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リピーテッドマン  作者: 早川シン
第二章「underground」
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第二章14話 『些細なトラブル』

 

 隠れ家の扉をくぐった先は狭い路地に繋がっていて、大股三歩でひらけた通りに出ることができた。

 足元は整備された硬い石畳ではなく、乾いた樹皮。苔が所々に生えているせいで、時折転びそうになるから注意が必要だ。

 おぼつかない足取りで歩くミハルを微笑ましく見守りながらエミリが言う。


「じゅうぶん時間はあるからゆっくり周ろっか。それでも都市を全て観て回るには一日はかかるんだけど」


「そんなに広いの?」


「まぁね。それにここ第二階層はアーカムでもっとも賑わった場所だから、色々楽しめるよ」


「ふーん、あれ? でも隠れ家は第一階層にあるんじゃなかったっけ?」


「上を見て」


 エミリの指差した方向を見れば、なるほど確かに太い蔓が何本も上から下に突き抜けている。巨樹の幹ほどの太さがあるので、蔓と表現していいのか迷うところではあるが。

 ミハルがくぐってきた扉はその隅にこじんまりと存在していた。


「アーカムの建物は縦に連なっているのが特徴的なの。面白いでしょ」


「ゴボウみたい」


「だよね。わたしも思った」


 地下都市アーカムの街並みは都市の構造そのものから奇抜さが目立っているが、内部の方に焦点を当てて見ればよりその奇抜さがわかる造りになっている。


 複雑に曲がりくねった通りをエミリを先頭にミハルはキョロキョロしながら歩いていった。


 王都リオネのは色んな文化がごちゃ混ぜになった街並みではあったが、通りや区画はきちんと整備されていて、国の中心と言える風格を放っていた。

 一方で地下都市アーカムの街並みは色んな物に丸みがあって、上品な雰囲気が漂っている。

 生い茂る自然の緑とそこかしこに突き出ているパイプ管。それらが合わさることで生まれる絶妙なハーモニーがその原因なのかもしれない。


「ここは……商店街?」


 未知の光景に昂ぶる心を口調に乗せながら、ミハルは前を歩くエミリに訊いた。


「この辺一帯は生活用品を売っている場所だわ。何だったけ? この通りの名前……うーんと」


 こめかみに人差し指を押し付けながら分かりやすく唸っていたエミリは「ゴメン忘れちゃった」と詫びを入れるのもつかの間、


「あっ! ほら見て見て!! ランタンが売ってる! 喋るやつ」


「ランタン……がしゃ……えっ全然意味分からん」


 すぐそばの店に駆け寄るエミリを追いかけながらミハルは当惑する。

 その店にはこれでもかというほどの様々な形のランタンが並べられており、店の外にまで溢れ出していた。

 ミハルの胴体くらいの大きさのものから手乗りサイズの小さいものまであるし、火屋(ほや)に灯る炎の色もカラフルに染まっている。


 そして、驚くべきことにそれらのランタンは、


 “夜間にご注意、夜間にご注意!! 薄汚ねぇコソ泥は地獄に堕ちろッ!! 我等は夜の番人だッ!!”


