第二章22話 『グッドラック』
演説の直後、わっと唸り声や雄叫が墓地に響いた。
それは地獄の亡者の悲鳴のようで、気が狂ってしまいそうな音だった。
浮遊する生首──バクガンはさぞ心地良さそうに微笑み、しばらく下に控える信奉者たちを見渡した。
自らを奈落の底の救世主と名乗り、救済という名の復讐劇を布告した彼は、いまや教祖に相応しい覇気を纏っている。
骨張った頰と平たい鼻をもつ彼の顔には狂気が刻み込まれているが、微かな無邪気さが表情に見てとれた。
場は最高の盛り上がりを見せ、映画であれば、ここで場面転換が入るところなのだろう。
が、現実はそうでもないようで、
音が止み、再び静寂がやってきて、
「ところで──君は誰かね」
ミハル以外の全てがミハルに注目した。
異様な視線が全方向から突き刺さる。
筋肉が硬直し、背中に悪寒が押し寄せ、口の中が渇いた。
このまま何とか出し抜けるのではないかと、都合のいい展開を期待していた自分を情けなく思うミハルだった。
「混沌に迷いし子羊か、新たな同胞か、それとも我らに抗う挑戦者か。答えたまえ」
ミハルは必死にこの状況をどう切り抜けるべきか考えた。が、数秒で機転の利いた返答などできるはずもなく、
「…………」
長い沈黙が続いた。ミハルの舌は金縛りにあったように動かない。
生首は一重の瞼をうっすら細め、「ああ、これは失礼」と呟いた。
それから、子猫をあやすような口調で「もういいよ。ドリー。それを離してあげなさい」と言った。
「カ……カァ……カカカ」
奇怪な鳴き声と共にミハルの手足を拘束していた力が緩んだ。
苔の生えた湿地の上に解放され、ミハルはゆっくり息を吐いた。
それまで、ずっと同じ方向しか見れなかったミハルは、初めてその全貌を目の当たりにする。
「いい子だ。あとでご褒美をやろう」
八本の長い腕に細くしなやかな胴。
頭頂部から伸びる垂髪と鼻と口だけの顔。
灰色の体表とゼラチン質の五指。
ヒトはそれを見てなんというのだろう?
怪物か、妖怪か、悪魔か、キメラか、地球外生命体か、もしくは生物兵器か。
いずれにせよ、生命を冒涜する存在を前にして、不快な感情を抱かずにはいられない。
「カカ」
生首の甘ったるい声に首を振って反応するドリー。どうやら喜んでいるようだ。
バクガンが再び命じると、その異形は四本の腕で器用に歩行し、闇の奥へ消えていった。
「さて、君の答えは決まったかね」
依然、ミハルの舌は回らない。
三択の内どれを選ぶかよりも無回答を選ぶことが何よりの愚策だということは分かっていた。
が、しかし声がでない。ミハルが自覚している以上に全身が硬直しているせいで首を振ることさえ難しかった。
ついに痺れを切らしたバクガンはこう言った。
「仕方あるまい。リリハ、お前に任せる」
すると、信奉者のひとりがミハルの前に進みでた。
深く被るフードの奥は黒のフェイスベールで隠されている。
「それの深層意識を探るのだ」
リリハと呼ばれる信奉者はバクガンに向かって頭を垂れると、ミハルに近づき、耳元で囁いた。
それはミハルにだけ届くよう絞られた声量で、
(死にたくなければ私の質問にすべて“いいえ”と答えろ)
ミハルがそのメッセージの意味を理解した時には、問答が始まっていた。
ミハルの額に手を添えてリリハは問う。
「マクニチャートは言った。私はかの有名な葡萄畑の地で眠る。あなたはブリキの靴を履いてくるか?」
「……いいえ」
今までずっと機能しなかった声帯が震え、ミハルは指示通りの答えを告げた。
不思議なことに雑念が浮かぶこともなく、頭の中はリリハの声に満たされている。
そして、彼女の声に集中するほどミハルも知らない思考の一部に触れられたような感触がした。
「マクニチャートは言った。私はモルタルの人形に愛を捧げる。あなたは欅の木陰で首を吊るか?」
「いいえ」
「マクニチャートは言った。私は粗末なコルクの板で組まれた城に住まう。あなたは火の剣を以って祈りを捧げるか?」
「いいえ」
「マクニチャートは言った。私は七度の崩壊のあと第八の啓示を外界より授かる。あなたは撃鉄を起こすか?」
「いいえ」
「マクニチャートは言った。私は神使の遺体と共に天へ招かれる。あなたは第三の禁じられた予言を告白するか?」
「いいえ」
淡々とした問答を五度終えたあと、リリハはバクガンへ向き直った。
