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リピーテッドマン  作者: 早川シン
第一章「Hello,world!」
22/55

第一章22話 『180秒』

 

『×××くん。君はさ、器用すぎるんだよ。もう少し肩の力を抜いてみてもいいんじゃないかな。そうしなきゃ、早死にしちゃうよ。人間って脆いからさ』


『──』


『相変わらずの無口男。でも、ま、そこがキュートなんだけど。たまにはテキトーにやってみるのもアリかもしれないぜ』


 これは俺が初めてバディを組んだ先輩との会話の記憶だ。


 ペパーミントの板ガムをこよなく愛していたあの彼女は、もういない。


 俺を庇って死んだから。俺が無力だったばっかりに。


 生きるべき人だった。


 早死にするとか他人に言っておきながら俺より先に死んだ。


 この仕事についてからもう何年も経つが、いつの間にか同期のほとんどは任務中に殉職している。


 こんな仕事だ。常に死と隣り合わせの職場。


 そして、正義感が強い奴ほどすぐに死ぬ職場。


 皮肉な話だと思う。


 一瞬の心の迷いが隙を作る。その隙が命取りになる。


 この職場は優しい奴に優しくない。


 そして俺は今も……


 のうのうと生きている。




 ◯




「で、いい加減。白旗をあげる気にはなったかい?」


 Kは古びれた街の大通りのど真ん中で呟いた。


「俺としてはもう十分だし、ここで君達が引いてくれれば助かるんだけど。これ以上無駄な戦いはやめるべきだ。なんのメリットもない」


 ここは裏世界(リバース・サイド)()()()()

 その座標空間の一部分だ。

 表世界(フロント・サイド)に極めて近い空間だが、どこか雰囲気が違う。


 どんよりとした黒雲に地に塗りたくられた黒い泥。

 しんと静寂した空間には誰もいない。生の気が全くないのだ。

 言うなればできそこないの世界。


「……降参しろ。ミシェル」


 横幅10メートルの大通り。

 パズルのピースがかけたような石畳の道は伸びて伸びて伸びている。

 その先にKと対面する女がいた。


 ミシェル・ジェシカ。

 殺意や攻撃性を隠そうともせず、顔を黒いベールで覆う彼女は平坦な声で質問した。


「降参すべきはそちらでは?」


「強がるのはよせ。そのベールの奥には焦りが見えるぞ」


 Kは少しばかり乱れた金髪を軽くいじりながら答えた。


「ふざけるのもいい加減に……」


「いいや。至って真面目さ」


 ミシェルの額にピキリと青筋が立った。

 後ろに控えた大男。ヴェルナーはごくりと唾を飲み込む。

 普段は感情を表に出すことがない上司からとてつもない怒りと憤りを感じたからだ。

『やべぇ、姉御(あねご)キレてる』とは口を避けても言えない。


「結構です。これ以上あなたに聞く事はありません。よって、処分させていただきます」


「へぇ言うねぇ。人を殺し慣れているんだ」


 思わずKの口からため息が出た。


「……だから何だと。我々は殺しのプロですので」


「ハッ……プロって……聞いて呆れる。何にプロ意識を持っているだよ?」


「あなたも変わりないでしょう?  死繋人(しけいびと)を処理することに関しては。それとも、あなたは我々よりも技量が上だと言いたいのですか?」


 うんざりしたようにKは言う。


「そういうことが言いたんじゃない。技量とかどうとか以前に人を殺すことにプロもクソもないだろって話。殺しすぎて感覚が麻痺したか? 仕事のやり過ぎで。それとも無知なのか? 俺も君もやっていることは簡潔に言って悪だろ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 Kはそう冷酷に言い放った。