 となんとまあ甲高い声をあげて揺れていた。


「エ、エミリさーん……これは夢、かな?」


 ランタンに灯る炎が当たり前のように喋っている光景にミハルは三度両目と両耳を擦った。しかし、目の前の光景は一向に変わらない。

 エミリは目をキラキラと輝かせながらミハルの方へと振り向いた。


「ビックリした? 家庭用の夜間防犯ランタン。私も初めて見たときは腰を抜かしちゃったけど、スゴイでしょ!」


「スゴイっつーか、色々とおかしいだろコレ。シュール過ぎて何も言えねーよ」


「えーこの子とか超可愛いじゃん」


 若干引きつった顔のミハルの反応に頰を膨らませるエミリ。ペットショップのショーウィンドウに張り付きながら親にねだる子供みたいだ。


「本気で言ってる?」


「ひとつ欲しいなぁ」


「うるさい鳴き声で夜中に起こされるオチだよたぶん。ほら次行こうぜ次」


 と言ってミハルは先に歩き始めた。今更ではあるがこの少年、自分の右腕が喋る被造物であることをお忘れか。

 しかも古風な喋り口調で傲慢な態度をとる金髪美女の死霊つき。

 防犯ランタンも十分に異質だが、ミハルの右腕はそれ以上の異質さを備えている。

 今ここで胸元のポケットポーチから右腕を取り出して、ランタンたちにカースが喋りかけたらどんなカオス空間に仕上がるのだろうか。とても気になる。


「あーちょ、ちょっと待ってよ。ミハル」


 慌てて追いついてくるエミリのために少し歩調を緩めながら、ミハルは四方八方をもう一度見渡した。

 この商店街はちょうど巨大な神樹の根とパイプ管に挟まれており、そのあまりのスケールの大きさに峡谷の底にいるような錯覚に陥る。

 ミハルは大きく息を吐くと、


「いったいどんだけ店があるんだ? その辺のショッピングモール以上の規模あるとみた」


「軽く400は超えるんじゃないかな」


「そんなに!? 広っ!」


 一つ一つが個性を持つ店が両側にぎっしりと詰まっている様子は、古本屋の本棚そのもの。

 竹で組まれた階段が複雑に絡み合い、店と店を上下左右どこへでも行き来できるように作られている。


 エミリの言った通り朝はまだ人通りが少なく、開店していない店もちらほら見受けられた。


 ぽつぽつと通りを行き交う買い物客も様々だ。王都で見たような異形系の亜人と、水晶やらガラス細工を売っている店の店主が立ち話をしている横をミハルは通り過ぎる。

 腕と脚に触手を生やす亜人の頭は蛸に似ていて、触覚がピクピク動いていた。

 店主はミハルと同じ人間だが、相手に対して怯えたり卑下するような態度は無く、二人とも楽しそうに談笑している。

 この世界では差別という概念はないのかもしれない。


「亜人種を見るのは初めて?」


 ミハルの視線から察したエミリが訊いてきた。


「いや、王都でも何人か見たよ」


「私達も彼らについて知っていることは少ないんだ。古代人の末裔でこの世界の技術の発展に深く貢献していることぐらいしか。……ちなみにさっきのはロト族。北方方面でよく見られるわ」


 スラスラと知識を披露するエミリにミハルは感嘆の眼差しを送った。


「へえー詳しいんだなぁエミリは」


「これくらい当たり前よ。気になることがあったら何でも訊いて」


 昨日の挽回と言った感じでミハルをリードしていることに、ご満悦のエミリだった。

 二人は奥へ奥へと進んでいく。アーカムの未知の光景は見飽きることがない。


 数十歩進んだ先の露店では何かの生き物の目玉が輪っか状になって売れられおり、セールでもやっているのか、買い物籠をさげた主婦たちが押し合いへし合いして小競り合っていた。

 また、反対側の屋台では数人の幼い子供たちが若い店主からゼリー状のお菓子をもらっている。


「ほら、お前ら。今日作りたてのウルシ餅だ。美味いぞー」


「ねーなんでにいちゃんのほうが大きいのー? にーちゃんばっかりずるいよ」


「これは俺んだ。おまえにはやんねーよ。あっ! おいッ! ひっつぱんなって!!」


「オイオイ喧嘩すんな。ほら、もう一個やっからよ。な?」


 とか和むワンシーンが繰り広げられている。王都のタピパンのおっちゃん然り、この世界の屋台の店主はナイスガイしかいないのだろうか。

 それにしてもウルシ餅というお菓子、すごく味が気になる。今度食べてみたい。


 他にも喧嘩し合う鑑賞植物を売っている店や、オーソドックスな果物屋に肉屋、派手な看板の骨董品店に雑貨店、用水パイプ専門店などもある。

 ミハルの頭ほどある食用竜の卵、亜人専門の民族衣装、綺麗に積み上げられた巻物、改装工事を行う大工の快活な掛け声に弦楽器片手に詩を謳う吟遊詩人……etc.

