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リピーテッドマン  作者: 早川シン
第二章「underground」
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第二章25話 『デタラメ世界のバックドア』

第二の軌跡──三周目の世界

//地下都市アーカム/最深部

 

 そこは天国と呼ぶには余りにも空虚で、地獄と呼ぶには静謐な空間だった。

 都市部の下に広がる遺跡層よりもさらに奥深くに眠るわずかな狭間。

 この都市に古くから住む者でさえ知らない場所にそれはある。


「ここも……ハズレ」


 そんな生きとし生けるものを全否定するかのような場所で彼は呟いた。

 ゆっくりと瞼を開き、肺に新鮮な空気を送り込む。

 右手から伝わる被造物の生温かさが、彼をこの次元に結びつけている証と言えるのだろう。

 裏の世界に干渉する感覚は慣れていても決して油断はできない。

 彼の意思に呼応するように被造物の五指がわしゃわしゃと動いた。


「分かってるさ、フライデー」


 彼はやんわりとそうなだめる。

 死者の肉体の一部にヒトならざるモノを人工的に書き加えた生物機器──自動書記(オートマティスム)と呼ばれるそれは通常通り機能していた。

 システム上の問題は無い。バクが生じる隙も無い。であるならば……


「そっちはどう? K」


 彼の後方からネオンカラーの光が照らされた。

 現れたのはクリアコートに身を包んだ同僚のひとりだった。

 彼女もまた自動書記を片手に添えている。


「通算288回目の試行を終えたところだけど、全て空振り。君の方は?」


「通算274回目の試行もハズレ。ダメだねこりゃ。どこもかしこもデタラメだよ」


 肩をすくめながら如月リオは吐き捨てた。

 疲れが溜まっているのか、目元が黒ずんでいるように見える。


「カイルたちは?」


「同じでしょ。二人ともタフだから見つかるまでぶっ通しでやるんだろうけど」


「だったら僕らもぶっ通しでいこうか。無茶は良くないが、現実はそうも言ってられない」


 Kはフライデーに予備動作を命じた。青いプラズマを散らしながら指の関節が不可思議なモーションを描いていく。


「てかさぁー本当にあるの?」


「あるさ、もちろん。nirvana(ニルヴァーナ)の演算は絶対だ。それは君もよく知るところだろう?」


「ハイハイそーですとも。分かった上で言ってんの。無いよコレ。演算のバグだね」


「疲れてる?」


「見たまんま。何百回も同調する羽目になってさ」


 露骨に嫌な顔をするリオにKは苦笑した。

 確かにリオの苦言はもっともだと思う。

 本来であれば、9課のメンバー総出で処理しなければならない任務をたった4人でこなすのだから、この指令は無茶を通りこして無謀と言っても過言ではない。


「どうするつもり?」


 Kは爽やかに微笑んだ。


「考えがある。とっておきのね」


「ふぅーん……是非とも聞きたいかな」


 リオは整った眉をひそめた。

 もうその面は見飽きたから、気が紛れる話でもしてくれよとでも言いたげな表情である。

 目線で合図すると、Kは静かに歩きはじめた。半歩遅れてリオもその後を追った。


「君は今回の任務についてどこまで知ってる?」


「上からの指令が全てでしょ。四日前、nirvanaが第一級位の予言を開示。

 その内容は次元領域コードE830のマイナス座標にて、未解明言語基盤を含むシグナルが一定期間発生するというものだった。二課の解析により、予測されるシグナルの発信ポイントが地方都市アーカムの最深部であると判明。

 そして、早急にシグナルを回収するため派遣されたのがあたしたちってわけ」


 そう滑らかに経緯を振り返るリオは「でも、その言い方……裏があるって意味だよね」と付け加えた。


「その通り、僕らの任務は過程の一部にすぎない。予言から外れないよう情報が制限されている」


 急勾配に差し掛かり、Kは歩くスピードを緩めた。

 彼の手元の自動書記は依然として複雑怪奇なモーションを描き続けている。

 リオは唇を尖らせ呟いた。


「縛り付けられるのって嫌だな」


「仕方ないさ。nirvanaの開示する予言に従うことが異間公安の現方針だからね」


「前から気になっていたんだけど……いつからこの方針に切り替わったの?」


「あれ、君はてっきり知っているものだと──」


「あたしが知ってることなんて無いに等しいよ。特異課に配属されて最初にしたことは今でも鮮明に覚えてる。

 だだっ広い部屋の真ん中で山積みにされた口外禁止事項の誓約書に延々とサインし続けるの。しかもアナログで。気が狂うかと思ったね。で、知らされたことと言えばnirvanaとかいう予測演算機が開示する任務を遂行しろ──以上。闇深いよこの職場」


