3.契約
「ふ、ふへへ。アルス……アルスかぁ。お顔だけじゃなくて名前まで可愛いわ……ていうか上目遣い超ヤバい。良かったー出会ったのが封印された後で。もし若い頃に出会ってたら襲ってたわ。うふ、うふふははは……」
遠くの方で何やらパイモンがブツブツと呟いている。
契約の準備をすると言い残し部屋の隅へと歩いて行った彼女は石の床の上にしゃがみ込み、指を使ってガリガリと魔法陣のようなものを彫り込んでいる。
となると、口にしている言葉も何かの呪文のようなものなのだろうか。
部屋の隅に移動したのもそれらの内容が人間には聞かせられないようなものであるからに違いない。
美しく親切に見えても悪魔は悪魔人間との棲み分けは大切ということか。
しばらくするとパイモンがこちらに向かって手招きをしてきたので、恐々そちらに近づいてみる。
……魔法陣を見ても意味が全然分からないが、呼んだということは完成したのだろう。
「それじゃ僕ちゃ……じゃなかったアルスちゃん。その陣の真ん中に立ってくれる?」
「分かった。……ええと、この辺で大丈夫?」
因みにパイモンは僕を呼び捨てにすることを断固拒否してきたので、二人で充分話し合った結果「アルスちゃん」で妥協することになった。
子ども扱いは非常に不本意なことではあるが、実際パイモンと比べたら赤ちゃんみたいなものだろうし……もう諦めることにしたのだ。
その代わりとしてパイモンからは敬語を外してよいとの許可をもらったが、ぶっちゃけ敬語で話した方が楽だなというのが正直な感想。
全然交換条件になってないと思う。
「ん、そこで大丈夫。それじゃあ行くわね……【契約】」
僕の頭に手を置いたパイモンが呪文を唱えると、足元に刻まれた魔法陣がうっすらと紫色に光始めた。
パイモンの掌から僕の頭へ、じんわりと熱のようなものが伝わってくるのを感じる。
「髪の毛……やっぱり髪の毛サラサラふわふわ過ぎる……っ!なんで美少年の髪ってどんな状況でもサラふわなのかしら……っ!!」
「パ、パイモン?」
何故か恍惚の表情を浮かべているパイモンに声をかけると、彼女ははっとした様子で表情を引き締めた。
「あ、あらごめんなさい。ええと……はい、契約終了。これでアルスちゃんも立派な悪魔憑きね。おめでとう!」
思いきり抱き着いてくるパイモン。
息が苦しい。
「やめてよパイモン……って、もう終わったの?なんか……あんまり変わった気がしないんだけど。」
別に悪魔憑きになったかと言って、パイモンのように頭に角が生えるかもとか思っていたわけでは無い。
……いや本当はちょっと思っていたけど。
だたこれで魔法が使えるようになったのかと言われれば、実感が湧かないというのが正直な感想だ。
パイモンはそんなこちらの気持ちを見透かしたかのように微笑むと、どこからともなく眼鏡を取り出し、それを装着して言った。
「それはアルスちゃんがまだ魔法の事をちょっと勘違いしてるからそう感じるのよ。……さて、ということでここでパイモン先生の魔法講座のお時間です!魔法の事を沢山お勉強して、いかにアルスちゃんが特別な存在になったかを一緒に再確認しましょう!わー!ぱちぱち!」
「……なんで眼鏡?」
至極まっとうな僕の疑問を無視し、パイモンは続ける。
「さてそれじゃあ魔法の事をお勉強するために、まずは魔術の仕組みからおさらいしましょうか。……魔術っていうのは術者が自分の魔力を使って世界に存在する現象を切り取って、出来るだけ忠実に再現したものなの。つまり……『ファイア・ボール』」
パイモンが呪文を唱えた瞬間、今まで何もなかった空間に握りこぶしほどの大きさの火の玉が現れた。
彼女は手の平の上でそれを転がしながら言う。
「これは本物の火の玉じゃなくて、まるで火みたいに明るくて熱い魔力の塊ってわけ。ここまでは知ってたかしら?」
パイモンからの問いかけに、僕は無言で頷いた。
まだ僕が冒険者生活に希望を持っていた頃、魔術に関する書物を読み漁っていた時に得た知識と一致する。
