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リピーテッドマン  作者: 早川シン
第二章「underground」
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第二章24話 『虚構と現実』

 

 その台詞を聞くのはこれで三度目だった。

 甘味に満ちたチョコレート飲料か、それとも苦味とコクの強い抽出飲料かの二択。

 1週目の時はホットココアを選び、前回は何も飲んでいない。

 しばし考えて、ミハルは後者を選んだ。


「コーヒーで」


「オッケー。私はココアにしよ」


 まだ乾ききっていないショートヘアの赤髪を揺らしながらエミリはそう言った。

 淡い水色のオフショルダーネックから見える肩口は健全で、半袖と短パンのルームウェアに変わりはない。

 目の前の丸テーブルの質感、新鮮な朝陽の光線、風が運ぶ緑の香りとパイプ管から流れ出る水流の音、その他諸々変わりはない。

 全ては一瞬にして起こり、世界は何事もなかったかのように進んでいる。


「ぼーっとしてるね。昨日はよく眠れた?」


 エミリはテラスの外に広がる景色を見て言った。


「うん……もちろん」


 言い終えて、ミハルはすぐさま訂正した。


「いや、実は……変な夢みて、それからぐっすり」


「ふーん。面白い夢? 怖い夢? 覚えてる?」


「半々かな。追いかけられたり、落ちたり、奇妙なものを見つけたりとか……いろいろ」


 滑らかにテラスに現れた給仕ロボが注文の品を置き去っていった。

 エミリは口元を綻ばせ、マグカップを手元に引き寄せる。


「夢っていつもそんな感じだよね。ありえもしないことがリアルに起きて……おかしいなって思ったらいつの間にか目覚めててさ」


「エミリはよく夢みるの?」


「最近はぜんぜん。快眠ってことなんだろうけど、久しく見ないと寂しいね」


 いつも通り、エミリはカップの縁から慎重に息を吹きかけた。


「夢って意識的にコントロールできないところが面白いと私は思うの。自分の知らない内面に触れられるっていうのかな。一説では過去の記憶を整理するために脳が記憶と記憶を繋げてストーリー化したものだったり、その人の願望を反映したものらしいよ」


「もしかしたら」とエミリは続ける。


「ミハルがこれから見る夢も欠如した過去の記憶の手がかりになったりして」


 一瞬──ふたりは俯き、そして同時に吹き出した。


「じゃ、今から二度寝でもするか」


「コラコラ、怠惰な生活はいけません。健康に悪いし、なによりお肌の大敵なんだから」


 少し心に余裕ができたこともあり、ミハルはコーヒーを一口啜った。

 鼻と舌にそれほど自信はないが、おそらくKが勧めていた豆と同じ品種なのだろう。

 仄かな酸味と香ばしい匂いがミハルの記憶を引き戻していく。そして、ようやくミハルは現実に向きあった。


(……ここは三週目の世界。二度目の他死戻りが更新されたんだ)


 つい数分前の出来事を思い出そうとしても不鮮明で身の周りで何が起きていたのかは分かっていない。


 第三階層でイカれた少女に命を狙われ、崖から落ちた先で現実世界の遺物を見つけ、生首教祖が蠢く地下の巨大施設に迷い込み、挙句の果てには世界の命運を握る使命を託されるまでとなった筋書きは誰に話したって理解されないだろうし、それこそ“夢だよそれ”で一蹴されるレベルの内容である。


 ただ、思い出すほど映像は生々しくミハルはその記憶を受け入れざるをえなかった。


 テーブルの真ん中に置かれたガラス細工の器には小麦色の焼き菓子が積まれている。

 ミハルは何気なく器からその一枚を摘みとり、揺れる双眸でみつめた。


「ジンジャークッキーだよ。ミハルが生姜好きそうだから選んでみたの」


「辛い?」


「ううん、生姜の風味がするだけ。さっぱりした甘さで美味しいよ」


 一欠片を口に含み咀嚼した。


「本当だ。好きな味かも」


「それは良かった」


 もう一枚、クッキーを手に取るとミハルは決心した。


「エミリはさ……」


 このことを話すなら今しかない。


「宇宙人っていると思う?」


 生首教祖、リリハ、ニーナ、ドリーの姿が残像となって脳裏に浮かぶ。

 リリハが言っていた事実が正しければ、彼女達の存在は異星人、もしくは宇宙人という立ち位置になるはずだが、その推測が100%正しいとは限らない。

 それゆえ、この世界を囲う外側がどうなっているのか、その答えに辿り着くために必要な前提知識を持っていないミハルにとって、この問いかけはとても大きな意味を持っている。


 期待と興奮の入り混じった面持ちで向かい側へ視線を上げたミハルは、奇妙な表情で瞳の奥を見据えられていることに気づいた。


 上手く説明はできない。

 見慣れたエミリの表情は凛々しいはずなのに、作られたような違和感が張り付いているように思えたのだ。まるで──


「急に突拍子もないこと言い出すものだからビックリしちゃった。ミハルって少し天然なトコあるよね」


「えっ?」


「信じる信じない以前に宇宙人の存在は確認されているじゃない。

 異星人フニクラ、ガス生命体〓■〓•〓……大終焉が起こる44年前、オセアニアのとある孤島に彼らが飛来した事件は有名でしょ。あれから人類の文明レベルは飛躍的に進歩したんだから──うわっ、ミハル?!」


