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リピーテッドマン  作者: 早川シン
第二章「underground」
34/55

第二章4話 『食後の珈琲はやはり格別である』

 

 ミハルは絶句していた。何に絶句していたのかというと、言うまでもない。目の前に差し出された“料理になり損ねた何か”に、である。


「熱いうちに食べてね」


 と隠しようもない得意顔で薦めるのはエミリだ。

 幼い顔立ちの彼女の頬には自信の色しか染まっていない。両手を胸の前でクロスさせる様はさながら有名ラーメン店の堅物店主の風格を彷彿させる。


 自信は満々、気分は上々、といった感じか。


 しかし、一方で、ミハルに差し出されたプレートの上には得体の知れない物が乗っかっていた。


 ──ヤベーよ。なんて料理か見当もつかねぇ。


 ゴクリと唾を飲み込み、膝の上に置かれたプレートを見回す。皿は全部で3枚あり、右から順に赤い固形物、黒い何か、青の液体が並んでいる。とても食べ物と言える色ではない。

 つまり、皿の上すべてが未知物質(ダークマター)であった。


 そんな分析不可能な料理を前にミハルは爽やかな作り笑顔で、


「すごく……個性的な料理ですね」


「でしょ! わたし創作料理が得意なの!」


 和洋中のどれに属するかとなると、おそらく洋に分類されるのだろう。あくまでミハルの主観ではあるが、せめて分類くらいは合っていてほしいというのが切実な願いである。

 ミハルがこの世界に来て腹に入れた物と言えば、あの強面のおっちゃんが無償で提供してくれたタピパンだけだ。

 もしかすると、アレがこの世界に来て最初で最後の絶品料理だったのかもしれない。


「くっ、忘れないぜ。おっちゃんの味」


「ちょっと、なに気持ち悪いこと言ってるの? 何かご不満でも?」


「まさか! これが最後の晩餐だなとか、そんな失礼なことなんてさらさら。エミリの手料理を食べれるなんて俺は幸せものだよなーって。うん、だよな」


「ホント? どことなく言い方に引っかかる気がするけど……まぁ、いいわ。それより冷めちゃうから食べて食べて!」


 異世界の食文化はどういうものかと思ったが、あまり元の世界との大きな違いはないように思う。

 小麦粉しかり、タピパンしかり、穀物の存在があることははっきり分かるからだ。米らしき物とのご対面はまだではあるが、馴染みのある食文化とさほどかけ離れていないことにひとまず安堵する。


 ──まぁ、見る限りだったら異文化の料理感がパないな


 なんにせよ、隣では眩しすぎるほど満面の笑みを浮かべたエミリが手料理を薦めているのだ。出された物がなんであれ、一生懸命作ってくれたのだから食す他はない。ここで引いたら男が廃る。

 それによくよく落ち着いてみれば、この世界に来て女の子の手料理と早々に対面できるなんて素晴らしいじゃないか。そんな前向きな思いを胸に久しぶりの食事をいただくことにした。


 ──というか腹へりすぎて食べられるんなら何でもいいや


 さすがにベッドの上で食事をするというのはマナー的によろしくないということで、台所の真横に位置するテーブルへ移動することに。エミリに支えられながら、なんとか椅子に座りほっと一息。

