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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

18歳のとき、私は追放した。追い出した弟の行く末を私は知らない。

 18歳のとき、私は追放した。

 追い出した弟の行く末を私は知らない。


 冬の寒さが和らぎ、春の芽吹きを感じ始めた──そんな時期、ある日の夜。



「……そろそろ頃合いだと思うんだ」



 共に食卓を囲む私と父に向かって一言。

 弟はそう切り出した。


 何気ないその一言で全て分かってしまう。

 私達は前々から覚悟をしていたからだ。


 私も、父も、そして弟も。

 家族3人、全員が分かってしまうそれは。


 この家族の終わりを告げる一言だった。



「──お、お父さん……!」


 動揺した私は思わず父の様子を伺った。

 父は固まり、俯いていた。


「……そうであるな」


 ちぎって食べかけのパンを皿に置いた父は、ぽつりと謝罪の言葉をつぶやいた。


「……本当に済まない」


「何度も言っているだろ?

 感謝してるって。仕方ないことだって」


 そこで弟は私に顔を向けた。

 しばらく眺めて、今度は自身の身体へと視線を戻す。

 見比べているのだ。

 姉である私の、幼い少女のような外見と。

 成長した自身の、青年といえる外見を。


「──成長しちまったもんは仕方ないんだって。結局のところ俺はエルフにはなれずに人間のままだった。

 そういうことだろう?」


 力無く笑っておどける弟から目を逸らした。

 あきらかに無理のあるその仕草と表情を、私は見ていられなかった。



「……なんで? なんで?

 なんで、なんだろね?

 聖樹様に願ったのに……、ちゃんと聖樹様は応えてくれた、叶えてくれたはずなのにっ……!」


「……それも何年も前から言っているだろ?

 願い方が悪かったのかも知れないってさ」



 幼い頃、私達は聖樹様の奇跡を体験した。

 それは願い事の成就。


 エルフの姉と人間の弟、私達はずっと一緒にいられない。

 エルフと人間という種族、それ自体が一緒に生きてゆけない宿命を宿しているのだ。


 まずエルフと人間はいがみ合っている。


 人間は常々エルフを捕らえようとしてきた。昔から見目の優れるエルフに商品価値を見いだしていたのだ。要するに奴隷価値である。

 対して数に劣るエルフは森に隠れて結界を張り、人間の脅威を遠ざけてきた。

 二つの種族の間には、そういう歴史がある。


 そしてエルフと人間は寿命が違う。


 人間は早ければ50年も経たずに寿命を迎えてしまう。なにより急激に老いていく。

 エルフならばその10倍の500年、場合によっては更に倍の1,000年を超えて生きる。緩やかに青年期まで成長した後は老いもせず。



 幼い私達にとってその歴史や事実は、とてもとても暗いものだった。



 だから願った。一緒にいたい、生きたいと。



 そして【声】を聞いた。

 聖樹から、頭に心に、【声】を聞いた。



 『──同じだけの月日を生きられるようにした』



 そんな【声】が、私達の中に確かに響いたのだ。



「エルフになりたい、ってより一緒に生きたいって願っちゃったと思うんだよね、俺。

 だから寿命だけなら延びてるのかもしれない。人間のまま、爺さんになってもエルフと同じだけ生きるのかもね?」



 奇跡の後。

 幼い私は『弟はエルフになった』と思い、泣いて喜んだ。

 一緒だ。これで、これからも。

 弟も泣いて喜んだ。


 しかし1年、2年と時を経て思い知る。

 成長が止まらない。弟の成長が止まらない。



「やだ……、嫌だよ……。

 一緒に居るって、一緒に生きてくって、そういうお願いだったのに、これじゃあ……!

 何ひとつ、叶っていないじゃないっ……!」


「俺だって、そりゃあ……。

 一緒に暮らしたいよ。親父と、リリ姉と」


 そこで弟は視線を宙に投げた。

 そのまま天井を、壁を、ドアを、棚を。

 しばしの間、部屋の全てを惜しむように見回した。


「でも──、駄目なんだ。

 人間のままだから俺は歳をとる。耳無しになっていたって、成長は、老いは隠せない」


「だけど此処なら! この家の中に居れば!

 村の人達だってほとんど来ないし、今まで通りに病気だってことにして……!」


「そうやって……ここ6、7年は姿を出さずにやり過ごしてきた訳だけど、もう無理だって。

 いずれは村のエルフ達にも俺が人間ってバレる。そのとき一番迷惑を掛けるのは、家族なんだ。俺は嫌なんだよ、それが一番嫌だ。

 だから、一緒になんて居られない。──そうだろ、親父?」


「……ああ、その通りだ。

 エルフの里に人間は居られない。お前の正体が知れ渡ったとき、ワシらはお前を処さねばならん。故に──」




「里の掟に従い、お前を──追放する」





 ◇





 4歳のとき、私は気付いた。

 私の父は変わり者である。



「ご苦労。今回は少し遅かったな」


「申し訳ありやせん、ガガの旦那。

 先日、村の近くに(ウルフ)が出やして」


「そうなんです。

 幸いに群れの頭を早めに狩れたので、大事に至りませんでしたが」


「……ふん、まぁ良い。いつも通り並べてくれ」



 幼いながら、私は察した。

 村の大人達は私の父を避けている。

 一見すれば普通の会話のやり取りだ。

 でも分かる。避けている。


 大人達は、それを顔に出したり口に出したり──そういう分かり易い態度はしない。

 むしろ丁寧だ。

 大人達の父に対する態度は腫れ物に触るかのように丁寧で、まるで父に怯えているかのように丁寧だった。



「──この袋に傷薬と薬草。それと最後に30本入りの矢筒が5つ、でやんす」


「今回の配給品は以上になります。

 なにか不足品の要望あれば次回お持ちしますが……」


「いや、特に無い。

 ……酒が足りんと言っても、どうせ増やさんのだろう?」



 対する父の態度ときたら不遜だ。

 まるで気にしない、さも当然と言わんばかりに何も変わらない。いつも通りなのだ。


 子供の私にですら見えてしまう、両者の間の壁一枚。


 だから私は気付いた。

 私の父は変わり者である、と。



「──ほら、リリ。

 お母さんと一緒に、おじさん達にご挨拶するよ? なんて言うんだっけ?」


「……あ、えと、えっと。

 遠いところ、いつも……ありがと、ざいます。気をつけて、お帰り、くだませ?」


 

 そもそもとして両者の交流が少ない。

 私の家は村からだいぶ離れたところに、ぽつんと建っていた。あきらかに不便である。


 やはり避けられていると思うのだが母曰く、父の仕事のためには此処に住むしかないそうだ。



「……ふん。毎度毎度ながらそそくさと帰るものだ。

 それに(ウルフ)ごときに手を焼いて遅れるなど情けない奴らめ」


「あなた。止めてくださいよ、リリの前で。

 今晩もお酒抜きにしますよ?」


「──なっ!

 三日も前から我慢して、ようやくの配給であるというのに!」


「なら素直に感謝しなさい、まったく。

 あなたはいつもいつも、そうやってすぐに悪態をつくから村の人達に──」


「あぁ、分かった、分かった! ワシが悪かった!」



 そんな父の仕事はというと、家の裏手に鎮座する石碑と聖樹様の管理。


 私達エルフは森に隠れて、人間達から隠れ潜んで生きている。

 そうやって隠れ潜むためには結界が要る。目くらまし、迷いの結界だ。

 その結界の核となるのが、この石碑と聖樹様なのだと言う。


 なるほど、それは凄い。

 父はそんなに重要な仕事を任されているのか。

 私は父が誇らしくなった。



「しかし、しかしだ!

