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美濃のうつけ者  作者: 巣議汰区
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大垣城 一五三四年

オリジナル武将家を配置したことによって、斎藤道三の美濃平定が早まっておりますので少しばかり歴史とは食い違う部分が出てきますが、宜しくお願いします。

一五三四年八月大垣城


城主・杉田近江守義直に嫡男が誕生した。


「でかしたぞ、お千。これでわしにも世継ぎができた」

「はい、義直殿」

「大垣城城主となって二年、父が長井規秀殿(後の斎藤道三)の家臣になって早十年長かったのう」


杉田家は長井規秀が土岐頼芸の家臣になった際に利政の与力として家臣となった際からの付き合いであり、今では大垣城城主となり大垣城一帯の守備を任されていた。


「お千、後は頼んだぞ。わしは規秀殿に呼ばれておる。今すぐに稲葉山城に向かわねばならん」

「はい、お気をつけて」

「うむ」


この頃、規秀は斎藤利良に気に入られており、死後斎藤家を長井規秀に譲り渡すと公表していた。

これがきっかけとなり土岐頼芸と土岐頼満の兄弟と不仲になっていた。

杉田家にも頼芸から帰順せよと命が下っていたが、いまだに返事はしてはいなかった。


「誰ぞあるか」

「ここに」


すると弟である義之が部屋の外から返事をした。


「義之、大垣城の守備にお主と義成、政忠を置く。留守はまかせるぞ」

「はっ。命に代えましても大垣城は死守致します」

「とはいえ、ここに攻めてくるものなど織田と六角ぐらいなものだがな」


織田家、後に大垣城を一時的に支配下に置く後の尾張の支配者である。


『しかし、この時期にわしを呼ぶということはついに頼芸と袂を別つ決意をしたか。わしも覚悟を決めねばならんな』


義直は兵五十人を連れ稲葉山城へと向かっていった。


一五三四年・後の杉田義正の誕生した瞬間であった。

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