第一章19話 『殺戮の弾丸』
鋭い爆音が轟き、砂塵が舞う。
何かに砕かれた石畳みの破片の塊が二、三度地面と接触を交わしながら辺りに散らばった。
勢いの弱まった破片、落ちた破片は細かく砕け散っていく。
落ちて砕け、砕けては転がる。
転がり砕け、転がり砕け、転がり砕け……。
大通りの一角は燦爛たる光景と化していた。
辺りは砂の霧に覆い尽くされて、人の姿をしたシルエットが右往左往している。
赤い閃光の残像が目蓋の裏に微かに残り、石畳には紅の飛沫が飛び散っていた。
ぼやけた視界の中でそれだけは分かった。
──やべぇ……目がチカチカする……
劈くような爆音の直後、耳に入ってくるのは人々のパニックに陥った悲鳴とけたたましい叫び声。
若い女の甲高い声がやけに頭に響く。
「ゲホッゲホッゴホッ、ううぅっ……」
胸部が圧迫されたように感じ思わずえずく。
吐き出された唾液が糸を引くように口から垂れていった。
──気持ちわりぃ……
喉には刺々しいものが絡みつく不快感が感ぜられた。
ミハルは無理矢理にでも咳をしてなんとか呼吸を取り戻そうとする。
──どうなってやがる……
視界を確保しようとするが左目がよく見えない。
反射的に手を当てると滑りのあるものが指先に付着した。それはどす暗い赤褐色の液体。
そこでようやくそれが自分の血であること、左目の上辺りの額が切れて血が垂れていることに気がついた。
──何も感じない……感覚が麻痺ってる
うつ伏せに倒れていたミハルは体勢を立て直そうと、右膝をつき立ち上がろうとする。
その時だった。
「危ないっ!!」
ミハルは突如、何者かに突き飛ばされた。
ドガッッッ‼︎ ‼︎ ‼︎
誰かの声を聞き終える間もなく、二度目の衝撃が赤い閃光と共に空間を切り裂いた。
再び石畳が抉り取られ、灰色の粉塵を含む凄まじい暴風が辺りにぶち当たる。
直後に大通りに面した窓ガラスが粉々に砕け散り、表一面に透明な刃物の豪雨が降り注ぐのが分かった。
パラパラパラと石とガラスの破片が盛大に散らばり、人々の悲鳴と叫び声が一段と高まった。
その間、派手に空を舞うこと体感で約二秒。
再び地面との接触を交わす。
「ガハッッ!!」
頭を軽く殴打し、目を見開くミハル。
意識が痛みと混乱にシェイクされる。
「いっ──てぇ──ッ!?」
仰向けになった少年の瞳には一人の少女が映っていた。
「ごめん、大丈夫?!」
少しばかり乱れた赤髪を揺らしながら捲し立てる少女。
「あ、あぁ……はい」
なんとか口を動かし自身の安否を答えたミハルであったが、思考が瞬く間に正常に戻った。
仰向けの姿勢から身を起こし状況を確認する。
数メートルほど先には数秒前までミハルが倒れていた大通りの一角が目に入った。
そこには小さなクレーターと呼べる穴がぽっかりと空いていて、鮮やかな赤色の液体がべっとりと付着していた。
「あ……」
直前の記憶がフラッシュバックした。
青空 、たなびく雲、時計塔、眩く光る光点、飛来する赤い光
見えたのは光、それだけだった。
一度目のあのバッドエンドに繋がる既視感と死の残像が蘇り、反射的に動いた体。
あの一瞬はとにかく必死だったため、数秒前に起きたことを鮮明に覚えていない。
──そうだっ! あの時俺は叫んで、突き飛ばして……あの子を……
ミハル首を回し、周囲を見た。
どうやらここは大通りにつながる路地の一つ。
その入り口辺りのようだ。
1メートル程進めば大通りに繋がる距離。
膝をついて再び立ち上がり、状況を確認しようと顔を出そうとする。
「なるべく壁際に寄って。出ちゃだめよ」
カーマイン色の瞳の少女がミハルの体を手で制した。
声は柔らかいが目つきは鋭い。彼女は壁に背をつけながら顔を少し出し、大通りの様子を伺っていた。
その様はミハルの知るあの慌てた彼女とは別人のよう。また、自分やアリスよりも少し年上のようにも思えた。
しかし、ミハルはそれどころではなかった。
「生き……てる……死んでいない……」
──俺は……俺は……救えたんだ!
