第二章11話 『他死戻り』
「……他死戻り? それが例の──」
「いかにも、ウヌが三日前に巻き込まれた時間遡行の正体じゃ」
カースの口調は穏やかで緊張感が感じられない。
時を遡り、世界を繰り返す能力──そんな世界の理から外れた行為であるというのに。
カースは清々しいほどアクセントのない声でミハルを非日常な話へと引き込んでいく。
「覚えておるのじゃろう? 二度──時を跳躍し、三度──世界を繰り返したことを」
「ああ、もちろんだ。忘れるわけねぇよ、あんな体験」
始まりの王都での一日。
これまで何度も思い返してきた一日だ。異世界に召喚され、記憶喪失を患ったミハルに、なお追い討ちをかけるように行く手を阻んできた超常現象。忘れるはずがない。
「で、何だっけ──その他者の死が時間遡行のトリガーになるっていうやつ?」
「うむ。それがウヌの時間遡行能力を取り扱う上で肝心なところなんじゃ」
「えーっと、つまり……」
「まぁ、心して聞け」
カースは優雅な動作で素足を組み替えると、おとぎ話を聞かせるように話し始めた。
ミハルは唾を呑み込み、覚悟を決めて、静かに耳を傾ける。
「まず、『他死戻り』はウヌに備わった個別能力じゃ。そして前述した通り、『他死戻り』とは時間遡行能力であり、他者の死がトリガーとなってウヌの記憶を過去に飛ばすシステムとなっている」
「記憶を……過去に?」
「さよう。つまり、時間遡行する度にウヌの記憶はループ終着点までの出来事を保持したまま引き継がれるということじゃ。世界そのものを巻きすというよりはウヌ単体の意識が時間軸を巻き戻る──と言えば伝わるのかの」
「……なるほど……タイムトラベルの重複じゃないってことか。そりゃそうだよな」
例えばミハルの肉体そのものが過去の世界に移動する──つまり、物理的なタイムトラベルが可能だとして、過去に戻り、その過去の自分と会ってしまった場合、それは畏怖すべき事態になるといえる。
過去に戻った時点でミハルが二人になっているということは、時間遡行能力が二倍になっているということ。
以降、分単位で無限に戻り続ければ、2のべき乗でミハルと時間遡行システムを増加させることが可能になってしまうのだ。
あっという間に世界はミハルで溢れかえり、混沌の完成である。
「故にタイムパラドックスは起こらない」とカースは断言する。
あくまで記憶を時間跳躍している人物──ミハルの視点から考えればの話ではあるが。
時間遡行に伴う論理的パラドックスの心配はご無用、とそう言いたいのだろう。
「『他死戻り』の大まかな概要はこの辺で切り上げるとして、次はその発動条件に関して掘り下げていこう」
「発動条件……」
三日目の王都での出来事を振り返れば、ミハルは3周目の世界で一度、時間遡行現象の考察をしていた。
“──とにかくそれが起きるときは意識が途絶えたときだ”と、そんな浅はかな結論を出したことは鮮明に覚えている。
そして、“このまま意識が途絶えなければ、時間遡行は発動しないはずだ”とも恥ずかしながら断言していた。
しかし、今となってはその仮説は不正解だ。
三度目の時間遡行が発動し、例の大通りで意識を覚醒させる事態には発展していないのだから。
正解ならすでにカースが述べている。
「……他者の死がトリガーってことなんだよな? えっと、それは──」
「そのままの意じゃ。タイムループ構造が確立された際、そのループ内の終着点におけるある特定の者の死がウヌの時間遡行能力を発動させる引き金となる」
さらりと怖い事を平然と言ってのけるカースだった。
気怠げに金色の髪を手櫛ですく美女の瞳は澄んでいて、どこもからかっているような意図は掴めない。
ミハルが鮮明に感じるのは、不安と恐怖で渇ききった舌のザラザラした質感だけだ。
カースは落ち着いた調子で言葉を継ける。
