第二章3話 『大終焉』
「ふんふんふーん。お料理♪ お料理♪」
と軽快な鼻歌を口ずさみながら手を動かしているのはエミリだ。たいへん機嫌がよろしいようで腰辺りで括られたエプロンの結び目が可愛く揺れている。
ミハルが寝ていた部屋には簡易的な台所スペースが設けられていて、エミリはそこで調理中だ。
食事は個人でどうにかしろというシステムなのかそれとも別の大食堂があるのかは知らないが、ミハルにとっては女の子のお料理風景が見られることの方が重要であった。
「スッゲー期待しちゃうんですけど」
鼻をすんすんと鳴らして匂いをかぐと、肉汁の芳醇な香りが飛び込んでくる。バターらしき香ばしい匂いもほのかに感じられた。
「同感。彼女の料理は個性的だから楽しみだよ。今日は何を作ってくれるんだか」
男二人して女子の料理姿を見守っているのは微笑ましいことだが、ランチが出来上がる時間も有効活用しようということで、Kは再び話し始めた。
「さて、続きは何から話すべきかってことだけど、大前提として君は記憶喪失。つまり、ミハルが何を知っていて何を知っていないかで僕が話すべき内容も変わってくると思うんだよね」
「あー確かに俺、記憶は無いけどある程度の知識はあるもんな」
「そう。君が所有していたはずの記憶は消失しているけど、蓄積してきた知識は今も健在だ。僕はそこに解決の糸口があるとふんでいる」
結論を出すように、Kが締めくくる。
確かに、とミハルは思う。自身の経歴を記した記憶は無いが、ミハルの思考を手助けする知識は存在する。お陰で、異世界の認識やエミリの正体なども考察できたわけだ。
薄々感づいてはいたが、ミハル自身の正体を知る鍵は残された知識と言える。ただし、知識といっても専門知識並の内容ではない。あくまで常識的なスケールが限界だが。
「いまいち要領得ないんだけど」
ミハルの怪訝な顔に対してKは「そうだね」と前置きして、
「大終焉は知っているかい?」
「いいや、全く」
ミハルは首を振り潔く即答した。
「なるほど。……となるとそこからか」
Kは区切って
「いきなりそこに触れても意味は分からないと思う。だから、まずはこの世界の現状について説明しておこう」
と切り出した。
ミハルが把握していることは、この世界が異世界であるということぐらいで、具体的なことは何一つ知らない。
ただ、これまでのエミリやKの話を聞いている限り、ミハルの元いた世界との繋がりが何かしらあることは推測できていた。
Kは言う。
「この世界は君もご存知の通り異世界だ。詳しく言えば第二異間帯。僕らはそう呼んでいる」
第二異間帯。どこか堅苦しい呼び名のそれは異世界というファンタジックな言葉を現実味のある響きにさせているように感じられた。
「そして、ミハルも僕もエミリもこの世界の人間ではない。君がこの世界の人間という可能性も捨てきれなくはないけど、ミハルはここが異世界であると……」
「もち、自覚はあるよ。ほんとはここでリアクションするのが当たり前なんだろうけど、正直その辺の感覚に関してはもう慣れたってのが本音だな」
「ははっ、それは潔ぎいい。よって、君は正真正銘現世の人間って訳だ。現世というのは僕らの世界のことね。そして、分かっておいてほしいのは僕らの世界の他にも別の世界が存在しているってこと」
そう言いながらKは右手首につけているブレスレットを触り始めた。
その仕草にミハルは見覚えがあった。教会でエミリが自己紹介をした際に使用したSFチックなガジェット。
「ここからの説明は映像を見た方が分かりやすい」
ブレスレット型の端末が宙空にホログラムを投影した。記号的な天秤の三次元像が、規則的にくるくると回転している。
Kはもの珍しげに見入るミハルの顔を見て、
「もしかしてこういうのあまり見慣れていない?」
