第一章8話 『湧き上がる既視感』
今日で三度目となる轟音が空気を震わせた。
相変わらず少年の周りを行き交う人々は悲鳴と叫び声を上げ、パニックに陥っている。
「なんというか、実家に帰った感じだ」
周りは恐怖と混乱に苛まれているというのに、少年の口調は平坦で滑らかだった。
そして、今となっては、自分の置かれている事態を冷静に整理できる気がして──
少年は拳を握り閉めると、足を一歩前に踏み出した。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
王都リオネのどこかに位置する大通りは相変わらず人と亜人でごった返しており、たまに二足獣の馬車が通りかかる。
爆発音が聞こえてから、数分後。
混乱は収まりつつあったが、行き交う人々は未だ真っ青な青空に儚げに伸びている黒煙を見つめている。
やはり、どの顔を見ても今日に三度も爆発事件が起こったということを認識している者はいない。
時たま聞こえるヒソヒソ話しに耳を傾けてみても、そんな事実を共有出来る者はいなかった。
「やっぱり、俺がおかしいんだよなぁ」
そんな彼の鼻腔を突如、香辛料の良い香りがくすぐる。
匂いの元をたどると、露店のファストフード的なものだった。
スパイスで味付けされた鶏肉のようなものを薄いパンに挟み込んだ屋台特有のそれは少年の食欲を掻き立てた。
──ここに来てから何も口にしていない。腹減った。
そんな少年が呆けた顔をしてボーっとしていると、
「──オイ兄ちゃん。食っていくか?」
皺の目立つ強面の中年男が話しかけてきた。
どうやらこの屋台の店主らしい。
少年があまりにもジーッと屋台で売り出している自分の品を見つめていたため、居ても立っても居られなくなったようだ。
「俺んとこはそこら辺とは一味違うぜ。ほらどうよ?」
そう言いながら、彼は筋骨隆々の腕をぐいと少年の口元に持ってくる。
その手には例の食べ物が添えられていた。
できたてのようで仄かに湯気が立ちのぼり、スパイスのいい香りが唾液腺を刺激する。
できることならこのまま齧り付きたい。けれど……
「悪ィおっちゃん。俺、金持ってなくてさ」
少年はこの国のお金だけではなく、かつていた世界の硬貨の一枚すら持ち合わせていない。
つまり、一文無しだ。
「……んだよ、じゃあ絡んだ意味ねーじゃねーか。仕方ねぇなー。たくっ、ほらよ」
少年が文無しだとわかり、機嫌が悪くなったのかと思えば、その店主は再び少年の手にパンを突き出した。
「いや、だから俺。文無し──」
「おいおい、察しろ。ただで奢ってやるってことだよ。鈍いやつだな」
この見た目が頑固で近寄りがたい店主はそう言ったのだった。
ただで食わせてやると。
厳しめに言って、彼の店は繁盛しているとはいえなかった。少しでも稼ぎたいはずだ。なのに、こんな一文無しに……
「本当に……いいのか?」
「さっさと受け取れ、坊主。俺のタピパンの味が落ちるだろうが」
店主の勢い押されたまま、少年はそのピタならぬタピパンをおずおずと受け取った。
一方で店主はくいと顎を動かし、少年に早く食べるように促す。
「いただきます」
はむっとタピパンに齧りついたその瞬間、少年の目は見開かれた。
まずは脂がのった食べ応えのある肉が肉汁と共に口内を暴れまわる。
少し辛めのスパイスはすんと鼻を通り、食欲を掻き立て、おそらく穀物で作られたであろうパンはナンのような柔らかさと風味が肉の味を更に引き立てている。
一言で言って、絶品であった。
「うまっ! なにこれ?!」
少年がその美味に感極まっているのを確認すると、その心優しい強面の店主はフッと微笑んだ。
「な、言っただろ。うまいって」
「あぁ、間違いねぇ、おっちゃんのが一番だよ」
少年は本心からそう思っていた。
同時にこんな美味しいものをただで食べたという罪悪感にかられる。