 奴らの頼みでワシは仕事を引き受けたのだ。報酬である配給の遅延は奴らの怠慢であろう?

 そもそもワシが村に()れば(ウルフ)なぞ!」



 そして父が何故、こんな大役を任されているのかというと本人曰く「村一番の戦士だから」だそうだ。


 なるほど、それは凄い。

 私は更に父が誇らしくなった。



 ──あれ? 村一番の戦士が、村から遠く?

 お父さんは結界だけ守れば良いのかな?


 結界が役に立たない時こそ、村一番の戦士の出番なんじゃない?

 だって人間以外の獣は入ってくるし。

 さっきも村に(ウルフ)が出て、なんか大変だったみたいだし。


 ──あれ? じゃあ、なんでこんな遠く?

 いざというとき、駆けつけられないぐらい、なんで、こんな、不便な──?



「──だからワシは村の奴らが好かんのだっ!」



 厄介払い。

 幼かった私はそんな概念に辿り着けず、もやもやとした。


 少しだけ父のことが誇らしくない。

 そんな気がした。





 ◇





 5歳のとき、私は驚愕した。

 やはり私の父は変わり者である。


 子供を拾ってきたのだ。

 それもただの子供ではない。



「結界の中で迷ったのか行き倒れておった。

 この歳の人間が一人、森の奥深くまで来れる訳がない。おそらく捨てられたのだろう」



 なんと人間の子供だ。

 子供は男の子で、見るからに衰弱していた。



「──育てるって、あなた正気なの!?

 人間の子供なのよ!?」



 父は子供の看病をする、と言い出した。

 そして家で育てる、今日から私の弟だ、と。


 意識もないほど弱っているのだろうか?


 激しい両親の言い争いの中で、その子供はぴくりとも動かなかった。



「いずれは追放することになろう。だが今、里の外に追い出しても森を抜けられん。

 育てるのは自力で生きれるようになるまでだ。それまでワシが面倒を見ると決めた!」


「そんな勝手なこと……!

 もし人間を匿ったなんて知れたら──」


「──ならば、まずはこうだ」



 何を思ってか、そこでナイフを取り出す。

 そのまま困惑する母と私を他所に、眠る子供の耳を削ぎ落とした。


 ひとつ、ふたつ。


 見慣れない、丸い耳。

 目の前に、ころりと転がった。


 血が滴る。



「これで良い。耳さえ無ければしばらくエルフと変わりない」


「──だからって、あなた!

 リリの前でなんてことを……!」


「……そうだな、お前は名は『ミミ』だ。

 無くした耳の代わりに、ワシがミミの名を贈ろう!」



 私は、より困惑した。

 やはり私の父は変わり者である。





 ◇





 6歳のとき、私は【声】を聞いた。

 それは確かに聖樹様の【声】だった。



『エルフの子よ、人の子よ。

 お前達が同じだけの月日を生きられるようにした。

 ──望むように共に在れば良い』



 私達だけじゃない。

 父も母も、私達の家族全員が聞いていた。


 父も母も揃って奇跡だと言った。そして聖樹様へと感謝を捧げた。


 だから私は願いが叶ったと思った。

 そして弟はエルフになったと思い込んだ。



 弟がエルフとして、私達の家族として。

 聖樹様がそれを認めてくれたとばかり──。





 ◇





 7歳のとき、私は号泣した。

 それは遺体を前に最後の挨拶をするとき。


 大好きな大好きな母とのお別れだった。



 始めはただの流行り病だと教えられた。

 しかしひと月、ふた月。

 結局最後のときまで、母が病の床から起き上がることはなかった。



「冬を越せなんだか……。

 散々とワシに自分勝手だと言っていたお前の方が勝手に居なくなりおって……!」



 私は泣いた。号泣した。

 そのとなりで弟も泣いていた。


 母は偉大な人だった、と今も思う。


 いきなり連れて来られた弟を受け入れて、しっかり母になっていたのだ。

 泣き叫ぶ弟の姿が、それを証明していた。



「聖樹様……! どうして……?

 どうして、母さまは、助けてくれなかったの……?」



 病に倒れた母のこと、日に日に弱っていく母のこと。

 私と弟は毎日お願いしていた。


 だが、聖樹様は応えない。


 あの日の【声】は夢か幻か、人生一度きりの奇跡だったのか。

 母が生前のお願いにも、没後にした問い掛けにも、聖樹様は応えなかった。



 もの言わぬ聖樹様。

 それでも最後に『母の冥福だけは』と念押しして、私は家へと帰った。


 母の万年床が片され、ぽっかりとしていた。


 私の気持ちもぽっかりと抜け、夕食の味も分からなかった。

 とりあえずその日から弟の布団に潜り込んで眠ることにした。





 ◇





 9歳のとき、私は緊張した。

 初めて感じる感覚、初恋である。


 母を亡くしてから2年。

 時折、急に気持ちが沈み込む日があった。

 そんなときにも優しく寄り添ってくれた弟のことを考えていたら、急に気持ちがフワフワと揺れだした。


 弟の顔を真っ直ぐに見れない。

 日常生活に困る。

 初めて感じる感覚は、しばらく馴染まなかった。



「……ん? リリ姉?」


「なんでもない! なんでもないの!」


「んん? リリ姉、元気ないの?

 じゃあ代わったげる。

 今日の養鶏(とり)小屋の世話は僕がやるよ!」


「え、ミミ? だ、大丈夫よ。

 お姉ちゃんは別に──」


「──うわっ、うわわ!」


「ちょっとミミ!? 大丈夫!?」


「……いだぁい、ひざ、いだぁぁい」


「血は……、良かった。出てないね。

 慌てて駆け出すから転ぶのよ、昨夜の雨でぬかるんでるのに」


「……うえぇぇ、リリ姉ぇ~……。

 どろどろ、どろどろなったぁ~……」


「あ~っと、もう!

 しょうがないなぁ!

 ほら! すぐ洗ったげるから脱ぎなさい!」


「リリ姉ぇ、ボタン取れな、ぬ、脱げないぃ~」


「まったく、もう!

 本当にミミってば私がいないと駄目なんだから!」



 だが、すぐ慣れた。

 むしろ慣れさせられた。



「リリ姉」、「リリ姉ぇ」、「リリ姉~」、

「リリ姉?」、「リリ姉ぇええ!」……


 なにしろ弟は私に()()()()なのである。



 近所に隣家など無い。

 当然に同い年の遊び相手など、私も弟もお互いにお互いしか居ない。


 どうせ一生一緒にいるのだ。


 そう開き直れたとき、私は弟に対する好意をすんなりと受け入れた。



「……もう、しょうがないなぁ!

 お姉ちゃんに、まっかせなさぁいっ!」



 あの頃の私にとって、弟と過ごす世界が私の全てだった。





 ◇





 10歳のとき、私は約束した。

 私は将来、弟のお嫁さんになることにしたのだ。


 べつに自発的にお嫁さんなんて夢が定まった訳ではない。


 その、ほら?

 お願いされたから?


 お願いされたから、仕方なく……みたいな?



「──ほら、リリ姉。

 準備できたからこっち来て?」


「う、うん……」



 母は何故、弟にシロツメクサの冠の作り方なんて教えたんだろう?



「病めるときも、健やかなるときも──」



 更には応用して指輪の編み方、ましてや一字一句の宣誓の言葉など──。



「──愛することを誓いますか?」


「は、はいっ。ち、誓います……」


「よろしい!