「言い残すことはそれだけですか?」


「てっ、無反応かよ!? ノリ悪いなぁ。でも、まぁ。そっちが本気で殺しにくるなら──」


 どこか締まりのない空気を漂わせるKは首をコキリと鳴らすと、


「──仕方ない」


 底冷えするような声色で言い放った。


 ズバヂィ‼︎ と、彼の握る自動書記(フライデー)から青白い火花が散る。

 セルリアンブルーの目が青白く光った。

 ブウィイイイイイイン‼︎ と空間が唸る音がし、パチパチとプラズマの球体がKを中心に広がっていく。


「上等監察官K。規定通り──あなたを排除します」


 そう告げながら、ミシェルは軽く右腕を振った。

 彼女の細い指から赤い糸が五本、真横に伸びる。


 ただし、今回は赤い糸というほど生易しいものではなかった。


 ズヴォア‼︎ ‼︎ ‼︎ と空気を焼く爆音。

 赤い糸はその密度を極限にまで高め、溶接ブレードよろしく紅蓮の閃光を放射する。

 右手を一振りするだけで煉瓦(れんが)造りの欧州式建物を薙ぎ倒すほどの高火力を有しながらも、ミシェルは微動だにしていない。


 こんなものは力の一端。

 血操術の真髄はこんなものではない。

 しかし、今はこれで十分だとそんな余裕が彼女の態度から感じられる。




 Kは右脚を前に踏み込み、血造刀を構えた。




「フライデー、力場──解──エレミヤ式抜刀術──起動」




 そして、



 チュドン‼︎ ‼︎ ‼︎



 と爆音が炸裂した時にはKの姿は消えていた。

 きれいさっぱり消えていた。

 否──消えたと認識した時からミシェルは出遅れていた。

 視覚神経から伝達した情報が大脳に伝わるよりも早くKの攻撃は開始されていた。

 棒立ち状態のミシェルの左脇腹に鋭い斬撃が滑り込み、


「────!?!!」


 入った。


 が、血飛沫は上がらなかった。

 刃は彼女の胴体寸前のところで静止しており、それ以上の干渉を許されていない。


「これもダメか(厄介な防御)」


 つい先刻(さっき)の攻撃でも塞がれたミシェルの技。

 血の糸を自身の身体の周りに張り巡らせて、あらゆる角度からの攻撃を防ぐ絶対防御術。


 ビュアアアアアアアアンン‼︎ ‼︎ ‼︎


 間髪入れずに空気を裂く音が炸裂した。

 蛇のように唸るそれは凄まじい速度でKの首元に近づいていく。

 カーマイン色に輝く糸は鋼をも綺麗に切断する溶断ブレードと化していた。

 ほんの少しかすっただけでも死に至る。


 しかし、


「首……好きだな」


「ッ⁉︎」


 直撃の前に反応された。

 Kは左手を刀身に添え、軽く挟むようにして真正面からの斬撃を受ける。

 鋼とブレードが軋みあい、火花を散らす。

 散った火花がパラパラと水溜りに落ちて消えた。

 ミシェルの最大火力の攻撃は通らなかった。


 赤く光る溶断ワイヤーと青いプラズマを刀身に帯びた刀から軋む音が鳴り響き、(つば)迫り合いの拮抗が始まる。


 どちらも一向にお互いの刃を通さない。


 ──向こうの方が間合いが大きい。こっちが不利か。


 Kは刀身を傾け、溶断ワイヤーを横にいなすと、そのまま横に跳躍。

 ミシェルはそれを逃さない。

 次々と溶断ワイヤーを差し向ける。

 スパスパと周りの瓦礫が、石畳が、煉瓦の壁が、その猛威に晒され、五本のワイヤーに切断されていく。


「でも、スピードじゃこっちが上だ」


 その場から助走なしにバク転で先の二本を回避。

 回避されたカーマイン色のワイヤーはそのまま直進し、後ろの建物に穴を開けた。

 まさしく溶断と言えるように、煉瓦作りの壁を溶かしていく。


 しかし、その様子をじっくりと見る暇は一秒たりとも許されない。


 駆け抜け、跳躍し、滑り込み、斬り払い、切り落とし、突き込み、斬り上げ、踏み込み、飛びのき、前進し、掻い潜り、踏みとどまり、流し受け、回り込み、回転し、蹴り付け、飛び乗り、呼吸を乱さず、全ての斬撃を捌いていく。