 どれも幻想的な魅力に包まれていた。


 不思議な感覚に翻弄されている横でエミリはミハルの方へ振り返る。両手を腰に当て、涼しく息を吐きながら、


「うーんひとまずこの通りはこんなもんかな。で、どうだった?」


「おとぎ話に迷い込んだみたい。それと喉乾いた」


「じゃあこの先の中央広場で何か飲もっか」


 王都とはまた違った異界の文化の洗礼を受けたミハルは商店街をようやく抜け出し、第二階層のメインエリアへ足を踏み入れることに。

 広大な縦穴都市の見所はまだまだ序盤のようだった。




 ◯




「近くで見ると圧倒されるや」


 中央広場の片隅のベンチに座るミハルは目の前に存在を放つ神樹──カームを見上げていた。

 何百年いや何千年、もしくはそれ以上の長い年月をかけて成長したであろう巨大樹の存在は目を見張るものがある。


 隠れ家のテラスで遠目に見ていた時はいまいちサイズ感が掴めずにいたが、こうして間近によって見てみるといかにミハルという生き物のちっぽけなことか。

 とにかくデカイ、それでいて美しいのだ。

 腐敗している部分など全くなく、むしろ水々しい若さが感じられる。

 確かにこんな神聖なオーラを放つ巨大樹を目にすれば、拝みたくなる衝動に駆られるのも仕方ないなとミハルは思った。


 現在、ミハルの案内人──エミリは手軽な飲み物を入手すべく広場前の屋台群に繰り出している最中だ。

 目を凝らせばなんとか見える距離にいるエミリが、手を振っていたのでミハルも大袈裟に振り返す。


 ここで少しエミリに教えてもらったアーカム百景について語っておこう。


 神樹と用水パイプの街──アーカム。王都リオネの南西に位置する総人口約15000人の地方都市。

 直径約2kmもある広大な地下都市は計四つの階層に分けられ、下に行けばいくほど貧富の差が激しく環境も劣悪になっている。


 都市の富裕層や上級階級の役人が居を構える──第一階層

 商店街や居住区がほぼ全てを占める──第二階層

 アーカムの住人の多くが働く──第三階層

 生活基盤が貧しい人々の居住区──第四階層


 どの階層にも中心部に神樹カームの巨大な主根が突き刺さり、各階層ごとに神殿が建てられている。アーカムの住人にとっては神聖な場所で、強固な守りで固められているのだとか。