「なるほど、君もそのパターンか。だったら知らないのは当然だ」


 Kは苦笑して腑に落ちた調子で言った。

 リオはあからさまに怪訝な顔をして、


「そう言えば──」


 唇にふと人差し指を当てた。


「Kってあたしが入るずっと前からいたよね」


「うん。だからおおよその成り行きは知ってるよ」


 歩みを止めて、Kは振り返った。


「知りたい?」


「もちろん。でも勝手に話しちゃっていいの? 予言が狂ったりしない?」


「君もずいぶんとここに染まってきたようだが、安心してくれ。僕からの情報開示は何を隠そうnirvana直々の指令なんだ。このタイミングで君に伝えろってさ」


「え、なにそれ……超怖いんだけど。てか……さりげに誘導したよね」


 リオは言い淀んだ。


「いま、あたしが知ることで何かが変わるの?」


「さぁ……どうだろう」


 Kは一瞬沈黙したのち、静かに口を開いた。


「現在使用されている予測演算機──nirvana。

 そのプロトタイプは僕らが創り出したものではない。ガス生命体〓■〓•〓が理論を構築し、異星人フニクラの技術によって生み出された。

 因果律に基づく演算機の予言は絶対にして必然的かつ完膚なきものだった。

 今では誰もが知る事件──未界大戦、ガルカ大災害、スペクター13の反乱、ドットランド崩壊、恒星間天体ヨルタ落下、そして大終焉──未来で必然的に起こる事象の全てを正確に出力したんだ。

 当時、このことを知っていた世界政府は予言について懐疑的だったが、予言された出来事が現実に起こるにつれ、その重要性を認識し始めた。

 その後、大終焉による技術革命期を経て現在の方針が基盤となった。すなわち、新たな予測演算機を複数機稼働させ、人類にとって最善の未来を常に取得し続けるという理念だ」


 Kはそこでひと息ついた。

 リオは神妙な面持ちで聴いている。


「第3号機のnirvanaは異間帯が現世に及ぼす影響を予測演算し、最悪の事態を未然に回避するよう設計されている。異間公安は現世と異界の均衡を保つことを公言しているが、それはあくまで建前上の話。本来の目的は人類の未来を存続させることに他ならない。

 僕らに課された任務はその一端を担うものだと思って取り掛かってくれ。以上が君に開示すべき内容だ」


 そう緩やかに締めくくると、Kは再び歩き出した。

 静かな空間の中、自動書記の作動音だけが不規則なリズムを刻んでいる。


「ひとつ訊いていい?」


 リオの素っ気ない声がKの歩みを止めた。

 振り返ると、リオの真顔が彼の視界に入った。

 Kは穏やかな表情を浮かべた。


「あなたはどこまで知ってるの?」


 わずかに沈黙が流れ、


「知ってるとこまで……かな」


 Kが単調な声音で言うと、リオは小さく吹き出した。


「うん。そーだよね。あんたはそう答えるしかない。情報開示だって拡現(オーグ)を使えばいいものを、わざわざ回りくどい伝言を選ぶあたり意味があるんでしょ……きっと」


 数歩で開いた距離を詰め、リオはKの隣に並んだ。


「何はともあれ伝達係お疲れ様。開示内容については了解したよ。予測演算機の開発に“彼ら”が関わっていたことは意外というよりも腑におちた感じかな。

 今じゃ“彼ら”による技術の恩恵は測りしれないものね。ここまで依存してんのもどーなのかって話だけど」


 彼女らしい物言いにKはふわりと笑みをこぼした。頭ひとつ分背が低いリオはその口元の緩みを見逃さない。


「で、今からとっておきの考えってやつを聞かせてくれるんだっけ?」


 肘でKの脇腹を突きつつ、興味津々な調子でリオは言う。

 Kは軽く頷いて歩き出した。少し歩調を早めながら、


「現状を整理すると、件のシグナルはまだ見つかっていない。アーカムの最新部といってもここは自然の迷宮。指定されたポイントを探すのにも一苦労だ。何より厄介なのが、裏世界(リバース・サイド)のどこかに隠れている可能性が高いということ」


