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リピーテッドマン  作者: 早川シン
第二章「underground」
49/55

第二章19話 『少女A』

 

 血のドクドクと脈打つ音が鼓膜に響いている。

 それは運動器官の悲鳴によるものではなく、動揺と恐怖で引き起こされているものだった。


 並走するエミリに向かってミハルは叫んだ。


「いったいどういう状況なんだッ?!」


 走るペースを緩めず、赤毛の少女は素早く答えた。


「あの子、かなりヤバい。殺気が尋常じゃなかった」


「はァ? 殺気ィ?! 通り魔か?」


「にしては底が見えない。気づいていなかったの? ずーっとミハルから目を離していなかったんだよ」


「オーケー了解。俺を殺したいのね──やったぜちくしょー。ぜんぜん嬉しくない! なんでッ!?」


「こっちが知りたい!」


 二人が細長い路地を抜けると、大きな通りに出くわした。

 エミリがミハルのジャケットを引っ張り、人混みの中、肩をぶつけながら突き進んでいく。

 後ろを振り返ると誰も追ってくるような気配はなかったが、それで緊張の糸がほぐれはしなかった。


「どこに向かう?」


「隠れ家。最も安全よ」


「つけられてないよな」


「大丈夫、私が見てる。追走カモフラージュ、変更しておいて」


 ミハルは首元のダイヤルをタップし、補色迷彩シートを周りの環境に適応させた。

 灰色のポンチョは茶色のマントに変わり、ミハルとエミリは職場へ向かう集団の中に上手く溶け込んだ。


 それでも背筋の悪寒は一向に消えない。あの少女の目的は詳しくは知らないが、常軌を逸していることは明らか。

 エミリの言う通り、単なる通り魔にしては、彼女の纏う軽薄さが引っかかる。


 〈カース、何が起きた?〉


 〈マズイ事態じゃ。ヤツの力場と干渉しおった〉


 〈ヤツ……力場……干渉……ああ、そうか──〉


 カースの言った三つのキーワードはミハルに事の発端を理解させるのに事足りた。


 〈あの子もオレと同じ側。だからこっちの力場に気付けたし、見分ける方法もわかっていた〉


 ミハルが見た不可思議な生物の正体もおおよその検討はつく。自動書記を所持していないエミリが困惑するのも無理もない。


 〈不可視領域に干渉している奴にしか見えない……そんな生き物を表に出せば相手の反応次第で絞り込める。そいつが平常心も保てねぇクソマヌケだったらな〉


 沸々と自身に対する憤りが込み上げてくるのをミハルは感じた。


 〈やられた。俺のミスだ〉


 〈いや、ひとつ勘違いしていることがある──〉


 ひと息置いて、カースは冷静に事を伝えた。


 〈ウヌはあの時、不可視領域には干渉していない〉


 〈は?〉


 ピクリと少年の頬が強張る。


 〈いやいやいや、どういうこと? 俺はちゃんと見たんだ。カースも見ただろ? あの細長いの〉


 〈確かにあやつがアレを見せた理由はウヌを絞り込むためじゃ。だがしかし、不可視領域の認識の可否で判断したわけではない〉


 〈じゃあ、なんだよ〉


 〈十中八九、あやつが持つ固有の術か能力によるものじゃろう〉


 カースの推測を聞いてからしばしミハルは考えこんだ。ミハルとエミリはますます人混みの流れの中に入り込んでいく。

 沈黙。そして──


 〈……ダメじゃん。わりかしピンチじゃん!〉


 〈じゃから、マズイ事態じゃというておろう〉


 ただでさえ物騒な目的意識を持っているというのに、その上、脅威の度合いが未知数ときた。

 相手の手の内が分からない現状では逃げる以外の選択肢はない。ただし、できる限りの策は講じておくべきだ。


 〈なら、今すぐ同調してくれ〉


 〈ウヌも同じ考えか〉


 〈有効かどうかはわかんねぇけど、やっておくに越したことないだろ〉


 あの少女が何か仕掛けてくるとすれば、次元を超えた先から、というのもありうる。

 不可視領域に干渉し、見えざる事象を観測するにはこれしかない。


 〈頼む〉


 〈了解じゃ。60秒後に同調する〉


 カースとの交信を終えると、ミハルは再び現実の景色へ意識を向け、エミリに言った。


「急なんだけどさ、エミリ」


「?!」


