1.プロローグ
僕、アルス・ファビウスを一言で表すとしたらどんな言葉が適当なのだろうか。
雑魚?弱者?ゴミ?カス?……どれも物足りない気がする。
ザレア地方の片田舎に生まれた僕は小さなころから冒険者になることが夢だった。
吟遊詩人の歌う英雄譚に心をときめかせ、たまに村に立ち寄る冒険者の勇敢で逞しい姿に憧れた。
そして夢を叶えるため、十二歳で村を出た。
今思えばもう少し大きくなってから……身体を鍛えてから村を出ればよかったかもしれない。
しかし詩に歌われるような英雄たちは幼い頃から様々な逸話を残している。それらに憧れていた僕は多分現実が見えて無かったんだろう。
なけなしの貯金を旅費に充て王都にやってきた僕はその足で冒険者ギルドに向かい、ギルドメンバーとして冒険者となったんだ。
そこからが最悪だった。
お金を持っていなかった僕は十分な装備すら揃えない状態で初クエストに臨んだ。
勿論、結果は失敗。ボロボロになり診療所に運び込まれた僕は治療費を払うために借金をした。
借金を返すために二度目のクエストを受注。同じ失敗を繰り返し、借金は二倍に膨らんだ。
首が回らなくなってしまった僕は、縋る気持ちで銀級の冒険者パーティに助けを求めた。
「飛翔する鉤爪」と呼ばれるパーティー内で僕に与えられた役割は荷物運び。
毎日毎日身の丈に合わないクエストに連れ回され、メンバー全員の荷物を担ぎ、まるで奴隷のように扱き使われた。
その頃には何で生きているのかが分からなくなっていた。
そんな生活を丸一年続け、ついに今日僕はそのパーティーさえ追い出されてしまった。
リーダーのダリウスが僕に言い放った最後の台詞が頭から離れない。
「俺たち金級に上がれそうなんだ。だからもうお前はいらない。……何でだって?だって金級になってまでお前みたいな役立たずがくっついてたら、俺たちの評判が落ちちまうだろうが。」
悔しかった。役立たずと言われたことがじゃない、ダリウスの言う「俺たち」に自分が含まれていなかったことが。
そこからは記憶が曖昧だ。気が付けば僕は王都から逃げ出すように乗り合い馬車に乗り込み、村に帰ってきていた。
両親は既に死んでいた。半年前、村に入り込んだオークの群れに殺されてしまったらしい。
残念だと慰めの言葉をかけてくる村長の顔は涙に濡れていたが、僕は何故か泣けなかった。
(死んでしまおう。)
自分でも驚くほど素直な気持ちだった。変に冷静になった頭の片隅で、村一番の物知り老婆が語っていた昔話が蓄音機のように再生される。
曰く、ザレアの森の奥深くには禁域指定を受けた神殿が存在する。その神殿には恐ろしい悪魔が封印されていて、訪れた人間の魂を吸い取って呪い殺してしまうそうだ。
足は、自然と森に向けられていた。
そして現在、僕はその神殿の入り口に立っている。
何度も何度も魔物に襲われすでに装備はボロボロ。体のあちこちに傷を負い、その激痛は最早一周回って気にならなくなっている程だ。
血が足りないのだろうか、視界がかすみ、上手く考えがまとまらない。
神殿の入り口に鍵はかけられていなかった。体を引きずる様にして巨大な石扉を押し開け、中へと踏み込む。
ここまでの道中ですら感じられなかったような、圧倒的な怖気に身がすくんでしまう。
目に見えない亡霊に品定めをされているような、身体中を視線で弄られているかのような気持ち悪い感覚。
無意識に歩みを止めてしまったことに気が付き、思わず自虐的な言葉が唇から零れ落ちた。
「……死にたくてここまで来たのに、何にビビってるんだよ。」
別に単に死ぬなら森の中で魔物に引き裂かれても良かった。
ただ……せっかくこの惨めな人生を終わらせるなら、最後ぐらい劇的な幕引きを迎えたかったんだ。
ここまで苦労してやってきた理由を改めて思い出し、僕は勇気を振り絞って神殿の奥に進んで行った。
神殿の中に魔物はいないようだった。建物としての作りが非常にシンプルな事も相まって、僕は直ぐに神殿の最奥にたどり着くことが出来た。
