第一章4話 『ふざけた悩み事』
「ここで休みましょう。足元に気をつけてね」
群衆が群がっている広場から少しばかり離れた突き当たりの細い路地に、ふたりは避難した。
露店が連なる建物に挟まれた広くもなく細くもない路地は日陰になっているせいか、涼しく感じられた。
日差しは高く、風はなだらか。大通りは人だかりで賑わっていて、この場所とは正反対だ。
少年が腰を下ろすと、少女はその隣に座った。丁寧な所作から育ちの良さが垣間見える。
少年は再び彼女に礼を言った。
「いろいろありがとう。おかげで目眩もだいぶマシになった」
「そう、なら良かった」
名も知らぬ少女はまた微笑んだ。
少年は軽く会釈して、これからどう話を切り出すべきか考えた。
とりあえず、真っ先に知りたいのはここがどこなのか?
歴史ある景観を崩さずに観光名所として発展した都市なんていくらでもある。
おそらく欧州のどこかの都市だろうとあたりはつけているが、いろいろ考察するより聞いてみるのが一番だ。
──なにせ、現地の人間と話せる機会だし……
そもそも、なぜ自分は彼女とさっきから当たり前のように話せているのか不思議で仕方なかった。
少年は今、日本語を話している。その自覚もある。つまり日本人。自身の素性はわからないが、さっきから外国語などというものを喋った覚えは無い。
となると、行き着く答えは一つだった。
「俺、ここがどこか分からないんだ。気づけば知らないところにで、爆破事件も起きているし。見た感じ西欧のどっかだとは思うけど、イギリスとか? でもあれか。コスプレイベントって海外じゃ人気って聞くもんな。君のクオリティとかすげえ高いし、スゴイよほんと」
彼女に言葉が通じると分かるや否や、好き勝手喋り始めた。今まで、自分が誰なのかも分からず、頼る者もいない。
そんな彼の目の前に、少年が理解できる言語で意思の疎通をはかれる少女がいるのだから、仕方がなかった。
対して、少女は、
「え、ええっ!? えっと、ちょっとまって」
非常に焦っていたが、一度静かに息をつき、少年の瞳をじっと見つめた。
彼女が訝しげにむむむっと唸りながら少年を凝視すること数秒。
本気で聞いていることを汲み取ったのか彼の質問に答え始めた。
「ここは聖王国リオスティーネの王都リオネ。あなたの言っておうしゅうという所では無いわ。それにいぎりすってどこ? 聞いたことがない地名ね。あなたの故郷なの? それにこすなんちゃらって何?」
彼女は少年の質問に返したが、逆に彼に質問を返す形になっていた。
「えっ?」と、少年が呟き
「うん?」と、少女が首を傾ける。
お互いにどこかしらで齟齬がある状態。
そんな事実を少年はうっすらと感じ始めていた。
──聖王国リオスティーネ? 聞いたことない。この子の設定か? ……違う。何か違う。もっと重要な所を俺は分かっていない……そう、なんというか……
少年は恐る恐る少女に尋ねる。
「君の率直な意見でいいんだけどさ……俺ってどう見える?」
少女は少年を頭の上から足のつま先までをじっくりと見ていく。
少女にまじまじと見られ、ご褒美となる筈だったが、今の少年にはそれどころではなかった。
もしかしたらの話。
先程から自分が自信を持って断定していた予想。
それが丸ごと前提から間違っていたとすれば……
──海外とか日本とかコスプレイベントとかそういう以前に、だ。今の俺の持つ常識が通じない所。しかも場所ではなく世界だ。自分が何者かであるかは分からないが、これだけは分かる。俺は今……
少女は少年のことを観察し、自分なりの答えが出たのかその赤い果実のような妖艶な唇を動かした。
「えーっと……見慣れない髪の色に髪型、そして仕立てがいいけれど不思議な服装。そうね……はるか遠く出身の異邦人みたい」
それが彼女の答えだった。『はるか遠く出身の異邦人』飛躍すれば『異なる世界の住人』。
加えて、少年の常識が通じる世界ではない雰囲気。
そこでようやく彼は思い当たることがあった。
それは彼の頭の中の残された記憶からポロっと落ちてきた知識。
人から聞いたのか、本で読んだのかは知らない。
ただ、絶対的な確信があった。
それは……
「俺は異世界にいるらしい、おまけに記憶喪失付きで」
ようやく彼は一つの絶対的な事実に気づいたのだった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
自分がかなりぶっ飛んだ状況にいることを確認した少年は、しばらく瞑想していた。