 ほんの少し動くのも右腕が欠損しているおかげで一苦労だ。早々に何か対策を考えた方がいいのかもしれない。


「一人増えるだけでも賑やかになるね。食事はこうでなくちゃ」


「ですね! 昨晩の先輩と二人だけの食卓なんてお通夜並みの雰囲気でしたから」


「あ、ああ……うん……地味に心に刺さるね」


 という訳で、四角いテーブルの三面に、ミハル、K、エミリの三人が着いたところで昼食が始まった。

 食前の合掌ができないことに浅い苛立ちを覚えつつ、


「えっと、いただきます」


「召し上がれ。涙が出るほど美味しいんだから覚悟しなさい」


 まずは、一品目ということで赤い固形物から手をつけることにする。

 慣れない左手でフォークを握り、深呼吸。お行儀は悪いが、片手一本ではこれが限界だ。

 恐る恐るその固形物を突き刺し、端っこをひと齧りした。


 その直後。

 ミハルの脳に電撃が走った。初めは『アレ、意外といけるんじゃね』と思ったのも束の間、三日ぶりに料理を招き入れたミハルの口内を蹂躙したのは圧倒的な辛味だった。

 舌を針で突き刺すような感覚と共に、喉を裂くような痛みが荒波のごとく押し寄せてくる。慌ててコップの水を喉に流し込み、なんとか飲み込んだ。

 椅子から転げ落ちるほど悶絶すること数秒、別の意味で涙目になりながら、息も絶え絶えにミハルはやっと口を開いた。


「あの……エミリさん……これは……ナニ?」


「えっ、秘伝の特製サモサだけど。美味しいでしょ! 味付けには自信があるもん」


「サモサッ!? やっべ……ゲホッゴホッ……これ後も続けてくるヤツだ。つーかマジでなんでサモサ⁉︎ 舌のかんひゃくがにゃい」


 サモサといえば確かネパール料理だったように思う。なんか薄い生地に穀物とか挽肉とか詰め込んだ三角形のスパイシーやつ? ぐらいの知識しかないミハルであったが、確かにそれはサモサに似ていた。