 じゃあリリ姉、左手出して?」


「え? こ、こう?」


「はい、コレ。誓いの指輪。

 頭の冠とお揃だよ」


「う、うん……」


「やったー!

 これでリリ姉は、(ぼ~く)の!」



 無邪気に私を抱き締める両手に、張り詰めていた緊張が緩む。


 さっきまで私は不安だった。

 弟がなんだか大人びた雰囲気を出していたから。


 そんな不安は目の前にある子供のままの笑顔でかき消された。



「じゃあ、誓いのチューね」


「え? ちょ、ちょっと、ミミ……!

 それは──、ムギュ!?」



 あれ? 大きい……?

 男の子だからかな……?



 ファーストキスの印象は、弟の背の高さに対する違和感。

 さっき無くなったはずの不安が少し湧き出す。


 このときの私には、この違和感の答えを出すことが出来なかった。





 ◇





 11歳のとき、私は絶望した。

 不安は確信と変わったのである。


 あきらかに。

 あきらかに弟が成長している。


 やはり弟は、エルフではなく、人間のまま──!



 私は聖樹様に問い掛けた。


 何故? どうして?

 一緒に、一生一緒に、私と弟は生きていけるはずでしょう?


 聖樹は応えない。


 あの日以降──私達が聖樹様の声を聞くことは、ついぞ無かった。



 弟の見た目は、既にエルフの4~50歳相当まで成長していた。


 とはいえ、まだまだ少年の域。

 今のままなら個体差、少し背が高いだけ。

 村人達からはその程度の奇異の目で済んでいる。


 しかし、この先は誤魔化しきれない。


 この年から『弟は病気である』として、家の外に出さないようになった。





 ◇





 18歳の春、私はサヨナラした。



「ここまでで良いよ。

 わざわざ見送りありがとな、リリ姉」


「お礼なんて……、いらない……」


「そんな顔すんなよ、リリ姉。

 約束が違うだろ、約束が!

 笑ってサヨナラ。

 それが出来るっていうから見送りの許可出したんですけど、俺は?」


「……無理」


「いや、即答するなし!」



 不意に弟は私を抱き寄せた。

 抵抗はしない。無意味だからだ。


 身長差がある。男女の差がある。

 大人と子供というほどの力の差がある。

 そしてなにより慣れがある。


 いつものこと、いつものこと。

 今更抵抗することの方が馬鹿馬鹿しい。


 これが最後のいつものこと。

 尚更抵抗することの方が馬鹿馬鹿しい。



「最後だから言うわ、全部言う。

 ──大好きだよリリ姉、昔からずっと」


「……知ってる」


「俺はさ、物心ついたときからリリ姉しか知らないからさ。

 ずっと、昔からずっとリリ姉が中心だったんだよ。何をするにも、リリ姉ならって。

 リリ姉が好きかどうか、リリ姉ならどう思うか、リリ姉ならどうするのか、ってふうに」


「……病気だよ」


「まぁそうだね、たしかに。

 要するに基準だったんだよ、リリ姉は俺にとって、物事全ての。

 だから、ずっとリリ姉が欲しかった。

 俺だけのものにしたくて堪らなかった」


「……まぁ、それも知ってる」


「だけど夢から覚めた。

 今日という日が近づく度に、段々と夢から覚めていった」


「……そう」


「俺は結局、リリ姉のこと何一つと手にする権利なんてなかった。

 同じ時を刻めても同じ場所に居れないんじゃ、手に入れた宝物を守ることも愛でることも出来やしない」


「……」


「だから俺は今日持っていけるもの、頭と心だけにリリ姉を焼き付けて、他は全部まるっと置いてく覚悟を決めたのさ」


「……」


「もう、リリ姉を縛る俺は消えるから。

 もう、リリ姉は自由だから」


「……そんな、勝手な……!」


「リリ姉は、幸せになってよ。

 ──ね? チューして良い?」


「……何それ。前後の文章おかしくない?

 てか、いつもは訊かずにするくせに」


「最後だから訊いたんだよ」



 最後は優しい口吻だった。


 今、思い出してみても、擦れて消えていくような、そんな優しい口吻だった。





「じゃあ俺行くよ。

 リリ姉、サヨナラ!」


「うん……ミミ、元気でね。

 ──サヨナラ……!」



 弟は最後、満面の笑顔で去った。


 私を縛るものは、もう無いと言って。

 私のこれからは、自由だと言って。



 いったい何を言っているのだろうか?



 あんな笑顔を、最後の最後に残されたら。


 はたして、いつまで残り続けると。

 はたして、いつまで縛り続けるのかと。



 せいぜい人の世で叩きに叩かれ、思い知れば良い。


 如何に自分が『台詞だけでなく、最後の詰めまで甘々の、とんだ甘ちゃん』だったのかってことを。


 あんな馬鹿は、それを、そんな考えを、そんな薄っぺらで、明け透けで、どうしようもない企図を思い描く心根ごと、せいぜい、とにかく!

 ……とびきり、思い知れば良いんだ。





「……ただいま」


「……ああ」


「身体に気を遣え、って。ミミが」


「……ああ」


「分かってる?

 お酒、お酒、お酒だよ?」


「…………あ、……ああ」


「お父さん? 本当に分かってる?

 ミミは! お酒を! 止めろって!」



「…………ひ、控える、ようにする」



「……………チッ!」



 父に八つ当たりしたところで何一つも収まらない。

 それが判ったので、その日は眠ることにした。


 なるほど。

 これなら会えるのか。

 運次第だが会えるのか。



 その日から私はよく眠るようになった。





 ◇





 18歳のとき、私は追放した。

 追い出した弟の行く末を私は知らない。





 ◇





 50歳のとき、私は回想した。

 まだまだ見た目は少女の域を抜け出せない。

 そんな私だが、人生の節目の歳にふと。


 二度と会えない彼を思い出していた。



 弟も……もう50近いのよね。

 やっぱり老けたのかな?

 でも人間の50歳ってどんな感じなんだろう?



 何せ見たことがない。

 エルフの成長は青年期で終わるのである。


 話に聞く人間の老人の特徴とやらを彼に、在りし日の彼に、あの最後の笑顔に当て嵌め──、止めた。


 駄目だコレ。思い出が汚れる。



 ──でも。

 彼はそんな見た目で、この先、数百年……。

 今思えば、なんて幼稚で残酷な願いだろうか。人間の彼に、老いた身体で。

 私達が同じだけの月日を生きられるよう──なんて……、ん?



 願いを思い返して、ふと。

 疑問が過ぎる。



 ──何故。私達は数百年の寿命だと。

 願いで生きられるのは、当然に『エルフの寿命の長さ』だと。

 そう、何故そんな風に思い込んでいたのだろう?


 【同じだけの月日を生きられる】


 この願いは『人間の寿命の長さ』でも当て嵌まる。

 つまり、人間の寿命50年程度で、天寿を迎えても、同じだけの月日を、生きられて、いる。


 私の寿命ではなく彼の寿命の長さに等しく合わされた可能性──何故、この可能性に気づけなかったのだろう?



 理解が及ぶと、同時。

 悪寒が走り、冷や汗が流れ、鳥肌が立った。



 ──死ぬ? 死ぬかも、しれない?

 エルフの私が、人間の寿命と、同じになって?

 それこそ、明日でも、今日でも、今この時にでも?



