優しい挫折
私はこの日、夢を奪われた。
比喩では無い。
間違いなく奪われたのだ。
目の前の、この男に。
「私の夢を返してください!」
男に向かって精一杯声を張り上げる。
男は私を無視して先を歩く。
男の背中に体当りする。
男はつんのめって転んだ。
「いってぇ、何すんだ!」
男―その青年は地べたに座り込んで私を睨みつける。
「無視しないでください! ……私の夢を返して!」
青年は頭を掻きながら面倒くさそうに答える。
「……ったく、さっきからなんのことだ」
私は青年を見下ろす。手が震える。
「すごく……すごく大切な夢だったのに……。ようやく叶うところだったのに……」
青年は私を鼻で笑うように辺りを見回す。
「こんなところで一体どんな夢を叶えるんだよ」
辺りは砲撃でも受けたように地面が抉れ、瘴気と土埃が立ち上っていた。
何の知識も無い私にもわかる、辺りには草木の一本数年はまともに生えないだろう。
私は俯いて拳を握りしめた。
「あなたにはわからない……。わたしがどれだけこの夢を叶えることを願っていたか……。人を助けて……そして……」
「人を助けて、そして死ぬってか」
やはり彼は嘲笑うように言った。私は強く握った拳をさらに強く握りしめた。爪が食い込むほど。
私は生贄だったのだ。魔神と呼ばれる魔獣の飢えを癒すための。私の犠牲で多くの人が救われる。はずだったのに。
彼がその機会を奪ってしまった。目の前で魔神を打ち倒して。
私は顔を上げて座り込む彼の胸ぐらを掴んだ。
「あなたにはわからない! 強くて、才能があって、人から求められるあなたには!」
青年はふう、と溜め息をついた。
「……『人を助けて死ぬ』――お前の夢を否定する気はねえよ。だけど、それは俺の夢――『人を助けて生きる』っていう俺の夢の邪魔だった、それだけだ」
彼は胸ぐらを掴む私の手に手を置き、私の目をまっすぐ見た。
「お前の夢なんて知らねえ。お前がどこで野垂れ死のうが知らねえ。だけど俺の目の前では絶対に死なせない」
何なのだ……何なのだ、この男は。人を勝手に救っておいて、突き放すくせに死なせてくれない。
ぶるぶる震える手を彼から離し、私は服の裾を噛みちぎって細く裂いた。それを彼の傷だらけの手に乱暴に巻きつける。
わかっていた。私の体当たり程度、魔神を倒すほどの強さの彼がよろめくはずがない。見えないところにもかなりの怪我があり、相当な疲労もあるはずだ。
わかっていた。生きようとする彼が傷だらけで、死のうとする私が無傷。私は怖いのだ。生きて、彼のように傷だらけになるのが。人を助けたい、なんて綺麗事でごまかして、本当は臆病だから、死に急いでいることをわかっていた。
彼は雑に巻かれた包帯代わりの布を無言で見つめていた。
私は無言で立ち上がり、彼に背を向けて歩き出す。
おもむろに彼が口を開く。
「なぁ、お前さ、そんなに人を助けたいなら俺を助けてくれよ。これからギルドを立ち上げようと思っててさ。人手不足なんだ」
「……」
その後、私がどうなったかについてはここでは書かない。とりあえず言えることは、死ねなくなった。それを考える暇もないほど忙しくなったというのもあるし、ある男の夢の実現に進行形で付き合わされている、というだけだ。
私はこの日、夢を奪われ、また新しい夢と出会った。