 作った本人がそう言うのだからそうなのだろう。言われてみれば四面体の形をしていなくもない。

 しかし、問題はこのサモサ、超激辛なのである。

 表面にかかってあるのは大量の唐辛子であることにようやく気づく。


 ──調味料の限度を知らないってレベルじゃねーぞ


「で、味はどう? ミハルの体力回復のためにも色々入れてみたんだけど……おいしい?」


「……え……うん」


 結論から言おう。エミリは間違いなく、料理下手だ。そして、悲しいことに本人は料理好きなのである。

 エミリとは知り合って一日も満たないが、先のテンションの上がり具合から察するに、おそらく料理をすること自体は好きなのだろう。

 そのため適度にフォローしつつも味に関してはギリギリのラインでコメントすることがポイントだ。


 ──となると……この場でイカしたコメントは……


 『大人の味』───この辺が妥当と推測する。『大人の〜』と付け加えることで『リッチな』『ワンランク上の』感が出てくるので不思議と便利な言葉だ。

 この場合の最悪手はお世辞にも『おいしい』なんて言ってしまうこと。正直に言ってしまっては傷つけてしまうし、ごまかすにも限界がある。


 味はともかく料理の感想に考えあぐねるミハルの様子にエミリはさすがに焦ったのか、


「……なにかミスった? ……え……ウソ?」


 と自分の分の特製サモサに取りかかる。

 フォークで真っ赤な生地を押さえ、ナイフで片側を崩して一口サイズに。首を傾げ、そのままパクリ。


 直後、エミリは硬直した。

 そしてミハル同様、悶絶し始める。感電でもしたようにビクンと背を反らして右手で口を押さえ、左手は宙でプルプルと震えていた。


「──っん⁉︎ ────っん⁉︎」


「とりあえず水飲め、水!」


 悶えるエミリに急いで水の入ったコップを差し出し、背中をさするミハル。

 痛みに耐えるエミリの口から妙に色っぽい吐息が出ている。水で潤った唇はより艶やかで、変に背中を反らせるものだから発育の良い胸の自己主張が激しくなる始末である。

 何というかもう、直視しづらい姿の彼女にドギマギしながら視線を逸らすしかなかった。

 やっと辛味の第二波を乗り越えたエミリの口から出た一言は、


「……ミヒャル、ごひぇん。これ完全に食べちゃダメなやつよ。拷問に使えるレベルだわ」


「お、おう……みたいだな。ちなみに他のやつも似た感じか? やけに自信満々だったから見た目に反して美味いパターン? とか思ってたけど」


「……う、うん……たぶんアウト」


「ちなみに途中で味見はした?」


「う、そういえば……していない」


「失敗はそこか」


 二人の視線の先には凶々しいオーラを放った残り二品が待ち構えている。食べずとも分かるヤバイやつ。

 残す二品の料理名が気になるところではあるが、多分口にしたら悶絶するどころか失神する危険まである。意気込みだけではどうにもならないことを如実に思い知らせる一例だ。

 ともあれ、エミリが進んで味見をしたことで、壊滅的な味付けを自覚してくれたことは将来的には進歩したことになる。


「でも……残すのはもったいないよな。せっかく作ってくれたんだし、腹はへっているし」


「死を選ぶっていうの?! 気は確か!?」


「いや、そんなキレ気味に言わなくても」


 なぜか怒気をはらんだ睨みをきかせるエミリをなだめながら、ミハルはふと違和感を感じ取る。

 未知の料理を口にしてからこの方パニックになったがために自分のことにしか意識がいっていなかったが、もう一人──金髪黒装束が似合う彼の反応が全く無いことに関して、だ。

 あんなに喋るのが好きそうな彼がここまで無言を突き通すなどあっていいはすがない。


 まさか失神したのではないかと焦る気持ちで視線を前に向けたところ、ミハルはその光景に驚愕して左手のフォークを落としてしまった。隣のエミリも呆気にとられて目をまん丸にしている。

 その男は変わらず気さくな笑顔を浮かべながら、未知物資を食べていた。作った本人ですら飛び上がるほどの味付けに悶絶することもなく、ただ平然と、


「二人ともそんなに騒いでどうしたんだい? 食事中にお行儀悪いよ」


 和むムードが漂う台詞だが、Kの口元に運ばれているのはおぞましい物質。

 激辛サモサに続き、黒い何かと青い液体が次々と彼の胃袋に吸い込まれていく。もう、完食間近まで差し迫っていることに恐怖すら感じでしまう。


((うおおおーいっ‼︎ まさかのバカ舌⁉︎)) 