 確かめる術など無かった。

 それはそうだ。

 誰しも自分の寿命を推し測る術など、知り得ない。


 私は無性に会いたくなった。

 頭では理解している。会う術など無い。


 それでも、彼に。

 彼に、もう一度、彼に。


 震える心ごと全部。

 私を全部、抱き締めて欲しくなったのだ。





 ◇





 50歳から、私は懇願した。

 幼き日の願いに応えてくれた聖樹様。

 あの日以降は全く応えてくれない聖樹様。


 縋るしかない。

 再びお願いを、どうか、どうか。


 発作のように襲い来る悪寒、死の恐怖。


 そんな恐怖の原因を作ったのは、今も懇願し続けている聖樹様だと解っている。

 それでも。


 ……もし、私が人間と同じ寿命なのだとしたら。

 ……もし、私が明日にも散りゆく命なのだとしたら。


 私の聖樹様への懇願は100歳まで続いた。



「巫女様、今日もお役目ご苦労様。

 今回の配給は豪華だよ。

 なんたって巫女様の成人祝いも含まれてるからね」


「──トトさん、巫女呼びは止めて。

 私はそんな大層なものじゃないから」


「おっと、悪い悪い。悪気は無いんだ」


「どうだか……。

 そもそも『その呼び名』を広めたのがトトさんでしょうに」


「だからもう、ゴメンって。

 違うんだって、俺はお祝いを言いに来たの。

 ──リリちゃん。100歳の誕生日、おめでとう」



 ようやく100歳を迎えたとき、私は安堵した。

 100年、それはこの世界の人間寿命には超えられぬ時間の壁である。


 数年前から『おそらくは大丈夫だろう』、『人間の寿命である可能性なんて杞憂だろう』と思えていた。


 ただわずかに、しこりのように残り続けていた不安。

 それが100歳を区切りに、すっきりと消えた。


 ──ならば彼も。

 今この時を、同じ空の下で、生き続けているのだろう。


 そう自然と信じることが出来た。

 私は心から安堵した。



「そう邪険にしないでよ、リリちゃん。

 俺達だって、もう30年来の仲だろう?

 俺が親父の代わりに配給配達の仕事を引き受けて以来なんだからさ」



 聖樹へと日々熱心に懇願し続けた私の(さま)は、たまに訪れる村人達の目に留まっていた。

 初めこそ鬼気迫る懇願を奇異の目で眺めていた彼らだったが、それももう50年。


 いつからか私は村人達から【聖樹の巫女】と認められ、聖樹への懇願は【祈祷】と呼ばれていた。


 死の恐怖から始めたそれは、今や意味合いをも変化させていた──いや、もしかすると初めから何も変わっていないかもしれない。



 そうだ。私の祈りはただ一つ。


 ──会いたい。ただ、もう一度でも。

 彼に、会いたい。



 私は自分の懇願の本質を自覚した。



「『巫女呼び』も『祈祷扱い』も心外だけど!

 まぁ……お祝いに対してお礼は言うわ。

 ──トトさん、ありがと」


「どう致しまして、リリちゃん。

 あ、そうそう。今回の配給の中にさ、俺からの誕生日プレゼント入ってるから。

 探してみてね?」


「……お仕事ご苦労様でした。

 道中、お気を付けてお帰りくださりまし」


「あれ? リリちゃん? あれ、あれ?」


「それではトトさん、ご機嫌よう」


「……リぃリぃちゃぁああんっ!?」



 祈りを捧げる行為は、すでに私の中に習慣となり根付いていた。

 外目は変わらず【聖樹の巫女】として【祈祷】を捧げる日々。

 

 私の聖樹様への懇願は100歳からも続いた。





 ◇





 109歳のとき、私は覚悟した。

 我が家の周りを(ウルフ)の群れに取り囲まれたのだ。



(ウルフ)の群れがこんな昼間からだと……?

 なんだというのだ、いきなりに!

 リリ! お前はあいつの弓を持ってこい!」


「……お母さんの?

 ゴメン、今どこにしまってあるの?」


「あ、あ~……、今はワシの部屋に、ある!

 母親の弓なら女のお前でも引けるだろう!」



 群れの数は7、8、9……。


 それ以上数えようと無駄だった。

 その半分の(ウルフ)だろうと正面切って対峙すれば、私一人を餌にするのは簡単なことだからだ。


 だからこそ策が要る。

 非力な私には策が要る。



「──リリ! お前は上に登って弓を引け!

 ワシはここで喰い破ってきたヤツらを相手する!」



 必死だった。

 梁を伝い、天窓から屋根に出て、私は必死に弓を引いた。

 私の弓の腕など手習い程度。

 しかし今の私には地の利がある。


 力弱い一射でも上から打ち下ろせば刺さる。

 矢をつがえるのが遅かろうと、高さに守られ次の一射まで余裕がある。


 やれる、やれる!

 私でも戦えるんだ!



「リリ、予備の矢筒だ! ここ置くぞ!

 弓どうだ? 問題ないか!?」


「大丈夫、私の腕以外は問題ない!」


「……それが一番、問題であろうが!」


「お母さん、喜んでると思うよコレ。

 大事に手入れされてて」


「……親をからかうんじゃあない、全く!

 ワシは持ち場に下がる! 気をつけろ!」


「ふふ、良かったねお母さん。

 気分良くなってたら私にも力を貸して欲しいな。

 ──ね? お母さん……、ミミ……!」



 不利を悟ったのか、襲撃が止んだ。

 父曰く、一時的なもの、合間だそうだ。


 執拗な獣はそう簡単に獲物をあきらめない。

 そういうものらしい。



 ──もし今、私が喰われたら、どうなる?



 『──同じ月日を生きられるようにした』



 それは以前にも考えたことはある。

 この願い、片方だけ寿命以外で死んだ場合はどうなるのか、と。


 答えは単純、分からない。

 試す方法も推し測る方法もない。

 どうなるのか、分からない。


 だから私は死ねない。

 万が一があるかもしれない。

 

 彼が、彼が死ぬかもしれない。

 この場合、私のせいで。


 私のせいで彼が死ぬかもしれない。



 私は覚悟した。


 絶対死なない、生き延びる!

 例え四肢を全て失ってでも、私は……!



「──ぐああああああっ!!」


「──ッ!? お、お父さん!?」



 合間と思っての油断、決意とは名ばかりの思考の流れに浸ってしまっていた。


 突然に下から父の悲鳴。

 思わず息を呑む。


 悲鳴の前後で途端に激しくなった戦闘音は、今もなお収まらない。


 父が手傷を負った?

 手負いのままに抵抗している?


 私は急いで天窓に近づき、中の様子を窺った。



「──お父さん!? お父さん!?」



 天窓から見える範囲の室内には動き回る複数の(ウルフ)と赤。

 それが見えた。


 赤、赤、赤。真っ赤だ。



「お父さん!? 無事!?

 返事! 返事してよ!!」



 私の必死の呼びかけに応える声は、ついぞ無い。

 しかし、戦っている。

 きっと父は今、戦っている。


 なぜなら依然として(ウルフ)達は激しく跳び回っているし、戦闘音も収まっていないのだ。


 ──天窓からは死角になる、奥の部屋で戦ってくれているのか!


 奥の部屋からは家具の配置上、容易に梁に上がれる。私も実際、そこから上がって天窓に出た。

 私のところに(ウルフ)が登らないように父は今、決死の覚悟で戦って──、ん?


 そのとき、ふと眼下の赤の中に見慣れたものがある気がした。



 手……? あれは、人の……手?

 そして、その、つながった先に……?



「──は? え? ……う、嘘?

