第一章幕間 『また逢う日まで』
王都リオネ。
市街地西区に位置する衛兵の詰所にて。
閉じた瞼の下に暖かい光が差し込み、微かな疲れと共にアリスは目覚めた。
「ここは……?」
寝台で上体を起こし、何度か瞬きする。
後頭部にはまだやんわりとした痛みがある。
頭が重く、倦怠感が体のあちこちに残っていた。
暖かい光の正体は魔鉱石の照明であり、それらは天井に吊るされていた。
瞼を何度か開閉し灯に目を慣らすと、目尻に溜まった涙を拭う。
「アリス」
突如、聞こえてきた声に肩をびくりと震わせる。
今までこの空間には一人だけと思い込んでいたため、その声に驚くのも仕方なかった。
一切の気配を殺して、
「──ようやく起きたか」
声の届いた先は寝台の真横、それも至近距離だ。
一人の男が座っていた。
その存在に思わず目を伏せる。
白装束に身を包んだ男が凍てつくような瞳で見下ろしていた。
その眼光には優しさの一欠片もない。
アリスと同様、真っ白な白髪、そして白に身を包んだ男。
煌びやかというよりは、シンプルな神々しさを醸し出す衣服。腰には反りと鎬造が特徴的な剣。そしてその佇まいに匹敵した肩書きが、彼の生業を語っていた。
「……兄様」
アドルフ・アークライト。
アークライト家──十三刀士。その第三刀の役目を授かる男。
アリスの実の兄である。
「今までどこで何をしていた? 今朝、宿を飛び出したかと思えばこの詰所に連れて来られる始末。それもこれもお前の身勝手さが原因か」
組んでいた腕を解くと、アドルフはアリスの膝上に綺麗に折りたたまれた羽織を置いた。
その動作に伴い、木々が擦れる音がする。
彼の左腕は『義』と呼ばれる木製の義手を宿していた。
それが彼を十三刀士の一人だと決定づける何よりの証拠。
十三刀士とはアークライト家代行免許を得て、王室御用を仕遂げられる十三人の死刑執行人のことを指す。
「もしお前の身に何かあったらどうする? アークライト家の名を授かるお前が……」
「ごめんなさい、兄様。心配をおかけしました」
王家御用達──死刑執行人──アークライト家。
アークライト家とは、リオスティーネ聖王国五大貴族の一つにして、剣の名家だ。
刀剣の試し切りや処刑執行人を代々務め、リオスティーネ聖王国の執行人として長く、偉業を成し遂げてきた。
『首切り役人』や『生きた死神』などとも呼ばれ、罪人を用いた試し斬りも斬首刑も一刀の下に行う──刀剣の達人である。
腕を組み、顎を引いてアドルフは、
「何度も言っているが、お前の志願する道。いい加減諦めろ。お前には死刑執行人は向いていない」
「それは……」
幾度となく言われ続けてきた指摘に、アリスはベッドのシーツを強く握りしめる。
そう、それはアリスがアークライト家唯一の一人娘であるということ。
「お前は執行人である前に、アークライト家の娘だ。女には次期当主と結婚する役目がある」
「────」
『女がなぜわざわざ剣を振る?』この言葉の重圧にいつも打ちのめされる。
自分が“女”であり“アークライト家の娘”であるが故に。
女としての限界。アリスが超えることの出来ない壁。
それはアリス自身が誰よりも知っていた。
言葉を畳かけるアドルフに、アリスは反論できない。
分かっている。兄の言う言葉の意味は理解できる。
理解はできるのに、納得できない。
「いいな」
「ですが……私も……」
「また正義を語るつもりか……お前の言う正義とはなんだ? どんな極悪非道を尽くした死罪人ですら、一切の苦しみを与えることなく斬る一刀。その一刀への憧れか」
打ち首には卓越した剣技の才が求められる。
歴代の執行人には片手で首の皮一枚を残して斬首を行う者──或いは首を切らずとも構えのみで魂だけを刈り取る妙技を極めた者もいたという。
アリスの父──アーサー・アークライトはある時、吟遊詩人の罪人から「一曲を唄う最中に斬首して欲しい」と乞われそれに従った。
結果、その吟遊詩人は首から落ちた後も、綺麗な歌声を奏で続け、唄い終えると同時に息を引き取った。
“本人すら斬られたと気付かない。魂だけを清める理想の一刀”
その神技と称される執行の一部始終を見た時、幼き12歳のアリスの世界は変わった。
以来、父のこの“一刀”がアリスの道標となる。
が、現実はそう甘くはなかった。
なぜなら────
アドルフは、実の兄は、断言する。
目を背けたくなる現実を。
「剣技の才能がないお前はそれでも御役目を務めるつもりか? そろそろ現実を見ろ、アリス」
「────ッ」
アリス・アークライトには剣技の才能が全くと言っていいほどなかった。
才能は望んだからといって突然舞い降りて来るものではない。
これが弱い12歳にして思い知った現実だった。
だから、密かに高等魔術に手を出しているのはせめてもの抗いで。
「アークライト家の娘だからといって、剣に縛られる必要はどこにもない。屋敷で静かに暮らせばいい」
「…………」
兄の言うようにそんな人生も悪くないかもしれない。
しかし、アークライト家という家名は重かった。
死刑執行人といえど、外からの風当たりは強い。いくら罪人を処すとはいえ、人殺しには変わりない。
幼い頃、“死神の子”、“首切り娘”、と同い年の子供からそう蔑まされてきたのも苦い思い出だ。
表向きは大義あるお役目を授かっているようには見えるが、一歩身を身を引いてみれば人殺しの一家。
当然、周りの貴族から陰口は叩かれるし、昔からそんな侮蔑の目を裏で向けられたことは知っていた。
屋敷にこもり、家族に見守られ、女としての幸せな人生を送る。
アークライト家の子をなすという使命もある。
アークライト家の娘として生きれば、外から侮蔑の目を向けられ、アークライト家の剣士として生きれば、身内から疎まれる。
なら、自身の道はどう切り開いて行くべきか?