 ──なぜ、当たらない ⁈   かすりもしない ⁈


「……っぶねっ!!」


 Kは足裏に力を込めると、一気に上空へ跳躍。

 石畳にひびが入り、割れた。

 そのまま、崩れかけた壁の出っ張りに足を掛け、取っ掛かりを掴んで素早く建物の上に這い上がる。

 パルクールといってもこれは常人離れしたもの。


「逃げるか!! 臆病者!」


 ミシェルが苛立ちの声を上げた。


「来いよ、蜘蛛女。こっちの方が見渡しが良いぞ」


 嘲りと挑発を込めながら、Kは左手でジェスチャーを送る。


 屋上と地上で視線がぶつかり、そして


「てめぇええ!! ……ブッ殺す !!」


「オイオイ、本性晒しちゃダメだろ」


 その一言が、ついにミシェルの怒りを爆発させた。

 理性より感情が勝った彼女は屋根上に登るのではなく、右腕を大きく掲げると最大火力の溶断ブレードを弧を描くようにして薙ぎ払った。


 ドガァアアアアッッ ‼︎ ‼︎ ‼︎


 瞬間、ドミノが崩れるような重々しい音がして、ダルマ落としの要領でKが足場にしている建物の一階の空間は潰れた。

 火花と砂塵と瓦礫の破片が辺りにまき散っていく。


「……やり過ぎ」


 そして、三階建ての建物は二階になった。

 当然そんな無理矢理な建て壊しを行えば、建造物の強度にすぐに限界が来るのは言うまでもない。

 残る二階分全体に衝撃が走り、凄まじい勢いで崩壊が始まる。


実行形式(アクトコード)12th(トゥウェルフス) (アンカー)


 とKが素早く命令すると中指と人差し指それぞれの第二関節が曲がり、勢いよく射出された。

 曲がった指は鉤爪と言えようか。

 関節と関節の結合部には細いプラズマ線が走っており、腕と繋げている。


 ガッ‼︎ ‼︎


 そして、それは向かいの屋根に突き出た出っ張りに引っかかり、Kの握る右腕はプラズマ線を巻き取り始めた。ウィイイイイイイン‼︎ と青いプラズマ線が巻き取られ、Kは空中を水平移動する。


「逃がすか!!」


 ミシェルもすかさずKを追うべく、ワイヤーを伸ばし屋根のでっぱりに絡める。


 そう。


 絡めたのである。


 なぜ絡めることができる?