「ミハルっ! 良かった……無事なのね?!」
またもやミハルは別の少女に抱きつかれた。
彼女の柔らかい胸部が少年の頭を柔らかく包み込む。
ミハルはじたばたもがくも状況を理解した。
「こんなことって……」
ミハルを安堵させる事実がもう一つ。
一度目の世界で赤髪の彼女と同様に死の運命を辿ったアリスも無事であった。
彼女の胸からはとくとくと脈が波打つ音が聞こえている。
なんと幸運なことなのだろうか。心の奥底から熱いものが込み上げてくる。
二人の運命は変えられたのだ。
この三度目の世界で……
自分の手を握るアリスをミハルはしげしげと眺めて、
「アリスも生きていて良かった。頭に……穴とか空いていないよね?」
「……当たり前でしょ? 怖いこと言わないでくれる?」
「ははっ、だよな……」
──そんな運命もあった。でも、それも俺からしたら過去の話だ
ミハルの口元からふふっと笑みがこぼれた。
が、それも長くは続かない。
「二人ともお互いの無事を分かち合うのはいいけれど、事態は深刻よ 」
半分呆れが混じった少女の声が少年を現実に引き戻した。
「そうだった。私は奥の二人に怪我がないか見てくるわ」
「ええ、お願い。……強いのね、あなた」
「慣れてるの、こういうことは」
意味深な事を言い残しながらアリスは赤髪の少女の連れの二人の様子を見に行った。
路地の奥を見れば他にも多数の人影が確認できた。
突如の事態に慌てて逃げ込んできたのだろう。
「あの、今の状況って? ゲホッ 」
大通りから漏れた埃っぽい空気に顔をしかめるミハルは赤髪の少女に話しかける。
こうして落ち着いて二人だけで話すのは初めてだった。
彼女は顔についた土埃を服の袖で拭いながら、状況を的確かつ簡潔に話し始めた。
「手短に説明するわ。私達はおそらく狙撃されてる。狙撃手の正確な位置は不明。標的は私達。二度の着弾から鑑みると、無差別に狙っているわけではないからね。現に今、私達が路地に隠れてから引き金は引いてないわ。もしかしてだけど、さっきの君の行動って……」
「たぶん、時計塔の屋上からだろうな」
彼女の口から浅い息が漏れる。
「やっぱり、見えていたんだ。さっきはありがとう。君が押し倒していなかったら死んでいたとこ」
「たまたま見えたんだよ。間に合って良かった。それに、俺の方こそ礼を言わなきゃ。ありがとう。死ぬ所だった」
石畳が割れたクレーターの惨状を思い返し、胸を撫で下ろす。
「マジで、間一髪」
ミハルにはここまで起きたことの整理が全くつかなかった。
頭の中はてんやわんや状態。そもそもこの世界で狙撃されている事態がおかしい話であるし、自分達 を攻撃してきた未知の介入者が何者なのかさっぱり分からない。
分かっているのはかなりピンチであるということだけ。
ただでさえ最悪かつ未知の事態に巻き込まれているというのに、これでは泣きっ面に蜂である。
──どうなってんだこの状況? B級アクション映画でもこんな激しくねーぞ。
ミハルはこほんと息を整え、再び口を開いた。
「どうする? この状況……その……」
「ああ、名前ね。私の名前はエミリよ。そう呼んで。それとアインさん!」
彼女は奥にまで届くように少し声を大きくすると、
「ごめん。イリアは偽名なの。事情は訳があって、それも落ち着いてから説明するから」
舌をペロリと出し手のひらを合わせて謝罪のポーズを取った。
対して、路地の奥に黒いフードを被った一人の少年を抱えたアインと呼ばれる少女は「はぁ」と当たり障りのない返事で返す。
彼女は今の状況に放心しているようだった。
──エミリか。この子の名はエミリ。やっと知れた。
新たな情報を脳にインプットさせつつ、話を進める。
「改めてよろしく。エミリさん。それでこの状況どう乗り越える?」