 あ、あれって……?」



 既に赤の中に全体像を輪郭で捉えていた。


 しかし拒絶する。

 脳が勝手に目の前の事態をぼやかして、それの理解を拒絶する。


 私は半ば放心のまま天窓から顔を逸らし、屋根の上にへたり込んだ。


 辺りには、いまだに室内からの戦闘音が響き渡っている。


 いったい何と何とが戦っている音なのか。

 いや、それは父だろう。

 それはそうだ、他にない。


 同じ群れにあって野生の獣同士が狩りの最中に同士討ち?

 そんな理に適わぬことは起こるまい。

 故に今、戦っているのは父。

 それはそうだ、間違いない。


 ならば先程の惨状は見間違いだろう。

 だって今、戦っているのは父。

 そうだそうだ、間違いない。



 そして。


 しばらくすると静かになった。

 跳ねる音も叩く音も、獣が肉を食む音もない。



「……もし大丈夫そうなら、村に走って、自警団の人達かトトさんに、いえ、まず村長(むらおさ)の家が先で、人手と台車と薬と……」



 確認をしなければならない。

 放っておいたら夜になる。


 もし残党が居たり、血の匂いに誘われて新手が来たり。

 このままに、放ったままには出来ない。


 なにより父の手当て……、と家の片付けをするためにも夜になる前に村に行き、人手を求めなくてはならない。


 音がないことを念入りに身体に理解させてから、意を決して屋根から飛び降りた。


 着地してすぐ、弓を片手に矢をつがえる。


 最初に天窓の下の部屋を、あの真っ赤な部屋を確認する勇気だけは、どう絞っても出なかった。

 だからまずは先程死角だった奥の部屋から。

 裏手に回り、勝手口から奥の部屋の様子を見る。


 覗き込んだ先、そこにはひっくり返った椅子や棚が散乱していた。

 そして複数の、(ウルフ)……の死体?


 見回せばあちらにもこちらにも。

 いずれもぴくりともしない。


 全部死んでいるのだろうか?



 弓の張りを保ちながら中へ入る。

 静かだった。


 だから聞こえたのだろう。

 それほどに微かな呼吸音を捉えた。



 音の先に目をやると、風前の灯火、今にも事切れそうな(ウルフ)が横たわっていた。


 倒れた椅子の脚の上に身体ごとのしかかり、無数の傷からか、地面との間に血溜まりが出来ている。



「──その椅子はッ!

 ミミが私に作ってくれた椅子なのよ!

 獣の血で、よくも……!」



 一射。

 思わず放っていた。



 至近距離で放たれた矢は、過剰な勢いのままに目の前の(ウルフ)の命を散らした。


 頭はついカッとなってしまったが、身体は冷静なようで、すぐに次の矢に手を伸ばし弓へとつがえる。


 そんな無意識の動作に気付き、吊られて警戒心を他に移したその時。


 足下から光が溢れた。



「──なッ!?」



 光は先程散らした(ウルフ)から。

 獣の死体の全体から光を放っている。


 それはやがて眩く無数の光の粒になった。



 ふよふよと。



 しばらく空間を漂った無数の光の粒は、少しづつ少しづつ虚空へ溶けた。


 光が虚空へ消えた後に先程の獣の死体は何処にもなく、しかし血溜まりだけがあった。



「き、消えた?

 いったい、どういう、こと……?」



 あの一匹が何か特別だったのだろうか?


 他の(ウルフ)の死骸は消えずに残っていた。

 散乱した家具も、引き裂かれた布も、割られて粉々の食器も消えずに残っていた。

 壁に刻まれた爪跡も、ところ構わずの血の跡も、そして──。


 血溜まりに臥す、父の亡骸も、その事実も。


 消えてはくれなかった。





「……リリちゃん、本当に改修だけで良いのかい?

 ここからもうちょっとでも村に近いところに移り住んだって──」


「トトさん、私は大丈夫ですよ。

 ここを退くと水源に不安がありますし」


「いや、だけどさ──」


「思い出が。

 思い出があるんです」



 私は森にぽつんと佇む慣れ親しんだ我が家で独り暮らしを始めた。



 父が大切に手入れを続けた母の弓。

 この弓に恥じぬように成らねば。



 独り暮らしを始めたその日から、弓の修練は私の日課となった。





 ◇





 118歳の春、私は婚約した。

 その婚約とは村長(むらおさ)の差配による、私個人の要望など何一つない出来事だった。


 父を亡くし、村の外れに若い女が独り住まい。

 石碑と聖樹の管理を任せ、その名目による食料支給により日々の生活に心配はない。

 だが、いざ怪我や病気になればすぐに対応するのが難しい。

 ましてまた、(ウルフ)の襲撃でもあろうものなら……!


 そんな暮らしを村長(むらおさ)が危惧し、哀れんだ──ある意味で優しさからのお節介だったのだろう。



「相手が俺だなんてリリちゃんには不本意だろうね。

 そりゃあ判るよ、それなりに長い付き合いなんだからさ」


「トトさん……」



 正直迷惑極まりないそのお節介を、私は受け入れざるを得なかった。

 エルフの里という非常に小さなコミュニティにおける村長(むらおさ)の権限。

 その提案とは、もはや命令とも呼べる。



「リリちゃんの気持ちが俺に向いてないなんて百も承知で言うよ。

 俺と結婚してくれ。

 村長(むらおさ)が組んだ見合いだからじゃない。

 俺が。他でもない俺自身がリリちゃんを幸せにしたいんだ」



 それはサヨナラの口吻から、百度目の春の日のこと。

 式は『半年後の秋、収穫祭に合わせて』という日程に決まった。





 ◇





 118歳の秋、私は結婚した。

 わざわざ交流の少ない村人達の前で、何故か皆が知る一人歩きした【聖樹の巫女】の俗称と共に。



 ──これでリリ姉は、(ぼ~く)の!



 いざ結婚の儀式に臨まんと着飾ったとき。

 最後の仕上げとヴェールを羽織ると、ふと。


 シロツメクサの匂いがした。



「おうおう、トト! やったじゃねぇか!

 愛しの巫女様の元に長いこと通い詰めた甲斐があったなぁ、んん?」


「いや、ちょっと団長さん!

 これ本番の衣装だから!

 掴まないで、シワになる、シワになるから!」



 今日は村を挙げての収穫祭、その一カ所と一幕をお借りしての結婚式なので人が多い。

 野外で明け透けな会場だから、準備中の私からも新郎のトトの様子が見てとれた。

 トトは知り合いに囲まれ、冷やかしだか祝福だかも判らない歓迎を受けている。


 その光景を眺めて。

 ただその光景を眺めて。


 私は現実感がないなぁと、およそ他人事のように思った。



「リリちゃん、準備できたかな?

 ──おっと。バッチリみたいだね。

 こりゃあウチの息子は果報者だな」


「でしょ、でしょ?

 リリちゃんの元が良いから映えて映えて!

 私としても納得の仕上がりよ!」


「お義父さん、お義母さん、どうもありがとうございます」


「いやはや。

 リリちゃんのことは小っちゃな頃から知ってるけれど、まさかこんな素敵になるなんて感慨深いねぇ」


「お義父さんには昔から配給を届けていただいて家族一同、ずっと感謝してます」


「そうかそうか……。

 ガガさんにも晴れの姿を見せてやりたかったねぇ……」



 鏡に映る私はまるで物語に聞く人間の世界のお姫様のように見える。


 なんだか現実感がないなぁと思った。



「新郎新婦、入場ぉおお!」


「「「……わあああぁ……」」」



 式は進む。


 拍手が起こる。

 歓声が挙がる。



「おめでとうー!」


「幸せになー!」


「こらー、トトー!