 ミハルから見て右斜め前方に神々しく立っているのが第二階層の神殿。

 丸いドーム状の、石造りの建造物を中央に円筒形の柱がサークルを描くようにして囲んでいる。まるでストーンヘンジだとミハルは思った。

 そして手前には三角錐型の礼拝堂があり、隅には立方体のオブジェが慎ましく並んでいるのだが、


「神樹を讃えよ! 神樹を讃えよ! 我等が主、カームのお導きのままに! 神樹を讃えよ!」


 そのオブジェの前で20名程度の集団が声を揃えて叫んでいた。周りの状況と度々出てくる『神樹』というキーワードから推測するに、何かの布教活動だろう。

 深緑で統一された祭服は男女問わず異彩を放つデザインで、胡散臭くはないが関わりたくない──そんなイメージをミハルに植え付けるには十分だった。


 しかし、関わりたくないというミハルの思念を裏切るかのように事態は動く。気になってしばらく観察していたのが間違いだった。


「そこの若い貴方。聖なる神樹に祈りを捧げていますか? この出会いもまたカーム神のお導きでしょう! 貴方も我等と共にカーム神を讃えるのです!」


 ミハルの視線に気づいた教団の一人が近付いてくるや否や声をかけてきた。めんどくさいことこの上ない。


「いや、あの旅人なもんで」


 ミハルは苦笑しつつ無難な理由でやり過ごそうとするが、そう簡単には通じないのがこの手の輩である。


「ご安心なさい。貴方は幸運な旅人です。神樹に祈りを捧げることに生まれ故郷など関係ありません。カーム神はこの世の全を導いてくださるのですから」


「……はぃ」


 身体の細さと声の質から女性だと分かった。右目を緑のベールで隠しているのはそういう風習でもあるのだろうか。

 彼女の左目は優しい目つきだったが、瞳の奥には輝きが無い。


「いま貴方の瞳を見て分かりました。貴方は心に大きな秘密を抱えている。ええ、世界の真理を覆すような壮大な秘め事をです。違いますか?」


「か〜もしれませんね。あははは(ドンピシャだけど適当言ってるだけだよな)」


「でしたら貴方も我等と共にカーム神に祈りを捧げ、世の真理に辿りつくのです。貴方には素質があるのですよ! あるのですっ!!」


 徐々に距離を詰めてくる女の信奉者はミハルの片手を優しく握り、うっとりとした表情で声を昂ぶらせた。

 口元の端から唾が少し垂れているし、目がギラついているし、その他諸々、かなりヤバイ。

 ついには腰をくねらせながらぷるぷると身悶え始めたので、


「なるほど、有難いこと聞きました。今度祈っときます。あっでも、そろそろ待ち合わせの時間なんで、もう行きますね〜」


 ミハルは無理矢理話を切り上げると立ち上がった。

 これ以上ややこしい話に巻き込まれたくない、そうミハルは判断したのだ。しかし、


「──ッ!? 痛……ッ!?」


「さあさあ! カーム神に祈りを捧げるのです」


 ミハルの手首を掴んだ女の手は一向に緩まなかった。細身の女からは想像もできないほど握力だ。あまりの力にミハルの顔に苦悶の表情が浮かび上がる。

 ミシミシと、ミハルの手首をとてつもない力が締めつけていく。

 女の顔には変わらず愛想のいい笑顔と得体のしれない瞳がついているだけで、それが余計にミハルの恐怖を駆り立てた。


「あの……っ、もう離……っし‥‥」


「ハイ?」


 いよいよミハルが痛みのあまり絶叫しそうになった時、ようやくこの状況を打破する存在が現れた。

 その存在とは──


「オイオイオイ何してんだぁ? そんなはしたない口説き方するから怯えてるぜ」


 ミハルが声のする方へ顔をあげると、白装束に身を包んだ巨漢が立っていた。


 濃い顎ヒゲを蓄え、乱れた髪をワンレングスに結った風貌が印象的。

 背中には三角笠に似た幅広の兜、腰には目測で二メートル以上もありそうな長ものを携えている。

 三日前に相対した怪物と変わらない体躯に加え、白い服装も相まってさながら巨大な鬼のよう。ミハルの喉から「ヒュっ」と掠れた息が漏れたほどだ。

 巨漢の男はミハルの頭ほどある大きな右手で女の信奉者の手首を握ると、


「暇ならオレの相手してくれよ。この後一緒に飯でもどうだい」


 にこやかに微笑みながらそう言った。50を過ぎた色っぽい笑みだった。


「貴方もカーム神にお近づきになりたいと?」


 女の手から力が抜け落ち、やっとこさミハルの左手首は解放される。

 荒く息を吐きながら、手首をみると赤黒く変色していた。内出血でも起こしているのだろうか。早めに治療しておきたい。

 引きの遅い痛みに耐えるミハルの横、男はさらに柔らかな微笑みを浮かべながらこう言った。


「いやいやオレはカーム神なんていうご大層なもんよりもだな。そう! アンタとお近づきになりたいのさ」


 本音を言っているのか、ふざけて言っているのか、口調から思惑を読み取れなかったミハルは、男の顔を恐る恐る見上げてみた。

 おちゃらけた笑みとは反して瞳の奥は笑っていない。異様な雰囲気を纏った目元にミハルの背筋はすくみあがる。


 え? と分かりやすく首を傾けた女の表情が一瞬、凍りついたのをミハルは見逃さなかった。

 男の威圧に屈したのか、女の信奉者は冷めた表情に戻ると、


「何を仰っているのか理解しかねますが、カーム神に身を捧げたいのであれば是非我等の元へお越しください。それでは──」


 丁寧な所作でお辞儀をすると、そそくさとその場から離れて行った。


「び、ビビった〜」


 ベンチの背もたれにしな垂れながらミハルは大きく息を吐いた。手汗はぐっしょりだし、頬の筋肉が強張っていたせいか歯も痛い。

 何はともあれあの状況から切り抜けられたことに安堵すべきなのだろう。

 もちろん助けてくれた男に対する礼も忘れない。


「その……助かりました」


「ん? おお、そりゃどういたしまして。フッ……あの子に興味があったのは満更でも無いんだが。とはいえ災難だったな少年。神樹教団の奴らに絡まれるなんてついてない」


「……神樹教団?」


 口に加えた竹串を動かしながら、男は呆れたように言った。


「なんでも神樹カームを長いこと祀る教団とかで、ここいらじゃ大きな権力を持っているのさ。あと二日で神樹聖祭だからな。教団にとっては色々感極まるものがあるんだろうよ」