そんな彼の気持ちを察したのか店主は少年の肩に手をポンっと置くと、
「そんな顔すんなって。次来てくれた時に払ってくれりゃいい。とりあえずは元気出たろ?」
名も知らない店主の優しさを感じ、少年は決心する。
──俺は他人に甘えてばっかしだ。けど、借りは必ず返す。絶対に。
少年はそう心に決めると、店主の顔を真っ直ぐに見据えて宣言した。
「ありがとな強面のオッチャン。いつか必ず買い占めにくるよ」
「一言余計だっつの。まぁとりあえず頑張れよ」
「おう! 待っといてくれ。この恩は必ず……あ、それと一つだけ訊きたいことがあるんだけど」
「なんだ?」
「さっきの爆発って三度目だよな?」
とりあえず、これだけは確認しておきたい。
「おいおい、頭大丈夫なのか? えらいことになったもんだぜ、まったく……三度もあんなことが起こってたまるかよ。兄ちゃん、本当にやっていけのか? こっちまで不安になってきたぜ」
その少年の質問に店主は怪訝な顔をしながら答えた。
──なるほど、予想通りの答えだ。
「おう。安心してくれ。近いうちに必ずこの恩は返すよ。じゃあな、おっちゃん」
「せいぜい気ィつけろよ。坊主」
温かな目で見送られて少年は走り出す。
ひとまず向かう先は例の爆破現場前の広場。
そこにいけば、なにかが分かるかもしれない。
少年は妙な自信を胸に向かうのだった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
今、現在。
少年は足早にその例の広場まで移動している途中であるが、その時間がもったいない。
ということで足を進めながら考えることにした。
この不可解な現象についてまず整理してみよう。
最も気がかりになっているのが先程から感じる妙な既視感だった。
まずは今日三度目となる爆発音だ。
三度もあの鼓膜が取れるかと思うくらいの轟音を聞けば、流石に事態がおかしいことに気づく。
そして、毎回その轟音を耳に入れるのが、例の大通りの雑踏の中。それも三回もだ。
付け加えることがあるとすれば、その三回のどの時も意識が始めて覚醒したように感じ、自分が何者なのかわからない事実を認識したことだろうか。
なんにせよ、
「三回だぞ三回。俺は一体何をしている?」
額をぐりぐり指で押しながら一旦休憩。
少年は偶々、視界に入った噴水広場のベンチに腰掛けた。
無意識に出た『考える人』のポーズを披露する少年に、周囲から物珍しげな視線を向けられる。
その視線は幾度となく感じている。
それも三回ほど。あの場所で。
──今まで起きたことを思い出せ
最初の一回目の爆発音が聞き、自分が記憶喪失であることを認識した後、例の爆破現場前に向かった。
そこでアリスに出会い、ここが異世界だと断言できる事実を知った。
そして話をようやく進めることができると思った矢先、何かに追われているようだった赤髪の少女らと接触。
最後に覚えているのは赤髪の少女の死とアリスの穴の空いた顔。
そう。二人の少女は死んだのだ。
「で、俺は意識を失った。けど……」
再び意識が覚醒していた時には、例の大通りに佇んでいて、彼女たちの返り血はどこに行ったのやら綺麗サッパリ無くなっていた。
そんなことなど無かったように。
「そして二回目の爆発音だろ。もしかして、鎮火できていないところが連鎖的に爆発したとか?」
その点に関してはまだ情報が少なすぎるため、後に回すことにする。
とにかく、あんなことが起きたため、当然吐き気を催し、駆け込んだ路地裏でまさかのチンピラ共との遭遇イベントが発生。
必死に逃げて抵抗するも、彼らに捕獲され、怪我を負わされた。
「あの時負わされた怪我もないんだよなぁ」
と言いながら、もう一度少年は腰を捻り、腕を回し、手首を振った。
どこにも異常がなく、いつのまにか完治している。
見知らぬ誰かが自分が意識を失っている間に、治癒魔法なるものをかけてくれたのだろうか?
