第玖漆話 『俯瞰』
さて、大日輪皇國軍と三魔王軍の戦いは大日輪皇國軍の勝利に終わった。
この情報は魔界に知れ渡る。
***
魔界。
大日輪皇國軍が統治する領土よりはるか東南方。
海を越え、山を越えた先に、ひとつの文明があった。
見渡す限りの広大な平地に大小さまざまな建物がちりばめられ、あるところは建物が合体し、またあるところには公共のものと思われる噴水や公園が建ち並んではそこで談笑をする者も。暮らしだけ見れば現実世界とそう変わらない景色がそこにあった。そして町で暮らしているのも、魔人ではなく、まさに人間。
だが現実世界と違うのはそこにあるすべての建物が同じ材質でできているということだ。色はすべて違うものの、キューブの形をした物体がこの町の、いや都市のすべての建築物を構成しているのだ。
都市の中央に、ひときわ高い建物が聳え立っている。
最上階に行けば都会のすべてを見渡せるほどの高いビル。
この建物はそう。言うなれば市役所や都庁のようなもの。この街をすべて管理するための建物だ。
そしてその最上階の一室。
巨大な会議場。この部屋ももちろんキューブ状の物体によって壁や机が製造されている。
会議には二十名を超える人間が出席していた。
彼らが集まった理由はただひとつ、大日輪皇國軍についてだ。大日輪皇國軍の勝利という情報を受け、文明の中でも高い地位にいる人間たちが話し合うために集まったのだ。
座っている魔人の一人が口を開く。
「やはり大日輪皇國軍は勝ちましたか……まあ当然と言えば当然ですが」
「たった五時間で三体の魔王を、いや四体の魔王を倒してしまうとは……我々の予想をはるかに上回る実力を秘めているようだな。奴ら」
「けれどもし敵対するのならば、私たちが予想した通り持久戦に持ち込んでゆっくりと倒すというのが一番よさそうですね」
細長い体をした女性のつぶやきに一人の少女が口をはさむ。
「おいおい、それはまるで私たちと大日輪皇國軍が戦争をするみたいじゃないか」
少女の容姿は実に美しい。黄金で結われた糸のように美しい髪、緑の目にきらきらとちりばめられた白い模様はまさに森に刺す木漏れ日のようだ。普通の人とは違うのはただひとつ。彼女の耳が伸びて、先がとんがっていること。妖精を思わせるその可憐な少女に会議場の視線が集中する。
「しかしねえ……オクタウィアーナ殿。朝の大都の一件で大日輪皇國軍との同盟を続けてよいかという疑問を持つ国民もいる。多少の対策を練っておいた方がいいと思うが?」
議員のひとりの言葉に少女は反論。
「私が言いたいのは、君たち評議会が大日輪皇國軍を敵視しようとしているところだ。彼らはこの世界とは違う。あの一件も彼らにとってはあちらの常識に則った故のことだろう。それを我々の価値で判断し、批判するということに苦言を呈しているのだよ。老人方」
オクタウィアーナの言葉に便乗するものも数人。
彼らが言い争っている間に、オクタウィアーナは報告書のうちの一枚を取り出し、見つめる。
(私と同じ勇者……晴宮正義か。いつかあってみたいものだ)
遠く離れた同僚に向け、少女は思いをはせる。まるで初恋のようなまなざしを向けて。
果たして、二人の勇者が出会う日は来るのだろうか。
***
次に、大日輪皇國軍領のはるか東方。
時間は大日輪皇國軍の戦争が終わった直後。
山を越え、平原を越え、そのまた先にある山を越えた先にある場所。
ここにも東南の方向にある文明ほどではないが、町ほどの文明が点在しており、魔人が生活していた。だがそこで不思議なのはなと魔人のほかに少数の軍服を着た人間がいることだ。それは大日輪皇國軍のような茶色がかった緑〜黄色味のある褐色系のカーキ色ではなく、黒い制帽、黒ジャケットに銀の階級章、襟にトーテンコップ髑髏章、左腕に赤地に鉤十字の腕章という圧倒的な威圧感を備えた軍服をきている軍人らはそこにいる魔人と契約を結んでいる。
どんな契約か? それは、『魔人を外敵から守る代わりに、この土地を使わせてもらう』というものだ。
約百年にも及ぶやり取りの末、魔人は異邦から来た人間を受け入れるに至る。
もちろん魔人のなかには彼らの存在を疎ましく思うものもいるが、それ以上に契約前のこの土地は四つの方向から攻めてくる勢力により危機的状況に陥っていた。
そう、異邦の者に守られるまで。
その土地の魔人はたびたびはるかかなたの景色を眺める。薄暗い雲と魔界では珍しい、農作物が育つほどの肥沃な大地の間、地平線というべき戦にある一筋の黒い線。
それがこの土地を外敵から守るために異邦の者が建設した、高さ六百メートルの巨大な壁。
漆黒の鋼鉄と赤い導線が張り巡らされた壁に備わった兵器、そして壁そのものが内部への侵入を防いでいる。
ではなぜこれほどに巨大な壁を築いたのか。それは防ぐ対象が…………