──女々しく他人に定められた道を選ぶのは私の道理に反する。進むべき道は己の意志で見極めたい。
それがアリスの今出せる答えだった。
が、その意をこの場で伝えられない。依然、兄には刃向かえない。そんな臆病さがアリスの心の枷になっていた。
俯くアリスに、アドルフは容赦なく逃げ道を塞ぐ。
ただ、アドルフには悪意はない。兄は兄なりに妹であるアリスを案じてくれている。その上で事実と本音を隠さない、それだけなのだ。
だからこそ、兄の言葉はアリスの心を切り刻む。
剣の柄に腕を休ませながら、アドルフは続ける。
「まあ、お前が無事なだけで何よりだ。聞くところによれば気を失った状態でこの詰所まで連れて来られたらしい……」
「……えっ……連れて来られた?」
見覚えのない出来事に思わず聞き返す。
混乱するアリスに、アドルフの硬い声は優しくない。ただ、淡々と事実を述べるだけで、
「二人組の男女だ。一人は金髪の黒装束、もう一人は赤髪の娘らしい。お前の知り合いか?」
「……いいえ、知りません。そのお二方は? なんならお礼を」
気絶する前の記憶を辿れば、自分は昼頃に起きた爆発事件の被害地で、怪我人達を介抱していたはずだ。おそらく、この様になったのも過剰なルフの消費によるものだろう。
全く情けない話だと、自分の不甲斐なさに唇を噛み締めた。
とにかく、その二人には恩がある。
気品あるアークライト家の娘であるならば、借りた恩は必ず返さなければならない。
アドルフはそんなアリスに「落ち着きなさい」と手で制しながら、
「あいにくその二人は名も名乗らずに立ち去ったものだから、どうしたものか。分かった。私の方も出来るだけ尽力しよう。それで問題ないな? アリス」
その語気には口ごたえするなという重圧がかけられているようで、
「はい、ありがとうございます。兄様」
アリスはそう答えることしか出来なかった。
絶対的な実力と地位を手にしている兄には逆らえない。それだけはいつも分かりきっていること。
こんなだらしのない妹を持つ兄のことを思うと、いつも心が押し潰されそうになる。
アドルフは黙り込むアリスを一瞥すると優しく肩を叩きながら、
「お前は用意された道を進むだけでいい。それがお前にとって最も幸せな道だ」
そう囁くと、右手にもつ笠を目深に被った。
昔からアリスはその顔を隠す笠が不気味で嫌いだった。
「調子が戻ったのなら、宿に帰るぞ。外に迎えを呼んである」
兄が部屋を出て行ったのを見送ると、深いため息が出た。
緊張していたせいか、手に握りしめていたシーツがしわくちゃになっている。
他人行儀な兄との会話。いつからこんな関係になってしまったのだろうか?
結局、また本音を言うことができなかった。歯痒い心残りがまた一つ増えただけ。
懐に手を忍ばせ、そっと竹串を掴みとった。
手に握られて出てきたのは二個の飴玉。
アリスは口元を綻ばせながら、片方の包み紙を開けた。
艶のある表面に照明の仄かな明かりが映り込んでいる。
昔から落ち込んだ時、悲しい事があった時はいつも口にしていた砂糖菓子。
今は亡き母親がよくご褒美にとくれていたものだ。
「懐かしいな、母様」
そんな在りし日の記憶を思い出しながら、飴玉を口に放り込んだ。
表面のザラメのザラザラ感を頬っぺたの内側で受け止めながら、溶かしていく。
寝台から床に足を付け、立ち上がる。多少の立ちくらみはしたが、歩くのには問題ない。
乱れた寝具を畳み、羽織を肩にかけたところで、浅いため息がこぼれ出た。
「私は一体、どうすれば……」
甘いはずの菓子はその時ばかりは苦かった。




