第一章6話 『空は爽快、心は愉快』
ドォォオオオオオオオオオオオォォォン!!!
腹を押し付けるような轟音が空間を震わせ、大地が唸り、鼓膜が揺さぶられる。
空間を切り裂くという表現の方が適切かもしれない。
皆が驚きのあまり腰をかがめた。
直後、割れるような悲鳴と叫び声が不協和音を奏でる。
そんな中、少年だけは突っ立ていた。
突然の爆発に驚いたのではなく、あまりの衝撃に反応することができなかったわけでもなく、 ただ、疑問と困惑と当惑で頭がいっぱいだったのだ。
──俺は一体? そしてここは……
どこだ? と考える前に無意識に口から答えを出していた。
「 リオスティーネ聖王国の王都リオネ……あれっ? なんで俺は知っている?」
自分が何者かもわからないのに、ここが何処かは知っている。
それはまるで一度この世界を認識したことがあるような気がして、
そして、
──そうだ。教えてもらったんだ、あの子に。えっとアリスだ。アリス?!
そこでようやく少年は思い出す。
この世界に来て戸惑う自分に親切に接してくれただけでなく、共にチュッパチャプスなるものを口にしたあの息が止まるほど美しい白髪の髪の少女のことを。
そして、彼女が最後どうなったのかを……
真っ赤な血と脳脊髄液。
あの生暖かい彼女の血と脳内物質のぬめりを思い出す。
「ふひっ……はっ……ははっ……あははっ………」
あの悍ましく悪夢に近い惨劇を脳裏に思い出した彼は、突然笑い出した。
急に不気味に笑い出した少年に周りを行き交う人々は何事かと少年を避ける。
少年の笑いは幸せをを喜ぶ笑いではなく、喜劇を楽しむ笑いでもなく、ただ正気を失った人間の笑いだった。
そして、次の瞬間、どうしようもないない吐き気が少年を襲う。
「うぶっ……おうっええええええぇぇぇぇっ」
込み上げてきた嘔吐感を堪えきれず、少年は口を押さえながら、近くの路地裏に逃げ込むように駆け込んで行った。
とりあえずで逃げ込んだ路地裏は人目にも付かず、思いっきりぶちまけることができそうだったが、
「うっ、え……げぇっ」
──苦しいっ、何も出てこねぇ……
喉と胃袋はリアルに残る記憶の衝撃から立ち直れず、痙攣するばかりで、少年は延々とその場でよだれを垂らし続けるだけだった。
思い出すまいと必死になるのは、思い出そうとするのと何ら変わらない。
「……ぉ、げぇ。げほっ、がほっ」
痙攣する胃袋と喉に力を入れすぎた為、ぜぇぜぇと息を吐く。
喘息かと思われるくらい肩は上下し、体内の横隔膜も上下する。
壁に手をついた状態で路地裏の石畳とにらめっこすること数十分。
ようやく、少年は落ち着きを取り戻し始めていた。
正確にいうと、えづく気力さえも無くなったというのが正しいのだが。
「はぁ、はぁ……しんどっ」
壁にもたれながらゆっくりと地面に腰を下ろす。
空を見上げれば、雲一つない素晴らしい快晴でそれが今の少年には憎たらしかった。
──落ち着け
嘔吐感により涙目になった目を擦りながら、首を90度左に回転させ、先程いた大通りの様子を確認する。
相変わらず人でごった返しており、たまに二足獣に引かれる馬車が通りかかる以外には、常に道幅一杯に歩行者が行き交っていた。
八百屋か果物屋かは分からない店主の快活な声がたまに少年の耳をくすぐる。
「えっと、なんだっけ?」
深呼吸をして、目を閉じ状況を整理する。
そして確認できそうなことから、把握していく。
まず、少年は頭を触り服を触った。
掌を見ても何も汚れが付いていない。
赤い血さえもだ。
この快晴な空と同じく爽やかな青色のパーカーは埃の一つも付いていないし、白のシューズにも赤い血痕はどこにも見当たらない。
──おかしい。アリスの返り血を浴びたはず
あの人形の様に整った綺麗な少女の顔を思い出しながら、パンっパンっとパーカーをはたく。
「どうなってんだ……一体?」
アリスに気分を悪くなったところを介抱してもらい、何から何まで親切に、そして、励ましてくれた。
ようやく何かをやれそうだと感じた時に、二人の謎の少女とおぶられた少年の介入。
直後。何かの衝撃を受けて、気づいた時には……
名も知らぬ赤髪の少女がアリスを庇ったことで死に、そしてアリスまでも──。
「そうだっ、アリス!」
最後に見た儚げで美しい顔を思い出す。
彼女は額から左目をなくして、ぽっかりと顔に空洞を開けたまま死んだのだ。
一瞬にして。
少年は唇を噛みしめる。
「俺は……なにをしていた? なにもできなかった? いいや……違うだろ。なにもしようとしなかったんだ」
アリスもあの名も知らぬ赤髪の少女は死んでいる。
そんな残酷な想像を少年は振り払った。
『逃げて』と。
赤髪の彼女は確かにそういった。
自分が死ぬ直前まで、他人を優先したのだ。
アリスはそんな彼女を最後まで必死に命を繋ぎ止めようとしていた。
決して諦めず……
「諦めてたまるか。二人の亡骸だけでも絶対に……」
そこで少年はふと頭に引っかかったことがあった。
俺はなぜ今、あの場にいないのだろうと。
確かに数十分前に気を失った感覚はあった。
であればだ、余計に合点がいかない。
再び意識が覚醒したのなら少年が目覚めるべきは爆破現場近くの路地の筈だ。