「あの子呼び寄せたの……俺だ」


 ミハルの告白を聞いてエミリは口をあんぐりと開けた。それから何か考えに耽る素振りを見せ「そうか」と頷いた後、ミハルに問いかけた。


「わかった。現状は?」


「今ので伝わんの?!」


「先輩から話は聞いているわ。同調に成功したんでしょ。だからミハルは私に伝えることができた」


 ちがう? とエミリの瞳がそう語る。

 今度はミハルがぽっかり口を開ける番だった。しかし、少年の口角はすぐさま上がり、


「話が早くて助かる。とりあえず聞いてくれ──」


 ミハルは一連の出来事とその推測、そして対策をエミリに伝えた。もちろん、制約に触れる事項は取り除いてだ。


「良い判断ね。それで……何か見える?」


 エミリが神妙な面持ちで聞いた。


「今のところは何も」


「何か異変があったらすぐ知らせて。どんな些細なことでもいいから」


 ミハルは何度も辺りを見渡しつつ、エミリの背中を追う。通りを抜けると、都市の中央にそびえる巨樹が見えた。

 階層の移動に使う昇降機への入り口はそのすぐ近くにある。しかし、エミリは別の方向へ進み始めた。


「上に向かうんだろ?」


 ミハルは慌てて彼女の服の裾を引っ張った。


「近道があるの」


「……近道?」


「緊急時の避難経路。それを使えば隠れ家まで安全にたどり着けるわ。ついてきて」


 エミリの声が周囲の声と混ざって聞こえる。

 ミハルは気分を紛らわすよう、とにかくエミリに話し続けた。


「Kに知らせた方が良くないか?」


「もちろん緊急回線で送信済み」


「向こうはなんて?」


 しかし、エミリは険しい表情で自分の瞳を指さした。


「それが……さっきから通信障害が酷くて──」


 急にミハルがエミリの肩を叩いた。

 エミリには彼の双眸が恐怖に歪んでいるように見え、声を掛けようとしたが、ミハルが先に呟いた。


「来る」


 ミハルは恐怖の根源を突き止めるべく振り返る。


 後方へ首を回す僅かな間、数多の憶測が飛び交ったが、それら全てに共通して言えることは、危機がすぐそこまで迫っているということだった。

 右目の端から順に異様な光景が映し出されるや否や、ミハルはエミリの手を引いて駆け出した。


「走れッ!!」


 ミハルが目にしたのは不気味に蠢く集合体だった。

 目を凝らしてみればそれが例の不可視生物であることは明らかで、細長い胴体をくねらせて近づいて来る。


「こんなのアリかよ──ッ?!」

「どうなってるの?」

「白いヤツがたくさんこっちに向かってきてる!」

「ええっ!?」


 ミハルとエミリは必死に逃れようとした。

 しかし、不可視生物の群れはますます勢いをつけて迫り来る。

 それらは周りの人やモノに一切見向きもせず、そして何かしらの統一性を保って蠢いているように見えた。

 この脅威が攻撃をしてこない可能性もあるが、ミハルには“あれ”に触れられると危険であるという確信はあった。


 ついに先頭の一匹がミハルの腕に絡まりかけた時だ。

 バチンッ! と紫電が炸裂し、襲い来る群れの何匹かが派手に散った。


 〈気持ち悪いのぉ〉


「カースか!? 何したんだ」


 無様に体勢を崩しながらミハルは声を荒げた。《次元平行干渉》の力が両目に作用し、濃青色の世界が映し出される。


 〈半径2.5メートル以内で力場を展開した。どうやらこの白いのは奴の力場のようじゃ〉


 〈それって、つまり、力場同士は接触すると反発しあう?〉


 〈正確には相殺力場に限られるわけじゃが、推測ご苦労。そして、かまえろ従僕。次は反撃じゃ〉


「かまえろって……どうすりゃ──う? を! おわわわわっ!?」


 ミハルが驚くのも無理もない。

 自分の意思とは無関係に両腕が上がり、右上腕部に左手が添えられ、右手の親指、小指、薬指の第二関節が曲がったのだ。

 真っ直ぐ伸びた人差し指と中指は、蠢く群れを追尾しながら捉えている。


 〈また乗っ取るつもりか?〉


 カースの強制的な行動にミハルは怯えの感情を抱いた。


 〈アホう! そんな悠長なことするわけがあるか。半身の運動機能を借りただけじゃ。以前の憑依でおおよそ理解しておる。今のウヌの体じゃ長くもって60秒程度。ましてやワシのフルパワーなんぞ使えばその場で破裂するぞ!〉


