第一章10話 『異間公安』
三周目の世界
物語は「記憶喪失の少年」から「赤髪の少女」へ
“異界”
遥か昔から現世は異界と結びつきがあった。
故にその爪痕は人類が築いてきた歴史の狭間に姿を見せてもいる。
“ドラゴン”、“魔女”、“魔法”、“錬金術”など──それらは全て“架空”や“伝説”の事象として捉えられてきた。
だが実際は“架空”でもなければ“伝説”でもない。
影に隠れた世界の片隅で、確かに“異界との繋がり”は存在していたのだ。
現世と異界──両極の絶対的な均衡の下において。
だが、ある日を境にその均衡は崩れ去る。
“大終焉”
一夜にして世界を不可逆の混沌へと陥れた元凶は現世と異界を修正不能なまで複雑に結びつけた。
以降、異界の存在が公に知れ渡るようになってから100年。
ここ第二異間帯の数ある国の一つ──聖王国リオスティーネ中心部に位置する王都リオネ。
現世とはまた違った日常がBGMとして流れるこの世界にも、とある来訪者が来ていた。
来訪者というのは一人の少女であり……
「はぁっはあっはぁっ……」
焔・イリアス・エミリは人混みの中を掻き分けながら走っていた。小柄な少女と変わらない容姿の彼女であるが、これでも二十歳。見た目で侮るなかれ、が今の彼女の口癖である。
赤髪のポニーテールのせいか、活気に満ちた存在感を放っていた。
そんなエミリはあまりにも焦り過ぎていたため不注意にも、先ゆく人にぶつかってしまった。
傭兵の身なりをした男は額に皺を作り、声を荒げた。
「おいっ! ちゃんと前見て走れ! 危ねぇだろが!」
「わッ!? すみませんっ」
エミリは頭を繰り返しさげて、そそくさとその場から退散する。
「最悪。なんでよりにもよって初の仕事がこんな任務なの?」
溜息と共に弱音を吐きながらも、彼女は走るペースを落とさず騒ぎの中心に向かった。
群衆が群がっているその先には黒煙が快晴の大空に高々と立ちのぼっていた。
ようやっと騒ぎの現場の有様を見たときエミリはあまりの悲惨さに息を呑んだ。
ついさっきまでその場所に建っていたであろう煌びやかな建物の残骸がまだわずかに炎に揉まれている。
周りの被害は不思議なことにそれほど酷くはなかったが、ところどころで火の粉が舞い、引火する危険が見られた。
エミリの鼻腔に不快な悪臭がまとわりつく。
それは生き物が燃えている臭いだった。
そこらでは消火活動や救助活動などで多くの人々が大声で叫びながら右往左往していた。
「とにかく火を消せっ! 周りの建物に広がらせるな──ッ!」
「生存者はいないのか?! クソっ誰でもいいから手を貸してくれっ!!」
悲惨で鮮烈な光景に立ち尽くすエミリの隣では行商人と思われる男二人がこんな会話を繰り広げていた。
「ひでェ有様。もう少し到着が早けりゃ俺も巻き込まれてたぜ」
「そりゃ運が良かったな。いつもの仕事か?」
「あぁ、そうだ。今日はどうもルーパーの調子が悪くてな。ちょいと遅れたわけよ。バレンタインの旦那は気が短けぇから俺も焦るのなんの。そんで──」
「知ってたか? コレ」
片方の男が大穴を見渡しながら言った。
「人通りの多い真下にこんなデカい空洞があったんだ。しかも、ただの空間じゃない。立派な構造物が深いところまで埋まっている。そこで俺は思いついた」
「オイ……まさか……あれか? 例の……商会」
もう一人の男は少しずつ声を低めた。
「なんでも闇の品を取引しているっていう」
「噂だがな。この下で何があったか知らねぇが、真実ってのは意外と突拍子もねぇ所から出てくるものさ。聞くところによりゃあこの穴から飛竜が飛び出していったとかいう無茶な噂まで流れている。な、分かるだろう? 俺が言いたい──」
「もうこの話はやめだ。衛兵の耳にでも入ったりしたら面倒なことになる。賭けたっていい」
声をますます低くして捲し立てる男に対して、もう一人は肩をすくめてみせた。
「周りをよく見ろ。衛兵なんてどこにいる?」
「一人もいない? 連中は何してやがんだ?」
「現聖王の暗殺未遂の件。アレで緊迫しているだろ? んでこっちの方まで人員が割けていないんだと」
「あぁ……そうか。まったく面倒な世の中になっちまった。これから先が不安だ」
「……だな」
とそんな世間話をしている男達を横目にエミリは拡現を起動させた。
眼球に張り付いているナノディスプレイがテストパターンを描き始めた。
目の前に広がる悲惨な風景に、幾何学模様や文字列のパターンが重ねられ、複雑なベンチマークの舞いを演じ終えた直後、エミリの脳内に無機質な声が広がった。
《拡現起動:コードを入力してください》
拡現は体内耳小骨受信デバイスを組み込むことによって直接脳内に声を届けることができるのだ。
エミリは指示通り《code:IGC406》と頭の中で呟くいた。声を直接出さずに話すことは未だになれない。
《認証確認:こんにちはエミリ一等 通知が1件届いています》
左上のメッセージ通知を知らせるアイコンが点滅している。
《開けて》
エミリがそう命令すると音声記録が流れてきた。
《30メートル直進後、左手に見える路地に入れ。そこで待機している》
声は加工されていたが男性の声であることはわかった。
《了解》
そう返信すると、エミリは浅く息を吐き、待機場所へと向かった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
エミリが待機場所に到着すると、一人の男が路地の壁に背をあずけて待っていた。
身長は180後半で体型はやや細身。頭髪は淡いブロンドであり、服装はシンプルな黒装束。
顔は整ってはいるが、目に覇気がないため、鋭さというより優しい印象を醸し出していた。
男はエミリをつま先から頭頂部までをさっと確認するとエミリの方へ体を向けた。
慌ててエミリも背筋を伸ばし右手を上げて敬礼すると、
「本日付けで特異九課配属になりました。一等監察官 焔・イリアス・エミリです。どうぞ宜しくお願いします」
対して男はエミリ同様綺麗な所作で敬礼しながら、労いも込めて返答した。
「配属早々呼び出してすまないね。上等監察官 K だ。これから宜しくエミリ一等」




