第一章9話 『そいつの名は』
「あのさ」
「なんじゃ従僕?」
現在、少年は己の手に持つ人間の右腕と会話をしている。
これは別に彼の頭がおかしくなったわけではない。事実を誠実に受け止めて、前に進もうと努力しているのだ。
右腕が喋ろうとも、今自分がいるところに隕石が落ちてきても、少年にとってはどちらも同じことだった。
側から見れば、人の腕という不気味なものを持っている人間として認識されるだけでなく、それと会話しているという狂人とみなされても納得がいく構図が出来上がっている。
「これって夢じゃないよな」
「お前頭大丈夫か?」
「いたって正常」
「そうか……それは良かったわい。ワシもお前の道化に飽き飽きしておったしの」
当たり前のように聞こえる声は、掌に縫い込まれたようについている口から発せられている。
真っ白な歯に血を塗ったように艶がある妖艶な唇を滑らかに動かすそれは、ガハハハッと、またもや下品に笑った。
鋭い八重歯がキラリと光る。
「もう知らねえ。今日の俺は何が来ても動じないだけの自信はあるぜ」
少年は半ば、呆れを通り越して無気力になっていた。
もう一々反応するのが面倒くさくなったのが本音だからである。
それにここは魔法ありありの異世界。喋る右腕が存在しても可笑しくはない。
今一度、深呼吸をしてその不気味な腕との会話を再開することにした。
「で、お前一体何者?」
「従僕のくせに偉そうじゃな。気にいらん」
「さっきから気になっていたけど、その従僕って何だよ?」
「従僕は従僕だろがい。ワシの従僕」
「俺っていつの間にこんなイカレた右腕のしもべになったんだっけ?」
この際の右腕は組織階級の右腕という意味ではない。
言葉というものは捉えようによっては、全く意味が異なる。
「それは思い出せと言いたいが仕方ないの。ウヌとの濃密な一時は忘れられん」
「おい、嘘だろ! 俺そんなサイコ設定だったの?! 冗談だよな?」
過去の記憶が全くない少年は、その犯罪者まっしぐらの経歴を認めまいと必死に問いただす。
どう考えても喋る人間の右腕と甘く濃密な時間を過ごしている人間は頭のネジが一本どころか五、六本は確実に外れていると言える。
少年はまだそれだけの常識は持ち合わせていた。
「ふんっ、都合のいいことだけこうもポロポロと忘れおって。ムカつくのう」
「とにかくお前は一体なんなんだよ?」
再度同じ質問をする少年。
そんな彼の声は一オクターブ高くなり、周りの注目を集める。
少年が腰を下ろす大きな木から大股五歩程離れたところで、遊んでいた幼い幼女が「おかあさーん! あの人何しているの?」と、首を可愛く傾けながらあどけない声を上げていた。
その可愛らしい娘に見せてやるものかと、幼女の母親は娘の目を手の平で塞ぎ、「こらっ、見てはいけません。こっちに来なさい」と注意を促し、徐々に少年から離れていく。
そろそろ少年はヤバイ奴になりつつあった。
「もうっ、お前のせいだからねっ! 責任取れよ!」
女々しく涙声で右腕に縋る少年は、側から見れば正気を失ったサイコ野郎そのものであった。
対してその例の右腕の方もドン引きであったらしく、
「お、おいっ! 顔を擦りつけてくるな! 気持ち悪い。ワシが悪かった。カースじゃカース!」
ようやく腕は名を名乗った。
そもそも腕に名というものがあること自体おかしな話であるのだが、確かにそう言ったのである。
「はっ? カース? それ名前? マジ?」
「ああ! 文句あんのか? 乙女なワシに恥をかかせおって」
「あぁ、それはなんというかごめん。……その、乙女ってことは女だよな」
やはり、右腕の様相から見て、女性の右腕だったことは確かであったが、まさか性別まで同じとは。
「ていうか、腕に性別とかあんのかいっ!」
ノリツッコミをするだけの気力は今の少年にはまだあった。
「もういいわ。ワシの高貴な手に触れたことは後できっちりと絞らせてもらうぞ。それよりウヌ」
「なんだよもういいよ。なんでも言ってくれ」
少年は頭に手をかかえ、打ちひしがれていた。
おまけに頭痛もしてくる始末。
泣きっ面に蜂とはこういうことなのだろう。
そんなテンションだだ下がりの少年とは裏柄に、そのカースと名乗る右腕は意外にもまともなことを言った。
「ウヌは今、なすべきことがあるじゃろ」
「なすべきこと? ……あっ、そう! それだよ! それ!」
何を忘れていたのをだろうと、己を呪う。
それほど理性をコントロールできていなかったらしい。
冷静な判断と状況把握がこの時では最優先。
途中、こんな得体の知れないものを認知してから、それを欠いていた。
「俺の身に起きている不可解な現象。それの考察だ」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
ただいまの時刻はおそらく正午。