「我々に対する敵対心はありません。恐怖・動揺・焦燥など計13種に分類される深層変域を確認しました。記憶の領域を走査したところ、膨大な保管障壁が築かれているため、個体情報の抽出は困難だと思われます」
「記憶の保管障壁……ふむ。それは興味深い。が、優先事項に加えるほどの事象ではないな」
「では、規定にのっとり、自動人形として機能させます」
「よろしい。実験棟の被験体が不足している。補充用に使いたまえ」
リリハは一礼し、再びミハルに囁いた。
(右足から起立し、私の後に続け。私が許可するまで何も喋るな)
より悪い方向へ事態が進んでいることに動揺する間もなく、ミハルは彼女の指示に従った。
一歩進むごとに、バクガンの耳障りな声が遠のき、体の硬直が解けていく。
無数にそびえる十字架の間をミハルとリリハは歩き続けた。
少し離れただけで信奉者達の影は消え、ミハルの近くにはリリハしかいない。
もちろん、ミハルに タイミングを見計らって逃げ出す意思はあった。
が、ここから自力で抜け出せる可能性とリリハの一連の行動を天秤にかけたところ、今は変に行動を起こすべきではないと考えた。
十字架の墓地の丘をひとつ越えた先に、人工の開口部が見えた。
そこがリリハの目指す場所らしい。
入り口には二、三人が乗れる程度の斜行エレベーターが備え付けられている。
リリハはミハルにそれに乗るように促し、彼女も続いて乗り込むと隅の固定操作板でエレベーターを起動させた。
重機の静かな駆動音が狭いシャフトの中を跳ね返り、下降するエレベーターを追うようにして両脇の蛍光灯が点灯し始める。
「私はバクガン。今から言うことを黙って聞いてほしい」
急に話し始めたリリハの声にミハルはビクりと震えた。
「をわっ……は……な、に……言って──」
ミハルが次の言葉を繋げるより早く、リリハはミハルの胸倉を掴んだ。
「私が本物のバクガンだ! パパド=バクガン!! さっきの喋っていたアレは私のニセモノってこと。時間がない。頼むから言うこと聞いてくれッ! 大事な話なんだ!」
釈変した相手の態度に気圧され、ミハルは慌てて首を縦に振った。
リリハの様子は忙しなく、怯えているような素振りも見てとれる。
「私は洗脳されている。今は何とか自我を保っているが、もって数分だろう。その間にあなたに全てを伝えないと」
古い蛍光灯のパリパリした音が不規則に響いた。
「2000年前、私はこの惑星に降り立った。私たちの計画は移住可能性が見込める星に探索者を送り込み、新天地を見つけ出すこと。私もそのひとり。幸運なことにこの惑星は移住先に適していた」
息を切らし、彼女はミハルを見据えた。
彼女の額には汗が滲み、ベールがまとわりついている。
「しかし、知的生命体がすでに生息していた。極めて稀なケースだ。彼らは独自のエネルギーと生来より授かる超能力をもってして社会と文化を形成し、今に至る。
私たちの計画に侵略行為は含まれていない。
任務はセカンドルートに移行し、私はこの惑星の概要データを取得したあと、ここから離れるつもりだった。が、問題が生じた。
私をサポートしていた代替脳が個別の自我を持ち、予測不能の行動を起こしたんだ。
メンテナンス中の私の脳に侵入し、アクセスコードを奪ったことが確認されている。
彼はマインドコントロールを利用し、この都市の住人から多くの信奉者を手中におさめた。
私が自我を初めて取り戻した時にはすでに非正規プランが実行され、緊急停止コードも通じない。
全システムは彼の思うがまま。私は自我も含め、ほぼ侵食されかけている。彼がアルゴリズムを起動する前に手を打たないと」
シャフト内の斜行部が途絶え、エレベーターの台座は平行レーンに移り変わった。レールの終点はまだ見えない。
「彼はこの惑星の環境をリセットし、私たちが移住しやすいよう組み替えるつもりだ。それは生態系そのものを破壊することを意味する。
私が乗ってきた船の環境改変システムの力を持ってすれば造作も無い話だろう。あなたの組織がどこまで把握しているかは知らないが、この地にそびえたつ巨大樹は船の一部に過ぎない。
本来の機能を取り戻せばこの都市は一瞬にして消滅してしまう。そして数時間前、彼の計画は最終段階に入った」
ミハルはごくりと唾を呑み込んだ。
もう“なにを聞かされているんですか?”と言いたい状況だった。