 確かにカースの言う通りだった。この状況で憑依がどうのこうのと、葛藤ドラマを演じているほどの余裕はない。


 〈で、俺の役割は?〉


 カースは答えた。とりあえず見ていろ、と。


「ミハルっ! なにやってんの? 逃げなきゃ!」


 エミリが慌てて言った。しかし、集中したミハルの意識には届かない。

 大きく旋回した群れの先頭が一直線に突っ込んでくる。


 体の中心から滲みでたエネルギーのようなものが右腕に伝わり、指の先で凝縮する感触がした。

 すると、指先に歪みが生じて、それは次第に大きくなった。


 ミハルの体が後ろに大きく吹っ飛ぶのと、指先に込められた歪みの弾が発射されたのは同時だった。


 歪みの弾は不可視生物の群れの一部にぶつかると、瞬く間に辺りのモノを吸い込み、最後は点となって消えた。

 ミハルにはその一連の現象が透明なブラックホールのように思えた。


「なんか出たーッ!?」


 〈力場の波動弾じゃ。同次元に属する事象を吸い込む〉


 カースが淡々と補足する。


「ねぇ! 一体なにが起こっているの?」


 ミハルはエミリの手を借りて立ち上がると再び走り出した。


「いま例の生物を退ける方法が見つかった。エミリには見えないだろうけど、辺り一帯をそいつらに囲まれている。防御は俺らがするからエミリは避難経路までの誘導を頼む」


「了解。……ん、俺ら?」


「あーそっか。エミリには初めましてだっけ。えっと右腕に憑依した死霊のことで──」


「──カースって言うんでしょ。その子の名前」


 エミリがさらりと言った。


「!?……なんで知ってんの? もしかして口に出してた?」


「うん」


 あちゃーとミハルは頭を抱えたが、〈落ち着け。制約事項外じゃ〉というカースの声に救われる。

 軽く咳払いすると、ミハルは言った。


「とりあえずカースは味方だ。俺が保証する」


「ミハルがそう言うのなら私も信じる。もう少しで目標ポイントよ。行きましょう」


「よしっ、できるだけ離れずに並走してくれ」


 不可視生物の群れは二人を取り囲む力場から距離を置いて旋回を続けている。

 エミリの目指す方向は広場を挟んでちょうど対角線上にあった。

 足止めに出くわさないようできるだけ往来の少ないルートを辿っていく。


 広場の上空を見えない生物の群れが周回している様は底知れない不気味さと奇妙な美しさが両立していた。

 広場に数多の人間がいるといえど、この光景を見ているのはミハルだけなのだ。


 〈今のうちに減らしておくべきじゃないか?〉


 目の前を通り過ぎた一匹の動きを追いながらミハルは先ほどと同じように構えてみせる。


 〈いや、波動弾はそう何発も撃てるものではない。装填にしばらく時間を要するし、連射は力場の消費が激しくなる。ここぞという時にとっておくべきじゃ〉


 〈あと何発撃てる?〉


 〈二発じゃ〉


 〈うーん。少ないね〉


「見えたよミハル! あの店の裏口がそう!」


 避難経路に繋がる入り口は露店群を切り分けている幹に造られていた。

 広場を抜け、街路を跨ぎ、ミハルとエミリは一直線に進んでいく。


 露店商の一行の間を通り過ぎた直後だった。

 広場上空を旋回していた不可視生物の群れの動きに変化が起きた。

 一匹一匹がまばらに散らばり、深海の海月よろしく宙に止まったのだ。


 少なくとも数千匹はいるのだろうか。カームの枝葉は白一色で遮られ、上の様子はもはや見えない。


「こんなにいたか?」


 顎を引いて、視線を落とす。

 その先には一人の工夫がいて、隣の相方と談笑していた。

 ふと、真上にいた一匹がその男の頭部に取り付いた。

 それは男の口腔に無理矢理からだをねじ込むと、瞬く間に体内へ消えていき、


「なあ……あれ」


 異変はすぐに起きる。

 男の体が不規則に震え、彼の顔から表情が消えた。瞳の焦点は定まらず、当てもなく宙をみつめている。

 不思議に思った相方が、“おい、無視すんなよ”と彼の頬を冗談混じりに叩いた。

 すると、ぐるりと首が回り、男の目線がミハルとぶつかった。


 勢いをつけた男の身体がミハルにぶつかるまで一瞬だった。

 訳も分からぬままミハルは吹っ飛ばされ、背中と腰を強く打つ。

 すぐさま起き上がろうとすると、男が馬乗りになってミハルの首を片手で掴み、もう片方の腕を大きく振り上げる様子が瞳に映った。


 強く握り締められた拳が真っ直ぐミハルの顔面に近づいてくる。


 衝撃と痙攣。


 拳はミハルの顔から大きく逸れて、地面にぶつかった。


「生きてるっ!?」


 崩れ落ちる男の陰からエミリが顔を出した。

 右手には奇妙な装置が握られている。


「なんとか……それより、大丈夫? この人」


 ミハルは腹這いになって倒れた男の体をどかしながら言った。


「安心して、気絶させただけ」


