9.お礼とお誘い
(はあ、幸せ……)
翌日、私は自宅で、ブライアン様にお土産で頂いたエッグタルトをゆっくりと味わいながら、昨日の幸せなデートを思い返していた。
オペラを鑑賞した後、知る人ぞ知る人気カフェ、カスター堂に移動した私達は、そこで濃厚でとろけるような舌触りのプディングを頂きながら、色々なお話しをした。
幼い頃からゴードン伯爵家の跡取りとして鍛えられてきたブライアン様のご趣味は、やはり筋トレなのだそうだ! 暇さえあれば剣を振ったり、走り込んだり、トレーニングをしているのだとか。最近は忙しかったお仕事が落ち着いてきたので、領地経営の勉強も少しずつ始めているが、やはり身体を動かすのが一番のストレス解消法なので、できるだけ時間を取りたいと仰っていた。是非ともそうしていただきたい。
食べ物の好き嫌いは特に無いけれども、強いて言うなら肉料理がお好き。色は自分の髪色である赤を始めとした、温かみを感じる暖色系がお好きなんだとか。
(このタルトのお礼に、ハンカチに刺繍をしてプレゼント、なんてどうかしら? 赤や橙色を使って、ブライアン様のお名前と、騎士の象徴である剣を刺してみようかな……)
また一口タルトを頬張り、私は幸せを噛み締める。卵の味がしっかりと濃くてサクッとした歯触りのタルトは、ゴードン伯爵夫人だけでなく、私も虜になってしまいそうだ。
時間をかけて、最後の一切れをお腹に収めた私は、早速刺繍に取り掛かった。心を込めて一針一針丁寧に刺した結果、自分でも満足できる物が仕上がった。ブライアン様に喜んでもらえると良いのだけれど。
ブライアン様とのデートに協力してくださったルナ様にもお礼を言いたくて、お忙しい中ご迷惑じゃないかと思いながらもお手紙を出してみると、五日後にお会いできる事になった。ブライアン様もその日は訓練所にいらっしゃるそうなので、ルナ様にお会いした後にまた訓練所にお邪魔して、ブライアン様にハンカチをお渡ししようと、私はその日を指折り数えながら楽しみに待つのだった。
***
五日後、私はカスター堂のパイを持って王宮を訪れた。王宮の庭園に用意されたテーブルで待っていると、ルナ様とルーカス殿下が現れた。
「先日は本当にありがとうございました。お二人がご協力してくださったお蔭で、ブライアン様と素敵なデートが楽しめましたわ」
手土産のカスタードパイを渡しながらお礼を言うと、お二人は揃って微笑んでくださった。
「それは何よりだ。アリシア嬢には、こちらも世話になっているからな」
ルーカス殿下のお言葉に、私は首を傾げる。
「私は特には何もできていないと思うのですが……」
ルーカス殿下が仰るお世話とやらに、私は心当たりが無い。強いて言えば、王太子妃選抜試験の時にお二人にほんの少し助力した事くらいだが、別にそれが無くてもお二人は収まるべき所に収まっていたに違いない。寧ろブライアン様の事で、私がお二人にお世話になってばかりで、何も返せていないように思うのだが……。
「アリシア様のお蔭で、私は自分の気持ちに気付く事ができましたし、その気持ちに正直になろうと思う事ができたのですわ」
ルナ様が少し頬を染めてはにかむ。
そう言えば、と私は自分の目の前で想いを自覚して、耳の先まで真っ赤になられた可愛らしいルナ様を思い出した。
「それに、指折りの高位貴族であるモラレス公爵家のご令嬢で、元王太子妃の筆頭候補だったアリシア嬢が親しくしてくれている事で、ルナが元反対派の貴族達からも一目置かれるようになっているんだ」
「まあ、そうだったんですの。お役に立てて何よりですわ」
今でこそ胸を張って友人と言える間柄だが、最初は私欲でルナ様に近付いていたという、都合の悪い事実は全力で彼方にブン投げて、私はお二人に微笑んで見せた。
「ですから、私達も少しでも何かアリシア様のお役に立てればなと。手始めに、アリシア様の人となりを両親に説いて味方に付け、こんなに素晴らしいご令嬢を逃してしまったら、もう一生兄のような無骨者を好いてくださる方は二度と現れないと、家族ぐるみで兄をけしかけている所ですわ」
「そうでしたの!?」
私の知らない所で、何時の間にかゴードン伯爵夫妻まで味方になってくださっていたようだ。改めてルナ様とお友達になっておいて良かった、とつくづく思った。
「この後、ブライアンに会いに訓練所に行くんだろう? 上手く行くように祈っているよ」
「ありがとうございます、ルーカス殿下、ルナ様」
「オペラの良さが全く分からないような無粋者の兄ですが、どうか見捨てないでやってくださいませ」
「まあ、私がブライアン様を見捨てるだなんて、有り得ませんわ」
自分が思っていたよりもお二人の役に立てていた事に驚きつつも安堵し、更にお二人の応援に心を温かくしながら、私は公務に戻るお二人と別れて訓練所に向かった。
因みにガメオ座のオペラは、ブライアン様がその良さを上手く説明できず、またお二人も今はお忙しい為に、今回は見送る事にされたそうだ。残念だけど仕方がない。
訓練所に着いた私は、暫しの間、物陰から鍛練に励む騎士達を見守っていた。見渡す限り屈強な騎士達の鍛えられた筋肉を眺めるのも良いが、やはりブライアン様の筋肉美は群を抜いて素晴らしく、一度に数人の騎士達を相手に稽古をつけている格好良さも相まって、自然と目が惹き付けられる。
と思っていたら、不意にこちらを見たブライアン様と目が合ってしまった。しかも近くに居た騎士に何事かを告げると、こちらに向かって来られるではないか。
「アリシア嬢! 先日はどうもありがとうございました」
爽やかに微笑むブライアン様と、汗が伝うその首筋の筋肉に鼻血が出そうになりながら、私は平静を装って物陰から出る。
「こちらこそ、先日は本当にありがとうございました。頂いたエッグタルトもとても美味しかったですわ」
「そうですか。アリシア嬢のお口に合ったのなら何よりです」
「あの、それでもし宜しければ、お礼にこちらを差し上げたいのですが」
丁寧に包んだハンカチを差し出すと、ブライアン様は目を丸くされた。
「これを、私にですか……!? ありがとうございます。大切にします!」
嬉しそうな笑顔を見せるブライアン様に、私もほっとして笑みを浮かべた。
(どうやら喜んでいただけたみたいだわ。頑張って本当に良かった……)
「それでは、今日はこれで失礼致します。お仕事のお邪魔をしてしまって、申し訳ありませんでした」
長居をしたいのは山々だが、ブライアン様は今お仕事中なのだ。今日はお会いできただけで良しとしなくては。
淑女の礼をして顔を上げると、ブライアン様は何故か緊張した面持ちをされていた。
「あ……あの、アリシア嬢。も、もし宜しければ、来週開かれる夜会に、ご一緒していただけないでしょうか……?」
「勿論、喜んでお供致しますわ!!」
初めてのブライアン様のお誘いに、この機を逃してなるものかと、私は食い気味で即答していた。