「事態に気づいてから私は幾度も彼のプランを破綻させる方法を試みたが、アクセス権を剥奪された以上、何も手出しできない。洗脳が進み、自我の浮上も困難になってきている。
もう終わりだと私は諦めかけていたよ。しかし、あなたが現われた。その襟元の印、忘れるはずがない。
始まりの揺らぎは私を見捨てなかった。きっとそう……あなたがここに来たのは偶然ではない。必然なんだ」
ミハルの胸ぐらを掴む両手の力がより一層強まり、彼女の声がよく響く。
ミハルは膝立ちのまま呆けていた。
動揺したなんてものじゃない。痺れて思考が回らない。
「ここまでを踏まえてあなたに頼みごとがある。捕らえられた人柱をここから逃してほしい。
システム起動の要を取り上げればプランは阻止できるし、あの子達も命を失わずにすむ。
この昇降機の終着点がちょうどッドド……ドドドッ──ジケンットトヴゥーノーウラララァアアググヴチチチッ……ニニニッ──」
急に呂律がおかしくなり、壊れたカセットデープのような音を発した。
彼女の口元から滑りのある液体が溢れ、ミハルの頬に飛び散った。
蛍光灯に照らされる彼女の体液はピンク色だった。
「……ぁあ……すぐそこまで……侵食が……来てる」
「ちッちが──ッ……血がたくさん」
ミハルは初めて冷静さを取り戻し、彼女に駆け寄った。
「頼む……から遮らないで」
それでも彼女はミハルの肩を支えに、口を動かし続ける。
「あと少しで裏口だ。防水槽を通った先にあの子たちが待っている。話は通してあるから上手くいくだろう。本来は私の役目だったが、もう限界が来てしまった。この状況ではあなたにしか頼めなかったんだ。すまない。
クソっ……彼の、彼の声が聞こえる。うるさいな。
あぁ……安心してくれ。あなたの言葉を封じる程度の強制力はあるようだが、彼はあなたの自我までは掌握できない。おそらく異なるブレーン内で形成された個体には彼の言語基盤が機能しないからだろう」
一言一言話すたびに彼女の声は弱々しく、支離滅裂になっていく。
見る見る内にピンク色の絨毯が広まり、ミハルは血の気が引いた。
「懐かしいな。すこし昔、あなたと同じ言語基盤を持つ個体と接触したことがある。その時にあなたの言語を取得したんだ。
たしか……彼はあなたと同じ組織に属していた。いろいろ教えてくれたよ。面白い存在だった」
再び彼女の口から濁音が発せられ、
「私の行動がバレるのも時間の問題だろう。そうだ……忘れていた。これを持っていくといい。あなたを安全に地上へ導いてくれる」
透明なカプセルが彼女の手からミハルの手へと移される。
「それから地上へ出たらあの子達を匿い、あなたの組織に私が話した全てを伝えるんだ。それに全てのデータが蓄積されている」
彼女は自ら顔のベールを剥がしとり、光が消えかけの双眸でミハルを見据えた。
これが最期の遺言であると悟った彼女は、丁寧に想いを込めて言葉を繋げる。
「あなたの組織の行動理念が今も変わらないのなら、この状況は見過ごせないはずだ。
まったく……なぜこの星にここまで情が湧いたのか今でも分からない。2000年という時はそれほど長くないはずなのに。らしくないよ……今日の私は。
ともかく終焉はすぐそこまで来ている。何としても彼の暴走を止めなければ……この星は終わってしまう。
あなたに……託す……世界を救え……」
声はそこで途絶え、レールの上を滑る駆動音とミハルの呼吸音が一定のリズムを刻むだけとなった──かに思われた。
その時だった。
うつ伏せに息絶えた彼女の体がゆらりと立ち上がり、両手を広げ宙を仰いだ。
それはまさしく憑依されたと言える挙動で……
「Good luck‼︎」
次の瞬間、彼女のこめかみが膨れ上がり、弾け飛んだ。
頭骨の破片と柔らかい内容物が四方八方に飛び散り、ミハルの全身はピンク色に覆われた。
酷い有様だった。
気づけばエレベーターは止まっていて、無人のプラットホームが真横に面していた。
その奥に狭い密閉扉が見える。
ミハルは逃げるようにしてエレベーターから離れた。
扉の前で立ち止まり、後ろを振り返れば、脳漿に囲まれた肉塊が視界に入った。
歯がカチカチと鳴っている。
気管がヒューヒューと震えている。
濡れた左手が扉の開閉ハンドルを握っている。
ガコンと音がして、ミハルは扉を開けた。




