことを知らない。素直に涼也の列振を受け止めてしまう。
「ムン……」
電機が走ったかのように身体がしびれ、一瞬硬直してしまうガダンファル。
そこへ、
「陰陽火之道・火爪!」
魔王の者には勝るとも劣らない大きさの爪をした炎が魔王の背中に直撃。荒れ狂う炎がガダンファルに襲い掛かった。
今までの銃弾や剣戟とは違う、高温の炎という攻撃をされたガダンファルは表情を変える。だがそれは苦悶などではなく、
「いい痛みだ! 効いたぞ小さいの!」
笑顔であった。痛みのバリエーションが増えて笑みを浮かべるのはさすが魔王といったところだろう。
しかし小さいという評価をなされた仄は挑発されたと受け取ってしまい、指示を無視。離脱することなくもう一撃を放とうとしてしまう。
「ちょっとあんた!」
仄の背後から魔王に攻撃を仕掛けようとした緋奈が仄へ叫ぶ。仄離脱ののちその直後に攻撃を仕掛けると決めていたにもかかわらず仄が動かなかったのだ。
ガダンファルへ進むのをやめる緋奈と作戦を思い出して攻撃を止めてしまう仄。
しかし二人を殺すためガダンファルは彼らに体を向け、剛腕を薙ごうをしていた。燐と涼也はガダンファルが腕を大きく振ったことで吹き飛ばされてしまい、いまこのとき、ガダンファルの仄への攻撃を防ぐことはできない。
「くそが!」
申し訳程度の炎で壁を作るも防ぐことはできないだろう。
……弾丸がなかったならば。
「なにィッ⁉」
遠くから正義の放った弾丸がガダンファルの左側面のいたるところに命中、体の中にまで食い込む。それでガダンファルの身体は痛みで硬直。仄はすぐさま後ろにジャンプして距離を取る。
己を足止めしていた兵士が使っていた弾丸の痛みをガダンファルは慣れており、飽きていた。しかし今食らった銃弾はそれとはまるで違う。殺意にあふれ、黒い感情しか感じない非常に不愉快なものであった。
笑みではなく怒りで口元がゆがみ、銃弾が飛んできた方向を睨むガダンファル。
そしてその方向へからだを向け、息を大きく吸い始めるガダンファル。肺いっぱいに空気を吸い込み、体をのけぞらせる。
『ガアァ!』
ガダンファルの雄たけびとともに見えない衝撃波が発生。直接向けられていない仄や燐たちですら衝撃波の影響で吹き飛ばされそうだ。
一秒後、都市の一角がその雄たけびで全壊。瓦礫が宙に舞い、轟音とともに落下する。
その光景を見た涼也は真っ先に正義を心配。
『大丈夫かい!? 正義君!』
数秒後、正義からの通信。
『…………ああ、大丈夫だ! 引き続き援護する!』
「狙撃したあとはすぐに移動」
一ヶ月間の数少ない由良との会話を正義は実践。ガダンファルの咆哮を回避することができた。
正義の無事を確認した涼也は安堵、すぐにほかの三人にも通信をつなげる。
『うん、仄君、わかってるね』
怒りはしないが、圧を与えるような涼也の声色。
『ああ、すまなかった。次から気を付けるさ』
ちゃんと反省はしているらしく、弱気な声色だ。
『反省ってアンタねえ! もう少しでアタシ死ぬところだったわよ! わかってんの!?』
『まあまあ、今は魔王に集中だ。燐さん、作戦上君が重要なんだが、今のでいけるかい?』
『ええ、刀は通じませんでしたが任せてくれて構いません』
『うん、それじゃあ手筈通りに』
『『『『了解!』』』』
こうして再び破暁隊は動き出す。
先ほど立てた作戦通りに。
***
魔王への接敵前、正義に遠距離からの支援を認めさせた涼也が口を開く。
「うん、ある程度陣形を決めておいた方がいいね」
このままかち合っても魔王による圧倒的な暴力になす術なく負けるだけ。ならこちらもどう戦うかを決めておくべきだ。それを全員と共有すべく涼也は話を始めた。
「そうですわね。ではひとまずワタクシが魔王の注意を引くということで……」
「うん、まずはそうだね」
「ちょ、ちょっと待てい! なんで俺様を抜いて勝手に決めてんだよ!」
燐の提案に一瞬で肯定する涼也、さらに彼らにツッコミを入れる仄。自分も戦いたいのに勝手に魔王の前衛を決められ、思わず叫んでしまったのだ。
「けれどね仄くん。この中で魔王の猛攻をすぐ近くで生き抜くことができるのはたぶん燐さんしかいないと思うんだ。それに君にはもっと重要な役がある。魔王を燃やす、という役がね」
「魔王を……焼く⁉」
まるで自分へのプレゼントを悟った子供のように目を輝かせる仄。囮よりももっと自分にとって魅力的なものだ。
「うん、魔王に関する情報はさっき見ただろう? 多分魔王には僕と燐さんの斬撃はそう深い傷を負わせることはできないと思うんだ。そこで頼りになるかもしれないのが君の陰陽道、そして……」
涼也は緋奈のほうをむく。
「緋奈さんの八坂血戦式だ。この二つならば魔王にも多少なりダメージを与えると僕は睨んでいる」
「し、仕方ねえなあ……俺様に任せな! 魔王なんて灰燼に帰してやるぜ!」
「……その言葉、そんな明るく言う人初めて見たわ」
照れくさそうにとんでもないことをいう仄とそれにぼやく緋奈。
「うん、頼もしいね。なら作戦はこうだ。まず燐さんが魔王の注意を引く。そこに僕が別方向から攻撃を仕掛けて隙を作る。そして仄、緋奈の二人が魔王に一撃を当てるんだ。しかしこの作戦は即興、成功できるとは思っていない。そこで正義君はところどころ僕たちをフォローしてくれ。これでいいかい?」
涼也の作戦に全員が頷く。
「よし、これでいこう」
第漆捌話を読んでくださりありがとうございます!
一か月の訓練のたまものですね。
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