 この時、ミハルとエミリの声がシンクロしたのは言うまでもない。


 しかし、ついに異変が起きた。

 優しい色を放つKの瞳から次第に光が消えていき、


「あれ……? おかしいな……変な汗が出てくる。なんだろう? 向こう岸に見えるのは」


「わーーっ! ストーップ‼︎ ヤバイって一旦ストップ!」


 危うく帰らぬ人となるところだったKを肩を激しく揺らすことで、現実に引き戻す。ヤバい。というか真剣にシリアスな展開に巻き込まれつつある。

 思えば三日前の王都でだってシリアス続きな展開のオンパレードだったが、あっちはまだ状況が状況だったために、適応しやすかった節がある。

 今回は違う。平和な雰囲気の水面下で起こる緊急事態にはまた異なる種の緊張感がみなぎるのだ。


「ちょっとトイレに」というKの弱々しい背中を見送りながら、さて、どうしたものかと頭を悩ませるミハル。

 そんなアホ毛を揺らす少年の隣で、エミリは「そうだ」と何を思い出したのか、


「試しにオーソドックスなのも作ったんだけど。こっちはどうかな……?」


 台所の端に置かれた皿を持ってきた。

 まだ隠し兵器があったのかと身構えるミハルだったが、皿の上の料理を見てすっとんきょうな声が溢れでる。

 今度は“料理になり損ねた何か”ではなく、ちゃんとした“料理になった料理”だ。芳しい香りと色鮮やかな盛り付けのハーモニーが失われた食欲を刺激する。

 見たところ、皿の上の料理には見覚えがあった。挽肉と玉ねぎを混ぜ合わせたタネを両面に焦げ目がつくまで焼き上げたもの。その表面からは牛肉の旨味が溢れていた。


「もしやハンバーグ? 正真正銘ハンバーグだよな?」

「チーズ入りのね」


 できたて直後ではないが、ジューシーで肉厚たっぷりのチーズインハンバーグは例の未知物質を乗り越えたミハルにとって神々しいまでの輝きを放っていた。

 換えのフォーク改め、肉汁溢れる肉の塊へとさしこむと、丁度いい火加減なのか力を込めることなくフォークが入ったことに感嘆の声がこぼれでる。

 一口分を取り分け、中からとろりと溢れだすチーズとデミグラスソースを絡み付けると口の中に放りこんだ。


「んー、うまっ……!」


 粗挽き肉のかみ応えと、少し冷めたチーズのまろやかさが口いっぱいに広がり、鼻から抜ける。白いご飯が恋しくなるまであるほどの絶品であった。

 自ずと頰が緩み、


「え、普通にいいじゃん。なんでこっちを出さねーの?」


「その、創作料理の方が自信があったから。これはあまりにも味が普通すぎるというかそれが逆に自信がないというか……」


「そんな理由で⁉︎」


「普通って個性が無いってことでしょ。そこはやっぱり料理を嗜むものとしては工夫を凝らすべきじゃない?」


「なるほど、そういうもんか……っていやいやどゆこと⁉︎ 普通に上手いじゃん料理。工夫とか加えなくても十分美味いって」


「えーホント?」


「マジのマジ。自信持とうぜ、ちなみにいつもこんな感じだったの?」


「ここ数日はずっとかな。先輩、料理に関してはてんでダメだから」


「そりゃ味覚なんてぶっ壊れるわ」


 ミハルが目を覚ますまでの数日、エミリの生み出す未知物質を食してきたKに同情と共に尊敬するミハルであった。


 ──でも、まあ……


 エミリの手料理を食べての感想は──『普通に美味しい料理を作れるが、変に一工夫入れてしまうせいで台無しになってしまう』ではあるが、楽しそうに料理をするエミリの後ろ姿を思い出すと、不覚にも口角が浮かんでしまうミハルであった。

 なんでもこなす完璧なイメージがあるエミリの意外な欠点。それを一つ知れたことが少し嬉しくて、こそばゆい気持ちを心に秘めながら、


「あ、それでねミハル。今新しい創作料理を思いついたんだけど────」


 ハンバーグに添えられた人参のソテーを口に放りこみ、エミリのお調理講釈に付き合うことにした。

 バターの塩味と人参の甘味を舌の上で味わいながら、この昼下がりの一時を。




 ちなみにKは────しばらくトイレから戻ってこなかった。




 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇




 危うく死にかけるところだった恐怖の昼食。

 そんな魔の一時を切り抜けた三人は揃って昼過ぎの微睡みを満喫していた。

 ミハルは元いたベッドに腰をかけ小休憩。Kは部屋の換気と割れた花瓶の片付けを、エミリは未知物質の処理と食器を洗っている。

 ここまで何もしていない自分に罪悪感を抱き、何か手伝おうかとエミリに声をかけたが、笑顔で拒否された。


 窓の外から差し込んだ光は均一で揺るぎなく、眠気を誘うような暖かさに思わず欠伸が出る。

 腹もある程度膨れたところなので、より一層瞼が重くなるのは生理現象として致し方ないが、こういう時にこそ気分をリセットする飲み物が欲しい。

 そんなミハルの気ままな欲望を汲み取ってくれたのか、


「……珈琲淹れようか。食後の珈琲はお約束だよね」


 と、柔和な笑みを浮かべながら切り出したのはKであった。


 エミリの生み出した暗黒物質(ダークマター)を一欠片も残さず完食したというのに、その表情はまったくやつれてなどいない。いや、少し訂正。正確にはやつれてなどいない素ぶりを見せているだけだ。

 だが、女の子を立てた姿勢、さすがイケメン。外見のみならず、内面まで完璧でいらっしゃる。


 人として見習いたいが、流石にあの料理を完食するほどの気力はないのがミハルの本音だ。


 ──それに前提として外側から負けているし


 自分の外見のレベルはいたって普通。特徴的なところを挙げるとすればアホ毛ぐらい。

 うっすいキャラ設定であることにダメージを受けるも、それも個性だとポジティブに向き合うことでなんとか持ち直す。


 ──ん? あれ?