「状況は最悪ね。狙撃手の攻撃は見ての通り殺傷力が高い。炸裂弾頭かな? それにしては硝煙の臭いがしないのが気になるけど。腕にかするだけで吹き飛ぶことはまず間違いないわ」
エミリは抉り取られた石畳の着弾点を指差した。
ミハルがついさっきまで立っていた所である。
クレーターには深赤色の水溜りができていてそれが何であるかいうまでもない。
避けようがなかった事態であるにしてもこの事実に目を背けることがミハルには出来なかった。
思わず唇が引き締まる。
「あの血って俺のじゃないよな」
「そう、そして、君以外のものでもないわ。死体が見当たらないもの。けど、これ以上の事態の悪化は阻止しないと。最善の手はこの場から離脱することね」
ミハルはまだ死人が出ていないことに安堵しつつ、質問を投げかける。
「えっと、具体的には?」
「一か八かだけど」
エミリは路地の壁に寄りかかっている荷物の一つを指差した。
それは茶色の布袋に入っている粉状のようなもので、10個程積み上げられていた。袋の片隅から白い粉が漏れている。
「これって……」
ミハルはそれを一摘み取り、手のひらに乗せた。
きめ細かい粉は白く、指を擦り合わせるとふわりと白煙が宙に漂った。
ミハルの知識の中で思い当たるものは一つ。
「小麦粉……だよな?」
「この世界ではそれに近いものね」
おそらく路地のすぐ真横にある出店の在庫なのだろう。
それを使って彼女が何をするのかミハルにはすぐ予想がついた。
ミハルとエミリは顔を見合わせる。
「まさか!」
「煙幕よ。空中にばら撒けば、ある程度は機能するはず。敵の目を妨害出来る」
この状況を打開するには逃げるの一択。遠距離攻撃の相手に成す術が無いからだ。
そして、第一にこれ以上周りの人間を巻き込んではいけない。
──狙われているのは俺達だけ、ここから遠ざかればその分被害は抑えられる。
だが、無策にここから逃げようとしても見渡しの良い位置から狙撃してくる狙撃手からは逃れようがない。
おそらく今も位置を特定して出待ちの状態なのだろう。
運良く逃げ込んだこの路地の奥は行き止まり。この場から動けない。
「仮に狙撃の目を誤魔化して逃れたとして、行く当ては?」
「貧民街の教会に行くつもり。さっきの子が場所を知っているわ」
「建物内ならまだなんとかなる……か」
ミハルは慎重に吟味する。
「そう、けれど貧民街に行くにはこの大通りを超えないとね」
大通りを超えた向こう側の建物は一続きになっていて、入り組んだ路地はない。
狙撃の攻撃からは身を守ることができるだろう。
「ここにいても状況は悪くなるばかりだしな。了解、その作戦で行こう。それに……」
「それに?」
ミハルとエミリの両者の視線がぶつかった。
ミハルがこの局面を乗り越えなきゃいけない理由。
「実は俺、エミリさんに聞きたいことがたくさんあって」
「それはこっちのセリフ!! 聞きたいことが山ほどあるんだから。君の存在は異例過ぎる。だから、あなたは私が保護します。 というか強制的に私と一緒に来てもらいますからね! ミハル君! 」
物凄い剣幕で捲し立てたエミリは腰に手を当てきっぱりと宣言した。
「えっと……保護って?」
「はいはい、急いで始めるよ。まずは後ろの二人に現状を伝えないと」
コツコツと靴を鳴らしながら、キビキビと動き始めるエミリ。
「あの、その前に一つだけ」
奥に遠ざかる彼女の背に向かってミハルは呼び止めた。
「ん? 何?」
振り返ったエミリのポニーテールがさらりと揺れた。
──いや、今聞くことじゃないな。生き残ることが優先だ
「ごめん、やっぱ後で。急ごう、エミリさん」
ミハルは先程から感じていた彼女に対する妙な引っ掛かりを心に残し、エミリと共にこの事態を乗り越えるべく準備に取り掛かるのだった。