「発動者が命を落とすごとに記憶が過去──ループ上の始発点に送られる。いわゆるオートセーブ的能力と言ったところかの。ちなみに終着点に関しては発動者の死のタイミングがまちまちじゃからな。ここ重要じゃぞ」
「はあ…………」
『他死戻り』の具体的な能力説明を経て、半信半疑な一連の現象が確かなものとなったのは喜ぶべきなのだろう。
しかし、それは同時に一つの決定的な事実を認めざるを得ないことになる。
ミハルの額に冷や汗がじんわりと伝う。
「ちょっと待ってくれ、カース。それが本当だとしたら……」
「本当も何も事実なんじゃが。何を今さら」
カースは呆れた顔でミハルの心中を見透かすかのように言った。
「三日前、3周目にして突破した第一の軌跡。その発動者の名は──」
『他死戻り』のトリガーとなる『発動者』の名を。
ミハルが時間遡行するごとに犠牲になっていた●●の名を。
「──アリス・アークライト」
束の間の沈黙。
そして、
「んん………?」
ミハルの口から曖昧な声が出た。
「む? 何か可笑しなところでもあるのか? そんな鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をしおって。面白いけども」
カースの方も予想外だったようで可愛らしく唇に指を当てて、少しばかり驚いている。
が、最も驚いているのはミハルの方だ。確かにカースが直前に述べた『発動者』の存在は大方予想がついていた。
焔・イリアス・エミリ──この数日で最もミハルがよく知る一人であり、窮地を共に乗り越えた仲であり、一周目の最後にミハルの目の前で絶命した少女──エミリが王都での『他死戻り──発動者』だと。
そう確信を持って推測していたのだ。
しかし、カースの口から告げられたのは見知らぬ誰かの名。
“アリス・アークライト”──その人物の“死”こそが一連のタイムリープの元凶らしい。
「誰……なんだ? アリス・アークライトって? そんな人に俺は会った覚えがない」
その時だった。
ミハルの後頭部に鋭い痛みが走った。顔をしかめ、歯を食いしばり、必死に堪える。
痛みはジワジワと広がっていき、後頭部から前頭部へと範囲を広げていく。
ミハルにとっては思い出したくない頭痛だった。この部屋で目覚めてしばらく経ってから感じたものと同じだ。
「うぁ……ッううううぅううううう、がは……ッ?! ち……ッきしょうっ……なんだ……これ……っ!?」
脳がバグを起こしたように熱を発してミハルを苦しめる。
一度脳を取り出して腫瘍をむしり取りたいと思うほどに、苦痛がミハルの精神を蝕んでいく。
頭を抱え、呻き、蹲るミハルを困ったように傍観していたカースは「ああ! もしや!!」と何か閃いたのか──震える少年の頭をそっと優しく撫で、顔を無理矢理持ち上げ、覗き込んだ。
それから大きく目を見開きながら、明確に言う。
「ウヌを苦しめている頭痛の正体は記憶の齟齬じゃ。安心せい。今、元に戻してやる」
「なに……言って──」
「動くでないぞ。ちと荒療治じゃが」
そう言うと、カースは自分の頭を軽く掻いた。
すると、どういうわけか、美女の頭部から二本の角が勢いよく突き出た。
猫耳が可愛らしくぴょこん♪ と立つ感じではなく、擬音語で表現するとズシュッ!! である。
『ぴょこん♪』ではなく『ズシュッ!!』。可愛らしさなど一欠片もない。勢い余って脳漿と血が飛び散っているのだから、むしろグロテスクだ。
「ふぅー、スッキリした」
「は? ウソ?! お前っ!!」
カースは少し頭部をトランスフォームした。美しい金色の髪の根元には紅蓮の角が二本、禍々しくそびえ立つ様は鬼の姿を彷彿させる。
角の片方は横に張り出しつつ湾曲したラインを描いており、もう片方の枝角とは不釣合いなところが違和感を感じざるを得ないが、とにかく──余りに突拍子のないカースの異常な行動にミハルは唖然となっていた。
「ふむ、この記憶じゃな。これで治るはず」
