第拾漆話 『青春トハ学徒ノ宝ナリ 恐竜トハ少年少女ノ浪漫ナリ』
四限目の予鈴が鳴り、正義はようやく一息つくことができた。机の上にぐでーと上半身を倒れこむ。授業が難しかったわけではない。
「どうだった晴宮! うちの高校の授業は?」
正義の前に座っていた、ガキ大将風の男子、福澤が話しかけてきた。一見厳つい見た目ではあるが話してみれば案外優しい人物。
「なんか、疲れた。先生のクセ強すぎでしょ……」
「やっぱそうなるよな! まあそのうち慣れるぜ!」
笑いながら共感する福澤と、正義の右斜め前に座っていたおとなしい見た目の男子、夏目も話に参加する。彼らは朝のホームルームが終わって真っ先に正義へ話しかけた人たちであり、積極的に話しかけることが苦手な正義にとっては救世主のような人たちであった。
「晴宮君はどの教師がヤバかった?」
「……数学の先生。あの人長話しすぎでしょ……」
3限目の数学の授業の担当、新井先生。彼はことあるごとに『○○と言えばな~』と授業の路線を切り替えそこから五分ほど長話を始めるのだ。しかも3回に1回は普通に話が面白いため、聞き逃してボーとしていたら周りが爆笑し、聞いておけばよかったなどと後悔することも。だが一番最後、『三角比と言えばな~』から始まる雑談はお世辞にも面白いとは思えなかったが、一番最後、
『~~ほんでお金を失ってワシは悲嘆しちまったんよ~……あれウケねえな。漢字を使ったダジャレは、滑っちまうサインってか~~!! ……ウケねえな。どうやら!これ系のギャグを! 擦りすぎちまったようだなぁー!』
というセリフとともに授業の終わりを告げるチャイムがなり、そのまま授業を終わらせるというあまりの出来事に、正義は飛び出すぐらい目を開き、動揺を隠せないでいた。
「わかる。けれど授業の要点だけはちゃんと説明するから生徒にとって評価は低くないっていうね~」
「そしてほかにもさ! なんで歴史の先生は片手に地球儀を鷲掴みにしたまま授業してるんだ!? 使うのかな~って思ってたけど結局1回も触ってなかったし! そして情報の授業! 先生授業中なんて言った? 『そうそうこのコード、ぼくがグルグルにハッキング仕掛けた時に使ってさー』て言ったよな!? 受け入れるのに五分かかったわ!」
あまりの体験に声を上げる正義。
「はっはっは! おもしれー奴だなオマエ!」
「まあ五年前のグルグル大ハッキングテロはハッカー側に正義アリってネット上で言われるほどグルグル側が悪かったし、多少はね?」
正義の反応を楽しむ二人。
確かに癖の強い先生に疲れたのもあったが、それ以上に精神をすり減らした原因は四限目の英語の授業。
授業中にペアワークがあったのだが、正義のペアはとなりにすわっている八坂緋奈。現在正義が一番気まずい相手との英会話に、正義は生きた心地がしなかった。
もちろん雑談ひとつ交わさず、練習が終わった瞬間に正面を向いたのは言うまでもない。そんな地獄の時間を終わらせやっとお昼休みになったことで正義もひとまずは解放されたのだ。ちなみに彼女は四限が終わるとすぐに教室から出て行ってしまった。
福澤が質問する。
「どうする晴宮? おれたちは食堂に行くけど、一緒に来るか?」
正義は迷った。彼らと行くか、彗や翔真らと一緒に食べるか。でも学校でのコミュニティを広げたいなと正義は考え、目の前の二人と一緒に行くことを決意する。
「わかった。そうするよ」
「よっしゃ決まりだ! ラーメン喰いたいから第二食堂だな!」
そうして晴宮、福澤、夏目の三人で廊下を歩いていると、一人の女性を見かける。長く、美しい黒髪の女性。登尾燐が三人ほどの女子と談笑しながらこちらに歩いてきたのだ。もちろん彼女らがいる空間はまるで貴族どうしの会合のように凛としている。
燐も正義に気がつき、二人の目が合う。燐はニコッとお嬢様らしい上品な笑顔を正義に向けて彼女は行ってしまった。
彼女らが少し離れた瞬間、隣の福澤が嫉妬でゆがんだ表情をしながら正義の胸ぐらを軽くつかむ。漫画的な表現をするなら彼は血の涙を流しているだろう。
「おおお前、りりり燐さんとと、どどどういう関係だあ?」
下唇をかみながら眼をこじ開けて正義を睨む福澤。彼女と同棲している、などとここで言ったら殺されていても仕方のない迫力だったため適当に言い訳を述べる。
「……この学校への行き方を彼女に尋ねたんだヨ……」
数秒福澤は訝しむが手を放した。
「…………まあ今日のところはこのくらいにしといてやる」
どうやらピンチは過ぎたようだ。正義はひとまず安心した。
「それにしてもなんでそんなに必至なの? もしかして彼女のことが好きとか?」
疑問に思う正義に夏目が答える。
「登尾燐さんはこの学園の三美人の一人って言われてるのさ。ほんで福澤はそんな彼女のファン」
「いやーいつみても彼女は麗しいなあ……見ていて心が現れる。ああいう静かな雰囲気の女性がおれは好きなんだ」
にんまりとした笑顔を浮かべ、鼻の下を伸ばす福澤に若干ドンびく正義。
「そう思うよな、晴宮!」
突然共感を求められたものの、彼女のもうひとつの面を知っていた正義はそんなことできない。
「ソウダネ…………」
あの戦闘狂の記憶をこころの中にしまい、うわべだけの共感をする。