壁の上。厚さ150メートルはあるそこはレールが二本通っており、おそらく列車なりが物資を運んでいるのだろう。壁の中にも人が活動できるくらいの空間はあるのだから。
そんなところに、はるか下の敵を見下ろす軍人がいた。
腰まで伸びた長いブロンド色が風になびき、左右対称に近く、角ばりすぎずシャープな輪郭。顎がややしっかりしており、知性と決断力を感じさせる。無表情~微笑で止まったような冷たい美は氷の彫刻のようだ。スティールブルーの小さい瞳孔、やや鼻梁が長めで、美しいプロファイルからもそううかがえる。
彼女へひとりの部下が一枚の紙をもって突っ走る。
「リーゼレーゲン様ー! リーゼレーゲン様!」
リーゼレーゲン、とよばれた女性は部下のほうへ振り向く。
「大日輪皇國軍が! 三魔王軍を撃破したとのことです!」
部下の報告にリーゼレーゲンは顔色一つ変えることなく呟く。
「そもそも戦争が始まったこと自体知らんのだが?」
「あ、いえそれはすみません。戦争の開始をあなたに伝えに行こうとしたところに終了の報告が来まして。なにせ今日1時にドワーフが動き出したことで手いっぱいだったんです」
「……御託はいい。彼女は動いたか?」
「彼女? ああ元帥閣下ならば三体の魔王をものの15分で倒したそうですよ」
部下の報告にリーゼレーゲンは驚かない。むしろそれ以外の報告を聞けば驚くだろう。
「それにしてもすごいですね。大日輪皇國軍。三魔王軍を五時間で撃退してしまうとは……」
部下の純粋な感想にリーゼレーゲンが反応。
「それは……一日経っても眼下の巨人を殲滅しきれない我々鉄の帝国への皮肉か?」
彼女にとっては冗談として言った言葉だが、氷のように冷たい彼女の目線を当てられ、部下は恐怖する。
「ち、違いますよ。そんなわけないじゃないですかあ……」
目の前の女性を怒らせてはいけない人物と知っている部下はすぐにご機嫌取り。なぜなら彼女は自分よりも数段、いやプロイセンの中でトップともいうべき立場なのだから。降格なり罰なりを与えられてしまうのではないかと怖気づく。
部下に圧をかけたが、内心はそこまで怒っていない。むしろ冷たい表情がすこしほころぶ。それは面白いからではなく、元帥の、日御子の活躍に搔き立てられたからだ。
「まあよい。この巨人どもを倒すために私が派遣されたのだ。日御子はどれほど力を開放した?」
「さ、さあ。おそらく20%ほどと考えられます」
リーゼレーゲンの目下には彼女が立っている壁を必死に壊そうと、あるいは登ろうとしている裸の人間ども。それは六百メートルという巨大さで錯覚してしまうが、その人間は高さ十メートルを超えるようなまさに巨人なのだ。
その巨人が数百体、この壁に押し寄せてきている。
そんな脅威を彼女一人で対処できるのか?
是。
なぜなら彼女こそ、
一年で国の数が変わり、五年で世界地図が変わる動乱の世界の中、たった一人で国を存続させることを可能にする個、不変国家の絶対錨に選ばれた者のうちのひとり。
そして、
『巨人王』モーバチャの討伐。そして、西方より突如押し寄せた、ドワーフの戦闘兵器『原子炉搭載人造機兵』一万体を一晩で撃破したという戦績から、世界により『天候裁定機構』と命名されたもの。
「彼女が20%なら私は15%でこいつらを殲滅しよう」
リーゼレーゲンは呟き、命令するように請う。己の力の一端を開放するために。
「中央兵士管理統制局に申請。我、『天候裁定機構』三号機。『|執行者たる豪雨《デア・レーゲン・アルス・フォルシュトレッサー》』リーゼレーゲン。リントブルムへの接続許可を」
彼女の言葉とともにリーゼレーゲンの皮膚に赤い線が浮き出る。まるで導線のような、電気回路のような。
数秒集中したのち、突如叫ぶ。
「咆哮せよ!」
その言葉で部下の視界に眩しい光が入り、目を閉じてしまう。次の瞬間には体にサウナのような熱風が届き、まるでやけどを負いそうだ。
二十秒後。部下が目を開ければ、眼下の景色は草木も、もちろん巨人もまとめて消し飛んでいた。一面真っ黒だ。
唖然とする部下へ一仕事終えたリーゼレーゲンが振り返る。
「さて、帰ろうか」
***
最期に、大日輪皇國軍領のはるか北方。
元サンメゴ王国首都。
大日輪皇國軍と魔王軍の戦いはリアルタイムで映像としてこの首都に魔法で放送されている。
だから三魔王軍の完全敗北もこの首都で待機している魔王軍兵士、王国の民たちは知った。
としには静寂が訪れていた。だれも声を発しないし、誰も動かない。
かつての上司が、仲間が、友が、そして自分たちを支配していた魔王が一瞬にしてやられてしまった。逃げる者もいたが単独でこの都市まで戻る魔人はいないだろう。繁栄へと続くはずの旅は、もはや滅亡へひた走る運命に切り替わった。