地上に直射日光を突き刺すように浴びせる太陽は最も高い位置に見えるからだ。
この世界が少年の元いた世界と同じく惑星と呼ばれる星であるというのなら、惑星の運動周期は大して変わらないはず。
だが、異世界である以上、この世界がどのように作られているのかわからない。
もしかしたら、大陸を越え、海を越えたその先には大瀑布があり落ちれば奈落の底。という奇想天外な作りになっているかもしれない。
とにかく、この世界は非現実的な事象が起こって当然であるとして物事を考えるべきだ。
少年が腰掛けている広場にはのどかな風が吹いて、頰を優しく撫でる。
そのそよ風が、どこからともなく花や草木のいい香りを運んで来て、それがまた心を落ち着かせる。
「まず、論理立てて考察していこう」
「ほうほう、見ものじゃ」
いつの間にか当たり前のように謎の右腕が聞き手になっているが、少年は指摘しないことにした。
「まずはやっぱり、今日聞いた三度の爆破音だよな」
まさかのまさかで少年は一日で三度の爆破音を聞いている。
そのうちの一回は実際に現場まで確認しているため、間違いないはずだ。
おそらく2回目3回目も同じ場所で爆破が起きている。
そして何より問題なのが、その三度の爆破音を認知しているのが、自分しかいないというところである。
これはどう考えてもおかしい。
あんな大規模な爆破事件が三度も起これば誰だって覚えているはず。
なのに、行き交う人々は三度どころか、一度しかあの爆破音を体感していないようだった。
ここから導き出される仮説──少年しか体験していないことがある。
「いきなり意味不明な仮説が出てきた。まいったな」
少しばかり冷や汗を掻く少年であったが、次の考察を試みる。
「で、二つ目。毎回の爆破音を聞くたびに俺は例の通りで意識を覚醒させている、か」
一度目の意識の覚醒は例の通りのど真ん中で始まり、一度目の爆破音を体感した。
なんとなくでその爆破現場までいき、アリスと接触。
そしてアリスと友好関係を築けたのも束の間、最悪なことにアリスと見知らぬ少女の死を見て意識を落とす。
二度目の意識の覚醒は一度目同様、例の通りでスタート。
間近で人の死を体感し、正気を失い、嘔吐に苛まれる。
不思議なことにアリスの返り血や脳脊髄液は頭にも服にもついておらず、困惑してしまう。
これも神の悪戯なのか、運が悪いことに路地裏のごろつきに囲まれ、なんとか抵抗するも、結局ショルダーバックを取られてしまった。
そして、ショルダーバックに入っていた例の腕を見て、頭がおかしくなり再び意識が途切れる。
三度目の意識の覚醒はついさっき、ほんの數十分前に体感したばかり。
三度目の爆発も自身の簡単な情報も慣れたように受け入れた。
心優しい屋台の店主に自分と他人の認識の齟齬を確認したことも忘れてはいけない。
そして最も理解不能なのが、この喋る右腕。
感覚が麻痺しすぎて、不気味さはなくなったが、未だこれが何なのかは不明である。
わかっているのはこれが意思を持っている生物であり、名をカースと名乗る。性別は女? ということぐらいだ。
以上のこの三度の意識ごとの回想を振り返って出た仮説。
それは、意識が途切れるごとに何かが起こっていることだ。
意識が途切れたことにより、いつもの例の通りに移動している。
そしてこれはまるで……
「リセット? している感じがするんだよなぁ。繰り返しているというか。おい。カースだったけ? 君はどう思う?」
適当に話を謎の右腕に振る少年。
「その君って呼び方はやめろ。ウヌはワシの下僕じゃろ。それ相応の態度を見せなければ、会話する気は無いわい」
「そうすか」
「なんじゃその舐めた態度は! ムキーーッ! 腹立つ」
そんなことを口にする右腕は指を忙しく動かし怒りを表現している。
なんというかその仕草は意外にも可愛いらしかった。
少年は思わずフッと笑みを浮かべると、再び頭を回転させる。
今のところ考えられる仮説としては二つある。
一つ目は、リセット──現時点では、意識を失うごとにそれが起こっている。
そもそもこれはリセットというより巻き戻しに近いかもしれない。
ローカルテレビのリモコンの三角ボタンをポチッと押せば、液晶に縞模様が浮かびながら前のコマへ戻る。そんな感じだ。
二つ目は、予知夢──今から起きることを、意識の中だけで体感している状態。
つまり、エミリやあの赤髪の少女の死も予知されたことであって、実際は起こっていない。
全ては夢であり、事実ではない。だから、まだ彼女たちは死んでいないという希望も見えてくる。
ただ、ここで問題点が浮上する。
それはこうしている今も、実は予知夢の中ではないかということだ。
現実の自身の体は今も例の大通りに突っ立ていて、意識だけが可能性のある未来の一つを体験している。そういうことになるのではないか?
