第一章13話 『出番だ』
陽光は爛々と輝き、石畳みに乱反射する。
時刻は正午過ぎ。
爆破事故の中心に空いた大穴の下ではまだ救助活動が続いていた。
エミリは事故現場を穴の縁から見下ろし、浅く息を吐いた。
数分前までまだ燃えていた残り火は迅速な消化活動により鎮火され、跡には黒ずんだ建物の残骸が散らばっている。
黒煙はまだ薄く漂っていて、吸い込むと気管支がひりついた。
エミリは向きを変え、近くの広場へ向かった。一歩踏み込むごとに悲惨な光景が鮮明になっていく。
被害に巻き込まれた多くの人々が皮膚をぷすぷすと燻らせて煙を放ちながら、並べられている。
肉の焼ける臭いと、髪の毛の焦げる臭い。
中途半端に焼けた筋肉が収縮して、みんながミイラのようにうずくまっている。
まだ担架に乗せられていない死体は、筋肉の収縮に負けた骨が折れたりして、あきらかに関節ではない場所で曲がっている四肢も見られた。
そして、それらが収縮し、曲がった腕や脚がたがいに絡まりあって、テトリスの様に綺麗に固まっている。
まるで地獄絵図だ。
急ごしらえで作られた簡易担架には、百有余の焼死体が綺麗に陳列されている。
エミリは横に立つ少女を目の端に入れた。
彼女の顔は無表情だった。涙だけが一筋の流れを作って頰を伝っている。
感情のコントロールができていないのだ。
それほどその少女にとっては衝撃的な光景だった。
エミリは彼女の冷えた手を優しく包み込み、語りかけた。
「大丈夫?」
少女は数秒遅れて反応し、呟いた。
「見つかりませんでした。誰が……誰だか……分からない……です」
彼女にはそう答えることが精一杯だった。
エミリは少女の手を引いてその場所から離れた。
近くの広場には簡易的なテントがいくつか設置され、爆破による二次災害に巻き込まれた負傷者が運びこまれている。
中は呻き声や叫び声で満たされていて、包帯から血を滲ませ痛みに苦しんでいる負傷者や、その間を行き来する十人余の癒術師が見られた。
その片隅で例の少年は寝かせられていた。
エミリは連れてきた少女を彼の近くに座らせ、
「ミハル君にはあなたが必要なの。だから……ここで待っていてくれる?」
エミリはアインの瞳を真っ直ぐ見つめながら言った。
「すぐ戻るから」
そう言い残すと垂れ幕の隙間に手を入れ、再び外に出た。
「先輩は何か見つけたのかな」
* * 〜時は数分前に巻き戻る〜 * *
ごろつき共に襲われかけていた二人を助けたら、まさかのまさか。
その片方がエミリとKの監察対象“キリエ・ミハル”だった。
こんな偶然があっていいのだろうかと思うほどの巡り合わせであったことは確かだ。
実際に拡現に記載された“キリエ・ミハル”の情報と一致するところが多くあり、本人に確認を取るまでもなく、その事実は明らかだった。
当然、そんな状況になればエミリは焦った訳で、
《どうすべきでしょうか? 私たち》
上司のKにすがりつくように意見を求めた。
対して、エミリの先輩Kは眠たそうな目でのんびりと答える。
《これはラッキーじゃない? わざわざ彼を探す手間が省けたんだし》
《ポジティブに捉えればそうですけど》
《それより、僕らが今なすべきことは決まっているだろ?》
《本部に報告してからこのまま任務続行ですか?》
《ま、そんなとこ》
緩やかに返答したKは傍に座りこむ少女に話しかけた。
「こうして巡り合ったのも何かの縁でしょう。僕はクラウスという者で傭兵をやってます。そして彼女はイリア。私の仕事の斡旋をしてくれる友人です」
よくもまあ、こういう嘘をペラペラと喋るものだとエミリは感心していた。
異間公安に属する者は、この世界で自らの正体をばらしてはいけない。
そのため、異界で名乗る名も偽称を名乗ることが特例を除き義務づけられている。
桃色髪の少女は、慌てて自身の名を名乗った。
「クラウスさんにイリアさんですか。この度は本当にありがとうございました。えっと……私の名はアインと申します。ミハル様に仕える治癒術師です」
「ミハル様とは彼のことですか?」
エミリは念のため確認を取る。
「はい、今はお休みになられていますけど……」
エミリはもう一度彼の容姿を確認した。
サラサラな前髪にピンと目立つアホ毛。
やはり間違いない。この子がキリエ・ミハルだ。
特にこれといった大きな特徴はない少年だが、彼がこの世界に飛ばされた“追放者”であるらしい。
《接触したのはいいですけど、これからどうします?》
せっかく探す手間が省けたのだ。
彼を監察対象とする二人にとってはここで彼と関係を築きたいのが希望である。
《まあ、任せて》
得意げに答えるKは再びアインに尋ねた。
「これを聞くのは厚かましいことなのかもしれないけど、君もミハル君もどうしてそんなボロボロの格好をしているんだい?」
「それは……」
突如、何かを思い出したのか、我に返ったように涙を滲ませると、アインは啜り泣き出した。
よほど思い出したくもない体験をしたのだろうとKはさりげなく彼女にハンカチを渡すとアインはそれで溢れ出す涙を拭いとり、自分たちの身に何が起きたのかを話し始めた。
