第伍参話 『共闘戦線〈勇兵ト緋乙女〉・肆』
「え?」
それはあまりにも予想外の一言だった。集中状態だった正義を素の彼に戻すまで。
緋奈もまた顔を赤らめ、その言葉を発したあとは恥ずかしいのかそっぽを向く。
緊張が走る中、正義は困惑しながら彼女に尋ねる。
「なんで……血を?」
正義と目を合わせないまま、一応は説明。
「アタシは吸血鬼。吸血鬼の『権利』は『血の操作』のほかに『血を吸った相手の権利を一時的に使うことができる』ってのがあるの」
「でも……緋奈さん指でも血が吸えるんじゃ……」
「権利を使うためには……その……『口』からじゃないと……だめなのよ。言ったでしょ? 口で吸うのは特別なときだけって」
彼女の言葉を聞くうちに正義も恥ずかしくなって顔を赤らめる。あの魔臣に勝つためには今目の前の女の子に血を吸われなきゃいけないのだから。
そう思うとさらに緋奈のことを一人の少女として意識してしまう。
今までは同じ『破暁隊』の隊員として見てきた。しかし今、素の自分となってしまった正義は年頃の男子らしく動揺。
高鳴る鼓動とこんがらがってゆく脳内。別に吸われたくないというわけではないが、常識的にそういった行為に抵抗してしまうのは必然だろう。けれども今は魔臣を倒さなければならない、と理性が乱れるなか唯一正気を保っていた部位からそう警告。
少年正義は先ほどまでの『勝つことにすべてを賭ける正義』を演じ、腹をくくる。
「わかった。ほかになにもできないんだ……やるしかない」
演じてはいたつもりだが実際のところビビっていたのは緋奈もうすうす感じ取っていた。無意識のうちに正義は手で口元と頬を隠していたから。
だが緋奈も同じように緊張していた。そんな正義を弄ることすらできない。
ある意味で、お互い同じ感情になる。数秒、気まずい沈黙が二人の間に流れた。
「……やる?」
「……そうね」
なんとかそういう流れを作る二人は顔を向き合う。
赤面する二人だがここでもう一度顔をそらせばまた沈黙が再開するためお互い我慢。
まず動いたのは正義。上着のボタンを上から2つほど外し、さらにインシャツを引っ張って右肩を露出。
鎖骨が緋奈の目に留まる。ぎこちない雰囲気の中、初めて見る男子の鎖骨に緋奈は少しばかり甘い疼きを覚えてしまう。
正義は、過去に観た映画でヴァンパイアが鎖骨付近を噛むシーンを思い出し、なんとなく同じように肩を出す。しかし実際は、血を吸えさえすればいいのだから腕を差し出すなどでよかった。
しかし緋奈はそのことを指摘しない。血を吸うことを、取りつかれたのかと思うほど必死に考えていた彼女は血を吸えれば何でもよかった。この行為を、今の雰囲気をすぐにでもやめたかった彼女は一時の恥よりも一生感じる恥を選んでしまう。
緋奈は正義の対面に座り、正義の伸びた足に彼女がまたがるような体位となる。
恥を隠すような表情で見下ろす緋奈。体が高ぶっているのを必死に抑えながら緋奈を見上げる正義。
くすぐるような羞恥でお互い目を離したいが、離せない。
華奢で冷たい緋奈の手が正義の肩に置かれる。
お互いの息遣いまで感じ取れる距離感。
二人の呼吸音が部屋に響く。
正義はここで改めて緋奈の美しさに目を奪われる。
思わず手に取ってみたいと思ってしまうルビーのような深紅の瞳。2つ束ねられた、優雅で柔らかな朱華の赤髪。少女らしくも、どこか艶めかしい顔つき。妖美な雰囲気に拍車をかけているのがふたつの豊満な果実。
そんな少女が正義を押さえ込んでいる。
緋奈は手を正義の肩から背中へと回し、その先で交差。さらに正義と目を離し、彼の鎖骨付近へ口を近づける。その過程で正義の胸に彼女の柔らかいものがムギュリと押し付けられた。彼女の双丘だけではない。その密着は上半身全体にまで感じられるようになる。彼女の腹が、肩が、腰が正義の身体に接触。ゆっくりと、されど確実に正義は緋奈に束縛されてゆく。
緋奈の頭は正義の顔の横に位置し、彼女のツインテールのうちひとつが正義の顔の前に近づく。よほど高級なものを使っているのだろう。クラクラとするほど上品な香りが正義の鼻腔に入ってきたから。
(我慢だ正義、耐えるんだ!)
必死にこの状況を過ぎるのを待つ正義にひなが一言。
「大事なこと……言い忘れたわ」
緋奈が正義の顔の横で呟いた。
顔は見えない。しかし声色からしてすこし申し訳なさを含むように思える。
この状況で何だと正義は焦りながら質問。
「な、何急に……」
「あんた、ちょっとの間吸血鬼になるから。アタシと同じ」
「は?」
また予想外の一言。
血を吸われることは覚悟できていても吸血鬼になる覚悟はできていななかった。
困惑した正義は抵抗も兼ねて体を動かすも、緋奈は動くなと言わんばかりに締め付けを強くする。
(――――――っ!!)