「それで?」


 ミハルはエミリの手元の装置を指差した。

 それはハンドガンのようなフォルムを持っているように見えたが、銃身がなく、代わりにガラスとプラスチックで加工された複雑な機構が備え付けられていた。


「折り畳み式抑制銃(ガードガン)、隠れ家のストックルームから借りてきたの」


 灰色のグリップはコンパクトでエミリの小ぶりな手にすっぽり収まっている。


「こんな使い方するとは思わなかったけど」


 エミリはショックで伸びた男に簡易的な処置を済まして「手荒な真似してごめんなさい」と謝った。


「さて」


 エミリは前を見据え、ガードガンを握り締める。


「どうやって切り抜けようか」


「強行突破一択ってのはどう?」


 二人は名も知らぬ数十名の男女に囲まれていた。

 誰もが感情の欠けた顔を持ち、腕をだらんと垂らして立っている。

 しかし、両目の焦点だけはこちらにしっかりと絞られ、乱雑さがない。


「囲まれちゃったね」


 抑揚のない声が聞こえた。

 声の主は横に伸びている男の相方で、彼もまた、他と同じ状態にあった。


「ヒトを操れんのか?」


 ミハルは声を押し殺していった。今にも怒りが爆発しそうだった。


「ご想像にお任せしますとか言ったら盛り下がるかな?」


 男の顔が戯けた表情に切り替わる。

 ミハルは押し黙ってエミリに合図を送った。


「いいよ。一つ教えてあげる。わたしのは感染するんだ。じわじわとね」


「周りの人は関係ねぇだろ」


 男の首が僅かに傾いた。


「はァ?! 誰のせいでこうなってるのか自覚ないの? さっさとあたしの言う通りに従えば良かったのに」


「要求は?」


「あんたの命とその器」


「悪いがこっちは恨みを買うようなことをした覚えはないぜ」


「なんの話? あたしはあんたのことなんかこれっぽっちも知らないよ」


「ただのサイコ野郎かよ」


「失敬なっ! ちゃんとした動機はありますう! 教えてやんないけど」


 ミハルは唾をごくりと飲み込み、辺りの状況を確認した。

 こちらにわざわざ話しかけてきた行動から推測するに、向こうは余裕があると見える。

 とはいえ、単なる気分屋か、もしくは次の一手のためのブラフを仕掛けているのか、相手の思惑は窺い知れない。


「分かった。じゃあ俺が投降するから、みんなを解放してくれ」


「ふーん。なら良かった」


 男の舌が素早く動く。


「5分前にそう答えていたらね」


 全てはゾンビ映画のワンシーンのようだった。

 数名の男女がミハルめがけて一斉に押し寄せ、肉と肉が激しくぶつかりあう音がした。

 それぞれの挙動が単純であった分、初撃は避けることができたが、でたらめに振り回された女の拳がミハルの鳩尾に入った。


 息が止まり、バランスが乱れる。

 その隙を狙って一人の青年がミハルの横から近づいた。彼もまた同様に操られ、目に光がない。

 彼の持っていたシャベルが突き出される寸前にエミリがガードガンで阻止した。

 白い閃光が青年の額に直撃し青年は膝からゆっくりと倒れていった。


 状況は混乱を極め、数多の悲鳴が伝播していく。

 突如、身近の人間が意思を持たない人形のように動き出すのだ。恐怖を覚えるのも無理はない。


 一方的な多数攻撃。

 質ではなく量に頼った相手の戦略はこの場でその本領を存分に発揮している。

 しかし、それでも一つ誤算があった。


 彼女──焔・イリアス・エミリの実力を見誤っていたことである。


 全方位から襲ってくる攻撃を的確に処理していき、なおかつ再起不能の状態で返しているのだ。

 もちろん、相手が操られていることはわかっているのでエミリは無力化させる手段を講じた。


 見た目は小さいが一時的に相手を失神させる光閃を放つ装置──ガードガン。

 初めて見るモノだったが、エミリの扱う様子を目の当たりにすれば、容易にその性能が推測できた。


 一発当たれば効果適面で、傷つけることなく相手を鎮圧することに特化した武器はエミリの体術と相性がいい。

 そして、この状況に最も適した組み合わせとも言える。


 ただし、弱点が一つあり、それは飛距離が短いため、近づいて撃ち込まなければならず、近接戦になることだった。


「予備は?」


「これだけよ」


 また一人、無力化したエミリが冷静に言った。

 あれだけ動いて汗ひとつかいていないことにミハルは気づき、身震いした。

 持ち前の身体能力でなんとか自分の身の安全を守り切っているミハルとはこなしているタスクの量が桁違いだ。


「ねぇ聞いて」


 エミリの顔は微笑30パーセントと緊張70パーセントが混ざった表情を浮かべていた。


「私の合図で避難経路の入り口まで走って。ミハルならきっと──」


「それは無理なご提案だな」


 ミハルはピシャリとエミリの提案を否定した。


