第二章10話 『密会』
長い一日が終わり、あとは柔らかいベッドの上で心地よく眠りにつく。というのがミハルの描いたシナリオだったのだが、扉を開けて数秒後、それは撤回された。
右腕がない。
わりとホラーな状況だ。
詳細を綴ると、自動書記というオカルト要素がふんだんに詰め込まれたガジェットであり、数時間前まではミハルの右腕として機能していた被造物である。
「確かにここに置いたぞ。はっきり覚えてる」
困惑した表情を隠せないミハルは自由の利く左手で後頭部をバリバリと掻いた。
もう何度も眠気が潮の満ち引きの如く押し寄せ、体はフラフラ、首はグラグラ、足元はガタガタ。そろそろ本気でヤバイ。
すぐ目の前にある暖かい布団の魔性の魅力に負けてしまいそうだ。
夢の国へと足を踏み入れつつある意識をミハルはむりやり頰を叩くという荒療治で引き戻すと、「っし」と気合いを入れ込み、
「ひとまず落ち着け、冷静沈着。クール、クーラー、クーレスト」
右腕に関して思い出してみよう。
数時間前、肩から綺麗に外れてからはほぼ触っていない。エミリやKと過ごした間も、その後リオ達が合流した時も全く触れていない。
最後に右腕の存在を確認したのは、共有スペースへ移動する際の僅かな間だけだった。
少し急いでいたこともあったが、ベッドの枕元に置いたのは間違いない。
となると──
「部屋を開けている間に誰かが持っていった?」
一体誰が? この建物は異間公安が所持しているセーフハウスであり、滞在している人数も限られている。つまり、ミハルの知る五人に絞られる。
飲み会の開始から終わりまでほぼ何かしら関わっていたKと、最後まで残っていたエミリは除外するとして、残りはリオ、イツキ、カイルの三人。
多少の交流はあったものの、一人一人の思惑を感じ取れるほど親密ではないメンツだ。
とそこまで推理をしたミハルは「いやいやいや」と己の浅ましい思考回路に蹴りを入れる。
「んなわけねぇだろ。バカか俺は。性格悪いぜ全く」
Kはこう言ったではないか。
「ミハルがそれを所持している限り、管理する義務がある」と。故にミハルと自動書記の対話が必要であり、Kはそれを課題としてミハルに勧めた。
以上がKの意向であれば同僚であるリオ達が知っていて当然の話。
ミハルの右腕をわざわざ隠してどうこうしようなどという回りくどいことはしないはずである。
「なーに早とちりしてんだか。フッ」
ミハルの口角が少し歪み、苦笑が溢れる。
どうせベッドの隙間に落ちたとか、共有スペースの給仕ロボに似た掃除ロボの清掃が入ったとか、偶発的に何かが起こったのだろう。たぶん。
ミハルは鼻歌を歌いながら部屋を一周。
窓から差し込む月明かりのおかげで細かいところまで見渡せた。
「一応ベッドの下も隙間も探してみたけど発見できず、と。マージでどこ行った? 掃除ロボが誤って持っていっちゃいました説が有力になってきたぞオイ。焼却炉にポイされてないよな」
であれば笑い話で済まされるどころではない。
Kの言う通りならば、右腕を破壊することは取り憑いた死霊の拠り所を無くすのと同義であり、そこから連想される事態は火を見るより明らかだ。
思考を一巡したミハルはとりあえずベッドに腰を下ろして、しばし休憩。
左手でベッドの上を軽くなぞり、
「でもシーツのシワが直ってないあたり、その線は薄まるか。そもそもベッドメイキングなんてご親切なシステム、俺の妄想でしかないし……」
第三者の介入でもない。
ミハルの思い違いでもなければ、何かの機械トラブルによる偶発的な出来事が原因でもない。
出来る限りの思考と推察をしてみた結果、依然、ミハルの右腕は紛失したままである。
ついにミハルは脳の疲労と睡魔の誘惑に耐えきれず、ベッドの上に横たわった。