 お前にそんな美人もったいねぇぞー!」


「ヒューヒュー!」



 四方八方から声が飛ぶ。



 現実感がない。他人事のよう。

 今日は誰の結婚式なんだろうか。


 なんだかずっとシロツメクサの匂いがする。



「病めるときも健やかなるときも──」



 そうか。


 私、今日、ずっと。

 ミミのこと考えてるんだ……。



 神父が『宣誓の言葉』の文言を述べ始めたとき、私は今日一日が他人事のように思えていた理由が分かった気がした。



「──これを愛することを誓いますか?」



 誓います。


 幼い頃のあの日。

 私の口からすんなりと出たはずの言葉。


 同じ音。ただ同じ音を出せば良い。


 あのときはすんなりと出たはずの音。


 ただ、それだけのはずなのに、何故。


 何故、今日はこんなに詰まるのか。



「──リリちゃん?」


「……あっと、ごめんなさいトトさん。

 ちょっと緊張しちゃってて……」



 いけない、いけない。

 こんなことで思い詰めてしまった。


 ほらトトさんも心配しているし、やれ神父さんは怪訝な表情だ。


 なんということない。

 一言、発するだけ。


 なんということではない。



「はい。誓いま……」


「──(ボア)が出たぞぉ!」


「……は?」



 言葉の途中で横やりが入った。


 釈然としない。

 少しばかり意気込んで声を出したのに。


 思わず憮然とした私を余所に、会場内は予期せぬ外野からの呼びかけで騒然となっていた。



「式に集まってるヤツら、みんな逃げろぉ!

 (ボア)がそっち行ったぞぉお!」


「──んだとぉ?

 おい、お前ら! 屯所から槍持ってこい!」


「「「へい、団長!」」」


「リリちゃん! こっちに!」



 (ボア)を避けて人垣の囲いが割れた。

 みるみると視界が開けていき、私の目からも(ボア)の姿をはっきりと捉える。


 中心地に居た新婦の私と飛び込んできた(ボア)との間には綺麗に一筋の道が出来ていて、私は真っ直ぐ(ボア)と向き合う形になった。


 ずんぐりと大きい体躯に、立派な牙が揃って私の方を向く。


 不思議と怖さはなく、私は何故かその(ボア)から目が離せなくなっていた。

 どうにも(ボア)の様子に違和感を覚えたからだ。


 おかしい。


 人里に単独、迷い込んだ獣のはずなのに興奮が見てとれない。

 目の前の獣は何故か、妙に落ち着いている。


 いや、違う。


 もっとこう……

 呆然としているというか……


 なんというか……魅とれている?

 ん? 魅とれ……? 獣が? 私に?


 想像がそんな答えに辿りついて馬鹿馬鹿しくなった。


 どうしたんだろう、私?

 普段はしないお洒落をしているものだから、知らず知らずに舞い上がっていたんだろうか?



「リリちゃん、手を!

 早く、こっちに!」


「あっ、……は、はい」



 差し出された手を掴んだ私は、そのままトトに抱き寄せられた。



「大丈夫だよ、リリちゃん!

 ほら、自警団のヤツらが槍を片手に集まってきてるから」



 片手を掴まれ、抱きかかえられ、話しかけれつつも、尚。

 私は(ボア)から目を離せなかった。


 それは何故か(ボア)にとっても同様らしく、依然として私と一匹は見つめ合ったままだった。



「……あっ……」



 ────ドカッ!



 私の方ばかりを見て、自分自身の身の上は注意散漫になっていた(ボア)


 横から脳天に、斧の一撃を受けた。



「よっしゃ! 怯んだぞぉ!

 今だ! 槍で囲め、囲めぇ!」


「「「おおー!」」」


「足だ、前でも後ろでも足を狙えぇ!

 そら、そら! 全員、突け、突けぇ!」



 集団で取り囲んで嬲り殺しだ。


 あっという間に(ボア)の姿は自警団達に埋もれ、私から見えなくなった。



「……あっ、……ああっ……」



 思わず声がこぼれた。

 漏れ聞こえる(ボア)の悲鳴とうめきに胸が痛む。



 なんだ? なんでだ?

 突然現れた一匹の獣に何故、私はこんなに感情移入してしまっているんだ?



 やがて致命の一撃が喉元に突き刺さり、断末魔が響いた。



「おっし! 喜べ、お前ら!

 これで祭りの鍋が更に豪華になるぞぉ!

 ──あ?」


「──わ? わわっ!?」


「だ、団長! な、なんですか、これ!?」


「──引け、引けぇ!

 全員一旦、その場から離れろぉ!」



 騒然と自警団達が飛び退いて、再び私にも横たわる(ボア)の様子が見えた。


 光っている。

 身体の全体が光っている。



「……あ、あれって……」



 同じだ。あのときの(ウルフ)

 あれと全く同じ現象だ。

 私以外、その場の全員が息を呑んでいた。

 皆が揃って興味深そうに驚いている。



 まるでこの場の全員が初めて見るような……。

 やっぱりあれって珍しい現象ってこと……?



 その後も同様で、(ボア)は光の粒になり、しばらくして虚空へと溶けた。

 戦利品が露と消えた自警団達は揃って肩を落とし、あちらこちらから溜め息を漏らす。



 私は何故か残った胸の痛みに、ただただ戸惑っていた。





 ◇





 154歳のとき、私は出産した。

 元気な産声を上げる男の子だった。



「──リリが亡くなった弟さんのこと、溺愛していたのは僕も知っているつもりさ。会ったことはないけどね。だから良いよ、その名前で」


「ありがとう、トト。

 ……ミミ! 今日からあなたの名前はミミよ!」



 無くした(ミミ)の代わりに、私はミミの名を贈った。



 私は今更ながらに自覚した。

 やはり私は父の子で、同じく変わり者であったのだな、と。


 そして本人が失ったものでなく私が失ったものを贈るあたり、私は父以上に──。





 ◇





 162歳のとき、私は気付いた。

 おおよそ真っ当ではない自分の中の歪み、それを自覚した。



 息子を産んで早8年。

 子の成長のなんと早いことか。


 幼子と共に目まぐるしくも賑やかに過ぎていく季節の中で、ふと気付く。


 似ている、と。

 【息子(ミミ)】は【(ミミ)】に似ている、と。



 もちろん姿形は違う。

 息子はエルフであり、弟は人間。


 同じ年の頃の弟と比べて息子の背は低く、肌も色白、瞳の色も違えば耳の先の長さうんぬん、そもそも息子には耳がある。


 それでも。


 それでも【息子(ミミ)】と【(ミミ)】は似ていたのだ。



「……母さま? どうしたの?」


「んー、なんでもないわよ、ミミ。

 ちょっと休めば大丈夫」


「え? 母さま、頭いたい?

 じゃあ僕がやる。

 今日の畑の水やりは僕がやるよ!」


「え、ミミ? だ、大丈夫よ。

 お母さんは別に──」


「──うわっ、うわわ!」


「ちょっとミミ!? 大丈夫!?」


「……ごめんなさい、母さま……。

 水入れ、割れちゃった……」


「そんなの良いの!

 そんなことよりほら、怪我は……。

 ──良かった。無さそうね。

 いきなり担ぐから転ぶのよ、私でも両手で抱える(かめ)なのに」


「……うえぇぇ、母さま~……。

 びしょびしょなったぁ~……」


「あ~っと、もう!

 しょうがないなぁ!

 ほら! すぐ干したげるから脱ぎなさい!」


「母さまぁ、ひも、ぎゅうぎゅう、脱げないぃ~」


「まったく、もう!

