第二章21話 『宣戦布告』
「さて──」
上空から、甲高い、よく通った声が響く。
「今宵、我はかつてないほどに高揚している。どれほどこの時を待ちわびたことか」
声の主は見渡しのいいであろう場所から、悦に入ったような口調で語った。
「いまやこの醜態ですら誇らしく思える。良い……実に良い。そうだろう? これから始まることに全てを捧げ、賭けてきた。ようやくこの日をもって完遂されるのだ」
広大な墓地は静寂に包まれ、耳触りの悪い声だけが音を掌握している。
ミハルは喉に氷のナイフを入れられた気分だった。
「この瞬間を迎えられたのは我の圧倒的な才と我の従僕としてつき従ったお前たちあってのこと。皆、誇るがよい」
誰かのすすり泣く音が聞こえ、ひとり、またひとりと伝播する。
顔をすっぽり覆い隠したローブの奥は見えずとも、感極まっていることは分かった。
いかにも怪しげな雰囲気とカルトじみたロケーション。
もはやミハルにはこの状況そのものが二日酔いで見るような悪夢に思えた。それか小難しいドキュメンタリー映画に出てくるグループセラピーのどっちかだ。
ここがどこで、何をする場所で、何故にミハルはここに連れてこられたのか。
そして、上空の喋る生首は何者で、それに群がる信奉者たちといったい何を始めるつもりなのか。
巻き込まれたミハルは、過ぎ行く状況を見守る他なかった。
すすり泣きが止むと、生首の不快な語りが再開した。
「かつてこの地は神樹の恵みを抱えきれないほど受けてきた。
神樹が汲み上げた水は、たった一滴であらゆる病と傷を治し、枯れた地を潤す聖水となった。
神樹の枝葉で造った杖は、数多の厄災を跳ね返し、全ての種を統治する聖杖となった。
神樹になる実は、万物の知を与え、飢餓を無くす生命の果実となった。
我ら祖先は古の時代から神樹を崇め、守護者としてそれらの恩恵を授かってきた」
抑揚をつけた声はそこでぴたりと止まった。
生首は静かに呼吸を整え、虚空を見つめた。
「しかし、いつしか外の愚者共がこの地に住み着き、欲をかき、本来あるべき姿から変えてしまった。
地下を掘り起こし、神樹の根を傷つけ、果実や枝葉を売買し巨額の富を得た。むろん我ら祖先の忠告など聞く耳を持たずに」
その声とその表情には、とてつもなく恐ろしい憎しみが込められ、墓地の空気をより一層冷やした。
ミハルはこれ以上、生首の声を聞きたくなかった。しかし、片腕しかない現状では遮断することは不可能だった。
「そして、悲劇は起こった。奴らは我らに対し、非情な虐殺を企てたのだ。そのやり方は卑劣で姑息で残虐で、数多の尊い命を葬り去った」
ミハルは十字架の丘を見て悟った。
そして、思い浮かんだ推測に胃が捩じ切れるような不快感を覚えた。
生首の語りは加速する。
「許されないことだ。許されざる蛮行だ。なぜ我らがこのような目に遭わなければならない? なぜ一方的に搾取されなければならない? 我らが間違っているとでも? いいや、違う。奴らの愚行を思い出せ。始めたのは奴らだ。我らから何もかも奪い取ったのだ」
語りは告白へと変わり、意思を持って信奉者たちに降り注いだ。静かな怒りが伝わっていくのをミハルは見逃さなかった。
「取り憑く寄生虫共に断罪を! 今こそ奴らに思い知らせてやるのだ」
もう止まらない。
「この世に真の正義があるというのなら問おう。なぜ誰もあの虐殺を止めなかった?
古くから我らと繋がりがあるリオスティーネ王は何をしていた?
神樹の恩恵を独占すべく、裏で手を引いていたことを我らが知らないとでも?
あれが真なる王と讃えられているのだから世も腐敗したものだ。
世界は変わってしまった。偽りの正義が蔓延り、このままでは破滅の道を突き進むだけだ」
ゆっくりと、されど滑らかに、
「世界は浄化を必要としている。正しき道にいる我らが浄化せねばならない」
生首は告げる。
「今宵、全てを葬り去り、全てを取り戻す。我らは止まらない。地の果てまで根を生やし、覆い尽くす。あるべき世界を取り戻すために」
狂気に満ちた宣戦布告を。
「夜明けは近い。我はバクガン、救済を始めよう」