カースの常軌を逸した行動は止まらない。
今度はその生えてきた角のうちの一本を右手でひょいと掴むや否や、地に埋まった人参を引き抜く感覚でそのまま抜いた。
再び血と脳漿がこぼれ出て、ミハルの頭に降りかかる。
カースは「では」と元気いっぱいの笑顔で頷くと、角を持った手を振り上げ、
「よせっ……ッ」
ミハルの嫌な予感は的中し、カースは角をミハルの頭頂部に容赦なく突き刺した。
あぁ死んだと覚悟した瞬間、ミハルの脳裏に衝撃が走った。
機能不全を起こしていた箇所が修理され、痛みがあっという間に引いていく。
欠けていたピースが埋まり、未完成だったパズルが完成する感覚だ。失った記憶が戻り、真の過去を記した記憶のフィルムを巻き戻す。
そして、ついに──
「──アリス」
彼女の名を口にする。
始まりの王都で最初に出会った少女、1周目の世界で命を落とし、3周目にして奇跡の再会を果たした少女、名も無き自分にミハルという名をつけてくれた名付け親──アリス。
懐かしい名だ。
ミハルは彼女の記憶を思い出し、描いた。
──なぜ、細かなことばかり鮮明に覚えているのだろう
──声とか
──少しきつくて
──でも、時たまゆっくりで
──優しくて
今までぼやけていた彼女のシルエットが鮮明に映される。
すりガラス越しの映像からはっきりした映像へと切り替わっていく。
──淡い瑠璃色の瞳も
──白くて柔らかい睫毛も
みんな当たり前に知っていて、
ようやく、
三日越しにして、アリスの存在を思い出したミハルは安堵に肩を震わせていた。
そんな少年の情けない姿を傍らで見ていたカースは静かに立ち上がり、ミハルの目線に合わせてしゃがみこんだ。そして、優しくミハルの背中をさすった。
「──喉を潤すか?」
「ああ、頼む」
「何が飲みたい? 紅茶か? 緑茶か? 珈琲か? それともジャスミン茶か?」
「水をください」
弱々しい声でミハルは言った。
◯
「えーっと、その……なんだ……はい、醜態を見せびらかしてすみませんでした」
少し腫れぼったい瞼を擦りながら、ミハルは正座していた。
もうなんだか最後の台詞とかマゾそのものである。美女の目の前でこんな羞恥心を覚えるのは3周目の世界でアリスと出会った時以来だ。
「久々に滾ったぞ」
そんなミハルの頭上からピンヒールの踵で丸まった背中をやんわり踏みつけるような声が降りかかる。
相変わらずカースの高慢な態度は絶好調だ。
くつくつと肩を震わせながら、
「あまり気にするな従僕。人間誰しもあることじゃし。そ・れ・よ・り・も・じゃ。ワシの従属ならばもっと堂々とせぬか、みっともない」
「言えてる」
溜息と共に苦しい微笑が外に出た。
本当に今までのことを振り返れば、ミハルはみっともなく、情けない。
「しかし、ウヌの記憶に欠損が生じておったとはな。このワシが見落とすはずがないのじゃが──とはいえ、ほっとしたわい。正常な記憶を取り戻したことで今後、同じ痛みに苛まれることはないじゃろう」
「あんな苦痛……二度とごめんだ。それに角をぶっ刺されるのもな」
と言って今もなお、ミハルの頭部に刺さっている紅蓮の突起物を指差した。言うまでもなく、欠けた記憶が戻ったのはこの角のお陰だ。
不思議なことに痛みはちっとも無い。痛みどころか頭皮マッサージをした後の快感に近いものを感じている。
「どんな治し方だよ。マジで殺されるかと思ったぜ」
「え、じゃあ……抜く?」
「いいよっ! 全力で遠慮させてもらいますっ! 抜いたら今度は頭ごと持っていかれるよね? 絶対」
「ふうん。ウヌとお揃いというのも悪くない」
「ペアルック感覚で言われても嬉しくないね。それより、そろそろ話を戻そう。大事な事なんだろ」
満更でもないように頰を染めるカースに鋭く突っ込んだミハルは、話の流れを軌道修正する。
記憶が戻ったと言っても、それは始まりの一日の欠けた記憶であり、ミハル自身を形作る記憶は戻っていない。まだまだ、知るべきことや教えてもらうことが山積みだ。