「そのせいであたし達は何度も裏世界に干渉する羽目になっている。シンプルだけど大変ってやつだね」


 極端に例えれば、砂丘から特定のひと粒を拾ってくるようなもの。

 人海戦術でさえ成り立っていないこの状況でどうこう出来る問題ではないのだ。


「さらに困ったことに時間的猶予もあまりない」


「予言によればこの数日に発生するって話でしょ? 冷静に判断するとわりかしピンチじゃない?」


「あぁ、このままいくと任務は失敗に終わる。この状況を用意してくれたnirvanaに鬱憤を思う存分ぶちまけたい所だが、ここでどうにかするのが僕らだろ? 終わり良ければ全てよし、いよいよ追い詰められたとある中間管理職は考えに考え抜いた結果、強硬手段を講じることにした。つまり──」


 わざとらしい語り口調でひと息継ぐと、Kはゆるりと言った。


「バックドアを使う」


 一瞬……会話の間が空き、


「ちょっと、待って……」とリオは動揺し、


「え……バックドアって言った?」と神経質気味な口調で言った。


「言ったさ」


 Kはそう言いながら、冷静に答えた。


「嘘でしょ……呆れた」


 その言葉尻からは彼女のどうしようもない苛立ちが垣間見える。


「ソレ、どういう意味か分かって言ってんの?」


「もちろん」と認めて、「多少は無理しないとね」とさらにKは付け加えた。


「このまま無謀な試みに時間を割いても意味がない。シグナルが存在する裏世界を見つけるためには、変化球でいかないと」


 Kが真正面から向き合うと、リオは少し目を逸らした。


「戻ってこられる自信はあるの?」


 リオはKのやろうとしていることを肯定できずにいた。

 なぜなら、“バックドア”は裏世界へ干渉する方法の中で最も危険視されているからだ。


 通常、裏世界へ干渉するには自動書記を用いた死霊同調(ゴーストシンキング)が正攻法であり、次元層の間を自由に行き来し、不可視領域(裏世界)への干渉を可能にしている。

 そして、死霊と契約することで元いた次元に浮上できる仕組みだが、常に危険が伴っていることに変わりない。

 それでも“バックドア”に比べれば、はるかにマシだと誰もが語る。


「最悪、次元の果てまで落ちることになるよ」


 “バックドア”とは死霊同調を極限まで高めた術であり、言うなれば術者自身の非物質化だ。

 肉体から離脱した術者の魂のみが次元層を落下していき、一度にあらゆる次元層に干渉できるチート技である。

 しかし、わずかでも操作を誤れば、元いた次元に浮上できないどころか深層まで落下し続け、非物質世界の彼方を魂だけが永遠に彷徨う最期が待っているという。


 “裏口(バックドア)”という呼び名の裏に、裏世界へのショートカットという意味ではなく死へのショートカットという皮肉があるのもそのためだ。

 自ら自動書記との制約を破ることで発動するというが、そんな馬鹿なことをする命知らずは“腕持ち(ホルダー)”の中で誰一人としない。


 目の前にいるこの男を除いて……


「もちろん、戻るさ。シグナルを見つけてね」


 穏やかで凛とした声だった。


「そう言い切れる自信があるなら……羨ましいよ」


 リオは苦々しく言葉を溢した。

 たぶんこれ以上言ってもKは考えを譲らないのだろう。付き合いはそれほど長くはないが、仕事仲間として彼のことを理解している自負はある。

 Kが穏やかな顔で見つめているうちに、彼女は気をとりなおし、つとめて真面目な顔を浮かべた。


僕の自動書記(フライデー)は少し特殊でね。“バックドア”を扱うのに適しているんだ。詳しくは言えないが」


「知ってる。だからこれ以上言及しない」


 リオは諦めたように吐息をつく。


「そう言ってくれて助かるよ。もちろん、君の懸念も十分理解してる。それでも、いまはどんな手段を使ってでも任務を遂行すべきだ」


「どうしてそう思うの?」


 リオは素直に訊いた。


「状況が複雑かつ迅速に変化する可能性が高いからだ。シグナル回収の件も含め、この数日間の予言……()()()ない。僕らが知らない前提で行動するための保険だろうが、変に細かな指令が多いように感じる。ここまで複雑なのは初めてじゃないか?」


