第肆陸話 『絶望ノ ソノ前デ』
「ワレの名はガダンファル! 『最悪の五大職』がひとつ、魔王であり! 千獣の王、ガダンファルだ!」
屈服せよと言わんばかりに人狼、魔王ガダンファルはそう名乗った。
目の前の魔人が魔王だという事実に兵士は戦慄。加えて名乗りとともに放たれた圧倒的な魔のオーラは兵士を恐怖で動けなくさせるには十分。
ガダンファルは一人の兵士の前に立つ。
兵士らはこう感じた。
自分はこのとき被捕食者なのだ、獲物なのだと。抵抗できるはずもない。したくとも体が動かない。まな板の上の鯉のように、皿の上の肉のように、兵士は死というものを実感した。
魔王が動き出そうとしたのも束の間、ガダンファルの顔面が爆発。
ガダンファルの顔面に砲弾が直撃、放ったのは、
『貴様ら……結界に避難だ! 避難しろ!』
先ほどガダンファルによって吹き飛ばされた中野上官。
壁に叩きつけられながらも力を振り絞ってガダンファルへお返しとばかりに一発砲撃し、部下に撤退の命令を下す。訓練中何度も叫ばれ、一度躊躇ったり反抗すればすぐに叱られる彼の命令に兵士らは脊髄反射で従った。
胸ポケットにしまっていた札を取り出し……
ガシ!
っと兵士の一人がガダンファルの巨大な手に腕をつかまれる。
「何をする気だあ?」
結界への避難をガダンファルに阻まれた。魔王が力を加えるとともに、腕の骨が壊れそうになる音。振りほどくことはもちろん不可能、その目で兵士の心は砕かれそうになる。
『避難!』
中野上官に幾度となく叫ばれた言葉。兵士の心は恐怖に支配されていたが兵士の理性は彼の言葉を実行させた。指だけでも札を振り「展界」と震える声で呟くと札から火が上がり、兵士を包む。
ガダンファルの掴んでいた腕も消え、後には火の粉が残る。
「燃えた? いや逃げたのか」
周りの兵士も火とともに消失、だがまだ一人。
ガダンファルは負傷とその体でバズーカ砲を撃った反動で指ひとつ動かせない中野上官の前に立つ。
体は動かないがその眼光は未だガダンファルに殺意を向けていた。
「敵から逃げるとは、門番共は随分と臆病だなあ」
煽るガダンファル。痛みに耐えながらも中野上官は反論。その声は震えているが恐怖は含んでいない。
「『部下には死にに行かせるな』と上から言われてるんでな。上官の務めを果たしただけだ」
馬鹿にしたつもりが余裕ある返しをされて機嫌を損ねるガダンファル。そのまま抵抗できない中野の首を掴み、持ち上げる。
「この世界のすべてはワレの食物だ。そしてお前はワレが喰らうはずだったあの臆病な兵士を逃がした。これは罪だ。許されざることだ。だからおまえには残虐な死を与えたい。このままゆっくりと首を折る。さあ泣き叫べ」
ミシミシと力を込めるガダンファルだが中野は動じない。未だ殺意を魔王へと向ける。
彼の態度にさらにムッとするガダンファル。そのまま首の骨を折ろうとしたその時、ガダンファルの背中に銃弾が叩き込まれた。
ガダンファルが振り向けば背後に立っていたのは数名の兵士。
さらにビルの上からガダンファルを見下ろす兵や、ガダンファルの前に姿を現した兵が魔王を囲んでいた。皆魔王出現の指令を受け、中野の援護に来たのだ。
「てめえが魔王か。ずいぶんと野生じみた風貌だなあ」
中野上官を助けたなかには、破暁隊出撃時に彼らを助け、さらに魔将の一体を「零伐壱摧・狻猊咬砕」で撃破した女兵士、入堂沙良、および彼女に同伴している特撃師団の面々もいる。
戦線での戦闘を終えた彼らは正義と同じくこの結界都市に移動してきたのだ。
皇國軍の強者も集まり、魔王に激しい敵意を向ける。
一見多勢に囲まれ、不利に見えるガダンファルだが、危機感を感じるどころかなんと笑った。
「おまえを許そう兵士よ。おまえはなんとたくさんの食物を連れてきたではないか!」
人間離れした考えで中野を手から離すガダンファル。生き残ったかと安堵したのも束の間、なんとガダンファルは上半身を大きく捻った。両腕も体の後ろに大きくねじ曲げる。限界まで捩じったと思ってもさらに奥まで。
「だが少し数が多い。ワレは強い奴の肉をより好む……さあ選別だ。ワレの食卓に乗るのは……何人かな?」
ガダンファルは魔力を体から放出しそのオーラは次第に腕の先、爪へと集まってゆく。
「神爪嵐」