もしこれが夢の中であれば、意識することで目覚められるのではと思ったからだ。
もちろん、そんなことはなんの解決にもならないことは知っている。
少しばかり気が動転しているのだ。
「あの……さっきからずっと唸っているけど大丈夫? お腹痛い?」
そんな彼を現実に呼び起こすように呼びかけるのは先程から少年を介抱してくれている少女だ。
“介抱”。つまり弱っていた少年の体力回復。
普通なら横にして点滴をしたり、栄養ドリンクを飲むはずだが、この世界では“介抱”というのはまた違った手法を取るものだった。
魔法を行使することによる“介抱”。
正確にはルフ操術と言うものらしいが少年にはなんのことだかさっぱりだった。
ともあれ少女は、今現在、少年のルフを操作して体力回復のため尽力してくれている。
推測するに、爆発現場で消火活動を行なっていた男もおそらくこの魔法というものを行使していたのだろう。
肩を触れる彼女の手からは何か青白い光というのか靄というのか、本当に魔法っぽい現象が起きている。
「へえーー凄いなあアリスは。俺も使えたりして」
「う〜んどうなんだろう? 私の知る所だとヒューマは魔法の適正が五分五分みたいだから、期待してみる価値はあるんじゃないかな」
「マジで!? んじゃ後日試してみよう。で、ちなみにさ」
「何?」
「その……ヒューマ以外にも種族っているじゃん。あのほら……首が長い人とか」
少年は度々見かけていた亜人の存在を思い出しながら少女に聞いていた。
つい先程まで、亜人に扮したコスプレイヤーだと思い込んでいたのが恥ずかしいところであるが。
「もちろんいるわ。ピルト族のことでしょ? 古代人の末裔の。えっと……まさか初めて? あなた、一体どれほど遠い国から来たの?!」
「そうだなぁ……遠い近いの概念以上に世界丸ごと離れているから……なんとも言えないかな」
「うん。全然よくわからないけれど、困っていることだけは分かる」
「そりゃどうも」
現状を真面目に把握すれば、少年は異世界にいるわけでそれ以上でも以下でもなかった。
転移か召喚かはたまた転生なのかはよく分からないが、とにかく既存の世界とは全く別次元の世界にいるのだ。
つまり、少年の常識の範疇を超えている。こればかりはどうしようもない。
そして。ここはリオスティーネ聖王国の王都リオネ。そのどこかに位置する大通りに気づけば立っていた。
自分が何者なのかも分からず、今まで何をしてこんな所まで来たのかも知らないという記憶喪失付きで……
ちなみにいつの間にか言語が通じる謎設定も追加されている。
今のところ会話に問題はないことが唯一の救いといったところか。
「うん……どうしよう」
結局、少年の口から出てきた感想はそれだった。
そんな彼を見て一人「よしっ」と呟く者がいた。
彼の横に座っている名も知らぬ少女である。
「わかったわ。私がそのお悩み、解決してあげる!」
そう彼女は言い放った。
自信満々の笑みで言い澱むこともなく、確かに彼女はそう言ったのだった。
「え、なに……お悩み解決って……」
「困っている人がいたら助ける。正義の味方にとっては当たり前のことじゃない!」
先程からのその少女の快活ぶりは眩しく、そして美しかった。
それは聖人君子のようで……
「そのさっきから君が言っている正義の味方って何なの?」
「ふっふっふーん、簡単なことよ。悪いことをしている人がいればそれを正す、困っている人がいれば助ける。いわば英雄ね」
少年に「よくぞ聞いてくれました!」と言わんばかりの満足した表情で彼女は答えた。
「うん。まぁ、そのまんまだけど……」
でもだ。
正義の味方といえども、こんな名も知らぬ自分をここまで介抱してくれる正義の味方はいるのだろうか?
しかし、実際いたのだ。
少年の目の前に。
それは彼女の信念かもしれないし、性格がそうなのかもしれないが彼女は立派に……
「──君は……俺からしたら間違いなく、正義の味方だよ」
それは少年が直感的にそう感じたのではなく、彼女の今までの行動を見てからの答えだった。
「なら、早速あなたのお悩みを聞かせてちょうだい!」
少女は雪の様に真っ白な白髪を揺らしながら、ぐいと身体を前に出した。
どうやら正義の味方の血が騒ぐらしい。
少年は懺悔室で神父に悩みを打ち明ける様な態度とは真反対にサラッと言った。
「俺は一体誰なのか、今まで何をしてきたのか……それが分からない」
「へっ?」
少年のお悩みは自称正義の味方様でもこのような反応になるほど、ふざけたものだった。