「二人そろってここから脱出しよう」


「……ミハル」


「もちろん何の手立ても無しに言ってるわけじゃないぜ。作戦ならある。ついさっき思いついた」


「最後のワードがものすごく不安だけど、いいわ。どうするつもり?」


 ミハルと背中合わせのエミリはそっと息を吐くと、ガードガンを構え直した。


「まずはこの状況を覆す。みんなを解放しなきゃ」


「洗脳を解く方法なんてあるの?」


「力場には力場を。相殺するんだ。身体に侵入した生物さえ取り除けば洗脳は解ける……だろ」


 ミハルは殴りかかってきた一人の腕を掴み後方に引っ張ることで回避した。

 洗脳下にある規模が広がるにつれて、全体の動きが鈍くなっているように思える。


 〈で、どうだ?〉


 〈残り二発の波動弾の分を使えば可能じゃ。しかし、この全域を覆い、なおかつ奴の分散した力場のみに干渉するとなると、しばし集中せねばならん〉


 〈どれくらい稼げばいい?〉


 〈40秒間は無防備になる。焦るなよ従僕〉


 〈俺はいつだって冷静だ〉


 ミハルはエミリの肩を叩くと、作戦を的確に伝えた。エミリは乱れた前髪を整えながら、


「その間、私がカバーすればいいのね。楽勝よ」


 お互いそれで充分だった。

 ミハルが駆け出し、エミリが後に続く。


 目指すは広場中央にそびえる噴水。

 力場の領域内に洗脳下にある全員を入れるとなると、取りこぼしがないように中心にいくべきだ。


 二人の移動に合わせて、人形の集団が動いていく。まるで背中から見えない糸で繋がれたブリキのおもちゃを引きずっている気分だった。


「まずは第一関門クリアッ!!」


 噴水前にたどり着くと、大きく跳躍し、神樹を象ったオブジェの上に飛び乗った。


 全長3メートルのそれは枝葉まで緻密に再現されていて、複雑に絡まった枝や蔓は足場として申し分なく、下から登ろうとしてくる追っ手への障害としても機能した。


「今よ、ミハルっ!」


 エミリの声が聞こえた直後に、視界が暗転し、全てが闇に包まれる。

 わずか40秒が何時間にも感じられ、ミハルの気が滅入りそうになった時、濃青色の世界が姿を現した。


 〈 (りき)  ()  “(かい)” 〉


 真下に向けられた指の先から螺旋を描く歪みが放たれ、地面に触れた瞬間、爆発的に広がった。

 圧縮された力場が不可視の衝撃波となって、広場全域を覆ったのだ。


 衝撃波の威力は凄まじく、波動を展開したミハルが反動で吹っ飛ばされたのは言うまでもない。

 再び意識が覚醒すると、ちょうどオブジェの真下にある水場に着水したことが遅れて分かった。

 鼻から水が入り込み、ミハルは慌てて水面を突き破る。


「ほんっと無茶するんだから!」


 エミリが勢いよくミハルの身体を抱きしめた。二人とも濡れているはずなのにとても温かい。


「……どう……なった?」


「成功よ! ほら見て!」


 エミリの声につられて辺りを見渡せば、一目瞭然だった。ドミノ状に幾人もの人が倒れている。


 仰向けになっている青年、

 買い物篭によりかかる女性と子供、

 仲良く背中合わせに項垂れている男女、

 杖を握りしめたまま隣の荷台にもたれる老人、

 割れた水晶の傍で横たわっている亜人と行商人、

 ──その他多くの洗脳下にあった全員が、やがて……一人また一人と意識を覚醒し、辺りをキョロキョロ見渡し始めた。

 この数分間、自分が何をしていたのか分からないという風な顔だった。


 〈ウヌの狙い通りじゃな〉


 オブジェに登りかけていた男の口から丸焦げの不可視生物が這い出る様子を見てカースは言った。

 白い表皮はただれて縮み、おぞましい姿をしている。

 異次元に干渉しているミハルにしか見えない光景であるが、視界から取り去りたいと思えるほどだった。


「ああ、意外とやってみるもんだ」


 ミハルは立ち上がり、ゆっくりと息を整えた。噴水の水場には、まだ意識が朧げなものたちが夢と現実の間を彷徨っている。

 ミハルが近くにいた少女に手を差し伸べようとした。その時だ。


 エミリがミハルの足を引っ掛け、ミハルの体勢を故意に崩した。

 遅れて尖ったモノがミハルの頭上を掠め、エミリの手に絡められる。

 目の焦点が間に合って初めて“尖ったモノ”の正体がアイスピックだと認識できた。


「空気読もっか」


 今度は、はっきりと聞こえた。

 苛立ちを僅かに含んだ少女の声が後方からミハルを通り越しエミリに届く。


「消すのが下手ね」


 目を細め、エミリは冷たく言い放つ。

 右手でアイスピックが握られた相手の手首を拘束し、左手で素早くガードガンの照準を合わせる──前に少女がアクションを起こした。

 動きの取れない片方の手を腕ごと後方に引っ張ると、片方の軸足を緩めて、エミリの体勢に隙を作った。


 BuUUUUUUN!!