「なんだろ。俺の中では近未来的なテクノロジーっていうイメージが強いから」
「それは意外だね。ホロの技術ってだいぶ前から確立されているはずなんだけど。それも記憶喪失による影響か……まぁ、それは後回しとして。これを見てくれ」
そう言って、空間に浮かぶホログラムに触れた。
とある大都市の映像が映る────NYだ。
雲にまで届きそうな高層ビルの群れとネオンの光が散りばめられている。
ファンタジーな景色を見てきたミハルにとって新鮮な映像だった。
「大終焉。文字通りそれは世界の終わりを示す」
中央の再生マークがタップされる。直後、そこには異様な様子が映し出されていた。
黒雲が立ち込めたと思えば、人間の英知が結集された大都市は瞬く間に灰色の霧に呑みこまれたのだ。
「100年前に起きた未曾有の大災害。世界は一瞬にして不可逆の混沌に陥った。
原因は通称──“hole”と呼ばれる亜空間の干渉によるものとされている」
「──ホール?」
ミハルはオウム返しに聞いた。
「パラレルワールドという言葉に聞き覚えは?」
「何となくは知っているけど。SFとかで出てくる設定だろ」
「そうだね。『僕らの知る現世とは別に、もう一つの現実が存在する』ってのが簡単な解釈とされていて、量子力学のマルチバースが有名どころかな。
でもそれはあくまで理論上の話でもあり、その存在を否定することも肯定することも出来ない、いわば懐疑的な内容だった。大終焉が起こるその日までは……あ、ちょい脱線気味だけど大丈夫?」
「まぁ……」
「別次元の位相の干渉と言えば伝わるかな? 元々、僕らの世界っていうのは様々な位相が重なったもので成り立っていたことが最近分かってきたんだ。突然だけど、カラーテレビの仕組みって知ってる? 色の三原色の組み合わせと明るさの調整によって映像として見えるってやつ」
Kはそう言うと、ホログラム上に一枚のイラストを映し出した。
子供向けの絵本に出てくるような街中のシンプルな絵だった。
「何の捻りもない一枚のイラストだ。でもこれは三色の色が重なって成り立っている」
Kの指が絵をスライドさせると、イラストは3枚に分かれた。
シアン、マゼンタ、イエロー、それぞれの色に染まった同じ3枚の絵がズラリと並んでいる。
「さっきも言った通り、このイラストは異なる三色の色の組み合わせと明るさの調整で成り立っていることが分かるね。さて、ここでクエッション」
Kはシアン色で描かれたイラストの濃度を濃くしながら、いかにも重要なことのようにミハルの訊ねた。
「もし、この三原色のバランスが崩れたらどうなる?」
「そりゃ…‥…そのイラストの色合い? ってのは変化するんじゃねーの?」
「正解。元の絵との色調がずれるからそうなるよね。こんな感じで」
3枚に分かれたウィンドウが再び元の一枚の絵に戻る。
もちろん予想通り、元の絵とは違い、若干青みがかっている。シアン色の濃度を濃くしたからだ。
「この三原色の仕組みから何が言いたいのかというと、僕らの世界もこのイラストと同じく繊細に構成されているってこと」
「……つまり?」
「そのままの意味だ。三原色の組み合わせと明るさの調整を少し変えるだけで絵は変化するように、僕らの生きる世界もわずかな力やエネルギーの基礎のズレで全く別物に変化するってことさ」
抽象的に表現されたKの結論。その言葉を吟味し、意味を噛み砕いてミハルは静かに息を呑む。
単なる絵が三色の組み合わせで成り立っているように、世界という概念も、色とはまた違った何かの組み合わせで成り立っているのだとしたら、そこには何百万、何千万、いや何億通りもの組み合わせがあるのではなかろうか。
ミハルが元いた世界も無数に存在する世界の一つなのだとしたら、それはあまりに荒唐無稽じゃないか。
そうミハルは思ったが、視線をホログラムに映るイラストから逸らすことができなかった。