簡潔に情報を整理すると以下の通りだ。
この日、キリエ・ミハル率いる一行は仕事の交渉を行うべく、仲間と共に秘密の商会に訪問していた。
しかし、事件は突如起きる。
交渉を終えた一同は商会の待合室で奇妙な男たちに遭遇したのだ。気味の悪いマスクをつけ、筒状の武器を使いフロアを占拠していたらしく、それは見るからに賊の所業だった。
ミハルは状況を打破すべく男達の一人を倒すが、残り二人に足をやられ絶体絶命の状況に。
さらに彼を助けようとした仲間の二人が呆気なく惨殺。
息を潜め難を逃れたアインは機を見計らって転移石を起動し、ミハルと共に命からがらこの場所に辿り着いたということらしい。
アインは一通り事のいきさつを話し終えると、せめて亡くなった二人の遺品だけでも回収したいとも言った。
その言葉には、殺された仲間のことを想う少女の悲観に包まれた感情が伺えた。
──爆破事件の犯人はその襲撃者で間違いない。それに……
度々聞こえた引っ掛かる単語──【気味の悪いマスク、筒状の武器らしきもの】──事件の裏に何かがあると勘繰るには十分な要素だ。
エミリはKに目配せする。
《どうもきな臭くありませんか? この事件の裏には何か隠されている気がするんです》
《僕も同じこと思っていた。やることは決まったね》
エミリに頷いて意思を伝えたKはアインに一言尋ねた。
「その話に出てきた秘密の商会について伺っても?」
「……私も詳しいことは……知らないんです。不可思議な品を取り扱っている組織がこの王都に潜んでいるという噂はご存知でしょう」
「ええ、もちろん。実はいま引き受けている仕事もそれ絡みでして。些細な情報でも構いません」
「そうだったんですね……あっ……場所なら特定できます」
アインは慌てて杖の柄に嵌め込まれた青色の石を指でなぞり、目を瞑った。
「転移石に記録された道順を逆に辿れば──」
再び彼女は瞼を開き、とある方角へ指をさした。
「見えました。向こうの……?!」
アインの示した方向には黒煙が立ち昇っていた。
* * * 〜回想終わり〜 * * *
そんな一連の経緯を経て、エミリとKは爆破現場に戻ることになった。
葬られた仲間の遺品を回収したいというアインの意思を尊重し、彼女に同行する形で今に至る。
時は淀みなく進んでいるはずなのに、エミリには一秒一秒が長く感じられた。
正直な話、任務は順調な道順を辿っているとはいえない。
監察対象に出会えたものの、当の本人はまだ意識の覚醒が見られず、何かしらの事件に巻き込まれた可能性が浮上したことでエミリの初任務は先行きが怪しくなっている。
さらに、アインが言っていた秘密の商会が爆破事故の現場であるという事実はエミリの動揺を誘うのに十分だった。
「しっかりしなきゃ」
エミリは再び穴の縁へ辿りつくと、瓦礫を伝って下へ降りていった。
濁った黒煙も次第に晴れてきて、灰色のベールに包まれていた惨状が鮮明に見えてくる。
足元に気を配りながら、エミリは注意深く進んだ。
割れたタイルや天井を支えていたであろう大きな支柱は、無造作に重なり合い、現代オブジェのようになっていた。
──全く手掛かりが得られる気がしない……先輩はどうするつもりだろう?
ようやくKのいる所へたどり着くと、何やら気難しい顔でしゃがみこんでいるのが見えた。
「あの……何か分かりましたか?」
エミリに声をかけられたKはくるりと振り返り、エミリにとあるものを二つ手渡した。
「これ何か分かる? さっき拾ったんだけど」
「マスクと薬莢ですね。マスクはフルフェイス型のプラスチック製。これは能面……でしょうか。薬莢はサイズから見るに9mm口径ですね。どちらも旧時代の遺物です」
エミリはその二つから引き出すことのできる情報を述べた。
「パーフェクト」
不意に褒められ少し得意顔のエミリだったが、すぐにある事に引っかかりを覚えた。
「なぜこんな物が?」
「思い当たることあるんじゃない?」
Kに促され、エミリは頭をフル回転させる。
普通に考えてみれば、能面も9mmの薬莢も、この世界に存在するはずのない代物だ。
アインの証言から照らし合わせると、この二つの遺品には例の襲撃者の所有物で間違いない。そして、ここから導き出されることは一つしかない。
「この事件の裏には“漂流者”つまり、現世の人間が絡んでいる。そういうことですか?」
「うん、その線が有力だろうね」
通称“漂流者”──第一異間帯(現世)と異界を行き来し、不当な商売を行う犯罪者のこと。
といっても今回のような大それたことをするわけではない。見つかっては何もかもが水の泡だからだ。
彼らが何の目的を持って襲撃し、このような事態へと発展させたのか、真相は爆炎の中で散ったばかり。
まだ見落としている要素が
むむむっと唸るエミリを余所に、Kは脚部のホルダーに収められたある物を拳銃を取り出すような感覚で何気なく手にしていた。
頭を悩ませていたエミリは途中まで気付かなかったが、Kが手に持つそれを目に入れた瞬間、裏声を発した。
なにせそれは、
“人の片腕”だったのだから────
Kは滑らかに言った。
「フライデー、出番だ」




