Case 72-3
2021年5月28日 完成
『ん? ああ、構わないぞ
門番の奴らには釘を刺したし、問題はない』
『さっさとあいつ等の下に行ってこい』
【2月11日(火)・夕方(18:00) 抑川地区・辰之中】
有り得ざる星月夜の中で取り残された少女二人。
つい先ほどまで和気藹々と喋っていた筈の向葉と菜端。
一言も交わすことなく互いに背を向けて座っている。
僅かに開いた距離が
まるで千尋の谷のように二人の関係を断っているようである。
やがて静寂に耐えきれなかったほうが目をこすって立ち上がる。
靴を濡らしていた冠水が一つ叩かれ、彼女もこの場から去ろうとした。
「待って」
「……ッ!」
菜端の一言で、まるで縫い止められたかのように足を止める。
それだけで一向にこっちを向こうともしない。
失望、喪失、恐怖……おどろおどしく書く程に深刻な葛藤が渦巻く。
「一つ聞いていい?」
「……」
「私と仲良くなったのって
もしかして柚月ちゃんの力が目当てって事じゃないよね?」
「そんなこと……!」
言おうとして菜端の声音の冷たさに打ちひしがれる。
状況から考えて、自分の正義の為に彼女を踏み台にしたようにも思えてしまった。
本当は仲良くなった後に菜端の方から柚月と仲良くしたいと言ったのに、その勇気すら……
「……」
「へぇ、だからさっきあんな事したんだね
突然過去を語り出して、八朝さんに仲間にしろって迫った」
「…………」
「友達なのに、ずっと嘘付かれてたんだ」
強い失望の声で身体の芯から震えだす。
1年前の……いやそれより前の、FMBsから身を隠していたあの日々よりも暗い未来が見え始める。
二度と戻りたくなかったのに、現実味を帯び始める。
だが、それに対してもう一つの感情もあった。
自分が果たして日常を送ってもいいのか?
世界中にいる『犠牲者』達の遺族を尻目に自分だけ幸せを貪ってもいいのか?
寧ろあの暗澹とした日々の方が自分にふさわしいのでは……?
「そうやって黙ってるんだ……
だったら、ずっと黙ったまま孤独になっちゃえばいいんだ!」
「………………!」
たった一言で全身が自分のものでなくなるかのように眩む。
きっと汚い顔になっているだろうという恐怖、恥辱……別の意味でも振り向きたくなくなっている。
だが、彼女はそれを許さなかった。
「ねぇ、本当に何も無いの!?
こんだけ好き勝手に言われてるのに本当に文句の一つもないの?」
文句は無い……いや本当は先程の大きな一つがある筈だ。
だが、それを超えるほどの『頑なさ』が口を堅牢に閉ざし続けた。
「知ってる?
私、こんだけ喋ってるの相当珍しいいんだって?」
それは向葉も知っていた。
最初に会った時から今まで、彼女が自分から喋ったことは無い。
顔貌は人を威圧するように張りつめているのに、その一皮後ろには幼子の如き臆病さが覆い隠されている。
故に、彼女は単なる話下手なだけなのだが
それが学校・社会で致命傷に成り得るのは向葉も痛感している。
だから、彼女は同じような柚月に自分と同じ思いをして欲しくないと思い
初めて向葉に打ち明けてきたのである。
ここまで彼女が語っても向葉は拳を握り締めるだけ。
「みんな、話もしてくれない私に興味を無くして
……でも、向葉ちゃんだけは、めげずにずっと話しかけてくれた」
その時々の気持ちも添えられる。
うざい、鬱陶しい、面倒くさい、でもずっと助けられた……日常で聞かない言葉が次々と耳朶を叩く。
「ねぇ、もう一回聞くけど本当に何も無いの?
つまらない私にずっと話をしてくれるほど日万里ちゃん優しいのに?」
「で……でも……」
「人殺しだから?
それこそ私の知った事じゃないわよ!」
思わず振り向いた先に菜端の顔を見る。
彼女も同じく涙を流してぐずぐずのまま、不器用にも足まで力を入れて背が曲がっている。
「……へ?」
「私が知ってるのは、嫌な事言われても諦めない日万里ちゃん
だから……だから私よりずっと凄くて格好いい人だなんて思ってたのに……!」
「私と、ほとんど変わらないじゃん……!」
気を抜いた向葉の身体に重い衝撃が入る。
互いの距離が0なのに目線は合わない、これも菜端の照れ隠しなのだろうか。
寧ろもっと恥ずかしい事をしているのに、さらに重ねてくる。
「ごめんね、ずっと素直になれなくて……
ずっと傷つけちゃって、でも日万里ちゃんは……」
「ち、ちょっと待って!
それ言うの今じゃなくても……」
「今も変わらず、私の友達……だから……!」
向葉は色々あり過ぎた事に頭を掻きながら冷静になる。
胸の中ですすり泣く菜端に全てを持っていかれ、呆れ顔で頭を撫でようとする。
「だ……誰!?」
僅かな物音に怯えてぱっと離れる菜端。
冷静になった頭で物音を立てた下手人の元へとつかつか詰め寄る。
そこには赤い顔の柚月がいた。
「どこまで聞いてましたか?」
無言で目を逸らされる。
恐らく一番恥ずかしいところまで見られていたのだろう。
思わず柚月の肩を掴み、必死な顔で迫っている。
そういうところが可愛いいだなんて言えば菜端に酷なのだろう。
だが、このままでは限界になりそうなので一つ提案してみることにする。
「ねぇ、柚月ちゃん?
見ちゃったって事は、もうこれ友達になるしかないよね?」
続きます
ちょっと分かりにくいですが、フルネームが『向葉日万里』なのであの呼び方です