 勝手に落ち込んで勝手に立ち直るという忙しいことこの上ないミハルだが、ふと、気になることがあった。

 眉を引き寄せ、疑問を一つ提示する。


「珈琲ってあのコーヒーのこと?」


「もちろん。香りとコクを楽しむ飲み物のことだけど……もしかして苦手? 紅茶もあるけど、インスタントのやつ」


「苦手かどうかはさておき、この世界にもあるんだなぁーって。あ、コーヒーでお願いします」


 顎で頷き了解の意を示すK。

 代わりに補足を入れたのはエミリだ。


「似た物ならあるけど、コーヒーとは少し違うかな。さっきの料理で使った食材も実は現世から取り寄せたものなの。隠しルートを使ってのね」


「へーなるほど。隠しルート、ね」


 “隠しルート”という含みのある言葉に首をひねるミハルだが、ここはあえてスルーすることで話の脱線を未然に防ぐ。

 意識が覚醒してから数時間、ずっとKの講釈を聞いていたため、身体的にも精神的にも疲れが溜まっている。今日の晩はぐっすり眠りたいところだ。

 そんな疲れを見せるミハルを横目にKはスクリと立ち上がり、


「僕が淹れるから、エミリは休んで」


「ありがとうございます、先輩。じゃあお言葉に甘えて。あ、豆の方は新鮮なものを取り寄せましたよ。メロウブレンドでしたっけ、左の袋に入ってます」


「了解。仕事が早くて助かるよ」


 そんな訳で、食器洗いを手早く済ませたエミリがKと入れ替わりでベッドの隣の椅子に座った。

 一度座ったものの、スカートの微妙な皺が気持ち悪かったらしく、お尻をもぞもぞ動かし再度座りなおすエミリ。


「ん」と臀部の不快な感触に対する吐息が木苺のような色味を持つ唇から溢れでた。

 そんな女の子の生々しい仕草を見せつけられると、嫌が応にも注目してしまう。加えて、エミリが身に纏っている服はどことなく女性の容姿を浮き立たせる作りだ。

 構造は詳しくは分からないが、黒のミニスカと水色のブラウスが繋がっているように見えるそれはどこかエロティックで製作者の性癖を体現している。

 それにプラスしてのガーターベルト。当然、破壊力は累乗される。


 ──ダメだ。視点が定まらねぇッッ


 椅子に座ったことでミニスカからチラ見する太ももの絶対領域とガーターベルトの食い込みは目に毒だ。

 ほんの数秒目にするだけでバルスをかけられるのは確定済み。危ない危ない。


「こんなところにハニートラップ?! 俺は今、試されてんのか!」


「────? ハニートラップ? なんのこと?」


 光の速度で回転しているミハルの思考にエミリが勘付けるわけもなく、猫のように吊った双眸がきょとんと瞬く。

 凛と輝くルビー色の瞳に見つめられ、ミハルは内心焦りながら左手をわちゃわちゃ、


「お、おう……ギリセーフ、賢者モードに入った」


「私の料理のせいでおかしくなった?!」


 噛み合わない返答をしたことで、さらにエミリの頭上にハテナマークが増える。


 そんな光景を遠目に温かく見守るのはKだ。

 ミハルの焦る思考が手に取るように分かる彼はあえて割り込まずに事の成り行きを俯瞰することにしていたが、このままでは微妙な雰囲気になると予想。


 ふっと微笑を浮かべると、ミハルに助け舟を出す意味を込めて講義を再開することにした。


「話しの続きに戻ろうか。えーっと、大終焉(ジ・エルフィナル)が終息した後について、からだね」


「あーそうだった。フェイズ2があるって話だよな」


「そう、その話。珈琲を淹れるついでにささっと流していこう」


 そう言いながらポットに水を入れ、湯を沸かし始めた。

 ブレスレット型の端末で時間を確かめると、ミハルが座るベッドへ振り返り、


「さっきも言ったけど、“大終焉”が世界に与えた影響は計り知れなかった。ミハルに見せたNYの映像なんてほんの氷山の一角なんだ」


「アレ以上にぶっ飛んだ現象があんの?」


 と質問するミハルにKは「そうだね」と息を引き継ぎ答えた。

 エミリが持ち込んだ紙袋の一つからコーヒー豆を計量スプーンで計りつつ、


「例えば、赤道上の海が真っ二つに割れたりだとか、オーストリア大陸が沈んだと思えば、今度は未知の大陸が大西洋に浮上したりだとか……もうなにもかもがあべこべな世界になったんだよね」


 Kの適当な調子の後に、エミリが続く。


「でもそれはあくまで可視化できる現象の話。“大終焉”の影響は見えないところまで影響が出ていたの」


「……詳しく」


「例えば時間の圧縮かな。“大終焉”が起こった正確な日時は分かっていないの。発生した時刻は国や地域で異なっていたし、一連の超常現象が終息した時も場所によっては2週間もの誤差があったっていうわ。