さらに密着する二人の身体。
沸騰する鍋からあふれる泡を蓋で閉じ込めるがごとく、正義の理性で今湧き上がるイケナイ感情を全力で抑える。彼女と接触したところではなく、足の先や腕に全力で力を込め、歯を食いしばって耐え抜こうと抵抗。
いざそのとき。
緋奈が口を開く。
口のなかには4つ、普通の人間よりも鋭く長い犬歯が現れた。
彼女の牙と正義の肩が次第に近づくに連れ、緋奈の吐息が正義の肩にあたる。
湿った、ほのかに温かい彼女の息。口元が近づくにつれ、その吐息が感じる範囲はより広く、そしてより湿っぽくなってゆく。牙の痛みよりも、あふれ出る欲情を制するのに精いっぱいの正義へ、彼女が耳元で囁いた。
「安心して、アタシもハジメテだから……」
痛みにおびえているのかもと察した緋奈は正義にこれから刺すという意味も込め、しかしなぜかわからないが同時に不安も吐露したかった気持ちが混ざり合って放たれた彼女の一言。
嬌声のように囁かれたのも相まって、それは一人の男を雄にするに足りる言葉であった。
全身の骨まで折れてしまうかと思うほど力を入れ、なんと無意識ではあるが感情の抑制に『意志の増大』まで動員させた正義のリミッターがぶっ壊れそうになった瞬間……
カプッ!
正義の肩に緋奈の唇がギュッとくっつき、熱を帯びた牙がそっと触れる。
彼女の歯が刺さったことは正義も感じることができた。
実情は全く違うが、予防接種の注射の針が抜き終わるような永遠ともいえる数秒を正義は耐え抜くため全力で湧き出る本能を止めるよう努力。
一方緋奈のほうはあえて吸血鬼としての本能に身をゆだねることで恥ずかしい感情を忘れていた。
歯を正義の肩に刺すと血の味が口に広がる。八坂家で何度も感じた味。
ゴクリ、と口に含んだ血を飲み込んだ瞬間、意識がブレる。
***
緋奈は気づけば基地の中ではなく、小さな和室にいた。床が畳で、周囲4つの壁はすべてふすまの立方体の空間。周囲ははっきりと見えているが、光源は不明。
困惑する緋奈だが、首から下を動かすことがなぜかできない。
目を動かして周囲をよく見ると目の前のふすまが少し空いていた。指が少し挟まるかどうかの狭い隙間。
さらに隙間へ目を凝らす緋奈。どうやら真っ暗ではなく、ふすまの先にも緋奈と同じような和室があるらしい。
ギロリ
(!!)
隙間を凝視した緋奈が見つけたのは目。いや、あちら側からも誰かが緋奈を見つめていたのだ。緋奈と目を合わせているそれは、緋奈と同じ赤色の瞳。だが目からでもわかる圧倒的な覇気に緋奈は委縮してしまう。
何もできない緋奈へ、ふすまの向こうから声をかけられる。
「ほう? 奴より先にここへ来るものがいるとはな……」
ドスの利いた重々しい声色。
声も出せない緋奈は心の中で思う。
(誰?)
「ん? 声が出せんのか……なぜだ? いや、なるほど面白いな。貴様が来たのではなく、我々が浮かびあがっているのか! 勇者の血が吸血鬼にこのような影響を与えるとは……」
声は後半になるにつれてより感情的に興奮しているように聞こえた。数秒後、落ち着いた声で再び話しかけられる。
「異例のこととはいえ、ここに来たのだから我々も貴様をもてなす義務がある」
緋奈は何が何だか理解できないまま、ふすまの向こうの人物は話を進める。
「さあ持って行け。どう使うかは、貴様次第だがな……」
緋奈が困惑したまま、ふすまの向こうの人物は話を止めた。
と同時に緋奈が立っていた畳が崩れ去る。なにも理解できないで、緋奈は虚空へと落ちていった……
***
「…………なさん、緋奈さん!」
誰かが自分を呼ぶ声で緋奈は意識を取り戻す。
目を開けるとすぐさきに心配の表情を浮かべる正義。
ガバっと身を起こす緋奈。
どうやら血を吸った瞬間に緋奈は意識を飛ばし、正義が腕で彼女を支えながら起こそうとしていたらしい。
「あ、ありがと」
正義の顔を見て、照れくさそうに感謝を述べる。よく見ると、正義の目が緋奈と一緒の赤色になっていた。つまり正義は現在緋奈と同じ吸血鬼ということだ。
体の感覚が戻っていくにつれ、緋奈は自分の身体に異変があることに気づく。
(心地いい!)
圧倒的な全能感、絶対的な万能感が緋奈の身体隅々まで行き届くのを実感。
それだけではない。頭の中に次々と策が閃く。たった今まで苦戦していた魔臣が、まるで敵ではないように思えた。
初めての感覚に入り浸っていると、建物の外からナニカが崩れ去る音。
「魔臣が追ってきたのかもしれない……戦える? 緋奈さん」
先ほどまで気を失っていたことを慮ってか正義が緋奈に尋ねるが、緋奈は笑って言う。
「戦う? ちょっと違うわね…………勝つのよ!」
笑みを浮かべながら緋奈は壁に触る。すると壁にひびが入り、壁に穴が空いて外へとつながった。
驚く正義をよそに道路を見れば例の騎士型の魔臣。魔臣を見つけた緋奈は迷うことなく穴から飛び降りる。
「さあ! 反撃の時間よ!」
第伍参話を読んでくださりありがとうございます!
......吸血シーンです。誰が何と言おうと吸血シーンです。
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