第百話 『試練ナラヌ試験』
摩利支天祭の開催の発表から数週間後。時期は七月中旬。
日常生活に戻った正義は今、とある病院の診断室にいた。
目の前の医師がカルテを眺める中、正義はドキドキしながら診断結果を待つ。
最初は凄んでいた医師ではあるが、正義に話しかけるとき優しく微笑んだ。
「検査の結果…………正義様は戦争での精神障害は見られませんでした。このまま日常に戻ってくれて構いません。お疲れさまでした」
「あ、ありがとうございました」
異常がなかったことに安心しながら医師へお礼を言う正義。
そのまま数枚の書類を書いたあと、正義は一礼して退出した。
正義が病院に通っていたのは、『軍』のアフターケアのため。5時間の戦闘とは言え、兵士はPTSDやシェルショックなどの精神障害になる可能性もある。だから戦争に参加した人は精神病がないかの診断を受けなければならないのだ。それは一般の兵士から元帥閣下に至るまで例外ではない。
正義が診断室の扉を閉めると隣の診断室も誰かが出てくるのか扉が開く。
「あ……」
彼女も正義に気が付き、目を合わせた。
「一緒に帰る?」
このまま別れるのは違うと考えた正義の提案に由良は一瞬迷った様子を見せたが頷いた。
***
病院から去り、寮へと帰るべく近くの駅へ向かいながら二人。
「勉強の調子はどう?」
「……まあまあだ。悪くはない」
「俺もそんな感じだ」
会話がそこまで続かず、気まずいように見えるがこれでもだいぶましになった。
「このあとも勉強会やるらしいけど来る?」
「……あの時言ったはずだ。行かないと。私は誰かを頼りにするのは少し嫌なんだ」
あのとき。
それは赤点を回避しなければ摩利支天祭に出られないという旨が伝えられた時のことである。
***
「この中で赤点を取るかもしれない人は挙手してくださいまし。ちなみに赤点のボーダーは一科目40点ですわ」
燐の掛け声で四人がゆっくり手を上げる。
挙手したのは仄、翔真、慧、そして、正義。
「うん、意外だね。正義君が手を上げるなんて」
真っ先に反応を示したのは涼也だ。
「頭が悪いわけじゃないよ。自慢じゃないけど県で二番目に偏差値の高い高校に入学したから。ただこの学校に編入したとき学力検査があったんだけど、それがまあ難しくて。そこで国語が40点切っちゃったんだ。苦手な国語が赤点だったから今回も自信ない……」
「うん! 僕がつきっきりでおしえてあげよう!」
目を輝かせながら正義君に接近する涼也を若干煙たがりながら慧が発言。
「俺っちも同じ理由! 中学はぜんぜん高得点取ってたけどね。あの高校のテスト難しいよ……さすが私立最高峰の高校……」
明るい言動ではあるが、今自分がピンチだということは変わらない。
「他のお二方は?」
「勉強が嫌いだ!」
「同じくゥ!」
燐の問いかけに一瞬で反応する仄と翔真。堂々とした振る舞いだがその自信はどこから来るのか。
今度は仄がみんなに問いかける。
「けどよお……てめえらは逆に自身あんのか? あんなくそむじいテスト」
正義の転校前も仄は陌暉耶高等学園に通っており、定期テストも受けたのだが結果は散々。もともと日常的に勉強してこなかったせいもあって親からこっぴどく叱られた。
「まあ……ワタクシは登尾家の生まれなので。そういったことは厳しかったですっよ」
「ぅちも……たぶんできる……」
「私も親が研究者だ。頭が悪いわけはない……」
「アタシなんて医者の家系よ? できるにきまってるじゃない」
不安がる素振りを一つも見せることない女性陣。内気な性格の光ですら無理かも、などと言わない。
彼女たちに気圧された仄は会話の対象を涼也へ変換。
「てめえはどうなんだ?」
「うん? 僕は勉強はできるよ?」
「……」
会話になっているようでなっていない。中身のない問答ののち、燐が口を開く。
「とりあえず、破暁隊全員が赤点を回避しなければいけません……そこで! 勉強会を行います! わからなかったらリビングで一緒に教え合いましょう!」
「うん、賛成だ」
「めっちゃ助かるぜェ……」
「うちも手伝います!」
「……よろしくお願いする!」
燐の提案に了解する涼也、翔真、光、仄。仄に関しては頭を下げている。プライドの高い彼でも頭を下げてまで祭りに行きたいのだ。
また、慧、正義も同じ気持ち。
だが、
「アタシはパス。一人で勉強したい」
「私も緋奈と同じだ。会話で集中できそうにないからな」
緋奈と由良は足早に部屋に行ってしまった。
***
スナイパーというのはいつも孤独なもの。彼女もずっとライフルを握ってきていつしか一人で何でもこなせるようになったのだ。
「……けど全然頼っていいんだよ」
一人でやり切ると決意を固めた由良へ正義は独り言のように声をかける。
「だって俺は勇者っていう最強の職らしいけど、勉強のことなら由良さんとか、他のみんなのほうができる。人には特異不得意があるし、それが当たり前だと思う。だから頼るんだ。みんなで補い合ってこそ、『仲間』だろ?」
仲間という単語で由良の中にひとつの意識が芽吹く。
それは、自分はスナイパーだという自認のほかにもうひとつ、『破暁隊の一員』だという自覚。
ここ一ヶ月由良はひとりでいるつもりでいた。けれど思い返してみれば生活のいつも隣に誰かがいた気がする。
戦争のときも、魔臣を倒すときは光に頼った。
(頼る……か……)
己の言葉と言動が違うことに自覚し、本当はどうしたいのか悩んでいると、背後より声をかけられる。