 ある国では一週間の時間が経過していたのに隣の国では二日しか経過していなかったとかも有名な話」


「世界中の時間がズレまくったってことか。そりゃ一大事だわな」


 なるほど、納得。と物分かり良く頷くミハル。


「まぁ、そんな感じで世界は瞬く間に混沌に陥った訳だ。もし、あのまま“大終焉”が続いていたらどうなっていたか、想像するだけでゾッとするよ」


 と肩をすくめながらKは豆を手動のコーヒーミルに入れ、ハンドルを回し始めた。

 ゴリゴリゴリと固い豆が砕ける音と共に、挽きたての芳ばしい香りが漂ってくる。

 このゆったりとした時間を楽しめるのも、ドリップコーヒーの大きな魅力なのだろう。


「で、ようやく次の本題。確かに世界は“beyond(ビヨンド)”によって救われた。だから僕らの世界は今も存在している。

 でも正確に言えば“大終焉”を止めただけであって、元の世界の位相には戻せなかった」


 厄介なことに、とKは区切って、


「それほど“大終焉”の影響は計り知れなかったと言えるね」


 激しく噛み合うコーヒーミルの歯車が固い豆に引っかかる音がした。

 Kは底を軽く小突きながら、少しトーンを落としてこう告げた。


 また一つ、ミハルの知らない単語を。


「不可逆の混沌に陥った世界の歪み──“亀裂(クレバス)”。現世と異界を繋げる狭間が発生したんだ」


「もしやと思ったけど、二人がこの世界に干渉できている理由もその“亀裂”とやらに関係あったり?」


「ふーん、鋭いじゃん」


 ミハルの何気ない指摘にエミリは掌を口に当てて驚く。

 少し言い方にツっこみたい所はあったが、年の近い女の子に誉められたことの嬉しさの方が勝り、はにかみながら頭をかきかき、


「あんまし持ちあげんのはやめてくれ。また調子に乗るからさ」


「記憶喪失の割には随分と自分のこと分かってるんだ」


「王都で思い出したくない黒歴史が少しな。過去を引きづるタイプなのかも」


 二週目の王都。そこで急遽発生したチンピラ共とのトラブルを思い出す。

 今思えばあの時の行動はバカ丸出しだったと深く反省。今後はクールかつ紳士的に対処していきましょうよと思う今日この頃である。


「変に抉らない方が良さそうね」


 ミハルの自己分析の解答にげんなりした顔で返答するエミリであった。

 そんな間にもKは慣れた手つきでコーヒーを淹れる準備を進めていく。


 ガラス製のドリッパーとサーバーを棚から取り出し、茶色のペーパーフィルターをセット。

 そこに三人分のコーヒー粉を入れ、こんもりとした粉の山を平らにすべく二、三度左右に揺らした。


「ま、歪みとは言ったけど、そこまで難しく理解する必要はないよ。単純に僕らの世界と異界が通じる空間が生じたと認識してもらえれば」


「そこだけ聞くとまさにファンタジーな内容だな」


「それを言い出したら“大終焉”そのものがファンタジーな出来事になるんだけど。ともあれ、ミハルの言う通り、僕らはその亀裂を潜ってこの世界に干渉しているのは事実だ」


「なるほど。つまり、今の現状は異世界になんて簡単に行けるってことか。空想が広がる世界になったもんだ」