ガダンファルが溜めに溜めた捩じりを開放するとともに爪の先から放たれた魔力の嵐が周囲を破壊しつくす。爪から放たれた斬撃はなにもひとつだけではない。数十重なった巨大な斬撃がガダンファルから離れるとともに広がっていく。斬撃が吹き荒れるといった表現が正しいだろう。魔力による斬撃は結界のビルを道路を建築物をすべて切り刻んでゆく。その範囲はのちの調査によると半径300m。
斬撃は何も外へと向かうだけではない。
神爪嵐の斬撃は範囲内を不規則に切り刻んでゆき、この動きはガダンファルでも予測不能。範囲が半径300mとはいえ、ビルが瓦礫レベルにまで切り刻まれたのがその範囲であり、一部の斬撃はさらに遠くまで飛ぶ。左右上下から襲ってくる攻撃は範囲内にいる全てを一掃。
これこそが魔王ガダンファルの殲滅技、神爪嵐である。
嵐が止んだあと、ビルはすべて倒壊、残っていたのは無残にも散った建物のがれきの山のみ。その中心に、技を撃ち終わったガダンファルは立っていた。
彼の目は少し物寂しい。
「まさか誰も立っていないとは……人間とはずいぶんと脆いのだな。少し威力を落とせばよかったか」
獲物がいなくなった。
魔王らしく、捕食者らしく、常人には理解しがたい後悔をするガダンファル。
だがガダンファルはすぐその言葉を忘れる。なぜなら門番を倒した先の碧空の楽園にはたくさんの食料があるのだから。
ただそれだけ。ただ人間をたらふく食いたいという、それだけの理由でガダンファルは大日輪皇國軍へと攻める三魔王軍に協力したのだ。そしてガダンファルはこの結界を破壊するという任務を背負っている。
「さて、人間ってのはどんな味がするのかな……」
ぺろりと舌で唇をなめ、魔王は結界を壊さんと動き出す。
***
ときは円盤出現直後。
円盤の出現は大日輪皇國軍総司令部に混乱を引き起こさせた。
皇國軍は魔王軍の反撃はおる程度あるだろうと警戒はしていたが、まさか防衛線ではなく、結界都市に直接大規模な強襲を行ってくるとは南郷総司令官でさえ予測できるはずもない。
そもそも魔界の技術レベルは1000年前の現界レベル。「魔法」という非常に便利なものがあるため、それに関係のない「科学」は発展しなかったのだ。
しかしいま総司令部の壁に流れている映像は明らかに現界の現代技術を超えているように見える。鉄でできた巨大な円盤がプロペラやジェットもなしに浮いているのだから。おそらく科学ではなく魔法で作られたものではあるが、現界の人間だからこそ驚きは大きかった。
そして円盤の出現は翳都・蒼京だけではない。
「報告、北東結界都市 『遥都・カナタ』に円盤が出現!」
「第五軍団から報告! 東方結界都市 『黎都・絢爛』の上空に円盤が出現したとのことです!」
円盤の出現とともに結界都市を担当するオペレーターは狼狽。
特に強い軍人のいない蒼京を担当して浮いたオペレーターは数々来る報告と指示の要求にてんやわんや。円盤から放たれたミサイルの着弾地点には転送魔法陣が展開されたこともオペレーターを焦らせる。周りの人が手伝ってはくれるものの魔王軍の行動に後手に回るしかなかった。どんどんと結界都市から結界へ兵士が避難していく。
とあるオペレーターの画面にはこう映っていた。
「蒼京ニイタ兵士五千ノウチ、二千ノ兵士ガ結界へ退避セリ」
つまり蒼京にいるのは現在3000人の兵士しかいない。
そこに追い打ちをかけるように魔王ガダンファルが蒼京へ急襲。
海から砲撃により軍の領土へ飛んでいた塊が蒼京にたどり着いたのだ。蒼京の映像は総司令部でも流れており、状況が緊迫しているのはオペレーターならだれにもわかる。
「ワレの名はガダンファル! 『最悪の五大職』がひとつ、魔王であり! 千獣の王、ガダンファルだ!」
映像越しに放たれたその衝撃の一言は総司令部全体を停滞させた。
魔王に対する特機戦力がいない蒼京は一番危険だと言ってもいい。蒼京を臨時に担当する新人オペレーターの一人が隣に座っていた先輩オペレーターに聞く。
「いったいどうすればいいんでしょう? どんどんと蒼京の兵士が結界に避難していきます。援軍……援軍を送るというのは?!」
思い付きの一言に先輩オペレーターは冷静に言い返す。