「エミリに話すべきか? いや、話を通すならKの方がいいか。あ、でも部屋分かんねー。訊いときゃよかった」
そんな欠伸混じりのフニャフニャした声をミハルが発した時だった。
その声は唐突に聞こえてきた。
ミハルの頭上──天井から。
「遅いわ従僕。ワシをどれほど待たせるつもりじゃ」
心臓が跳ね上がる。
顔から汗が噴き出す。
眠気が吹っ飛び、落ちかけた瞼が大きく見開かれる。
「は────え」
最初、何気なく天井を見た時は、少し個性的な模様だな、としか思っていなかった。
細くて、先が五本に枝分かれしている木目。
しかし、よく目を凝らしてみれば『それ』は同化するにしては馴染んでおらず、立体的だった。
ミハルが寝転ぶベッドの真上。
そこに『それ』は張り付いていた。
「──俺の腕」
どういうわけか。
ミハルがこの数分探していた右腕は天井の梁にぶら下がっていた。しっかりと五本の指で横木を握りしめ、空中に浮かんでいる。スリラーな絵図らである。
しかし、畏怖すべきところはそれだけではない。
「その間抜け面はなんじゃ? ワシに無礼じゃろうが」
久々に聞いた高貴な声と口調。その主はもちろん人ではなく腕だ。
三日前、王都で聞いた時と全く同じトーンでそいつは喋っていた。
動揺するミハルをスルーして腕は当たり前のように言う。
「久しぶり──とまずは言うべきか従僕よ。とりあえず、第一の軌跡、突破ご苦労。まさか三度目にして切り抜けるとは思ってもみなかったぞ。大したもんじゃ褒めてつかわす」
「…………お」
「ワシの予想では最低二桁は超えると思っておったのじゃが、久しく勘が外れたわい。初期同調に関してもまさかあのタイミングで更新されるとは予想だにしなかったしの。まさしく凶運の持ち主──と言ったところか」
「お、お、……お、お前……ははっマジかよ」
苦い笑みを僅かに含んだ頰がピクピクと動く。
あの時から三日しか経過していないが、それでもやはり、ヒトの身体の一部が喋るという光景は受け入れがたい。
一通り喋り終えた腕はクルンと一回転──逆上がり。
ミハルの動揺した様子に気づいたのか、
「む、いつまでそんな惚けた面を晒しておる? 妖美な色香溢れるワシに魅了されるのは致し方ないが。ええーいもどかしいっ場所を移すぞ」
と言うなり、天井の横木から五指を離した。
天井からベッドとの距離約2.4メートル。その微妙な距離を腕は自由落下していく。
浮遊する間、腕の五指は大きく開かれ、ミハルの頭部へと狙いを定めて近づいていく。
ミハルは仰天した声を発することもできず、ただ「あ」とも「へ」ともつかない、掠れた息を一呼吸。
腰から脚の関節全てに至るまで力が入らない。
心臓が激しく波打ち、鼓膜に響いている。
身体の五感全てが危険信号を発信しているというのに、ミハルは回避行動を取らなかった。
受け入れ難い反面、今から起こることは必然的に享受しなければならないような気がして……
そんな形容し難い感覚に呑まれた少年が──そう言えばSFパニック映画にこんな感じの寄生生物いたな、と思い浮かべたと同時──落下してきた腕の五指が前頭部を掴んだ。
紫電がパチパチと弾けた直後。
ミハルの意識は完全に闇の中に引き込まれていき、
そして──
「──────?!」
再び意識を覚醒させた時、ミハルが最初に感じたのは柔らかい温もりだった。
夜風にあたり冷えたミハルの身体を包み込むような暖かさ。まるで母胎内の羊水に浸かる胎児のような気分だ。
ゆっくりと閉じた瞼を開け、辺りを見渡す。
「どこだ……ここ?」
ミハルがそう溢すのも無理もなかった。
ミハルの瞳に映っているのはベッドのシーツや四隅に掛けられたランプ──つい先程までいた薄暗い部屋の景色ではない。