Kはうっすらとした笑みを浮かべながら、続ける。
「まぁそんな訳で、僕らの生きてきた世界っていうのは細かいバランスを取りつつ構成していたんだけど、実は他にもそんな場所があったんだ」
「……それがこの世界ってことか」
「そう、僕らの世界が一つの定まった組み合わせで出来ているように、この世界も無数の組み合わせのうちの一つで成り立っている。力、エネルギー、可視化できない概念。それら各々の基礎の些細な違いで生じた全く別の世界。故に、異世界」
「じゃあ」とミハルは呟いた。
「──その理論でいくと、異世界って無数に存在することにならなくね?」
ミハルは常識の範疇を超えた光景や文化を見てきて、ある程度の衝撃的な事実は受け入れる覚悟はしている
それでもやはり、Kの述べた世界と異世界の概念は理解しがたい。
あの大通りで受け入れたこの世界はミハルの元いた世界と似て非なる場所。
科学技術で発展してきた世界もあれば、魔法という不可思議な技術が確立しているこの世界もあるのだと、そういうことなのだろうか。
問いかけに、Kは相槌を打ちながら言った。
「もちろん、その通りだよ。世界は無数に存在する。僕らが観測できるという条件の上ではね」
Kは「これは何となくで聞き流してくれても結構だけど]と前置きした上で、
「大終焉ってのは、そんな無数の世界がお互いに干渉しあったが故に生じた厄災なんだ。
位相の干渉と言うと難しく感じるかもしれないけど、波の干渉として考えてみれば分かりやすい。またホロを使った方がいいね」
シンプルな街のイラストが消え、新たなホログラムが映し出される。
「これは波を平面的に見たものだ。無数と言ったけど、ここでは簡単に二つの世界のみの干渉と考えてみよう。左側の波が僕らの世界、右側の波がこの異世界だ」
波長の異なる二つの波が左右の波源から生み出されていく。
左の波源には『現世』、右の波源には『異界』と表記している。ミハルがイメージしやすいようにというKの計らいなのだろう。
「さて、この二つの波を重ねてみよう」
ホログラムに触れるKの両手が二つの波源を寄せ合った。
すると、重なった波は別の波に変化した。激しく振動する箇所もあれば、微細な振動を繰り返す箇所も観測できる。
「このように複数の波が重なり合って強め合ったり、弱め合ったりする現象を波の干渉という。特に互いに相関性が高い波の時は干渉が顕著に現れるんだ。相関性が高い、つまり近い周波数を持っている時だね」
「って事はその周波数ってのが、さっきの話に出てきた力とかエネルギーとかの基礎って訳か。で、近い周波数、つまり、現世と近い組み合わせで構成されたのが異世界? みたいな……感じでOK?」
Kが段階的に分けて述べた内容をまとめながらミハルなりに出した推察。
対して、金髪黒装束の男は少し目を見開き、
「いい回答だ。理解力あるねミハル、大したもんだよ。二つの波が干渉しあったことで、新たな波が生まれただろう。それが事の発端なんだ。
本来は干渉するはずが無かった位相同士が強制的にバランスを崩されて交じり合ってしまったというね。どう? 何となくイメージはできたかい?」
「……うーん? 多分……でいいのか。大体は把握できたっぽい」
凄くアホな返しをしていることに恥を覚えながらも、Kが語る世界の仕組みを脳にインプットしていく。
こんなファンタジー全開の世界でSF要素たっぷりな会話をしているというのは奇妙な感覚に陥りそうだ。
まだ、Kのわかりやすい説明のおかげでなんとか食いついてはいるが、そろそろ限界に近い。
──要は些細な基礎の違いによって成り立つ無数の世界が存在していて、現世(俺の元いた世界“多分だけど”)とこの異世界も極めて近い位相同士ってことだよな。
で、その例の大終焉ってのはそんな異なる世界同士が望まずして干渉してしまった結果、起きた厄災ってとこか。