 この子ったら私がいないと駄目なんだから!」



 私か。私のせいか。

 私が育てるとこうなってしまうのか?



「母さま」、「母さまぁ」、「母さま~」、

「母さま?」、「母さまぁああ!」……


 息子は私に()()()()である。


 それも当然。近所に隣家など無い。

 同い年の遊び相手など居ない。



 私自身、息子を甘やかしている自覚はある。


 私達家族がこの場所で暮らす理由は、もはや私の我がままでしかない。

 聖樹の管理など本来はひと月に数回の掃除だけで良いのだ。


 本当なら村に移り住んで息子に友人を作らせるべきなんだろう。

 自身の思い出に固執して、ここを離れられない私は母親としてどうなのか。

 そういった負い目がある。

 だから、どうしても息子に甘くなる。



「……もう、しょうがないなぁ!

 お母さんに、まっかせなさぁいっ!」



 日々の中で弟の面影を息子に見る。

 そしてそれを『幸せ』と捉える。


 歪んでいる。分かっている。


 だからせめて贖罪とばかりに私は今日も息子を甘やかす。

 息子にとって家族と過ごす閉ざされた世界だけが、目に映る全てだろうから。





 ◇





 163歳のとき、私は継承した。



「──ほぉら、ミミ。

 準備できたからこっちおいで?」


「う、うん……」



 母は何故、弟にシロツメクサの冠の作り方を教えていたのだろうか?


 私は同じ母親という立場になって、ようやくその答えが分かった気がした。


 きっと母にも『思い出』があったのだ。


 懐かしくて、甘酸っぱくて、忘れ難い。

 きっと母にも、そんな。


 そんな大切な誰かとの『思い出』が、シロツメクサにあったのだろう。



「病めるときも、健やかなるときも──」



 なるほど。

 だから指輪の編み方も。

 更には一字一句の宣誓の言葉まで。


 よくもまぁ、こと細やかに幼い弟に仕込んだものである。

 今更に母の『こだわり』が透けて見えるようだった。


 きっとそれは母にとって本当に大切で素敵な『思い出』だったんだろうなぁ。



「──愛することを誓いますか?」


「は、はいっ。ち、誓います……」


「よろしい!

 じゃあミミ、左手出して?」


「え? こ、こう?」


「はい、コレ。誓いの指輪。

 頭の冠とお揃だよ」


「う、うん……」



 ──これでリリ姉は、(ぼ~く)の!



 ふいに思い出の中の弟が笑った。


 あの日の。


 あの幼い日のままの無邪気さで。



「じゃあ誓いのチューね。

 はい、ほっぺ出して? チュッ」


「わわっ? 母さまっ?」


「んもぅ、照れなくて良いじゃない。

 ほっぺにチューなんて昔からたくさんしてるのに」


「そうだけど! だって、その、恥ずかしいし……」


「良い? 本番は自分の好きな女の子を相手に、口と口でチューするのよ?」



 私の大切な『思い出』を。

 母から弟へ受け継がれた『思い出』を。



 勝手ながら息子に刻み込んだ。



「さぁ、じゃあ次はいつもの弓の訓練よ。

 ミミには将来のお嫁さんをちゃんと守れるようになってもらうんだからね!」



 いずれはあの弓も息子に受け渡す日が来るだろう。


 そのときは母の亡き後、形見の弓を大事に大事に手入れし続けた父のことも。



「……母さま。

 僕、お嫁さんも何も友達だっていないのに……」



 …………あ~、と。


 そうね。ごめんね? 私のせいだね。



「……でも、僕にも守りたいものはあるから。

 将来に一人や二人、守りたい人が増えても困らないように頑張るっ!」



 やはり私も捨て子の一人や二人を拾ってこないといけないのだろうか。



 帰り道で頭の片隅、そんな馬鹿馬鹿しい考えが浮かんだ。

 そんな考えが過ぎる時点で私は、紛れもなく父の娘なんだな、と思った。





 ◇





 167歳のとき、私は邂逅した。

 聖樹の下に見知らぬ人影、男性だろうか?


 その影は一人。

 遠目で眺めただけだが、どうにも見覚えはない。


 誰だろう?

 ぼんやり考えているところ、急に後ろから切羽詰まった声がした。



「──トト、リリ、ミミ! 無事か!?

 あぁ、良かった。全員揃ってるな!」


「──親父!?」「──お義父さん!?」



 突如として後方から現れたのは義父だった。


 何事だろうか。

 義父が焦っているのが分かる。

 それは切れ切れの呼吸に、大きな声に、大仰な仕草に表れていた。



「村に人間が来た!

 そちらは村が総出で迎え撃っている!

 私だけはお前達の様子を──、おぁ!?」


「……つまり、あの人影も人間ってことか?」


「そうだな、ちきしょう!

 こっちにも仲間が居たみたいだ!」



 あの人影の正体、それはなんと人間だと言う。

 つまり結界破り。

 エルフの里への侵入者、エルフの敵との遭遇である。


 義父と合流し話した声が届いてしまったのか、どうやら人間にも気付かれたようだ。


 おそらくだが、目が合った。


 あらためて容貌から判る、人間だ。

 なんせ歳をとっている。


 人間の侵入者からの連想で【(ミミ)】の顔が浮かんでいた。


 違う。顔が違う。万が一にも違う。


 【(ミミ)】じゃない。

 【(ミミ)】じゃあ……ない……。


 思わず意識の下で反芻したその事実、はたして私は今、嬉しいのか悲しいのか。



 ──いけない! 切り替えねば。



 弟ではない。それはつまり、知らない人間、明確に敵だと判別が出来たということ。



 切り替えねば。



「──リリ、下がって! ミミも!

 二人で家まで下がるんだ!」


「と、父様っ!」


「ミミ、駄目っ! こっちよ!」



 すぐに息子の腕を掴み、私の身体へ引き寄せる。


 現状でも私達と侵入者との間には、それなりの距離があった。

 大丈夫。

 私にだって息子を抱えて後ろに逃げるくらいの余裕なら、まだある。



 人間の男は何かを叫んでいるようだったが、怒号なのか悲鳴なのか。

 距離のせいもあり、正しくは聞き取れない。



 遠ざかる人影を視界に残しつつ、息子を抱えて後退していく。



 ──リ……リ……ね……、リ……リ……ね……!



 不意に遠間から耳が拾い上げた音に違和感。



 ────リ……リ……姉……!



「……え?」



 呼ばれた? 今……



 視界の隅に残していた、遠くの人影を中心に据える。



 なんだ? 弓を絞っている?



 私は後退も忘れ無防備、棒立ちで見ていた。


 一本の矢が撃ち出され──飛来する。


 一連の流れを見ていた。



「──リリ! 避け……!!」




 ──ズドン、と。


 矢が刺さった。




「……え?」




 矢は後方、私より後ろの我が家の壁に突き刺さった。



 あ……、う……、は、外した……?



「──母様っ!」



 矢の軌道に沿って空気が揺れる。

 突き刺さった残響が空気を揺らす。

 揺れに触れてはっきりと浮かぶのは、威力。



 恐怖が今更に追いついて私の腰を砕いた。



「母様っ! しっかり!」



 なんと情けない、私は息子の支え無しでは立っていられなくなっていた。


 息子が懸命に支えていてくれたおかげか、ほどなく我が家の外壁に背を付けるまでに後退した。



「油断しないで、母様!

 早く家の中に避難して!」



 息子の叱咤を受けて、先程刺さった矢の光景が脳裏に浮かぶ。


 ──そうだ、安全じゃない……!

 いまだにここは射程圏──!




「──大丈夫かぁ!?