全く別の場所、いや、空間と表現すべきか。
「……風呂……にしては広すぎる」
と独りごちながら目線を下ろす。
ミハルは腰辺りまで温水に浸かっていた。無色透明の滑らかな液体だ。足元までよく見渡せるほどに澄みきっている。服は寝衣のままで何ら変わったところはなかった。そして、さらにどういうわけか、欠けていた右腕も生えていた。
辺りは白い靄が幾重にも重なるカーテンのように充満していて、遠くまで見渡せない。
前方を確認し、左右も確認、そして残すは後方のみ。
「湯加減はどうじゃ? 従僕」
その時になってようやくミハルは気づいた──この空間に先客がいたことに──その先客とやらがミハルをこの空間に連れ込んだことに。
声のする後方へと振り返る。その声の主の正体が誰なのかおおよその勘はついていた。
視線の先、優雅に存在を解き放つ相手に乾いた笑顔を浮かべながらミハルは言った。
「……おまえ、カースか?」
「うむ」
彼女は唇を剃り返すようにニッと笑った。そう“彼女”である。ヒトの一部ではない、四肢が生えたヒトとして。
「────」
ミハルがカースと名指しした相手は一言で言うと、この世の存在とは思えないオーラを纏っていた。
すらりとした流麗な身体の曲線は恐ろしいまでに整っていて、眩しいばかりに白く研ぎ澄まされた肌は眩い美貌を放ち、その類いまれな美しい肉体を覆い隠す装いなど無用──と体現しているかの如く彼女は裸体を曝け出している。
心の奥まで酔ってしまうような美しさに圧倒され、ミハルは棒立ちになっていた。
カースはまつ毛の多い切れ長の目をよりいっそう細めると、
「おい、見入り過ぎじゃぞ従僕。ウヌの年頃なら致し方ないとしても、少しは自重せい」
「……ごめん、いや、だって」
カースの衣服の代わりとなるのは金色の髪だ。
どうやら現実を超越した存在にもなると、衣服の素材ですら変わってくるらしい。
絹糸よりもきめ細やかな髪は必要最低限の箇所を覆い隠し、カースの周りを放射線状に囲んでいる。
その髪はどこまでも長く、ミハルの視界の半分以上を金色が占めている。
「ほ、本当に……お前はカースなんだよな」
「いかにも」
人間誰しも恐怖や未知を前にすると微塵も動けなくなるというが、今ミハルが動けないでいるのは圧倒的な美貌のせいだった。
息をするのも申し訳なく、思わずひざまづいてしまうほどの威圧的な美貌。
それが──カースという存在の実像を目に入れた時のミハルの第一印象だった。
「なに腰を抜かしておる? もっと近う寄れ」
カースは変わらず高飛車な態度で手招きしながらそう言った。
すらりとした足を組み、膝の上に肘を乗っけて、顎を傾げる。その一挙手一投足が美しく華やかだ。
しかし、ミハルは見惚れる寸前のところで踏みとどまった。意識を強く持ち、歯を食いしばる。
相手は死霊であり、悪魔より厄介な存在だと聞く。いつまでも相手に主導権を握られている訳にもいかないのだ。
従って、ミハルは金髪美女に対してまず聞くべき質問をした。
「……ここはどこなんだ?」
「ウヌの心象世界じゃ。今、ワシの目の前に存在しているウヌは精神のみ。五感は機能しているが肉体としては機能していない」
「幽体離脱みたいなもんか?」
「言い得て妙じゃな」
艶気を含んだ低い声でカースはそっと頷いた。
「……ははっ俺は今自分の心の中に入り込んでいるってことか……ダメだ。理解が追いつかねぇ」
なんと言えばいいのだろうか。未知の感覚に襲われる感覚。
喉の奥にいきなり指を突っ込まれたような衝撃にミハルの精神はバランスを崩し始めていた。
記憶を辿れば数分前、例の右腕が天井からミハルの頭めがけて落ちてきて──五指にがっしりホールド、そして電流を流されたような鋭い刺激を感じた直後──なにがなにやら今の状況に陥っている。という筋書き。