「いや、無理だ。現在あの都市では魔界から結界にたくさんの兵士が送られている。そういった『流れ』がこの間に作られているんだ。今結界から結界都市に行くということは流れに逆らうこととなる。これは非常に困難なことだ。巨大な滝を一匹の鯉が上るくらい不可能だ。無理に逆らえば流れに押し返され魔界に行けない。さらに『世界の狭間』に取り残される危険もある。リスクが大きすぎるんだよ」
意気消沈する新人オペレーター。
そう、 魔界、現界、そして結界という異世界同士を移動することは本来非常に危険なことなのだ。結界から現界に言った後魔界へ行けばいいのでは? という意見もあるがそれも違う。複数の異世界を短時間で移動するのは人体に悪影響を及ぼす。
急に環境が変われば体調が悪くなるの上位互換だ。吐き気や体調の悪化だけでなく、がんのリスクなど引き起こしてしまう。結界に避難すれば結界の効果により、肉体は回復する。その状態ですぐに結界から離れれば中途半端な回復も相まって、やはりのちの生活に支障をきたす。
さらに言えば、この流れを無理に変えようとすれば『門の核』とのつながりが立たれてしまう可能性もある。
これらの理由で、大日輪皇國軍は魔界への援軍を送ることはできないのだ。
つまり正義たちがいる蒼京に兵士を送ることもできない。
まさに目の前に、絶望が広がっていた。
***
神爪嵐が放たれる数分前。
「はぁ……はぁ……」
正義は一人結界都市の中を走っていた。その顔に余裕はなく、今にも泣きそうな弱弱しい表情だ。
円盤が現れたあと、正義はまず空中から落ちてくる魔法を避けながらその攻撃範囲から離脱、その後は円盤から落下した魔人を撃破していた。
幸い向かってくる魔人の中に魔将などの強い個体はおらず、負傷することなく一旦は危機から脱出。他の破暁隊の隊員と合流しようと連絡するその前に円盤からの謎のミサイルが正義がいた地点のそこそこ近いところに着弾。爆発はしなかったものの、絶対にこの結界での戦闘が自分たちにとって悪い流れになっていることが正義にも察せられた。
そしてミサイルの着弾地点の方向から聞こえる数百の野蛮な叫び声。およそ味方のものではないことは正義にもわかる。
しかし正義のいる場所からミサイルの着弾地点に転送魔法陣が展開されたことは慧のようにはわからず、訓練時に近藤から言われた言葉、「不安があるなら迷わず逃げろ」という助言を信じ叫び声から退避を選択。
その直後に正義含め結界内の兵士に連絡が入る。
『中野隊員以下数名が魔王と接敵、近くにいる兵は援軍にあたられたし』
中野隊員は正義が基地の中で話していた隊員の上司。つまり以下数名の中には正義が「守る」と誓った隊員もいるかもしれないと考えたのだ。
「守る」と言った手前、正義には彼らを助けなければならない「義務」がある。
彼らがピンチだとすれば勇者である自分が助けなければならない。
そんな自責が正義を動かした。
(もうすぐ魔王のもとに着く!)
『加速』の意志を使おうとした次の瞬間、耳をつんざく不快で豪快な音が正義を襲う。
なにかと思えば正義の前方に高さ数百メートル規模の巨大な嵐が現れた。嵐の方向からはなにかがバキバキと壊れるような音が届き、建物が倒壊するような鈍い音が正義の耳へ届く。十秒ほどでこの嵐は治まったものの、正義は動けない。それは恐怖が理由ではなく、正義の視界がある情景と重なったせいだ。
正義の左目の下の傷がうずく。
その記憶は正義が何度もフラッシュバックし、何度も悪夢として見た光景。
10年前の東京テロの記憶。
結界内が都市を模しているため、この光景はより深く、より鮮明に正義の記憶と重なった。
ドクン、という心臓の鼓動とともに不安が正義を襲い、その不安は正義に撤退の言葉を与えるよりも、前へ進むという選択をさせた。
(いやだ、やめてくれ!)
中野上官の、兵士のみんなの顔が頭によぎる正義。無事でいてほしいと、すがるような思いで正義は走る。
しかし彼の思いは嵐が起こった場所へ近づけば近づくほどに消えていった。
彼の願いが叶ったわけではない。ただ、それが無残にも打ち砕かれたのだ。
第肆陸話を見てくださりありがとうございます!
ガダンファルは三魔王とは違い統治などせず、ただ暴れまわっていたらいつの間にか部下がついてきた的なかんじです。
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