今、ミハルがすべきことはただ一つ。
出来る限りの情報を引き出して、今後立ち塞がるであろう問題に太刀打ちできるよう整理する──それだけでもミハル自身の状況は180°変わって来るだろう。
「そうじゃった。えーっとどこまで話したかの」
「『他死戻り』の発動条件までは聞いたぜ」
「となると」
おっとりとした調子で言うカース。
「次に語るべきは『他死戻り三原則』じゃな」
聞き逃すまいと、張り詰めた表情で唾をミハルは呑み込んだ。急に真面目な顔になったカースはわずかに黙る。
お互い覚悟か決まったのを確認してから、彼女は再び口を開いた。曰く、
一、『他死戻り』発動条件である各ループ上の『発動者』その“運命の死”を断ち切らない限り、ループは永遠に繰り返される。
二、『他死戻り』が発動している間、能力者は自己を保全しなければならない。
三、『他死戻り』の能力並びにその事実を他者に伝えてはならない。
現状に即して、カースがミハルに分かりやすく提唱したのが以上三つの事項だ。
脳に刷り込むように黙読してみるが、いささか現実離れしている内容であることには変わりない。
ミハルは一つずつ丁寧に思案していく。
「まず一つ目だけど、『発動者』の“運命の死”ってのは?」
「簡潔に言えば、ループ構造を成り立たせている“死”じゃ。こんな話を聞いたことはないか? 世界というのは様々な可能性が重ね合わさってできていると」
「いいや、でもそれに似たような話なら……」
ミハルはKが語っていた『世界の成り立ち』について思い出しながら応じた。
「ふむ。ウヌら人間の叡智が生み出した言葉を借りれば『世界線』と表現すべきかのう。何が言いたいかというとな。ループが構築──つまりは『他死戻り』が発動した時点で世界は『発動者の死』を受け入れ、決定論的世界に収束していくと言うことじゃ」
「決定論ってことは……もう変えようがないって意味じゃ」
「そうでもないんじゃな、これが。『発動者の死』と言うのは『必ず起こる未来』ではなく『限りなく100に近い確率で起こりうる未来』。構築されたループから抜け出すには、100からその限りなく100に近い数値を引いた僅かな数値──それが指し示す世界線へ辿り着けばよい」
「だとしても……相当難しいことに変わりはないだろ」
「じゃが、現にウヌは第一の軌跡を3度目にして突破しておる」
それが、ミハルが確定した未来を変えた何よりの証拠だ、とでも言うような勢いでカースははっきりと述べた。確かに、そうなのだ。
始まりの王都での一日。そこで構築されたループの終着点は『アリスの死』である。
彼女が死ぬごとにミハルの魂は記憶と共に時間を遡り、ループの始発点へと送られる。アリスが死に至った運命を打破するまで何度も何度も何度も──。
久しくアリスとエミリの死を思い出したことで、心に締め付けられるような痛みを感じた。
三度目にして二人を残酷な運命から助けることができたといえど、一度ミハルは目の前で彼女たちが死に行く様を見たのだ。
そう安々と忘れ去ることなどミハルには到底出来ない。
余裕を失ってきたミハルは「あのさ、カース」と呻くように言うと、
「少し整理していいか。そうだな……王都での『他死戻り』。そのちゃんとした経緯を知りたい。ぶっちゃけ、今の俺じゃ三日前に起きたことの背景全てを把握できる自信がねぇ」
「勿論じゃ。ワシはそのために存在するのじゃからな」
カースは頷き、自然な流れで言葉を継げる。
中盤の印象は良くなかったが、こうして丁寧に付き合ってくれるあたり、存外悪い奴ではないかもしれないとミハルは思い始めていた。
ともあれ、今はカースの印象を吟味するよりも優先すべきことがある。
思考を切り替え、視点を過去へ戻してみよう。
振り返るのは三日前。始まりの王都での一日だ。