「神樹聖祭って?」


「知らないのかい? 結構でかい祭りだぜ。四年に一度の」


「神樹を祝福する祭りか何かですか?」


「まぁそんなとこだ。各地から見物客が来るもんだからその日のアーカムはそりゃあ賑やかなものさ」


 男は欠伸を大きく洩らすと、首の付け根を少し揉んだ。「それで──」と男は一拍置き、


「彼らをどう思う?」


 ミハルが腰掛けるベンチに寄りかかったと思えば、男は急にミハルに質問を吹っかけてきた。


「……彼ら?」


「アイツら……」


 男は顎で教団達がいる方向を指した。

 しばし黙考した挙句、ミハルは正直に答えることにした。


「あまり近寄りたく無い──何かに取り憑かれているっていうか、度を越している感じがしますね」


「へぇーなかなか言うじゃねぇか。気に入った。オレもその意見に大賛成だぜ。でも奴らの前でそんなこと言うのはよしとけよ」


「でしょうね。えーっと……この街の人ですか?」


 二言三言話す間、彼が大らかな人柄であることを察したミハルは意を決して訊いてみた。

 お決まりの流れに沿った一言だが、地雷を踏むような内容ではないはずだ。男は穏やかに微笑むと、


「旅人さ。さすらいの風来坊ってもんだ。そっちは?」


「俺? おれは〜その……王都から……色々あって来ました。あ、なんか罪に追われているとかじゃないですよ」


 変に誤魔化そうとしたせいで余計に怪しく聞こえてしまうが、嘘はついていない。

 隣に座る大男は「へぇーそうかい」と顎鬚を触りながらミハルの顔を横目で伺った。

 そして、何かを納得した素ぶりで頷くとゆっくりと腰を上げ、背中に下げた三角笠の兜を目深に被る。


「アーカムは素晴らしい街だ。楽しむだけ楽しんどけよ。んじゃ、そろそろ俺は行くとするか。アンタの可愛い連れもこっちに来てるみたいだしな」


 男の目線の先を辿ると、エミリが早足でこちらに駆け寄ってくる姿が目に入った。

 竹筒に似た容れ物を両腕に抱え、急いでいるものだから今にも溢れそうである。


「またな少年。これからは気ィつけるんだぞ」


 慌ててミハルがお辞儀をするも、白装束で身を包んだ男は緩く手を振りながら瞬く間に人混みの中へ溶け込んでいった。


「ミハルーっ! お待たせ!! ごめんっなんかトラブルに巻き込まれた?!」


「大丈夫。なんとか穏便に治まった。エミリの方こそ変に急かせてゴメン」


「どこか怪我してないよね? ガラの悪そうな男の人が──」


 あわあわしながら焦るエミリにミハルはまあまあと片腕で制する。

 手首はまだ痛むが、余計な心配はかけさせたくない。ジャケットの裾を伸ばしながら、


「絡まれたのは教団の信奉者の方だよ。オッサンが助けてくれたんだ。見た目はアレだけど」


「ふぅん、誰なんだろ? 都市の衛兵さんかな? それとも傭兵さん?」


「そういや名前聞くの忘れてた。さすらいの風来坊とか言ってたけど……どうも嘘くさいし。あ、うーん……でも……」


 そう、どこか懐かしい感じがしたのだ。はっきりとは言葉にできない懐かしさ。ミハルは首元をガシガシ掻きながら唸ってみる。


「どっかで嗅いだ覚えのある匂いがしたんだ。アレ……何だっけ? ここまで出かかってんだよな」


 赤髪のショートポニテを揺らし、エミリは首を傾げて、


「とりあえずコレ飲もうよ。クッツの樹液とマター果実のブレンドジュース&ウルシ餅のトッピング付き」


「おおサンキュ」


 エミリに差し出された飲み物を受け取ったミハルはおっかなびっくり口に含んだ。

 甘い味が舌をくすぐり、渇いた喉を潤していく。ふわりと、お香のような匂いが少年の鼻を突き抜けた。


「スッキリする!?」


「口あたりがいいでしょ。私のお気に入りなんだ」


 未知の味に翻弄されているうちに、ミハルの鼻腔に残っていた覚えのある匂いはいつの間にか消えていた。

 少年はまだ知らない。その匂いが何を指し示す予兆なのかを。


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