Case 66-1:体積を0にする能力
2021年4月24日 完成
飼葉からの襲撃を退け、辛くも逃走する。
だが、沈降帯の先には迷宮が広がっていた……
【2月10日(月)・深夜(0:36) 抑川地区・辰之中】
『ふうちゃん、これで本当に出れるの?』
「距離は長くなるが、確実には出られる」
八朝は右手で壁に触り、全ての分岐で右を選択し続ける。
所謂『右手の法則』と呼ばれる解法であり、平面の迷路においてはこれで出口に出られる。
無論、それはエリスでも知っていた。
『それホントなの?
立体迷路かもしれないのに?』
「これが神器による迷宮なら答えは一つ
ミノタウロスの居る両刃に立体構造は存在しない」
迷宮の由来となった迷宮は
その形状から両刃の斧と呼ばれ、平面迷宮であると知られている。
よって『右手の法則』の範疇内である。
但し、『ラビリス』の迷宮には分岐は存在しないので間違っている可能性がある。
そしてもう一つの問題は追跡者の存在。
(それでも悠長にやっている暇はないな)
迷宮内を足早に駆け抜ける。
異能力の身体強化により疲れ知らずにはなっているが、精神まではそうにはいかない。
必ず紛れている魔物とそれ以上に強い飼葉。
目と耳と霧をフル活用し続けられる保証はない。
『それにしてもこの壁ちょっと変だよ?』
「何がだ?
確かに嫌にザラザラしているが……」
『ううん、これ穴が開いてる!』
壁を注視しようにも暗すぎてよく見えない。
という事で霧を利用すると、出てきたのはנと3。
繰り返す3……或いは三角形。
「シェルピンスキー三角形?」
『うんうん、それそれ!
でも立体だからどっちかと言えば『スポンジ』の方だけど』
それらは図形をフラクタルに分割することによってできる不可思議な次元の形。
メンガーのスポンジの場合、立体構造の筈なのに最終的に体積が0になってしまうという。
「成程な、体積が0ならいくらでもデカくできるしな」
『あ……それで彼の依代が巨大になっちゃったんだ』
思わぬところで彼の異能力の情報を手にする。
無論、『記憶遡行』に伴う頭痛というお墨付きまで得てしまう。
『にしてもそれだけで神器になるのかな?』
「まあ、それもそうだな
何かもう一段隠されているかもしれん」
八朝が取り出したのは急遽取りやめになった本日の依頼書。
工坂聖……依代を小さくしたいので分析してほしい……
(あれ……これどこかで……)
思い出そうにも頭痛が酷過ぎて頭が回らない。
換気が悪いのも相まって症状がどんどんと悪化していく。
古来より病を引き起こす『陰気』にはミアズマと呼び、忌み嫌われていた。
即ちそれが中世の黒死病という大災を引き起こしたという。
『ふうちゃん大丈夫?』
「マスターから貰った頭痛薬でも飲んでみる」
そう言って取り出してみたのはいいが
水もなしに割と大きい糖衣を呑み込むのには勇気が必要だ。
錠剤とにらめっこしていると、唐突にエリスに止められる。
(どうかしたのか?)
(向こうに人がいる……!)
頭痛と緊張が混ぜこぜになって、体調が悪化する。
霧による観相を怠ったツケが回ってきてしまった。
エリス曰く、次の分岐の先にいる。
壁を背に分岐の向こう側を警戒する。
(どうする!
もしも飼葉だったら……!)
(エリスは奴の周囲の魔力を見てくれ)
エリスには作業を与えて落ち着かせる。
そして自分には頭痛薬の錠剤を放り込んで、無理矢理苦痛を抑え込む。
運よく錠剤がつっかえず飲みこむことに成功し、ホッと胸を撫で下ろす。
また、『気絶無効』の存在が
鎮痛薬にありがちな『嗜眠の副作用』阻害してくれた。
恩恵だけを手にした幸運を、思考で返す事にする。
(……何はともあれこれで右手の法則は終わり
初撃で奴の身動きを止め、奴の可聴域の外までエリスに運んでもらう)
即ちエリスに浮遊魔術と初速度変更の2つを掛ける事を要求する。
これで足音による捕捉の可能性を減らすことができる。
だが、相手の出方によっては拘束と睡眠、麻痺を使い分ける必要がある。
今か今かとエリスの分析結果を待ち続けると、素っ頓狂な返しが飛んできた。
(へ……?)
(何が起きた!?)
(足音が消え……て……)
ふと、目の前に人影が既にあった。
警戒して依代を出そうとした八朝に遠慮がちな小声が降りかかる。
「あ……の……」
「柚月……なのか?」
小さな人影がこくりと頷く。
身長差で見上げる柚月の顔には、いつも通りの不安さが張り付いていた。
続きます