先制攻撃を仕掛けられたのは言うまでもない。
確かにKに課された『自動書記との対話』には踏み込めたが、いくら何でも急すぎる。
話題にしてから小一時間も経たなない間のご登場。行き当たりばったりの展開に強い、と自負していたミハルも流石に対処に困っていた。
一方、カースの方は余裕な様子で耳元の髪をいじりながら、
「……して、まあなんじゃ、ワシとウヌの逢瀬を祝してここは一杯──」
また飲みか、と呆れた感想を心中で突っ込む。
そして、あろうことか。気づけばミハルは畏怖していた相手に向かって流暢に食って掛かっていた。
「いや、そうじゃなくて、そもそも俺まだ飲めないみたいだし……いや、そうでもなくて、カースが俺をこの空間に呼び出した──ってことは何か意図があるんだろ? 話はそっからだ」
「風情のない奴じゃのう。と言いたいところじゃが、仕方ない。ここはウヌに従ってやるわい。にしてもウヌ、いつまでワシと距離を離しておる? もっと近う寄れ。いくらなんでも相手に対して失礼じゃぞ」
「あ、ああ、それは……俺が悪いな」
素直に己の非を認め、カースに近づく。何故か不思議と怖くない。カースのミハルに対する態度が変なところで甘いため、調子が狂うのだ。
おっかなびっくり近づくことカースとの間、大股一歩。
距離を置いていた分、気づかなかったが、驚いたことにカースは一般の成人女性よりも一回り大きいことが分かった。
「もっと近う寄れ」
「もういいだろ」
「もっとじゃ」
「分かったよ。ほらこれでいいだろ?」
「もっともっともーっとじゃ!」
「……顔怖いんだけど」
ミハルを見下ろす金髪美女の鼻息は荒く、まるで獲物を目の前に狩猟本能を発揮させる肉食動物のよう。
威圧的な視線を体全体に向けられ、ミハルの背筋に怖気が伝う。足下は温水に浸かっているはずなのに、身体はすっかり冷え切っている。
コントじみた押し問答を繰り返したのち、カースとの対面距離わずか50センチ。
いくらなんでも近すぎるし、目のやり場に困るのが、思春期を生きる少年の正直な感想だ。
しかし、カースは「うむ」と微笑んで至極嬉しそうな顔をするものだから、抵抗するという意思も不思議と削がれてしまう。本当によく分からない相手だった。
金色の髪で形どった椅子に座り、自信に満ちた態度をとる美女──カースは──すると、どう言うわけかミハルの頭を撫で始めた。
少し忙しないが、柔らかく優しい撫で方だ。
「あの……これは?」
「ワシとウヌの主従関係を祝う儀じゃ。苦しゅうない」
「……どう反応するのがベストなんだ?」
ご満悦な表情でミハルの頭を撫でるカースと困惑した表情でなすがままに頭を撫でられるミハル。
奇妙な主従関係を表した構図だった。
「つーかこんなことをしている場合じゃねーーっ! と・に・か・く・だ。──話を整理しよう、カース」
「えーーもっと従僕と戯れたい〜」
「ふれあい動物園のカピバラじゃねーんだよ! いいか! 俺は知らずのうちに死霊のお前と契約を交わして異界に飛ばされるわ、と思えば変な現象に巻き込まれるわ、挙げ句の果てには危険人物認定くらった記憶喪失の意味不明野郎だ!! いい加減、そっちの思惑を聞かせてもらうぜ」
とうとう痺れを切らしたミハルは噛みつく声で言い放った。
苛立ち紛れに。カースだけでなく、歯痒い感情を心に留める弱々しいミハル自身に向けて。
そんなミハルの思い切った言動にカースは初めて気圧されたようで、「なるほど」と頷くと、続けざまにこう言った。
「以前より随分と世情に詳しくなったように見えるが、さてはあの小僧から何か入れ知恵を貰ったな?」
「……小僧?」