 あの全てのものを溶かし斬る溶断ブレードが。

 絡めるどころか屋根の一部を抉り取ってもおかしくない。


 理由は単純。すぐさま溶断ブレードから通常の硬度に戻したからである。


 そして、それがミシェルの隙だった。


 ミシェルが宙を舞った────刹那、

 黒い影が目の前に現れ、


 ──ュオン ‼︎


 青白く輝く刃が音速を超えてミシェルの腹部に綺麗に入った。

 通常モードに戻した糸ではレベルを一段階上げたKの血造刀を防ぐことはできない。

 鋭い斬撃が横一線に青の軌跡を描く。


「がは──ッ!?」


 ミシェルは一瞬何が起きたのか理解出来なかった。

 メキメキメキメキィ‼︎ ‼︎ ‼︎  という凄まじい音でようやく自分が斬られたのだと認識する。


 直後に斬撃の衝撃が全身に伝播し、ミシェルの細い体は横殴りに吹き飛ばされた。


 Kはミシェルにさらに追撃を仕掛ける。

 長い足をしならせ、まだ空中に浮遊しているミシェルのど真ん中目掛けて鋭い蹴りを入れた。


 受け身を取れないまま、ミシェルは石造りの壁を突き抜け、裏の大通りへ飛ばされた。


 ズガァアアッ‼︎ と二転三転、泥の上を転がる。

 銀髪に泥が飛び散り、衝撃で顔を覆っていた黒いベールが剥がれた。


 吐息の代わりに赤黒い血の塊が吐き出される。


「……ガ、カッ……ッッッ‼︎」


 自分の血に溺れ、粘ついた呼吸音を漏らすミシェル。

 意識が明滅するのを感じながら、恐る恐る腹部に手をやった。


 ──刃は? ……通ってい……ない。


 どうやら悪運だけは強いようだった。

 身体に施していた防御糸が斬撃の入ったところだけ密になっており、刃は浅い傷跡を残して致命傷には至らなかったのだ。と思いきや、


 ──いや、違う。


 遅れてとある事実に気づく。

 Kは刀の峰を使って一撃を繰り出したのだ。

 対象物を鋭利に切断する刃ではなく、所有者に向けられる峰を使ってだ。


 ──どうりで……斬れていないのね。


 目の前の濁った水溜りには泥で汚れたミシェルの情けない顔が映っていた。

 今、自分は膝をつかされている。彼女にとってそれはとてつもないほどの屈辱だった。

 怒りと屈辱に顔が歪み、唇を噛みしめる。

 切れた唇から血が水溜りにポトリと落ちた。


 黒い水面に赤い波紋が広がっていく。


 グシャッと、何者かがミシェルの近くに着地した。


「これでもうはっきりしたろ? 君の負けだミシェル」


 声のする方に顔を上げると、乱れた袖をはたく男の顔があった。

 澄ました顔の彼は疲れた様子を一向に見せていない。

 口周りに滴る血をペロリと舐めると、ミシェルは引き裂くような笑みを浮かべた。

 血の口紅が彼女の唇を妖艶に染め上げている。


「あなたは……」


「……?」


「まだ……全力を出していないのですか?」


「出すわけないだろ。これは正当防衛だ。俺が本気を出すときは人を斬るときじゃない。それに君の攻撃には本気で殺しにくる気迫が感じられない──って言えば満足か?」


 きっぱりとKはそう言い切った。

 彼の瞳に嘘はなかった。


 気迫が感じられない?

 なんて様だ。情けない。自身の一撃が届いていない。

 なぜだ? なぜ届かない?

 全力は出している……はずなのに。


 ミシェルの心を焦燥と屈辱が蝕んでいく。


 ──嘘つけ嘘つけ嘘つけ!! こんなことがあるはずがない! あっていいはずがない! この私が……ッ


 ミシェルは内心とは真逆の笑みを浮かべながら、ゆっくりと立ち上がった。

 そして、


「そうですか。私も……まだ全力を出していないので、あなたも……全身全霊で抗ってみてください」


「注告はしたよ(そろそろか)」


 それが最期の二人の会話だった。


 互いの距離は五メートル。


 視線と視線がぶつかり合う。

 いつの間にか黒い雨がぽつりぽつりと降っていた。

 水溜りに波紋が幾重にも重なり、模様を描いていく。


 Kは息を深く吸い込み、ゆっくりと吐き、呼吸を整える。

 踵の上に腰を下ろした構えをとった。水平に刃を抜きつけるため刀を横に寝かせ、同時に柄(橈骨上部)の上に右手の甲をつける。それは居合術の居合腰と呼ばれる構えに近い。


 対してミシェルも構える。

 右足を前に、左足を後ろに回し、細い右腕を突き出した。


 直後、キュィイイイイイインン‼︎ という甲高い音が響いた。

 後ろに回した左手から紅蓮色に輝く、一線の細い細い糸が真っ直ぐに伸びた。

 それが彼女の出せる限りの糸だった。体内の血液は活動限界まで達している。


 これが最後の一撃になるだろうと彼女は理解していた。


 徐々に勢いが強まる雨が高温に熱せられた糸に触れ、ジュッと音をたてながら蒸発する。

 雨粒がミシェルの銀髪の泥を拭いとり、しっとりと濡らす。

 彼女の長い睫毛が雫で艶やかに濡れた。




 サァアアアアアアッッと‼︎ 雨は激しくなり、地面はぬかるんでいく。



 ミシェルの前髪から一滴の雨粒が毛先から落ちた。

 それが合図かのように、技と技が同時に繰り出された。


 感覚を研ぎ澄ませ、型のイメージを構築する。

 左足と右足を深く踏み込み、両腕を一直線に伸ばす。


「──シッ」


 ミシェルは冷徹に渾身の一撃を繰り出した。

 甲高い音がこだました刹那、聞こえなくなるほど微小になり、ッッッズン‼︎ ‼︎ ‼︎ と、空間が割れる音がした。


 技を繰り出してコンマ1秒。

 ミシェルの脳内に様々な思考が駆け巡る。


 ──おそらく奴の能力は空間掌握


 ──この領域は奴の思うがまま


 ──つまり、この領域では私が不利


 ──しかし、術者本体のみに的を絞れば


 五行式血相術の一つ『彼岸針』。ミシェルから規定の間合いに入ったものを取得空間に固定し、高密度の血造糸を撃ち込む必殺の一閃である。


 ──何人たりとも逃れることができない


 ──この一撃を


 ──奴の頭蓋に突き刺してやる


 相手の男は微動だにしていない。

 正確にいうと動けない。

 つまり、ミシェルの術にかかったのだ。


 ──奴の取得空間丸ごと固定した



 ──ああ、これでやっと終わる……




 ──これで、やっと……





 ──やっと……






 ──私の勝ちだ




 それが、ミシェルの最後の思考だった。



 そして────



 このできそこないの世界は静止した。



 〈180秒経過〉




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