これこそ、元帥が言っていた『絶望』であった。もうすぐこの国は亡ぶだろう。そしてその民たちは戦果から逃れようと周りの国に逃げる。そうすれば民は周囲の魔人に言う。
「我々は三魔王の国から逃げてきた。我々が使えていた魔王たちは一瞬でやられた。門番に」
と。
魔王の敗北は周囲の魔人に恐怖を抱かせる。そうすればしばらくは大日輪皇國軍に手を出すものはいなくなる。それこそが、大日輪皇國軍の真の作戦であった。
その中心にある巨大な城の内部、魔王サンメゴの謁見の間として使われた部屋。
ここにいる三人も、大日輪皇國軍の勝利を見ていた。
自分の上司である魔王はやられ、魔臣アキーラは意気消沈、目をつむり、魔王たちを偲ぶ。
生まれてから周囲の魔人は自分に敬服していた。今の今までずっと不自由なく暮らしてきた。そんな彼女に唯一従わなかったのが魔王たちであったのだ。自分の『権利』が効かず、初めてアキーラは誰かに支配された。
だからといって彼らを恨んでいたわけではない。そこでも『権利』を利用されたものの、故郷以上の暮らしは手に入れたし、たくさんの経験をした。けれどそこに不自由はなかったが自由もなかった。ずっとお飾りとして椅子に座らせる毎日。ストゥムと契約したのも、それが大きい。
そんな彼女の心にあったのは少しばかりの悲しみ。
もしかしたら自分は自分が思っていた以上に彼らのことを大切に思っていたのかもしれない。だが魔人は軽薄だ。悲しみには人が文字に起こしたくらいの薄い意味しかない。
結果を受け止め、ため息をつくアキーラへフードの人間、ストゥムが口を開く。
「さて、魔王は死んだ! お前らは負けた! お嬢さん。契約を果たすときですよ」
デリカシーのない発言だが、ストゥムにとっては魔王軍の結果はどうでもよい。彼女を手に入れることができればそれでよいのだ。
そのことを理解しているアキーラは彼に逆らうことなく席を立つ。
そのとき、窓から轟音が響いた。ストゥムとアキーラは音のほうを向く。ストゥムとは違う、もうひとりのフードの青年がベランダに出て下を見れば、城の門に大量の魔人が集まっていた。
「どういうことだ! 魔王様が負けたぞ!」
「我々が『碧空の楽園』へ行くというあの約束はどうなった!」
魔人はそう叫んでいる。それもそうだ。魔人が魔王に従っていたのは彼らが強いから。彼らに従っていれば決して負けることはないと信じていたからだ。
「……暴動か。どうする?」
少年のつぶやきに対し、ストゥムは笑ってベランダの柵に登って暴動を起こしている魔人を見下ろす。
「彼女の回収で終わろうと思ったが……不変国家の絶対錨の戦いを見て燻ぶっちまった。送迎はお前に任せる」
「……わかった」
そう返事をして少年は室内に戻る。
少年が呪文をつぶやいたあと、突然世界にヒビができた。まるで大日輪皇國軍の『門』のようだ。
アキーラが階段を降り、そのヒビへと向かう最中、ストゥムはいつのまにかもっていたランスを手にし、叫ぶ。これまでにないハイテンションで。
「今まさに、囚われの姫君に迫る暗き運命! 解き放たれた鳥籠を、再び閉じようと目論む不逞の輩どもよ。その暴虐、我が目には映じぬ! 哀しき乙女の解放を願い、天より舞い降りる一陣の風あり。そう——最強の五大職が一角…………
『大英雄』たるこの僕が、相手をしてやろう!」
大英雄は落下しながら呟く。とある言語を。
その言語は世界より発することを禁止されたもの。ひとりの罪人を英雄へ代えることを可能にし、ひとりの聖人を禁忌へと落としうる危険な代物。あまりの影響力に存在そのものが運命により抹消され、すべての世界でただひとり、彼のみが認識できる言葉。
「|頭を垂れぬものを罰せし大いなる黒き円《●●●●●●●●●●》」
***
落下した大英雄を見送った少年はアキーラをヒビに触れるよう指示。その先は自分たちの拠点があるのだから。
アキーラが拠点に行ったことを確認した少年ははるか南方を見つめる。
(乗っ取ろうとしたつもりが一瞬消されそうになった……次からは慎重にやらなくてはならないな)
少しだけしびれる右手を見つめながら、少年は反省する。口角を上げ、目をかっぴらいて。
(まあよい。この俺がいる限り貴様は戻ることはできないのだから。過去の貴様にな。そうだろう?)
風が室内に入り込む。乾燥した無機質な風が少年のフードを払い、彼の顔が見えた。
比較的整った顔つきと、ダークブラウンで全体的にラフな印象を与える髪型、まっすぐで優しさを感じさせる黒い瞳。左目のしたに傷はないが、彼はまさに…………
(晴宮正義)
第玖陸話を読んでくださりありがとうございます!
かつての軍の会議で朝の大都だとか、評議会と言っていましたが、それは現界ではなく魔界にあるものなんですね。
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