強制的な外部の干渉。それがホールと呼ばれる未知の亜空間というのだろう。
その辺の詳しい仕組みや事情に関して気にはなったが、これ以上話が深くなると整理できないとミハルは悟った。
「少し脱線してしまったけれど、ある程度知っておくとこの後の説明も何かと理解しやすいかな。仕切り直して、次行ってみよう」
映像が切り替わる。どこかの監視カメラの映像だろうか。別視点から見たNYの様子が映し出された。
高層ビルが地下に急降下する場面、綺麗に区切られた市街の一角が15パズルのようにスライドされる場面、有名なタイムズ・スクエアの真ん中に大穴が開いて、辺りのものを吸い込んでいく場面など、どれもこれも摩訶不思議な怪現象の数々が細切れに映し出される。
「見ての通り、交わるはずがなかった位相の干渉によって、数々の超常現象が勃発したんだ。それも世界中で。厄災という渦に巻き込まれたと言ってもいいね。結果、世界の均衡は崩れ、人類は文明崩壊の危機まで陥った」
「──文明崩壊って……」
ミハルは繰り返しその単語を呟くことしかできなかった。
大終焉? 文明崩壊? にわかには信じられない。ついさっきまで抽象的だった内容が、具体的な映像と事実によって重々しく感じられる。
そして、何よりそんな大事件に関して自分が何も知らないことが恐怖だった。
「聞き入ってくれているようで何より。ミハルの反応は見ていて楽しいよ」
Kはニヤリと笑い、
「でも世界は終末を迎えなかった。なぜだと思う?」
急な問いかけに、しばし黙考。
少々、ロマンチック過ぎる考えかなと思いながら、ミハルは答えた。
「……救世主が現れた……とか?」
「うーん、惜しい。救世主っていうのは間違っていない。ただし、一人ではなかったんだ」
組んでいた足を組み直し、Kは言う。
「彼らは突如、現れた。まるでこのタイミングを見計らっていたように」
Kが軽く指を鳴らすと、新たなウィンドウが開いた。
「対異界機関“beyond”。未だに謎が多い組織でね。いつ設立したのか、どこに属していた組織なのか、はっきりしたことは分かっていない。
もちろん、相応の実力は持っているようで、人類が築き上げて来なかった未知の技術を駆使して世界中で起きた超常現象を沈静化したというのが歴史として残されている。表向きはね」
なにせ、世界の上層部でさえその存在を知らなかったんだし、彼らが大終焉から世界を救ったとは言われているけど、実際の記録は不明確なものばかり、フェイクだっていう可能性もある訳だが、とKは付け加えた。
Kがスラスラと語る間、英字表記の“beyond”に続く簡潔に纏められた概要文が文字列を綴っていく。
その一文一文を追い掛けながら、必至に情報を取り入れるミハル。頭の中はパンク寸前である。
「果たして、謎の組織のお陰で崩れた均衡は修復され、世界は救われた。はいめでたしめでたし、これにてハッピーエンド……っていきたいところだけど、そう簡単には事は終わらなかった」
「えーまだ、何かあんの?」
「あるんだな、これが。大終焉っていうのがフェイズ1だとすると、次に起きた厄災はフェイズ2。二次災害ってやつさ」
そうKが言い終えると同時にエミリの快活な声が響いた。
ほのかに湯気が立つプレートを両手に持ち、自信満々の笑みで、
「二人ともお待たせ! 自信作よ。ほっぺが落っこちるんだから」
料理になり損ねた何かがそこにはあった。
【information】
●焔・イリアス・エミリ
[特異九課所属・一等監察官]
・20(5/3生)女
・Blood type:B
・Size:151cm/52kg
・Hobby:創作料理、組手、筋トレ
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