 ガードガンから放たれた白い閃光が、少女の首元すれすれをかすめた。

 すかさず少女はエミリの左手に握られたガードガンを叩き落とし、滑らかな後方転回で距離を取る。

 そしてレインコートの袖口からもう一つのアイスピックを取り出し、構えた。

 その両手の凶器は禍々しい光沢を放っている。


 両者は互いの間合いを測り、同時に動いた。


 少女が細くしなやかな足をバネにして、一気にミハルの目前まで距離を詰めた。

 立ち塞がるエミリが突き出された手を前腕でそらすも、彼女は予備動作なく回し蹴りを放つ。

 脇腹と首筋を狙った鋭い蹴りは、エミリに躱され、宙を切る。

 今度は少女の懐に潜り込んだエミリが少女の足元と鳩尾に攻撃を仕掛けるが、足裏と肘で防がれた。


 少女はエミリの足蹴りを反動にして背後のオブジェを足場にすると、くるりと身を捻り、エミリの脳天めがけて踵落としを繰り出した。

 防ぐ体勢に間に合わないと判断したエミリは軸足を反転することで攻撃を回避する。


 少女の踵が水面に突き刺さり、水飛沫が辺りに飛び散った。

 その間にエミリは腰のベルトから折畳式の特殊警棒を展開して、構え直す少女の死角に回り込んだ。


 水面(みなも)は二人の一進一退の攻防を映し出し、戦闘は熾烈を極めていく。

 両者とも卓越した身のこなしと反射神経で凌ぎを削り、譲らない。

 アクロバティックな動きを取り入れた技を繰り出す少女に対し、繊細かつトリッキーな体術で応戦するエミリ。


 アイスピックの先端と警棒のグリップが複雑な軌跡を描き、互いの急所をかすめていく。


 カットの連続が一瞬にして過ぎ去るせいで、ミハルが応戦しようにも二人の間に入る隙さえ見つけられない。

 故にミハルは不可視生物の侵入を防ぐための力場を維持し続け、見守る他なかった。


 振り下ろし、蹴り上げ、突き出し、回避し、組み合い、いなす。


 そしてついに、エミリのスナップの効いた打撃が当たった。少女の片手からアイスピックが離れ、水面下に沈んだ。


 決着がついたのはその直後だ。

 それは少女の意識が足下にそれた刹那に訪れた。


 エミリが少女の上腕と肩を掴み、片足をはらいながら遠心力を利用してそのまま地面に叩きつけたのだ。

 少女は身を捻り、抵抗するが、エミリが関節技をかけ、なおかつ手首に携帯用の拘束具を付けたところで完全に動きが止まった。


「あなた……何者?」


 息を弾ませながらエミリが言った。


「……少女A」


「ふざけてないで」


 この一連のトラブルの首謀者はミハルが思っていたよりも幼く、無邪気な顔立ちを持っていた。

 青みがかった銀髪のツインテールは片方の結び目が解け、レインコートの下に着ている露出の多い薄着は水で濡れて少女の肌にべっとり張り付いている。


「焦ってるね。どうしてなのかな? 不味いことでもあった? それとも大事な人が危険な目に遭っているから? ふふふ、どっちだ〜。言えよ」


 この状況を楽しんでるかのような愉快な口調だった。


「彼を狙う理由はなに?」


「こっちの話は無視なんだ。ひどい」


 エミリはうつ伏せで拘束されている少女の背中に馬乗りになり、「ガードガンを」とミハルに言った。