「たしかに」とリオは頷き、


「会話のワードまで几帳面に指定されていたし……ほら、昨日……隠れ家でさ」


 昨晩の飲み会を思い出した。正確に言えば、nirvanaの指令により、飲み会というていで行われた謎イベントである。


「特異課の内部情報に極秘の作戦まで開示するもんだから冷や汗掻きっぱなしだったよ。よかったの? あれで? 最悪、彼にまで危険が及ぶよ?」


「キリエ・ミハル」


 Kは静かにその名を述べた。


「君は彼についてどう見てる?」


 リオは首を傾げて、こう言った。


「うーん、依然として興味はあるかな。尸霊人、名無しの自動書記所持者、もう一人の追放者、イレギュラー、色々あるからこそ慎重に監察すべきだけど」


 リオはKより足早に進むと、彼を追い越し、振り返る。


「ついでにいい?」


「エミリのこと?」


 リオの意思を最初から予期していたような態度だった。リオは「そう、説明して」と語気を強め、


「要監察対象をたったひとりで受け持つのは危険すぎる。上級監察官ならともかく、エミリはつい最近一等監察官になったばかりだよ。今からでも人員を再編成すべき」


「心配なのかい?」


「あの子がとても優秀なのは知ってる。でも、監察官としての日は浅い。もしも──」


 Kの鋭い声が遮った。


「それもnirvanaの指示だ。僕らのメンバーの誰か一人というわけではなく、メンバー内で唯一、個人名で指名されている」


 リオは一瞬狼狽し、後ろに後ずさった。


「……どうして教えてくれなかったの?」


「君ならきっと反対すると思ったから。そしてエミリとの約束でもある」


 Kはまっすぐリオの両目を見据えて言った。


「昨晩、二人で話したんだ。この任務の責任者である僕もあらかじめ知らされていたからね。エミリはやり遂げるつもりだよ。彼女は本気だ」


 リオは息をのんだ。彼女の色白の喉仏がヒクついた。それから顎を少し引いた。

 Kは補足するように言った。


「予言の中でエミリは重要な立ち位置にいるのかもしれない」


「よほど信頼しているんだね……nirvanaのこと」


「逆だよ」


 その目は冷酷無情な、得体の知れない思惑があるようには見えなかった。

 淡々とKは言葉を継いだ。


「むしろnirvanaの利用には懐疑的さ。人類にとって最善の未来を目指すために何を犠牲にしたっていいというやり口は傲慢の極みだろう?」


「それ本音?」


 Kは静かに笑った。


「もちろんnirvanaが完全に間違っていると言いたいわけじゃない。ただ、前回の任務を期に、これまでにない挙動を起こしていることは確かだ。単なるバグか、偶然か、それとも故意的な要素が絡んでいるのか、推測は尽きないほどある。だからこそ、今回の任務はそれを解明する上でも重要なんだ」


 そこまで言い終えると、リオはしばし思案する気配を見せた。


「でもエミリが僕の大切な部下であることに変わりない。事前に策は講じてある」


 そう言う彼の顔は涼しげなもので、いつもの調子だった。

 なにが“仕事仲間として彼のことを理解している”だろう。何も分かっていないのは自分だったじゃないか。

 顔を見られないようにKの先を進み始めた時、リオの拡現にメッセージが届いた。

 それはKも同時だった。


「二人に先越されちゃったかな?」


 同時にファイルを開けると、沈黙がおちた。


「シグナルではないが──」とK。


「気になるものを見つけた?」とリオ。


 二人の視線が交差して、リオが軽い調子で訊いた。


「これもnirvanaの予言通り?」


 Kは肩をすくめて歩き出した。

 瞬く間に二人の姿は闇に溶け込み見えなくなった。


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