14.伯爵家へ
それから父は、ゴールディー王国の国王陛下に謝罪の手紙を書いてくれた。正式な縁談ではなかったとは言え、こちらから持ち掛けた話を無かった事にして欲しいだなどと、失礼極まりない話である。下手をすれば私達のせいで隣国との関係が悪化してしまうかも知れないと戦々恐々としていたが、十日後に届いた手紙には、お互い酒の席の話なので気にしなくて良い、との大変お心の広い返事が書かれていて、私達は心底安堵したのだった。
まあその代わりに、ゴールディー王国名産の高級茶葉を頑張ってヴァイスロイヤル国内に広めなくてはならなくなってしまったのだが、実は既にルナ様に紹介済みで、反応も良くて売れるだろうと確信している私にとっては、とても容易い事である。
そして今日、私は先日ブライアン様と約束した通り、ゴードン伯爵家にお邪魔していた。
「先日は私が余計な事を仕出かしたばかりに、大変お騒がせしてしまい、申し訳ありませんでした」
「いいえ。何はともあれ、無事に婚約できて、本当に良かったです」
伯爵家の応接間で、父と私が無事にゴールディー王国と話が付いた事を報告すると、ブライアン様とゴードン伯爵夫妻がほっとしたように表情を輝かせた。
「とても安心致しましたわ。愚息は外見こそ私に似てくれたのですが、中身は主人に似てしまって、暇さえあれば身体を鍛えているだけで、紳士としての振る舞いも女心への理解も今一つですの。親としても、こんな愚息の所にお嫁に来てくださるご令嬢がいらっしゃるのかと心配していたのですが、アリシア様のような、淑女の中の淑女に来ていただけるなんて、本当に感激ですわ」
心底嬉しそうに語るマリア・ゴードン伯爵夫人。私を心から歓迎してくださっているようで、私も嬉しくなる。
「私は中身もマリアに似ている所はあると思うのだがな。天然で能天気な所とか」
「あら貴方、私の何処が天然で能天気ですの?」
「父上も母上も、お客様の前で止めてもらえませんか。どちらにしろ俺の悪口じゃないですか」
強面なのに何処か拗ねた様子の伯爵と、頬に片手を添えてきょとんとしている夫人と、頬を膨らませて不貞腐れるブライアン様。その内二人は体格の良い屈強な男性なのにもかかわらず、何故か全員可愛く見えてしまった。とても仲が良さそうな親子だと、私は微笑ましく思いながら紅茶を頂く。
「アリシア嬢、庭を見に行きませんか。先日ご紹介したリンドウとキクも、まだ十分に楽しめますよ」
「ありがとうございます。ではお言葉に甘えますわ」
「まあブライアン、貴方何時からそんな気が回るようになったの? お庭の事だって、以前は全く興味も無かったのに。恋をすると人って変わるものなのね」
「母上は少し黙っていてください」
頬を赤く染めた仏頂面のブライアン様にエスコートされながら、私達は庭に出た。ブライアン様の仰った通り、リンドウもキクも咲き誇っているし、ガーベラやマリーゴールドもあって色取り取りで見応えがある。何よりも、婚約者になってくださったブライアン様の腕に堂々と両腕を巻き付け、ピッタリ寄り添って腕の筋肉を堪能しながら歩ける幸せ。正に至福の一時である。
「こちらの庭も、可憐な花が多くて素敵ですわね」
「そう言っていただけると、母も喜びます。我が家の庭も季節によって様々な花が咲きますので、また是非見に来てください」
「はい。楽しみにしておりますわ。ブライアン様も、近いうちにまた是非遊びにいらしてください。今度は弟達を紹介しますわ」
「ありがとうございます。近日中に必ず伺います」
ブライアン様はルナ様の良きお兄様でいらっしゃるし、部下達の面倒見も良く慕われていると聞くので、弟二人もすぐに懐く事だろう。
雲一つない秋晴れの下、幸せ気分を満喫しながら、私達は皆様の所に戻った。
「アリシア様がお嫁に来てくださる日を待ち侘びておりますわ。何時でも気軽に遊びに来てくださいね」
ゴードン伯爵一家に見送られ、私と父は帰路に就いた。
「……良い方々だったな、アリシア」
「はい。ブライアン様に嫁ぐ日が楽しみですわ」
私が答えると、父は何故か涙目になり、口をへの字に曲げてしまった。
「……もし何か嫌な事があったら、すぐに戻って来て良いんだからな」
「はい。ありがとうございます、お父様。でもきっと心配は無用ですわ」
「……偶には、顔を見せに帰って来るんだぞ」
「……お父様、まだ婚約したばかりで、今すぐに嫁ぐ訳ではありませんわよ?」
「今から心の準備をしておかないと、結婚式でみっともなく泣いてしまうかも知れないじゃないか」
苦笑しながら、私は父を見つめる。
母が亡くなってから、男手一つで三人の子供を育ててきてくれた父だ。外交官という仕事柄、家を空ける事が多く、雇った家庭教師に王太子妃になる為と厳しく教育されてきた私は、内心では父に反発していた事もあった。だけど誤解があったとは言え、私の夢を叶えようと父が奔走していた事を知った今では、それらは全て父の愛情故であったとちゃんと理解している。
「お父様」
「何だ」
「私、お父様の娘に生まれて、とても幸せですわ」
私がそう言った途端、父の目からは滝のような涙がダバーッと流れ出した。急に泣き出した父に呆気に取られながら、私は頭を抱える。
(今からこの様子だと、結婚式が思い遣られるわ)