 今の木板を突き破る音はなんだぁ!?」




「……あ! 団長、アレ!

 人間、人間! まだ残党が居やがりますよ!」


「んだとぉ!? 包囲だ包囲!」



 新手の援軍、エルフの里の自警団達の声がした。

 この声には聞き覚えがある。


 ──ああ、そうか。

 結婚式のとき、猪を狩ってくれた自警団達か。



「あ、人間が逃げやすよ!」


「よぉし! 結界の方に逃がすなら構わん!

 全員、村の方にだけは抜かれるなよ!」



 遠く、前線の方に目を凝らす。

 どうやら人間は弓を落としたらしい。


 夫や義父以外に自警団達が加わり、人間は逃げに回っているようだ。

 良かった。

 これなら討ち取るのも時間の問題だろう。



「──母様、自分の弓を取って来ます」


「……え? ミミ?

 あなた、どうするつもり……」


「──戦います。

 僕はみんなを、母様を守るために弓を習っていたんだから!」


「ちょっとミミ! 待ちなさい!」


「母様はそこを動かないで!」


「待ちなさい、ミミ!

 ミミ、ミミ! ミミってば!」



 なんと情けない、いまだ膝が震えて息子を追いかけることすら出来ない。


 私は弓を手に走り去る息子の後ろ姿を見つめているばかりだった。



 ふと、風が吹く。



 少し横からガサガサと異音がした。

 音の原因を探すと、そこには矢。


 壁に突き刺さったままの矢があった。


 その打ち込まれた矢の胴体に、なにやら紙がくくりつけられている。



 紙? いえ、これは……手紙?


 さっきの人間はまさか。

 攻撃ではなく、この手紙を届けるために、矢を放っていた──?


 いったい()が何のために──?



 ────リ……リ……姉……!



 ──まさか。

 まさか、まさか、そんなまさか。


 さっき呼ばれた声は幻聴ではない?


 ──いや、まさか、まさか。

 そんなまさか。でも……。



 私は矢にくくりつけられた紙が気になって仕方なくなった。

 這って近づき、掴み取る。

 折り重なりを広げる手間がもどかしい。


 広げてゆくと文字。やはり手紙だ。




「嘘……。この字……(ミミ)の──」






 ーーーーーーーーーーーー


 まず始めに謝罪させて欲しい。


 今回の俺の行動の結果、その後がどうなるかは俺にも分からない。

 人間である俺が近づくことで無駄な緊張を生み、それは里を混乱させ、リリ姉達を不安にさせることになっているかもしれない。

 だけど、こんな乱暴な方法でしか手紙を出すことが出来なかったんだ。

 本当に身勝手だと分かっているが、俺の想いをリリ姉に伝えたくなってしまった。

 全ては俺が自分で自分を抑えきれずに起こした結果だ。

 だから謝罪させて欲しい。


 さて、書き出しから謝罪文ばかりになってしまったけれど、実を言うとここからの本文も何も変わらない。

 俺はリリ姉に謝らなければならないことがあって、そのためにこんな手紙を書いている。

 そしてその、どうしても俺が謝らなければならないこと、それは俺達の親父のことだ。


 リリ姉、これから告白することはすべて真実だ。どうか心して読んでくれ。


 あの日、親父が死んだのは俺のせいだ。

 本当に申し訳ない。


 急に俺がこんなこと謝ってもリリ姉にとっては意味が分からず、困惑することだろう。

 だから順序立てて一から説明させてもらう。


 まず、今の俺という存在は人間だ。今年で35歳になる。生まれ故郷はここから二つほど国を跨いだ先だ。

 人間社会の国の話なんか書き始めたら、紙がいくらあっても足りないので割愛する。

 ただ、そうだな。

 一言だけ感想を述べるのなら、糞、だな。


 なぜ俺が今35歳なのか、なぜ出生国なんかがあるのか。


 答えは単純な話、35年前にその国で、実際に俺が生まれたからだ。

 35年前に一つ前の俺は死んだ。

 そして35年前にその場所で今の俺が生まれた。


 つまり現状の俺は繰り返しの中にいる。

 古い伝承によると【転生】という非常に珍しい現象らしい。調べる限界があって、なにぶん俺にも詳しいことが分からない。

 要は死んだら次の命となって中身だけ俺のまま生き返る、そういう現象だと思ってくれ。


 そしてこの転生という現象の厄介な部分が、人間に生まれ変わるとは限らない、ということ。


 数十年前の狼と猪。


 こう書き並べれば、察しの良いリリ姉なら既に感付いていることだろう。

 もちろん他にも数えきれない生物の生を体感してきた。だけどリリ姉に会って影響を与えてしまったのは、この二体の生のときになる。


 正直に言う。あのときの狼と猪は俺だ。

 そしてだからこそ、親父が死んだこと。

 あれはどうしようもなく俺のせいなんだ。


 あの狼はあの森で生まれた雌の狼だった。そのときの俺は狼のままでも文字なら扱える、これならリリ姉と一緒に居られると、ただただ単純に考えていたんだ。

 ある程度成長して安全に里に入れるようになった俺は群れから抜けた。雌だったけれど力を示し、正式に抜けたはずだった。

 ただ、それを群れの頭が許さずに後を追って──

 

 ーーーーーーーーーーーー



 まだ半ば──、手紙の途中で私は思わず独り言ちた。



「い、いろいろな生物へ、転生?

 それを【(ミミ)】は【(ミミ)】のまま、ずっと繰り返してるの……?

 いったい、どうして──」



 そこで思い出す。

 幼き日に、聖樹が叶えたという、あの願い。



 【私達が同じだけの月日を生きられる──】



 ……あ、ああ?


 ……ああ、まさか?


 ……まさか、それが?


 それが、あのときの願いの実態──!


 彼は転生を繰り返して私と【同じだけの月日を生きられる】

 それがあの願いの叶い方だと──


 だとしたら、あのときの狼。

 だとしたら、あのときの猪。


 彼は、あれから、何度も私に会いに──?

 そ、それを、私は……


 狼は撃ち殺した。

 猪は嬲り殺した。


 そして、いつも死体は光の粒みたいに……!



 理解が追い付くにつれ、背筋が凍る。

 手紙の続きの文字は滑り、持つ手が震える。

 頬を伝う汗が、冷たい一筋の感覚を残し流れ落ちた。



 こ、殺した?

 私が、私達が、何度も、彼を殺し──



 ──ふと。

 ならば先ほどの人間は?

 私の名を呼んだ先ほどの人間は?

 矢文を飛ばし、今は里のエルフに追われている、先ほどの、あの人間は──



 そして鬨の声が上がる。



 半ば放心しがらも、その歓声、音の鳴る方へ自然と顔を上げた。


 そこには、こちらに一直線。

 満面の笑顔で駆けてくる影が一つ。



「──母様ぁ~! やった、やった!

 僕、やったよぉ~!」



 悪寒が走った。



「──刺さったんだ、僕の矢が!

 僕が! 人間を! やっつけたんだよ!」



 それは、つまり、

 【息子(ミミ)】も【(ミミ)】を──!?



「う、嘘よ! そんな、そんなこと……」



「……でもね、おかしいんだ。

 やっつけたと思ったら、人間の身体が光の粒みたいになって消え──」





「──いっ、嫌ああああああああ!!!」





 ◇





 18歳のとき、私は追放した。

 追い出した弟の行く末を私は知らない。






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[一言] 作品としては面白いが、結果は個人的に面白くない。作者の力量がそれで損なわれるわけじゃないけど。人の好みはそれぞれだね。
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