ネタミハゼル
「もう!大ちゃんしつこい!!」
1LDKのリビングに彼女の大きな声が響くのは何度目だろう。
「いい加減にしてよ!そんなに私が信用できないんだ?」
「違うって!そうじゃないんだよ千聖。」
「もういい。やめよ」
「待てって!」
先月の誕生日プレゼントであげた小さめのバッグ。スマホと財布以外に少しだけ小物が入るくらいの、容量最低限のバッグだけを持って出ていこうとする彼女、香月千聖の手を掴むが、すぐに振り払われてしまう。
「あたしは大ちゃんの所有物じゃないよ!!束縛ばっかでもう無理、ばいばい」
悲しさとドン引きを足して割ったような顔で振り返ってそう言うと、彼女は部屋を飛び出していってしまった。
「おい!千聖!!」
たった今フリー(仮)となった男、佐倉大希が賃貸アパートの玄関から叫ぶが、その声が走る彼女の背中に当たるか否かというタイミングで後ろ姿が通路の角を曲がったため完全に見えなくなる。
つい最近喧嘩して、仲直りまでとりつけた日の翌日の朝の出来事である。
おかげで、昨夜二人で話した今日のデートもおじゃんだ。
「はぁーーーーー、またやっちまった……今度こそマジで終わったわ」
2杯目のウイスキーロックをぐいっと強めに流し込み、突っ伏して項垂れる大紀をバーカウンター越しから呆れた顔で見下ろしつつ、サービスのミックスナッツを小皿で出しながら言葉を返すのは長身で細身の女性だ。
「いや何回目よ?営業前のバーに上がりこんで自棄酒キメんの。あたしゃタイムリープでもしてんのかい?」
「へへ、小夜姉ぇ嬉しいくせに」
「調子乘んじゃないわよ」
軽くあしらいながら咥えた煙草に火を着けるのはクリム・小夜・フェイリス。通称小夜姉ぇ。腰まで伸びた綺麗な赤毛をワイルドに纏めたポニーテールがやたら似合う、このバーのオーナーだ。
「…ふぅー。一本吸う?」
「いらね。それよりおかわりちょうだい」
「もう自分で注ぎな」
「お、さんきゅー!小夜姉ぇだいすき。あとナッツも少しちょうだい」
カウンターに投げるように出されたアイスペールとボトルに目を輝かせながら、早速至極の一杯を注ぐ大紀に、小夜が続ける。
「今度は何で怒らせたのよ」
「悪気はなかったんだよ。ただ、また俺の知らない男友達が増えててさ…」
「それこそ何回目よ。千聖ちゃんでしょ?誰とでも分け隔てなく接せて、スポーツ観戦が好きなカメラ女子。顔も良いし、男友達はたしかに多そうだけど、ちゃんと友情と恋は分けてると思うよ。あんたには勿体無いくらい良い子だったじゃないの」
「わかってるさ。わかってるけど…【彼氏】としては不安になるじゃん」
「もう【元】彼でしょ?」
「うるせぇわ。早くナッツくれ。アーモンド多めで」
「ったく、あんたって男は…。」
催促してすぐ出てきた小皿には、自分の好きなアーモンドだけが盛られていて、小夜姉ぇなりの優しさを感じた。有り難いと思いながらも、微妙に照れ臭くて、それを隠すように一粒つまんではウイスキーで流す。
氷の入ったグラスがもう一つ、カウンターに置かれる。小夜の分だ。自分へのおかわりついでにそちらにもウイスキーを注いでやる。営業前でBGMも流れていない店内の空気を、グラスを小さく打ち鳴らす音が揺らした。
「んで、何か収穫はあったのかい?」
「収穫?」
「シゴトでもないのに、わざわざ下手くそな恋愛ごっこまで演じてくっついてたんだし」
「恋愛ごっこ言うな!」
「ごっこだろ。少なくともあんたは」
「ちゃんと好きだったよ」
「あり得ないねぇ。だって心無いじゃん」
「あ~、それ禁句!」
また空になったグラスに幾度目かの酒を注ぐ。小夜姉も次の煙草に火を着けるところだ。
本題に戻ることにする。
「…香月千聖にも、雌標を見つけたよ」
「へぇ、箇所は?」
「うなじの左側」
「ぷっ、【彼氏】ならすぐ気付くところだろうに。あ、もう違うんだっけ」
茶化してくる小夜姉はキリがないのでここは流して話を続ける。
「前に見たときは無かったと思うんだけどな…」
「今回はやけに遅かったじゃないの。だいぶ前から気配感じてたから近付いてたんでしょ?」
「まぁそうなんだけどさ…」
「何にせよ、見付かったんならさっさと消さないとね。近いうちに連れてきな」
「どうやって?」
「【彼氏】だr…あ、もう違うか」
「しつけーよ」
こういう時、とことん弄り倒してくるのが小夜姉という女だ。そしてわりとアナログがお好き、というよりデジタルが好きじゃないらしい。現代社会で日々進歩しているITとやらが肌に合わないようで(大紀もどちらかといえば苦手だが)、レジも極力簡易型、この店の支払いは現金のみときている。ピロリン♪と鳴った初期設定の着信音とともにポケットから取り出したのも、今や伝説となりつつある折畳み式携帯電話。つまり『ガラケー』ときたもんだ。その返信が済んだと思えば、今度は電話が鳴る。しかし小夜姉は出ない。数回のコール音の後、何やら機械が動く音が小さくする。この店における唯一のハイテクと言ってもいいだろう。『FAX』だ。
「シゴトじゃないし、あたしはどっちでもいいけどさ。早くしないと千聖ちゃん危ないんじゃない?『気まずい』とか、それらしいこと言ってらんないよ」
「分かってるけどさ~」
「今日はどこに行く予定だったんだっけ?」
「四丁目のアールズ・ミスト」
「…ふぅん、最近できたショッピングモールね」
今届いたFAXを手に取って眺めながら、小夜姉は続ける。
「…もしかして、さっき言ってた新しい男友達ってのがビンゴだったりする?」
「まぁそんなとこ。PHASEも進んでない、雌標に惹き寄せられただけの低級だったけど。正直に話すわけにもいかないし、そいつに近付くなって適当に理由つけて言ったら怒らせたってわけ」
「その適当につけた理由ってのをあたしは詳しく聞きたいがね」
そう言ってグラスを口に運ぼうとしたの大希の前にFAX用紙が滑り混んでくる。
堅い文面、【依頼書】と書かれたタイトルを挟むように描かれている竜胆の紋章。
それが何なのかはすぐに解った。
「公安庁から緊急の依頼だよ」
「他のヤツにまわしてくれ」
「他じゃ手に負えないからあんたに回ってきたんでしょーが」
内容までちゃんと見ずにさっと奪うとカウンターの横に置いて、改めてウイスキーをもう一杯口に含む。
「今日は気分じゃねぇ。高い給料貰ってる公務員様一行(F.O.D)でどうにかしやがれ」
「いいのかい?モブに任せても。あんたにタイムリーな依頼だと思うけど?」
小夜姉はグラスに残った酒をグイっと飲み干した後で、新たに火を着けた煙草を浅めに吸うと、大希が横に追いやった依頼書を顎で促してくる。仕方ないので紙を手に取って眺めると、見覚えのある人物の写真が添付されていた。確かにタイムリーだ。
「」
「まったく。あんたが行かないと、また死人が出るよ」
「一度守っても無意味だろ。災華に魅入られる」