『他死戻り』に即して、計3周のループを一周ごとに切り分け、なおかつフローチャートにして整理するとこうなる。
──1周目
①例の大通りにてミハルの意識が覚醒(自分が逆行性健忘に陥っている事実を知った直後、爆発音を聞く)←SAVEポイント
②爆破現場まで赴いた際、激しい頭痛に苛まる。この時、アリスに出会う。
③アリスと交流する中で異世界にいることを認識する。(ミハルという名をつけてもらった)
④その後、怪我人をおぶったエミリとアインに出くわす。
⑤何者かの襲撃に遭い、エミリが死にそれに続いてアリスも命を落とす。←『他死戻り発動者──アリス』の死が確定したことでミハルの記憶は過去に送られる
「──って感じなんだけど……」
起こった出来事を指折り数えながら述べたミハルは、カースに尋ねる。
「うむ。ワシの記憶と照らし合わせてみても違いはないぞ」
「なら良かった。あ、でも気になることがいくつかあるな」
「ほう、続けてみよ」
「その、どのループ上にも言えることだけど、『発動者の死』の原因だ──今回に関していえばアリスの死。思い返してみると、どうもあれは何者かに攻撃されたって感じがするんだ。今だってその正体が分からないままだし……何か思い当たることはないか?」
「……ないのう。残念ながら」
「──そう、か」
刹那の沈黙の末、出てきたカースの回答にミハル少しばかり落胆する。全てを見透かしているようなカースの言動に望みをかけていたのだが、そのカースでさえ分からないらしい。
従って、未解決事項が一つ追加された。
しかし、カースはまだ言い残していることがあったようで、咳払いを一つ、
「ここからはあくまでワシの推測じゃが、別の視点からなら手掛かりを掴めるかもしれん」
「……それは……どういう?」
「赤髪の小娘がおったろう。状況からして逃げるような素ぶりを見せておったし、あやつなら何か知っておるのではないかと思ってな」
あの凛とした顔つきのエミリの顔を思い浮かべる。言われてみれば、確かにそうだ。
「別視点……か。その考えはなかったわ。にしても冴えてるな、カース」
「馬鹿にしておるのか。あまり舐めた態度を取るでないぞ従僕よ、ワシを誰と心得る?」
「えーっと……俺のご主人様?」
「そうじゃ! ワシを讃えよ! 奉れっ!」
豊かな胸部をダイナミックに突き出すカースだった。
とりあえず、
1周目の回想はこの辺で切り上げて、
──2周目
①例の大通りにてミハルの意識が覚醒。(1周目と同じく、自分が逆行性健忘に陥っている事実を知った直後、爆発音を聞く)←LOAD
②エミリとアリスの死を思い出し、裏路地に駆け込み、嘔吐。
③運悪くチンピラに絡まれ、闘争むき出しの抵抗虚しくあっさり負ける。
④持っていたショルダーバッグを奪われ、その際初めてカースと出会う。
⑤気が狂う中、カースの思わせぶりな発言を聞いて意識を失う。そして、再び記憶が過去に送られる。
この周回は不明な点が多い。故に不思議な感覚に翻弄されている記憶ばかりが残っている。
「2周目のループは1周目と全く違う。アリスやエミリに出会っていない」
「勿論、それはウヌが別の行動を取ったからじゃ。が、しばらくして時は巻き戻った。なぜだか分かるか?」
薄い刃のような笑みがカースの口元に浮かぶ。カースの問いかけにミハルは重々しく答えた。
「……アリスが別のどこかで死んだからだ。俺が出会ってないだけで、『運命の死』の強制力ってやつがアリスの命を奪った……そういうこと……だろ」
「ああ、2周目の世界はウヌがあの小娘らと接触しなかっただけで、1周目と同じパターンじゃ」
『他死戻り』が発動するトリガー。とにかく『発動者』が命を落とした時点で、いつ如何なる時でも強制的に行使される。そして同様に『アリスが死ぬ』という運命の強制力も絶対だ。
ミハルは震える膝を支えて、意思の力で言葉を続ける。