 ここまで説明された世界の事情とやらを聞いて、ミハルは改めて自分が失っていた記憶の重要性を再確認する。


 この世界が異世界だと気づけたことには自分を褒めてやりたいが、今知っていることに比べれば可愛いものだ。

 まさかこんなにも現実的で壮大な背景があるとは思いもしなかったのだから仕方ないとも言えるのだが。

 そんな涼風のような楽観したミハルの物言いに対し、


「空想が広がる世界か……それなら僕らの存在だって必要なかったかな」


 と何か思わせぶりな口調でKは区切ると、ドリップポットを持ち上げ、コーヒー粉の中心に湯を注ぎ始めた。

 最初は数回に分けて少しずつ、銀色の細口からちょろちょろと湯気をまとったお湯が落ちていく。

 ミハルの手前、置かれたドリッパーの底でコーヒー粉が膨らみながら香ばしい匂いを部屋中に放ち始めた。

 鼻腔で豆の香りを嗜みながら、首をコクリと傾げるミハル。


「必要無かった……んん? てことはそんなハッピーな内容ではない?」


「ズバリその通り、残念ながら簡単に事は運ばなかった。なぜだと思う? 簡単さ。そもそも交わるはずのなかったものが干渉しあったんだ。当然、世界の均衡は傾くに決まっている」


「それは悪い意味で?」というミハルの問いかけに「もちろん悪い意味で」とKはあっさりとした調子で答えた。


「世界は広い。異なる人種がいれば数多の文化が存在するし、いろんな思想を持つ者だっている。

 そんな複雑な文明を長年構築してきた現世の住人。彼らが未知の世界の存在を知れば、そりゃもう混沌だよ。様々な思惑を持つ輩が跳梁跋扈し始めるし、それに伴って世界のパワーバランスだって変動しまくる」


「まあ、予想は出来るな。そんな優良物件見つけりゃ誰だって自分が独占したくもなるもんだ」


 続けて補足したのは隣に座るエミリだった。

 白く綺麗に整った人差し指を薄い桜色の唇に当てながら、


「“亀裂”の存在が明らかになって数年は覇権争いが水面下で起こっていたの。世界を支配していたいくつもの勢力同士のね……『今後何百年もの間の覇権を握りあう場所』と言えばしっくりくるかな?」


「“覇権を握りあう場所”って響きいいな。心のノートにメモっとこ」


 でも、とKは呟き、


「世界はそこまで愚かじゃない。ちゃんと策は講じたんだ」


 口をつぐみ、僅かに間を開けた。

 抽出された最後の一滴がフィルターの底から落下し、飴色の液面に波紋を作る。

 本に挟んだしおりを取り出すように、Kは再び口を開いた。ニヒルに口角を上げながら、


「現世と数ある異界の均衡を保ち、平和のために暗躍する組織──二大異間機関の設立さ」


「二大ってことは異間公安の他にもう一つ組織があるのか」


「なぜ二つも必要なのか、と言ったら裏の複雑な事情が絡んでくるわけだが。それはともかく」


 Kは区切って、


「モデルは大終焉時に活躍したとされる対異間機関──beyond。国連はそれを基盤(ベース)に発足したんだ。異間帯捜査局国家公安部──略して異間公安。そして、異間帯刑事警察機構──LCPOの二大機関をね」