 エミリの手から離れたガードガンは噴水を挟んだ向こう側まで飛ばされていた。


「いいから答えて」


 これほど怒りを露わにしているエミリを見るのは初めてだ。ミハルは二人の会話に聞き耳を立てながら、噴水の向こう側へ駆け出した。


「どの道あなたは──」


「ハイハイ、分かりました。答える──答えてあげるよ。でもさ、あんたに説明する必要はないんじゃないの?」


 エミリの声を遮り、少女が猫撫で声で囁くように言った。


「どういう意味?」


 エミリは両眉をひそめた。


「とぼけちゃって。まさか本当に知らないとか言い張るわけ? ボスが言ってたよ。脅威の芽は早いうちに摘んでおくべきだって」


「誰に雇われているの?」


「ボスはボス。名前なんて知らないし、どうでもいいもん」


 そういえばさ、と少女はミハルを睨んだ。


「あたしのは感染するって言ったよね」


 マスクの下の口角が不気味に上がり、さらにこう続けた。


「何にでも伝染(うつ)るんだ。何にでも」


 その時、ガードガンを拾いかけていたミハルは微かな揺れを感じた。

 やがて、それは底から突き上げてくるような、得体の知れない何かが近づいてくる轟音に変わり──


「上へまいりまーす」


 そして、悪夢のような出来事が起こった。

 突如、真下の地面がめくり上がって、水柱が飛び出したのだ。

 広場の地盤は中央から瞬く間に崩れていき、その場にいた全員が宙へ弾き出された。


 ミハルの身体は二転三転し、天と地が何度も逆転した。

 肩から強く打ちつけ、やっと平衡感覚を取り戻した時、初めて悲惨な光景を目の当たりにした。


 GruUAAAAAAAA!!


 咆哮が蹂躙する。

 広場に現れたのは三頭のトトールだった。

 口から吐き出される激しく鋭いウォーターカッターは辺り一帯をでたらめに切り裂き、粉砕していく。


 ミハルは周りを見渡し、エミリを探した。あの目立つ赤髪のポニーテールの姿はどこにも見当たらない。


 ぐらり、と。


 足元が揺れた。

 見ればミハルの立っていた場所に大きく亀裂が入り、階層の土台ごと、斜めに沈み始めている。

 慌てて斜面を駆け上がり、上部の出っ張りにしがみついた。


 またしても咆哮が轟き、ミハルの鼓膜を襲った。


「……あ」


 視界のど真ん中にトトールの口腔が映った。


 水柱が一直線に飛び出た。


 それはミハルの掴まっていた地盤を粉砕するのに充分な威力だった。


 破片もろともミハルの身体は宙に投げ出される。

 瓦礫の断片が後頭部に直撃し、視界が一気に暗くなった。


 何かに掴まらなければならない。

 多少の怪我はしても構わない。

 とにかくこの状況を打開しなければならない。

 このまま落ちたら死は確実なのだから。


 どうしたらいい?


 考えろ。

 なんでもいいから行動しろ。


 身体が軽い。



 感覚が鈍い。



 ほどなくして、ミハルの意識は闇の中へ完全に吸い込まれた。



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