「いや、待て。じゃあこの腕はどうなる。二度目の予知夢に初めて出てきたこれは今、三度目の予知夢にも存在している。それはどう説明する? ということはこれは現実なのか? あれ? こんがらがってきた……」
「予知夢となぁ。もどかしいわい」
「あのさ、集中切らすのやめてくんない」
相変わらず偉そうな態度をとる右腕は舌をベーっと出して挑発してくる。
そのおちょくるような態度に我慢しながら、少年は訳知り口調のカースとやらに聞いてみることにした。
「なんか思い当たることでもあるのか?」
「ノーコメントじゃな。制約のせいで喋れんからの。今のお前にはどうしようもない。潔く運命に従え」
少し期待していた少年は呆れ返り同時に苛立った。
『今のお前にはどうしようもない』それが余計に腹が立ったのだ。
「もう意味わかんねーよ。はい、決めました〜。無視するからね、カースのこと」
「勝手にせい。そして早く真実に辿りついてくれ」
そう言うと、そのカースという右腕は黙りこんだ。
少年はこれ以上この不気味な腕に話を遮られるのを防ぐために、元の位置──つまりショルダーバッグに戻した。
ファスナーを閉め終わり一息つくと、
──えーッとなんだっけ。予知夢の話だ。この仮説を立証するには無理がある。今の状況証拠だけじゃ確かめようがない。つまるところ、今最も有力な仮説が……
「時間遡行か……」
ようやく少年は自身に起きていることの仮説にたどり着いたのだった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「時間遡行、タイムリープ、ガッツリSFだな。俺が体験しているのは……」
仮説にしては、無理があるかもしれないが、もし意識を失うごとに時間が巻き戻っているのだとすれば、今までの不可解な点の説明はある程度つく。
意識を失い、体験したことの記憶と一緒に例のあの大通りへ巻き戻る。
アリスの返り血もチンピラからの暴行の後も時間遡行が自身の身に起きたのであれば、意識が再び覚醒した時にその痕跡がないことも納得できる。
二度目の意識の覚醒から妙な既視感や違和感を感じたのもそのせいだ。
「だけど、まだ分からないことがあるんだよな」
それは、もしこのまま意識が途絶えなければどうなるのかということ。
時間遡行の発動条件といえばいいのかは分からないが、とにかくそれが起きるときは意識が途絶えたときだ。
一度目も二度目もそうだった。
実例としてはあと四、五回は結果が欲しいところだが、この際は仕方ない。
そうなんども意識を失うことは避けたいのが本音だ。
とにもかくにも、推測できることは、
「このまま意識が途切れなければ、時間遡行は発動しないはずだ」
パチンと指を鳴らし、少年は呟いた。
それに合わせるように少年がもたれかかっている木に止まっていた小鳥たちが一斉に飛び立った。
羽と羽が擦り合う音がして、ハラハラと一枚の羽根が少年の頭の上に辿りつく。
少年は頭の上に手を伸ばし、それを摘むとようやく重い腰を上げた。
──やることは決まっている。
仮説通りこの世界が、二度目の時間遡行を経た三度目の世界というのであれば、あの美しい白髪の少女アリスも、名も知らぬ赤髪の少女も、生きている筈だ。
ただその生きている状態もいつまで続くか分からない。
あの惨劇がまた起こる可能性だってある。
むしろその可能性が高い。
運命の強制力は絶対だ。
なぜこんな時間遡行に巻き込まれたのか、この右腕を所有している理由は知らない。
異世界にいる訳も知らないし、そもそもが自分が何者なのかも知らない。
知りたいことはたくさんある。でもだ。
「アリスも赤髪の子も見捨てられねぇ」
──記憶喪失な面倒臭い奴。
──未知らぬ世界でこんな俺ができること。
──そんなの決まってる
──俺はなんとしても二人を救う。上等だ。クソッたれな未来なんて変えてやる。
世界を繰り返し、運命に抗え。
少年は青空に細々とたなびく黒煙を見据え、再び駆け出した。