 その時のミハルの動揺といったらこれまでの比じゃなかった。

 食べかけのクッキーが喉につっかえ、咳き込んだまま慌てて熱々のコーヒーを流し込んでしまうくらいには衝撃を受けていた。


 ついにエミリまでもがおかしなことを言い始めたじゃないか。

 涙目でそう訴えながら、ミハルは言葉を振り絞る。


「ケホッ……ごめん、そんなこと全く知らなくて。つまり……どういうこと?」


 エミリは心配と不安がともなった表情でこう答えた。


「大終焉よりも以前に起こった事件なんだから、ミハルにとっても常識の範疇じゃないかってこと……だよ」


 ミハルを含む追放者は大終焉が起こした災害が発端となってこの世界に迷い込んでいる。

 その前提がある以上、大終焉前の出来事がどんなにスケールが大きかろうが、知っておいておかしくないのだ。


「でも、俺はついさっきまで知らなかった……そんな話」


「記憶喪失の影響ね。エピソード記憶だけじゃなく意味記憶の方にも欠落部分があるんだと思う。ごめんなさい。順序立てて話すべきだったわ」


「いや、いいんだ。頭が……追いつきそうにないだけで……そうか。そうなんだ」


 宇宙人の存在が認められた世界、それがミハルの知る現実世界だとエミリは言う。

 今まで空想上の事象だったものが、現実を侵食し始める感覚は何度経験しても不気味だった。


「じゃあ」とさらにミハルは問いかける。


「この世界にもいるのかな? 宇宙人」


 エミリは首を傾げて、さらりと告げた。


「いるかもね」


 ホットココアをひと口啜り、


「この世界がどうやって成り立っているのか、昨日聞いたでしょ。無数に存在する世界のひとつ、現実世界とは似て非なるけど、骨組みは変わらない。地球と同じ惑星の下にあり、月と同じ衛星だって周回している」


「そして」エミリはマグカップを両手で包み込み、ホッと息を吐いた。


「この世界にも宇宙が存在する。私たちの知る宇宙とどこまでが同じでどこからが違うのか、まだまだ分かっていないことが多いけど、この世界は比較的私たちの世界に近い要素で成り立っているはずだわ。現に私たちはこの世界の環境に適応できているものね」


 言われてみればその通りかもしれない。


「そう考えたらさ。この世界のどこかに彼らがいても何らおかしくないんじゃないかって……私は思うんだ」


「ふーん、いるなら是非とも会ってみたいな。もちろんグロい系は願い下げで」


「あははっ、それは同感。体液とか飛ばさないで欲しいよね」


 奇妙な状況だった。

 ひとりは宇宙人の存在が当たり前の常識を持っていて、もうひとりは宇宙人が空想の存在であると認識していながらも、ついさっきまでこの世界の宇宙人に出会っている。

 エミリの知らないことを知っている事実に対する優越感と、この事実をどう扱うべきかその答えがすぐに出てこないもどかしさがミハルの心中でうごめいていた。


(──失敗しないためには確実な情報が必要だろ。見えている虚構と見えていない現実。本質はそのどこかにあって俺はそれを掴み取らなきゃいけない。そして、それはたぶん……いまじゃない)


 会話のピリオドを打つように給仕ロボが朝食を運んできた。

 エミリの中ではもう話は終わったらしく、大きく伸びをして、神樹の枝葉を眺めている。


 ミハルは砕けたクッキーのかけらを摘んだ。

 これは1週目の時も2週目の時もテーブルの上に置いてあったものだが、3週目になってミハルが干渉したことでクッキーの枚数は減っている。

 ミハルの何気無い問いかけが想像を超えた真実を引っ張りだしている。

 自らの些細な行動が今後どれほど大きな影響を及ぼすのか、じわじわと分かり始めている状況が怖かった。


 ミハルもエミリを真似て手すりの向こう側を見渡した。

 爽やかな景色の奥底には深い闇が広がっている。洞窟の廃列車、十字架の丘、巨大な水槽、動く回廊──

 そんなありえない光景を目にしたミハルが今から為すべきことはそれらの闇に立ち向かい、真相を突き止める……ただそれだけだ。


 緊張した内臓をほぐすようにミハルはゆっくりと息を吸った。


(腹くくったんだ。怖くない)


