6.初めてのダンス
一ヶ月に渡る王太子妃選抜試験が終了した。
結果は予想通り。ルナ様が実力で反対派の貴族達を黙らせ、無事王太子妃になられる事が決定した。最後まで抵抗されておられたブリアンナ様が、ルナ様に嫌がらせをしていた事が発覚したが、被害者である筈のルナ様が歯牙にもかけておられず、逆にブリアンナ様を庇われた事で、お咎めも無く、流石のブリアンナ様も改心されたようだった。
因みに私がした事はと言うと、想いを自覚されたばかりのルナ様のお気持ちを汲んで、ルーカス殿下に焦らず気長に待つよう伝えたり、試験で不正をしていたのではないかとルナ様に因縁をつけるブリアンナ様に反論したりしただけである。大して役には立っていない。
だけど、ルナ様は約束通り、ブライアン様との仲を取り持ってくださる事になった。
そして。
(やっと、やっとだわ……!)
ルーカス殿下とルナ様の婚約披露パーティーに出席した私は、高鳴る心臓を両手で押さえながら、ある一点を見つめていた。
(初めてブライアン様をお見掛けしてから、一年以上……。とうとうブライアン様と踊っていただける機会が……!!)
私の視線の先にいるのは、勿論ブライアン様だ。この婚約披露パーティーで、ルナ様にブライアン様を紹介してもらえる事になっている。待ちに待ったこの機会に、私は感極まっていた。うっかりすると淑女の微笑みが崩れて、涙が零れるか鼻血が噴き出すかくらいはしそうである。
曲が終わり、王宮の大広間の中心でダンスを披露していた本日の主役、ルーカス殿下とルナ様が、ゴードン伯爵一家に囲まれて談笑を始めた。その最中、ルナ様と目が合った私は、さり気なさを装って、ルナ様に近付いて行った。
「ルナ様、ご婚約おめでとうございます。相変わらず素敵なダンスでしたわ」
「アリシア様にお褒めいただけるなんて、光栄ですわ。その節はお世話になり、ありがとうございました」
大したお世話など全くできていないのだが、ルナ様は丁寧に挨拶してくださった。
「アリシア様、家族を紹介致しますわ。父オースティンと母マリア、兄のブライアンです。こちらはアリシア・モラレス公爵令嬢。試験の時に親しくしてくださいましたの」
「アリシア・モラレスと申します。どうぞお見知り置きください」
少し緊張しながらも、完璧な淑女の礼を披露する。
「そうでしたか。娘がお世話になりましたようで、感謝致します」
「いいえ、大した事はしておりませんわ。私の方こそ、ルナ様に親しくしていただいて感謝しておりますの」
見上げるような巨漢のゴードン伯爵は、長年鍛えられてきただけの事はあって、やはりその身体つきが素晴らしい。盛り上がった胸筋やガッチリとした太い二の腕に、ついつい視線を奪われてしまう。
「お兄様。アリシア様は、以前からお兄様と一度お話しされてみたかったそうですわ。折角ですから、一曲踊って来られたら如何ですか?」
「え!?」
「ル、ルナ様!?」
急激に爆弾を投下してきたルナ様に、私は焦った。
「ルナ様、私は確かにご協力をお願い致しましたが、これではあまりにも明け透け過ぎるのでは……!?」
ルナ様の耳元に顔を寄せ、小声で抗議するが、ルナ様は何処吹く風である。
「女っ気が無くて鈍感な兄に対しては、これくらいが丁度良いと思いますわ。下手をすれば一生アリシア様のお気持ちに気付かないままかも知れませんもの。少し意識させる事ができればしめたもの。単純な兄の事ですから、後は勝手に向こうから転がり落ちて来てくれると思いますの」
「ほ、本当でしょうか……?」
(ルナ様、お兄様の扱いが少し雑じゃありません?)
「では頑張ってくださいませ、アリシア様」
私が呆気に取られていると、顔を赤らめたブライアン様が、そっと手を差し出して来てくださった。
「あの……では、私と一曲踊っていただけますか? アリシア嬢」
「ええ、喜んで」
嬉しい。嬉しいけど恥ずかしい。
ブライアン様のお顔が見られなくて、大きくて分厚い手を見つめながら、そっと私の手を添えると、ブライアン様は丁寧に私をエスコートしてくださった。
今まで踊った事のある、どの殿方達よりも高い身長。広い肩幅。分厚い胸板。太い腕。温かい手。初めて至近距離で見て触れるその一つ一つに、心臓が高鳴っていく。
緊張しながら踊り始めた私の頭の上から、ぎこちない声が降ってきた。
「流石、ダンスがお上手ですね」
「ありがとうございます」
ダンスは私の十八番だ。得意で良かったと、今ほど実感した事はない。そうでなければ、緊張のあまりブライアン様の足を踏んでしまっていたかも知れない。
「社交界でも高嶺の花であられるアリシア嬢が、私と踊ってくださっているだなんて、夢のようです」
「そんな……私の方こそ、ブライアン様と踊れて夢心地ですわ」
そっと上目遣いでブライアン様のお顔を窺ってみると、ブライアン様は頬を紅潮させたまま、優しく微笑んでくださった。
「その……先程妹が口にしていた、私と一度話してみたいと言うのは、どういう事か伺っても……?」
おずおずと尋ねてきたブライアン様に、私の身体が一気に熱くなった。
「そ、それは……っ」
「……先程は妹が紛らわしい言い方をしたので、一瞬自惚れかけてしまいましたが。全ての男性にとって憧れの存在であるアリシア嬢が、私に話したいと言う事は、第一騎士団長としての私を買って下さっていると言う事でしょうか。お力になれる事がありましたら、何でもする所存ですので、何か悩んでおられる事があるのならば、どうぞご遠慮なく仰ってください」
(ん? 何ですと?)
私は思わずブライアン様を見上げた。
(真面目な表情で心配してくださっているブライアン様も素敵……じゃなくて!!)
これはあれか? 私がブライアン様に憧れているのではなくて、第一騎士団長としてのブライアン様に話があるとでも思われたのだろうか?
つい先程までブライアン様にときめいていた筈の私は、少し苛立ちを感じてしまった。
(お兄様の扱いが雑だとか思ってしまってごめんなさい、ルナ様。貴方の判断は正しかったです)
私も身に沁みて実感した。どうやらブライアン様は、女心を察するのが苦手らしいと言う事が。
「自惚れてくださって結構ですわよ。私は昨年の王宮でのパーティーでブライアン様をお見掛けして以来、ずっとブライアン様とお話しをしてみたいと思っていたのですから」
にっこりと笑顔を見せて告げると、ブライアン様は目を丸くし、次いで徐々に顔を赤くしながら狼狽え始めた。その様子を見ながら、私は悟る。
(どうやら私のこの想い、成就させる為には、押して押して押しまくるしかないみたいだわ)