「よし! わかってくれた晴宮君に燐さんのすばらしさをお教えしよう!」
その後、福澤は燐についてこれでもかというほど褒めちぎっていたが、正義は相槌を打ちつつも話を右から左に流す。
だがそれでも、彼女は表の世界では自分とは縁のない、高嶺の花のような人物なのだなと実感してしまうのだった。
***
放課後、一通りやることを終わらせた正義は急ぎ足で本屋に向かっていた。
正義の表情はいつにもまして真剣であり、そして多少の焦りを含んでいる。
「大丈夫か、売り切れてしまわないだろうか……いやおそらく……だが万が一……」
正義が売り切れていることを懸念しているのは一冊の雑誌。1ヶ月に1回発行されるその雑誌は非常にマニア向けのものであるため、それをたくさん置いている本屋が少ないのはもちろん、そもそもおいていない本屋もある。だから福澤達にこの辺の書店の所在を聞いたのだが、なるべく大きなとこ、と情報を付け加えたのだ。
「ここ数日忙しかったからすっかり忘れてた。今日が雑誌『ダイナソー』の発行日ってこと」
そう、正義の好きなもの。
それは恐竜だ。べつに秘密にしているわけではない。好きなものは? と聞かれれば一応複数の回答に混ぜて恐竜、と答えるくらいには。もちろん高校生になっても、小学生が好きそうな恐竜と答えることに多少の恥はあるが、真に人に言えないのはその熱意である。幼いころに恐竜と出会った正義は、小学生に買ってもらった恐竜の図鑑を読みまくり、恐竜の模型やフィギュアを買いまくり、それでもなお満たされなかった正義の知識欲は最終的に外国で発刊される恐竜専門の学術雑誌までたどり着かせたのだ。このことを友達に話したら若干遠い目で反応されたため、そこからは誰にも話さないようにしていた。
書店に入り、雑誌コーナーを歩き回って「ダイナソー」を探す。軍の訓練で発達した周囲の観察眼をもってしても正義はすぐには雑誌を見つけることはできなかった。雑誌コーナーが残り一区画まで迫り、眼を極限まで動かすと、正義の目に「Di……」の文字。
咄嗟にそこを見るとやっとあった「ダイナソー」が一冊。
嬉しさで叫びたい衝動を抑えつつ、正義がその本に手を伸ばしたそのとき、
ピタッと正義の手は雑誌より前に誰かの手に触れた。華奢で細い手。
横を見るとそこには、
「り、燐さん!?」
「これはこれは、正義さんではありませんか」
そう。
学校で他を寄せ付けない、一般生徒には好きを通り越して崇拝までされてる登尾燐が今、正義と同じ雑誌を取ろうとしているのだ。彼女も自分のこんな姿を見られて少し恥ずかしくなったらしく、頬を赤らめていた。
「登尾さんも、読むんですか? ……これ」
「ええ……まあ」
この時、二人の思惑は一致していた。
((この人とは仲良くなれそうだ))
と。だが、それは予想だ。確信ではない。もしかしたら同じ趣味でも思考が違うかもしれない。アニメが好き、という趣味でもバトルアニメが好きな人と恋愛アニメの好きな人では違うように。
だからここで正義の方から1つの問いを投げかけた。本当に同じ嗜好なのかという問いを。
「……近年のティラノサウルス像について一言」
「羽毛カラフルくそダサでかスズメは提唱した学者ごと絶滅してくださいまし」
瞬間、心が重なる。
歯車がかみ合うように、棒が穴に一ミリの隙間なくぴったりと入り込むように、二人に電流が走った。
***
二人が並んでお店を出る。
「本当にワタクシがお金をださなくてもいいのでしょうか?」
「いいよ、気にしなくて。まあ先に読ませてはもらうけどね」
「まさかこんなところで同じ趣味嗜好の人と出会えるとは思いませんでしたわ」
「こっちも燐さんが恐竜好きとは思わなかった」
「正義さんはどの恐竜が好きですか?」
「モササウルス! あの最強感がマジで好き。燐さんは?」
まる子供のように答える正義。
燐も正義の興奮にあてられたのか、上品な言葉らしくも少年のような雰囲気で答える。
「ティラノサウルスですわね。近年のイメージは納得いきませんが、やはり『恐』竜の名にふさわしい姿には惹かれますわ」
それから二人は自分たちの「好き」を語りつくした。彼らのうちにある趣味は今までの生涯に誰とも共有できなかったため、うちに貯めたいろいろなことを満足するまで話し、彼らはいつの間にか自分たちの寮についていたことに気付く。
家に入ろうと、正義が寮の門を開けようとしたが、燐はそこで立ち止まる。どうしたと声をかける前に、燐が口を開いた。
「この後、少し付き合ってくれませんか?」
髪に手をかけ、背後に移る夕日に照らされた彼女は、寂しさを漂わせつつも、その儚さに美しさをはらんだ雰囲気で正義に提案する。
その華麗さに正義は見とれてしまい、返答を忘れるくらいに。
「…………いいよ」
「それでは行きましょうか。二人きりで」
燐は妖艶な笑顔を浮かべながら正義の手を引いて、二人は寮の中へと足を踏み入れた。
第拾漆話を読んでくださりありがとうございます!
寮の中に男女二人きり......何も起きないはずもなく......?
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