まるで教会の聖堂のように高い天井を持つその部屋。壁に据えられた松明が怪しい紫色の炎で室内を照らしている。
本当に聖堂であれば巨大な聖印が奥の壁に吊り下げられていたりするのだろうが……そう思って目を向けると、そこには十字架の代わりに美しい女性の彫像が据えられていた。
本当に、本当に美しい像だった。胸の前で腕を交差させ、直立の姿勢で地面スレスレの位置に鎖で吊り下げられているその像は、おそらく封印された悪魔そのものなのだろう。
肌で感じられるほどの邪気が像から溢れ出しているのがこの僕でも分かる。
彫像には見たこともない色に輝く金属で出来た剣が突き刺っている。どうやらこの剣が悪魔の封印の依り代になっているらしかった。
僕は朧げな意識のまま、自分が歩いてきた道を振り返った。
……石作りの床に点々と零れる鮮やかな赤い血。急がないと、悪魔に殺される前に失血死してしまいそうだ。
最後の力を振り絞り、彫像に突き刺さった剣の柄を握る。
「――……僕の勝手な都合でこんな事をしてごめんなさい。」
誰に向けるわけでもない、身勝手な振る舞いへの謝罪が口をついて漏れ出した。
なんて惨めな人生だったのだろう。なんて愚かな生き方をしてしまったのだろう。
でも……これでこの短い一生にも別れを告げることが出来る。
握った柄に力を込めれば剣はまるで自らの意思で離れたがるように彫像の胸元から抜け落ち、甲高い金属音をたてて神殿の床に転がった。
その瞬間。
爆発的な魔力の奔流が僕の胸を突いた
何が起こったのを理解するよりも早く、僕は神殿の壁に叩きつけられていた。
「――……がぁ……っ!」
声にならない呻きが漏れる。
口いっぱいに鉄の味が満たされ、堪え切れずに吐き出せば、それは信じられないほどの量の血液だった。
激痛に悲鳴をあげたいところだったが、押しつぶされた肺は上手く空気を取り込んでくれない。叫ぶどころか、喘ぐので精一杯。
頭の上に落ちた外套のフードを捲るために腕を上げることすら出来なかった
しかし、そんな満身創痍の状態でも、僕の視界は烈風に巻き上げられた土埃の向こうから一つの影が歩み出てくるのをしっかりと捉えていた。
その姿を例えるなら、暴力的なまでの魔性。
長い黒髪、白い肌、豊満な肢体……圧倒的存在感を放つ、裸体の女性。
しかしその頭には捻じれた一対の角が生えており、目の前の存在が人ならざるモノであることは明白だった。
それはゆっくりと辺りを見渡し自身が生まれたままの姿であることに気が付くと、咳払いをして指を鳴らす。
すると周囲の暗がりから黒色の霧のようなものが立ち上り、彼女に向かって地面を這い寄っていったかと思うと、それは意匠の凝ったドレスとなって彼女の肌を包み込んだ。
「ほん……とに……いたん、だ。……あ、くま……」
知らず知らずのうちに、頬を涙が流れていた。
なんで泣いているのかは全く分からない。もしかしたらやっと死ねることに安堵したからかもしれないし、身体中を支配している激痛に耐えきれなくなってしまったからかもしれない。
ぐちゃぐちゃになった感情の制御を失ったまま、枯れた声で僕は悪魔に懇願した。
「こ、ろして……ください。お願い……だから、もう、おわらせ……て……くだ……い」
悪魔は初めて気が付いたかのようにこちらを一瞥すると、ゆったりとした足取りで床に横たわる僕に近づいてきた。
僕の首を掴み、信じられないほどの膂力を持って持ち上げる。
痛みと失血に薄れる意識の端で、「死ぬ直前に見る景色が綺麗な女の人の顔っていうのも悪くないな」なんて思いが頭をよぎった。
涙を流したまま、思わず微笑んでしまう僕。
一体、これから僕はこの美しい悪魔にどのように殺されてしまうのだろうか。
地獄の炎で燃やされる?身体中を槍で串刺しにされる?それとも頭から食べられてしまう?
何でもいいが、痛い経験ははもう沢山したし、出来るだけ一瞬で殺してくれると良いなと僕は思った。
そんな祈るような気持ちで目を閉じ、掌を組んだ僕に向かって。
悪魔は、予想だにしなかった言葉を口にした。
「――……何この子、超可愛いんだけど。」