「金髪の小僧じゃ。赤髪の小娘と行動を共にしておった──」
「あぁ、Kのことね……ってお前ずっと盗み聞きしてたの?!」
「人聞きの悪いことを抜かすな、聞こえてくるもんは仕方ないじゃろ。まあ、ワシとしても話すべきことが減って幾分楽じゃしな」
浅く一息ついてカースはやんわりと微笑んだ。
水々しい赤に染まった唇が上品に引き締まったと思えば、その下から白く尖った歯が姿を現す。
悦に浸った表情でカースはミハルに問い掛ける。
「さて、従僕よ。手始めに何から訊きたい? 答えられる限りのことは嘘偽りなく全て述べるつもりじゃぞ」
意外にも呆気なく、だった。
予想に反して、すんなりと話が進んでいることに驚きの表情を隠せない。
この辺で話が難航する──と確信していたほどにミハルはカースという存在に警戒していたのだから。
いずれにせよ、訊きたいことは山ほどある。
まず何から訊こう? と、脳みそをフル回転させるミハルの思考の最中──ふと、カースの言ったことに引っかかる点があることに気づく。それは……
「答えられる限り……ってことは制約が絡んでんのか?」
「ほう、そこまで知っておるのか。なら話は早いな。いかにも、ワシとウヌの間に交わされた絶対不可侵の契り。その禁則事項に反しない限り、ワシはウヌの問いに答えられる」
「そりゃありがたい話だな」
「じゃろう?」
契約と制約。
自動書記とその所持者のみが知る約束であり、ミハルが最も知りたかったことの一つであり、そして、カースとの対話が成立した際の第一目的でもある。
ミハルは早くも核心まで近づいていることに気持ちが高ぶっていた。ここで躊躇するわけにはいかない。
勇み立つ感情を抑えるように下唇をひと噛み、
「じゃあ……単刀直入に聞くが、お前が俺の記憶を奪ったのか?」
「おぉ、ウヌの記憶か」
言葉を継けて、はっきりと、カースは言った。
「そうじゃな。ワシが奪った」
「────」
「ん? どうした従僕? 直立不動になりおって」
金髪美女は可愛く小首をかしげ、顔を曇らせる少年を見下ろす。
平然と真相を告げたカースの態度に悪びれた様子など微塵も感じられない。
記憶を奪う──という悪魔的所業になんら後ろめたい気持ちなど感じてないような、そんな表情だった。
ミハル一人では到底推し量れない思想と倫理観を持つ存在。まさしく悪魔と言えよう。
底知れない相手に対し、ミハルは侮られないようわざと声を震わせながら、
「……あぁ、ごめん。思わずお前の顔面殴りたい衝動に駆られてさ……ははっ……いや、薄々分かりきっていたことか」
と言いきった。
しかし、予想以上に声が震え、舌がもつれる。
挙げ句の果てに口元が引きつり、
「泣きながら笑っておるのか? 随分と気色の悪い仕草じゃな」
「そうしなきゃこれから先やっていけねぇんだよ。それから泣いてねぇし、目にゴミが入っただけだし」
慌てて見苦しい言い訳を述べるミハルをカースは愉快な道化師を見るような表情で見つめてくる。
笑みが口角に浮かび、口の中を奥歯で噛むようにして堪えると「まぁよい」と呟き、
「ワシをどれほど非道な輩と思おうがそれはウヌの勝手じゃが、ワシとてヒトの心を完全に忘れたわけではないぞ」
「まるで自分にも人間として生きていた時がありました、みたいな言い方じゃ──あ、そういや……お前の正体って……」
「死霊……という立ち位置に今はなるのかのう。醜い被造物に憑依している限り、そう呼ばれる宿命じゃからな。今のワシの認識はそれで事足りるわい」
「そうかよ。で、俺はお前に操られている立場なんだよな? 言っとくが俺はお前の召使いなんてまっぴらごめんだぜ」
「たわけ。ウヌはワシの可愛い従僕じゃ。従僕は主に従順に従う眷属。つまりは主であるワシと異体同心、いわば下僕じゃな」