「Hi, I'm trying to get to the Kabuki-za Theatre. Do you know where that is?」
二人が振り返ると、金髪に高い鼻、長身の外国人の男性が立っていた。彼から発せられる言語は生粋の英語。
由良はあまりにもネイティブな発音に戸惑いと困惑で返答できず、固まってしまう。
一方外人は由良の返答を待っているようだ。彼女がどうしようもできないでいると、
「Yeah, it's pretty close. Just go straight down this street for two blocks, and you'll see it on your right」
彼にも勝るとも劣らない英語で話し始めたのはなんと由良の隣にいた正義。動揺する素振りなく、落ち着いた様子で指を差しながら彼に案内する。
「Is that white building it(もしかしてあの白い建物かい)?」
「that's the one. Do you have a reservation? Kabuki-za is by reservation only(歌舞伎座を見るには予約がいるんだけど、大丈夫かい)?」
「Of course!(もちろん!) .I've got a seat right in the middle!(ちょうど真ん中の席なんだ!)I can't wait!(楽しみで仕方がない!)Oh, the show's starting soon.(っと、もう開演まですぐじゃないか)I've gotta hurry...(急がないと......)」
「Have fun!(楽しんできてね)」
「You bet! Thanks!(もちろんさ! ありがとう!)」
正義に手を振りながら歌舞伎座へと向かう外国人と、彼に手を振り返す正義。
外国人が前を向いたあと、会話の間呆然としていた由良はようやく正義に話しかけることができた。
「正義お前、英語そんなにうまく話せるんだな……」
外国人と正義が話す中、由良は正義のことが別人に見えていた。いつもはおとなしい人物であるため、よけい頼りにも感じる。
しかし正義は外人との会話を誇ろうとも、疲れた様子もなさげに呟いた。
「まあ、俺……東京テロの後三年間、自由連邦共和国にいたから」
***
「へー! 正義お前自由連邦共和国におったんか」
「テロの後この国にいるのがこわくなってね。親父が兄と妹と俺を連れて自由連邦共和国に行ったんだ。英語もそこでマスターした」
勉強会の最中、先ほどの出来事をみんなに話すと仄が聞いてきた。
「だからこんなに英語ができたんですね」
感心する燐のあとに、仄がさらに尋ねてくる。
「なんか思い出とかあるんか⁉ 自由連邦共和国にいたんならなにかしらあるだろ⁉」
ワクワクした様子の仄と、他にも興味ありげな破暁隊各員。
「……そうだなあ」
自由連邦共和国の生活を思い出したとき、一人の女の子が脳裏によぎった。彼女こそ、現地に降り立って何もわからなかった正義にいろいろと教えてくれた子。彼女がいたから、正義は自由連邦共和国でうまくやっていけた。
雪のように美しく白い髪、朝日を思わせる赤眼をした美少女。そのほほえみは思い出すたびに心が温まる、彼女こそ正義の恩人にして…………
「初恋……」
正義のぼそりとした小声に破暁隊が興味を示す。
「うん⁉ 正義君の初恋だって⁉ 聞き捨てならないね!」
「そうだそうだ! 聞かせてくれよ正義!」
「恋バナなんて面白そうですわ!」
思春期の男女が食いつかないわけない話題で卓は勉強どころではない。このまま正義の過去に入ろうとしたとき、
「ぁの……由良さんが……」
光の声で全員が止まる。
彼女の後ろにはノートを持った由良が立っていた。もじもじとじれったそうに。
「どうしたのです? 由良さん」
「……その……教えてほしいことがあって……」
しぼるような声で破暁隊に尋ねる由良。勉強会にはいかないと言ってしまった手前、今更参加するのに抵抗を覚えているのだ。
だが、
「ああいいぜェ! さっさと座れよォ!」
「はぃ……一緒に勉強しましょぅ……」
翔真と光は彼女の参加を快く受け入れた。ほかの破暁隊も反対する者はいない。
由良は安心したらしく、こわばらせた顔を緩ませる。
「どこを教ぇてほしぃのですか?」
「…………その……リスニングが苦手で……」
椅子に座る由良へ光がノートを恐る恐る覗き込みながら話しかける。彼女の答えを聞いた仄は笑いながら正義を指さして言う。
「じゃあ正義が適任だな。たのむぞリスニング大臣!」
「だれがリスニング大臣だ……」
「せっかくですし緋奈ちゃんも呼びましょう!」
こうして破暁隊は楽しく、されど確実学習レベルを上げていった。
***
二週間後、テスト当日。
目の前には問題用紙と答案用紙。右手にはシャーペン、その下に机に置いた消しゴム。
勝負の時までのこり10秒。
不安は抱えているが、それを上回る自信とやる気が正義にはあった。あんなに勉強が楽しいと感じたことはなかったからだ。
みんなとの思い出を、記憶を限られた一時間に全力で発揮する。
教師が見つめていた腕時計から目を離した。
「それでは! はじめてください!」
第百話を読んでくださりありがとうございます!
士道家も軍の名門のひとつなので光ちゃんも勉強出来ちゃいます。
感想、レビュー、ブクマ、評価、待っています!!