──そんなことってあるのか? 不自然過ぎる。
よってこの考えは却下。
話を戻そう。
チンピラ三人組は自身の持っていたショルダーバックを奪い取り、中に入っていた物を取り出した。
そう。中にある物を……
「いや……まさかな。そんな訳はないだろ……慌てんな俺」
突如、少年は例の爆破現場に向かう足を止め、方向を変えると、いそいそと人目がつかない場所を探し始めた。
彼の顔は緊張と恐怖に満ちていて、今日は快晴だと言うのに冷や汗までかいている。
それほど少年の心は緊迫していた。
ちょうど良い木陰がある広場の片隅まで移動すると、少年は腰をゆっくりと下ろした。
涼しい日陰を作る木の幹はそんな彼の心を落ち着かせる。
あたりを見渡せば、この付近には人は見当たらず、30メートルほど離れた所に幼子が母親とボール遊びをしているくらいだ。
公園なのだろうか。
ここならば少年の声が聞こえることもないだろう。
今一度、ふぅーと深呼吸をして、胡座をかく。
次に彼は肩にかけているショルダーバックを下ろし、手前に持ってきた。
外から触ってもなんとなく分かる。
──やっぱ……入ってんじゃん
「さっと出して、パッパッと確認。それでいいな、オーケー俺?」
スライダーをつまみ、ファスナーを開ける。
ジーッという特有の音が少年の鼓動の心拍数を早める。
そして、ファスナーを全開した時、彼の目に予想していたものが映りこんだ。
例の人間の生の右腕、ただし肘まで。
「改めて見ると、やっぱ気色わりー」
つい数十分前に見たであろうそれはショルダーバックの中にきちんと収まっている。
恐る恐るその腕に触れると、生暖かい血液がとくとく取り出し流れているのを感じた。
これだけならまだなにかの悪い冗談で済むのだろうが、この腕はそれ以上にタチが悪い。
「喋ってたんだよな? こいつ……手の平の口から」
少年はそう言いながら、腕の手の部分に注目した。
数十分前に見た時と同様、真っ白な腕で指の一本一本がしなやかに伸びていて柔らかい。
やはり女性の手で間違いないようだ。
霊素の抜けたといえばいいのか。
生命のともしびが消えた肉体には、ある種の残酷な美しさがある。
生きていれば人間で、死ねば単なる物だ。
そう簡単に割り切れるものではないが、特に切断面を除き傷一つ見当たらない腕の場合、その美しさは際立っていて思わず見惚れてしまった。
そんなことを少年が改めて認識していると、突如ありえないことが起こった。
どれくらいありえないかというと、目隠しダーツを一投でど真ん中に当てるぐらいのそんな神がかったことと同様だとは言っておこう。
その手の指が勝手に動き出したのだ。
自動的に不規則に。
まるでそれに魂が宿ったかのように。
親指、人差し指、中指、薬指、小指、はどれも不自然に動き、それぞれに意思が一つ一つ宿っているようで。はっきりいって気持ち悪かった。
何か別の未知の生き物に出会った気がしたから……
そして、
「おお、従僕。やっと正気に戻ったか! ワ……」
少年は無言で腕をショルダーバックに入れた。
まだ腕が喋っている途中にもかかわらずに。
少年は言った。
それは叫び声や悲鳴や狂った笑い声などではなく、至って平坦で単調なセリフだった。
「っし、いっぺん顔洗うか!」
爽やかな顔でそう答えると、広場の中央に位置する噴水前まで向かった。
この世界の噴水の機構はどのようになっているのかは知らないが、おそらくまたルフ操作とやらを利用しているのだろう。
そう思わざるをえないほど、その噴水は複雑な模様やリズムを描いていた。
少年は噴水を囲うへりに腰を下ろし、手でその噴水の水を掬い上げる。
水は冷たく掌から冷たい刺激が脳髄に伝わった。
思いきり顔をその掬った水につけると顔全体に冷気が澄み渡り、少年の頭を冷やす。
水面に映る彼の顔は前髪も濡れていて、泳いだ後みたいだった。
「ふぃーさっぱりした〜。まったく、どうかしてたぜ俺。夢から覚めた感じ」
ハンカチを携帯していなかったので無造作さに青のパーカーで顔をゴシゴシとふくと、少年は再び、木陰に戻り腰を下ろした。
そしてもう一度、ショルダーバックのファスナーを開け、中に入っていたものを取り出した。
が、しかし、
どうやら“現実”に狂いはないようで、
「いい加減にせんか!」
相変わらず、そいつは喋っていた。
当たり前のように。
「まぁ、あるわな。そりゃあるよ」
それが、少年の口からなんとか出た一言だった。