「異体同心と下僕じゃニュアンスにかなりの差があるぞ」
「じゃあ、比翼連理の仲」
「適当かよ」
はっきりと事実を突きつけてやった結果がこれである。あっさりすぎる相手の態度にミハルは深いため息をついて身悶えた。
ここまで対話してみて分かったことは、カースは意外にも友好的である一方で信頼性の欠けた人物であること。現時点での印象は、はっきり言って“扱いにくい”。この一言に尽きる。
共感性の低さが目立つ、自己中で自分ルールが絶対と考えている──そんな相手に対してこれから上手くやっていけるのだろうか。
「まぁなんにせよ、俺とお前の間には断ち切れない契約が存在しているって認識はできた。この際お前の従僕ってことで話を進めてもいい。だから今後、お互い隠し事はなしだぜカース様」
「無論じゃ。ワシはウヌに秘め事はしないと約束しよう。それで、次の質問はなんじゃ?」
「ああ……そうだな──」
ミハルとカースは主従関係であり、契約と制約の下に成り立っている。そこまではKの予想範囲内。
問題はWhyの部分だ。
何故にミハルはカースと契約を交わしたのか、そして、その事実を忘却していたのか。
息を整え、額の汗を拭う。
自分の中の意識を切り替え、視線を相手の足下から真正面に移す。
最初の足掛かり。ここからが真実に近づくための第一歩。
「お前と交わした契約と制約。その詳細を知りたい」
まずはこれ。他にも訊きたいことは嫌というほどあるが、ミハルの身の安全を保証するには最優先で押さえておかなければならない事項なのだ。
ただし、カースはそんなミハルの質問に対し、考えあぐねるような視線を彷徨わせると、
「ふむ。そう言うじゃろうと思ったわ。……しかしな、従僕」
「おいおい、なんだよその不穏な逆接。ついさっきお互い隠し事は無しって約束したろ?」
次いで憤慨するミハルを鋭い目つきで制したカースは、こめかみを人差し指で撫でながらこう言った。
「無論、話すつもりじゃ。ただ、順序立てて事を説明した方がウヌも理解しやすいかと思ってな」
「……そんなに……ややこしいのか? 契約と制約の内容って」
「少しばかり特殊な状況じゃからな。故にここから先はしばらくワシが先導して話そうと思うのじゃが──安心せい。ウヌが訊きたいことはひと通り話し終えた後に答えるつもりじゃ」
「そういうことなら従うっきゃねぇな。いいぜ、分かった。お前に任せる」
思いの外、自身のことを気遣ってくれるカースの言動に困惑したミハルだったが首を縦に振った。
特に断る理由もないし、ましてやこれ以上本題に入るのを遅らせる気もない。
「聞き分けが良くて助かるのう。さすがワシの従僕。主として嬉しいぞ」
「まあ先が見えるまでは従順な下僕を演じてやるさ。それより、さっさと話を前に進めようぜ──と言っても契約と制約に深く絡んでくる事だろ。それなら、俺の脳裏に一つ浮かぶものがある」
ミハルは思い出す。
三日前の王都で体験した出来事を。あの理解に苦しむ現象を。
「察しがいいな。ワシが今から述べる話はまさしくそれ──」
カースはやや勿体つけるように間を置くと──相変わらず、高慢な口調で言った。
「他者の死がトリガーとして発動する時間遡行能力──『他死戻り』についてじゃ」
【information】
●八代カイル
[特異九課所属・准上等監察官/C4構成員]
・21(5/15生)男
・Blood type:A
・Size:175cm/69kg
・Hobby:模型作り・旧世紀の映画鑑賞
・Manual gear/手動筆記複数同時拡張型
:Luna[ルナ]・Utah[ユタ]・Eve[イブ]
・最近:日記を書き始めた
・好きなスイーツ:冷たいの