今はおそらく血と死臭で悲惨な状況になっている筈の。
──どうして俺はここに? それに……
「さっきの爆発はどういうことだ? 今日で2回目だぞ」
ますます訳が分からなくなった。
何かを見落としている。
重要な何かを。
それでも少年がまずやるべきことは変わらなかった。
「とりあえず……」
──例の路地に向かう。考えるのはそれからだ。
だが、そんな少年の決断は、
「おい、そこのヒョロヒョロ兄ちゃん。俺らに付き合ってくれや」
路地を塞ぐ様に立ちはだかる三人の男達によって邪魔されるのだった。
「そういう展開? なんだよ……それ」
少年のかすれた小声が路地裏に虚しく響いた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「おーい、兄ちゃん。こっち見ろこっち」
そう言いながら手をパンパンと叩くのは三人の中で最もガタイのいい男。
「俺らさ、今めちゃくちゃ機嫌が悪いんだよね」
二人目の三白眼が特徴的な男がニタニタ笑いながら愉快に話す。
「あぁ、まったくだぜ。さっきはよく分からん小娘に邪魔されるしよ……」
最後に三人目の長身の男がぶつぶつと文句を言った。
「はぁ、それは……はい」
としか言いようがない少年。
侮蔑と嘲弄混じりの視線。
男たちの年代は二十代そこそこで、内面の卑しさが顔からこぼれ出ている。
それを表す様な薄汚い身なりが彼らがどういう立場の人間なのかを少年に知らしめた。
少年の持つ知識の中で言えば、追い剥ぎ。
簡単にいうとチンピラである。
薄笑いを浮かべる男たちに、愛想笑いで場を持たせながら少年は思考する。
──チンピラの対処法なんて知らねぇ。どうすればいい? 向こうは三人。こっちは一人。数的には向こうがどう考えても有利だ。助けを呼ぶにしてもここじゃあ到底届く気がしない。つーことは……
少年はすぅーと大きく深呼吸をすると、腹に力を込めて叫んだ。
「すんませんっ! 急いでいるんで、また今度っ!」
同時に回れ右すると、足に力を込め地面を蹴った。
少年の体は一気に加速する。
どうやら意外にも運動はできる体の様で、それは今の少年にとって救いだった。
「お、おい! 待ちやがれっ」
チンピラの誰かが叫んだのが聞こえたが、そんなことはどうでもよかった。
狭く薄暗い路地を全速力でつき進む。
日陰の冷えた空気を切り裂くのは気持ちがいい。
心臓は激しく鼓動し、次第に肺が悲鳴をあげ始めるも少年の気分は爽快だった。
しかし、なんの因果か人生そう上手く行くものではないらしい。
なんとかチンピラを撒いたと安堵し始めた少年の目の前を塞いだのは、行き止まりだった。
ここら近辺の建物は複雑に入り組んでおり、まるで迷路の様。
「やばい、これって……」
少年の心にふつふつと不安が込み上げてくる。
まだこの世界に来て一日もたっていない彼はここの土地勘が全くない。
つまり、この入り組んだ路地から抜け出すのは至難の技。
そして、最も懸念すべきは、彼らが特にここら辺について詳しいのではないかということだった。
彼らというのはもちろん……
「……オイオイオイまてや。兄ちゃん」
「なに勝手に逃げてんだ? テメー、なめてんのか? ああ!」
「処刑の時間でーす」
相変わらずゲスい顔がお似合いのチンピラ三人組。
状況を再確認しよう。
前方は行き止まり。
レンガでできた8メートル近い壁が高々とそびえ立っている。
一方で後ろを振り返れば、今にも襲いかかってきそうなチンピラ三人組が通せんぼ。
これを単身で突っ込んだとしても突破できる見込みがない。
──うーん。これは詰みですね。けど、そう弱音を吐いている場合じゃねぇ
そう己を振るいたたせる少年の表情から読み取ったのか三白眼男が腹を抱えながら笑った。
彼の笑いには少年を小馬鹿にする、又は嘲笑うかのようなそんな感情が込められていた。
笑うごとに三白眼の目尻が細まり、それが返って恐怖心をくすぐる。
「おいおい、まさか俺たちとやり合おうとかそんなことを思っているんじゃないだろうなぁ? 兄ちゃんよ。とりあえず持ち物と着てるもん全部置いてけ」
少年の持ち物といえば、肩にかけているショルダーバックくらいなものだが、チンピラ達からすれば何が何でも少年から取り去ってやろうという気らしい。
「本当に……全部渡したら……俺は解放してくれるんですよね? ……ほ、本当ですよね? 命だけは見逃してくれるんすよね……」
若干、震え声で再度確認する少年。
「あぁ、それと機嫌直しにボコらせろ。やりすぎて死んじまったらごめんな。ギャハハハッ!!」
少年とチンピラ達の勝負の行方は目に見えていた。仮に少年が抵抗しても勝つのはチンピラ三人。
絶対的な数の有利から負けるはずがないという自信を彼らは持っている。
だが、最後の一言で少年の中で何かがぷつりとキレた。
少年は覚悟を決めると、目の前に立ちはだかるチンピラ三人を真っ直ぐに見据えて言い放った。
右手を上げ中指と人差し指を両方揃えてくいくいと動かす煽り付きで。
「さっきから好き放題言いやがって! 調子のんじゃねーぞ! そう簡単には降参しねえよ。かかってきやがれチンピラ野郎っ!」
少年は愚かにも彼らに喧嘩を売っていた。