「警察じゃん。例えたら異界専門のCIAとかFBIみたいなもんだろ」


「これまた懐かしい組織名を出してきたね。でも、実際のところ僕らの立ち位置はそれだ。

 現世と異界を巻き込む超常現象の沈静化、非合法組織が引き起こす暴動の制圧ならびに犯罪シンジケートの犯行の摘発……など、その他諸々内容は多岐に渡る。ま、それほど忙しいってこと」


「まったく喜べる話じゃないんだけどね。私たちが忙しいってことはそれほど危険分子が存在しているってことだからさ。ホント……世界って面倒臭い」


 苦い笑みを微かに頰に含み下を向いたエミリがそう吐き捨てた。


 そんなエミリの態度にミハルはしばし、言い淀む。結局、調子のいい返事が思いつかず黙りこんだ。


 が、ふと嫌な予感がミハルの脳裏をよぎる。今の一連の流れで、Kとエミリがどのような組織に属する人間であることは分かった。『ここまで親身に接してくれている二人は実は異界専門のエリート警察でした』という衝撃の事実。

 確かにここまでの話の流れからして、全く理解できないという内容ではないが、嫌な予感の要因は別に存在していた。

 そう、それは──


「Kもエミリも悪人を捕まえる立場の人間で、現世と異界に関わる面倒事を対処している。うん、そこまでは理解できたけど、そんな二人の前にいる俺って……つまり」


 急に得体のしれない悪寒が背筋を伝う。

 エリート警察様二人の目の前にいるのは、アホ毛黒髪の少年、つまりはミハルだ。


 理由はともかく、この二人にマークされている時点で、何かしらの問題があることが推測される。

 例えば、Kが言ったような危険分子を持つ人間だと認識されているとか、実は自分の正体は犯罪シンジケートの一人だったとか。

 次々と過去の記憶がないミハルの中で悪い方向への憶測が広がっていく。

 そんなカッチリ畏まってしまった少年に対し、何の気なしにさらりと、


「あー変な誤解をさせたようならすまない」


 熱々のホットコーヒーを入れたポットをテーブルの端に置いたKはそう訂正した。

 枕元に置いてあるミハルの異端の右腕へじろりと視線を向けて、


「そんな気構えなくていいさ。僕らは君を拘束してどうこうしようって訳じゃない。仮に僕がふざけてそうしようものなら、隣のエミリが許さないだろうね。最悪、平手打ちをくらうかも」


「先輩、一言多いです」


「あはは、ごめんごめん。でも安心していいよミハル。僕らは君を要監察対象として保護する名目で動いている」


 不安に苛まれるミハルの気持ちをなだめるように話すKだか、「ただ」とひと区切り、少し声色を硬くしてこう言った。


「大きなひと括りに入れるとしたら、僕は君をこう呼ぶことになるかな」


 楽園追放。

 蛇の誘惑に負け、知識の木の実を食べたが故に楽園から追放されたアダムとエバ。それ以来人間は苦労して働き、ついには死する運命になったという。

 そんな言い伝えに因んでつけられた呼び名。


 どこか冷えた感情が宿ったKの声がその名を告げる。


「現世から異界に飛ばされた人間──“追放者(エクシリアド)”、と」


【information】

●K

[特異九課所属・上等監察官/C4班長]

・24(3/4生)男

・Blood type:A

・Size:182cm/75kg

・Hobby:読書、水彩画

・Automatisme:friday [フライデー]

・最近:後輩のエミリとの距離感を掴むのに苦戦中

・好みのコーヒー豆:メロウブレンド



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― 新着の感想 ―
[良い点] 料理回と説明回、みんなキャラが立っていて楽しく読めました。 ハンバーグはなんだかんだで美味しそうでしたね。 [一言] 作者が得意な分野なのか、前より読みやすくなった気がしました。 この先も…
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