「……2周目だって俺がアリスを救える術だってあったはずなんだ。だけど……俺はっ……救えなかった。少しでも違和感に気づいて未来を変えていれば……ッ」
とカースはミハルの後悔の声を聞き咎め、
「そう己を責めるな。そんな心構えじゃすぐに精神が崩壊するぞ。それに──」
落ち着いた声でさらにこう続けた。
「──2周目の終盤で早くもワシがウヌと記憶を共有できたのは儲け物じゃしな」
「記憶……を共有?」
ミハルは言いよどみ、困惑したような表情を浮かべる。
「どういうことだ?」
「言い忘れておったが、『他死戻り』の事実をワシが把握できているのはウヌの血を取り込んでいるからじゃ。ウヌが引き継いだ全ての記憶をウヌの血を通してワシも振り返ることができる」
「俺の血を……ああ、あの時か」
確かに細かく振り返ってみると、
2周目の『他死戻り』発動の直前──カースと最初の接触をした際、頰に付着した血を舐められていた。ミハルは気が動転していて、それどころではなかったのだが。
ともあれ、また一つ新たな情報を得られたのは良いことである。
が、しかし、
「いや、ちょっと待て」
ミハルは語尾を強めながら一歩踏み込み、
「じゃあ2周目以降、お前は『他死戻り』の現状と2周のループで起きたことを把握していたってことだろ? なぜ3周目の時に早く教えてくれなかった? お前と対話した時だってその説明をする時間なら十分にあったはずだ」
語調を高めてカースに詰め寄った。
相対するカースはあくまで穏やかに応対する。
「できなかったのじゃ。『他死戻り』に関する情報をワシの方からウヌに伝えることをな」
「なぜ? おかしいだろ。前提から間違っている。だって、それじゃあ最悪……俺は時間遡行の原因が分からないまま永遠ループしていたかもしれない。そんな可能性だって……」
「あったはずだと? 無論、そうじゃ。ウヌが死ぬ運命にある命を見過ごすような冷酷な奴であればな」
そこでカースは「でも」と瞑目してみせ、
「ウヌは見捨てなかった。3周目にして運命に抗うべく思案し、行動し、その結果、未来を変えた。従って──ウヌは『他死戻り』の正当な所有者としての資格を得ることができたわけじゃ」
「────つまり……それは」
「適性試験じゃよ。三日前の第一の軌跡とは『他死戻り』を扱うにふさわしいかのテストも兼ねておったんじゃ。それ故にワシはウヌに『他死戻り』に関する情報を伝えることが許されていなかった」
「なるほど……制限付きのチュートリアルみたいなもんか。で、今はその制限が無くなったからカースは自由に話せると」
「うむ。それでもまだ制約に阻まれていることがあるのじゃがな」
「マジで」
「マジじゃ」
如何せん、『他死戻り』は強固な制約と禁則事項に守られているらしく、その事実の一端を垣間見たミハルはやんわりと深い息を吐いた。
正直、この時間遡行能力を上手く扱えるビジョンが見えてこない。知れば知るほど、この超常現象の背景が恐ろしいほど強大で複雑に思えてくるのだ。
不安と疑問を残しつつも、以上が2周目の大まかな振り返りである。
「そんじゃあ、ラスト」
──3周目
①例の大通りにて3度目の意識の覚醒。←LOAD
②既視感から自分が巻き込まれている現象に気づく。(露店の店主との交流により、ヒントを得る)
③ショルダーバッグに入っている右腕を取り出す。
④自動書記:カースと最初の対話。
⑤時間遡行現象についての考察後、爆破現場に向かう。
⑥爆破現場前の広場にてアリスと遭遇→互いの自己紹介。エミリを探すべく行動を共にする。
⑦エミリ一行と遭遇。しかしその直後、何者かの襲撃を受ける。
⑧エミリの機転とアリスの魔法でなんとか難を切り抜ける。
⑨一先ず身を落ち着く場所として駆け込んだ教会にて──エミリとの対話を試みる。その最中に問題発生! エミリが連れていた少年の一人が暴走、そして、怪物に変貌する。(異形の怪物の元の姿がもう一人のミハル?)