 クッキーのかけらを飲み込み終えると、後で三枚ほど貰っていくべきか真剣に考えた。




 ◯




「そう睨むな。股から垂れる」


「何がッ!?」


 艶やかな声でそう言うものだからミハルは自分でも信じられない速度で後退った。

 金色の長髪を衣服のように纏う美女は無邪気な笑みを浮かべ、少年の方に歩み寄る。


「ウブな反応けっこう。ワシの嗜虐心を満たすには充分じゃ」


 ミハルと契約中の悪魔──カースは相変わらず傲慢なのか軽薄なのか分かりにくい性格だった。


「通常運転なのは助かるけどさ、さっさと話進めようぜ」


「冷静じゃな。状況は何も変わっとらんが」


「分かってるよ。だから、今その打開策を考えてるんだろ」


 朝食後、ミハルが真っ先に起こした行動は右腕の被造物に接触し、不可思議の世界へ入り込むことだった。

 カースと顔を合わせるのは体感で数日ぶりである。

 2週目の世界では奈落の底へ落ちてからカースとは音信不通のままだった。

 そのため自分がどんな目に遭ってどれほどの冒険をしたのか、この傲慢な悪魔は知らないのだろう。

 どこから話を切り出すべきか、ミハルが考えをまとめ終える前にカースが切り出した。


「生首とは趣味が悪いのぅ。若いオスならまだ見栄えはするだろうが」


「は? なんでカースが生首教祖のこと知ってんの?」


 突拍子なカースの発言に詰め寄るミハル。

 自然と声に怒りが篭っていた。


「記憶の共有」


 悪魔はあくまでも高貴で傲慢な態度を崩さすに答える。

 麗く濡れた下唇を指でなぞりながら、


「あの宿木にウヌが触れることで記憶の更新と保管が行われる仕組みじゃ。そしてワシはウヌが知り得る全ての記憶を見ることができる」


 これで充分か? という意思を込めた瞳でミハルの眼を覗きこんだ。

 後出しの情報を出されるのはいいかげん慣れてきた頃なので、ミハルはいちいち咎めはしない。

 むしろ──


「意外と便利だな……あの右腕。説明する手間が省けてこっちとしても楽だ」


 ミハルが感心する手前、カースは興味に満ちた声で問い掛ける。


「で、どうする?」


 そう言われてどうにかなる答えを持っているのなら真っ先に行動に移したいところだが、どこから問題の突破口を開いていくべきなのか分からないのが現状だ。


「発動者の捜索が先決だと思う。このループから抜け出すにはまずそこからだし、現状、相手の顔すら知らないんだ」


 カースは分かりやすく目を細め、頷いた。


「妙なヤツに絡まれたせいでな。あれは災難じゃった」


「だから今度はヘマはしない。あんな地獄絵図は二度とゴメンだね」


 異界生物にウォーターカッターで切り刻まれる最後を想像してみる。

 背筋が凍るにはイメージだけで充分インパクトがあった。


「策はあるのか?」


「わざわざこっちから尻尾を出さなきゃいい。単純だろ? なんとか第四階層にいることまでは絞り込めたんだ。あとは俺とカースがうまくやればできるはずだ」


「えらくワシを買っておるんじゃな」


 ミハルは肩をすくめ、先を続けた。


「ここまでは真っ当に判断して考えた作戦。こっからは正直どうすればいいのか分からない。本当に……」


 奈落の底で体験したことを振り返りながらいま一度考える。

 生首教祖が宣言した計画、リリハに託された使命、ニーナがこぼした本音。

 同じことがまたこの世界で起こるのなら、ミハルが今すべきは人探しではないかもしれない。


「世界が終わるってなんだよ……言ってることが滅茶苦茶だ」


 たとえば正直にエミリに打ち明けても、根拠のないフィクションになってしまうし、証拠を出そうとしても、まだこの時点では確証を得る物など持っていない。

 事を急ぐあまり、最終的に“他死戻り”の禁則事項に触れてしまえば、最悪の事態に陥ることは火を見るより明らかだろう。

 この間にも大きな陰謀が奈落の底で渦巻いている。

 進みべき道が靄で遮られ、次第と焦りが募っていく。

 また……同じことの繰り返しじゃないか、と。


「これは」カースが囁くように言った。「ワシからのささやかなアドバイスじゃが──」


「時として行き当たりばったりでいくのも悪くないと思うぞ」


 煮えきったミハルの脳味噌を冷やすようにカースの妖艶な掌が額に触れる。血色の良い指先は不思議と冷たい。


「一度にすべてをどうにかできるほどウヌは上手くできておらん。そもそも、ヒトひとりすら救えぬ奴が世界をどうにかできるわけもなかろう」


 悪魔にしては似合わない悟し方だった。あのカースに気遣われていることに、ミハルは何とも言い難い感情がこみ上げてくるのを感じた。


「分かった……分かったよ。俺は凡人だ。非日常に浸かっていたせいで、ついつい忘れてた」


 カースの言うことにも一理ある。


「凡人は凡人らしく地道にやってやる」


「気合十分で何より」


 肩を叩かれ、苦笑が溢れた。

 こんな風に悪魔に鼓舞してもらうなど考えてもみなかったのだから。


「そろそろ始めるか、ウヌ?」


 ミハルは決然と言った。


「あぁ、まずは第一関門。“他死戻り”発動者の救出だ」


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