「それと比べて魔法が生み出すのは純粋な本物の炎。魔法はこの世界のルールを捻じ曲げ、本来起きないはずの現象を無理矢理起こす技ってところかしらね。……【燃焼】」
パイモンの空いた手に、もう一つの火の玉が出現した。
「炎を例にとって言えばそうね……炎は高い温度、空気、そして燃やされる物が存在しない限り自然に発生することはない。でも私たちが使う魔法はそんなルールを、勝手に書き換えちゃうってわけ。魔力もセンスも関係ない。ただルールを書き換える資格があるかどうかだけが魔法を扱うための条件……ほら、こう考えると何も変わってないようでも、アルスちゃんがどれだけ凄くなったのかが実感出来るでしょう?」
二つの火の玉を握りつぶし、手のひらを擦り合わせながらパイモンはそう締めくくった。
「世界のルールを書き換える……」
魔術については人並みの知識を持っていた僕だったが、魔法の詳しい仕組みについては初めて知った。
正直開いた口が塞がらないほどに驚いた。
神の定めた掟を破り、自分の都合がいいように捻じ曲げる。
それは、それはまさに何というか。
「……悪魔の所業だ。」
「あはっ、悪魔にしか魔法が使えない理由が分かったみたいね。さっすがアルスちゃんは勘が良いんだから!」
口を手で押さえ、考えに耽る僕に向かって彼女は続ける。
「そんなこんなで、魔力を使わずにいろんなことが出来るから魔法は魔術よりも凄いの。それに魔術よりも出来ることの幅も広くて……まぁ、ここらへんはおいおいね。……あ、そうだ。」
「え?」
何やら良い事を思いついたとばかりにこちらに爛々と光る眼を向けたパイモンの姿に嫌な予感を感じつつ言葉を返す。
そして僕の予想通り、パイモンはろくでもない事を言い始めた。
「今から実際にアルスちゃんにも魔法を試してもらいましょう!そうだそれがいいわ。そうすれば、嫌でも自分の凄さを分かってもらえるはずだし!」
今から?今から僕が魔法を?
……今!?
「却下!心の準備が出来てない!」
「却下を却下!いい?アルスちゃん。人生っていうのは、急な事の連続なの。立派な冒険者になるためにも、ここは私も心を鬼にして接するわ。」
「悪魔が人生についてそれっぽいこと言わないでよ!?」
それに悪魔が心を鬼にするとか言わないで欲しい、ややこしいから。
「大丈夫大丈夫、まずはそうね……さっきの私の呪文を真似するだけでいいわ。もし失敗しそうだったら私が止めるし、何としてでもアルスちゃんのことは守るから。だから頑張ってやってみましょ?……ね?」
……そんな子供を諭すように言われては、これ以上嫌と駄々をこねる訳にもいかない。
僕は急にやってきた緊張を振り払うように頭を左右に振ると、大きく息を吐いてパイモンに向かって頷いた。
「分かったやってみるから……やり方、ちゃんと教えてね。」
「そうこなくっちゃ!ええとそれじゃあ……」
パイモンの説明を聞きながら、魔法を使う準備を進める。
足を広げてたち、手のひらを神殿の壁に向ける。
頭の中にパイモンから教えてもらった呪文を思い浮かべ、出来るだけ詳細に起こしたい現象についてのイメージを固めて……
「良い感じ、良い感じよアルスちゃん!」
右の方からはしゃいでいるパイモンの声。
僕は出来るだけをそれを聞かない様に意識の端に追いやり、閉じていた目を開いて叫んだ。
「【燃焼】!!」
……あれ?
一秒、二秒と時間が経つ。
……何も起こらない……?
「どうしようパイモン、上手くいかないみたい……」
不安に駆られた僕がパイモンの方を振り向くと
視線の先で彼女の顔は真っ青になっていた。
「――……【遮断】!!」
「えっ何……――」
次の瞬間。
神殿の壁、そしてその先の森の木々達が、
丸ごと蒸発して消し飛んだ。
強烈な魔法の余波が僕とパイモンに襲い掛かるが、それは間一髪のところで透明な壁のようなものによって防がれる。
ぽっかりと開けた穴の淵からは空気を歪ませるほどの熱が発せられ、穴の中央には真ん丸な月が浮かんでいる。
月の光に照らされた僕とパイモンはゆっくりとお互いの方を向き、
思わず大笑いしてしまったのであった。