⑩異形の怪物に三人で挑む。一時は倒せたかに思えたが、敵の猛攻は緩むことなく絶望的な状況に──絶体絶命のアリスを庇ったことで右手負傷。以降、意識が飛び、再び意識を覚醒させた時には三日の時間が流れていた。
渇いた舌を唾で湿らせたミハルは大きく一つ息をつき、
「3周目、このループで俺は『他死戻り』から抜け出せた……そういうことになるんだよな」
1周目と2周目とは大幅に進むルートが異なり、困難なイベントの連続を乗り越えた先の世界──それが、今、ミハルが進んでいる世界線なのだろう。
「ああ、奇蹟に近いことじゃが、ウヌは3度目にして運命を変えおった」
「未だに実感が湧かねぇな。最後なんてほぼ死んだと思ってたし……」
と言いかけた途中でミハルは「あ、そういや」と溢し、カースに問い掛ける。
「例の怪物との攻防──俺が意識を失いかけた時に体を乗っ取ったのはお前なんだろ?」
「ウヌのピンチじゃ。主人として見過ごす理由がどこにある」
両眉をピクピク上げながら堂々と告げるカースの物言いにミハルは苦笑した。
答えを聞く限り、悪気はなさそうだし、それどころかミハルの身を案じたことを言っている。本当に距離感の掴み難い相手だとミハルは思った。
金髪美女の意外な一言に首元を掻きながら、
「にしても急には酷くないか? そもそもそんな事ができるなんて聞いてねぇし。いつでも俺の体を操れんの?」
「いいや、ウヌの体を乗っ取る事ができるのはワシの宿木である──右腕がウヌの体の一部として機能している時だけじゃ」
「右腕って……自動書記か! あ、じゃあ、あの時……カースが俺の体を操れたのは……」
「勿論、ウヌが自発的にワシを呼び出したからじゃ。右腕を通してな。『他死戻り』の適正にも通っておったし、簡単にウヌの体に忍びこめたわい」
そう悪戯っぽく目の奥を光らせながらカースは言った。
Kやエミリの推測通り、一時期ミハルの体を乗っ取った別人格の正体とは、カースだったらしい。一つ、不明確だった疑問の答えを出せたことに頰の筋肉が緩む。
「忍びこめたって……言い方………でも、そうか──」
全ては物凄く小さい確率の積み重ねだった。
腕を吹き飛ばされ、途切れる意識の中、なお抗おうとして左手で掴んだものがカースの宿った右腕。そして、それをミハルは偶然にも自分の体の一部として取り入れようとした。
もしその時、手にしたものが破損した木々の一片だったら、また違った結果に辿り着いていたはずだ。
やんわりとした、
小さな声だった。
「あの絶体絶命な状況でアリスもエミリも生還できたのは、お前が……動いてくれたおかげだ。礼を言うよ」
気づけばミハルはカースに向かってそう言っていた。
自然と笑みがこぼれ、目元が明るくなる。畏怖や恐怖といった感情はもう無かった。
「ふんっ?! 別に……当たり前のことをしたまでじゃ! わざわざ礼を言われることでもないわっ!! ウヌの凶運が功を奏しただけじゃからなっ!!」
見た目にもわかるほど汗をかきながら、明後日の方向を向くカース。
頰を徐々に赤らめていく自称ご主人様は褒められることに関して慣れていないらしい。
カースの素の一面を知ったミハルは彼女との距離が一歩縮まったような気がした。あくまで気がしただけだが、
でも──
「ってことは凶運じゃなくて強運だな」
ミハルにとってカースの存在は心強いものとして変わりつつあった。




