Case 64-5
2021年4月18日 完成
マスターに言われて篠鶴機関本部へと向かう事にする。
咲良と同行することになったが、話す事が何もない……
【2月9日(日)・朝(8:18) 玄鉄交通11号系統・篠鶴機関本部行】
「……」
信号待ちから解放されたバスが唸り声を上げるように動き始める。
吊り革が無ければ倒されてしまう衝撃に両手で耐える。
バスと電車で運賃も所要時間にも大した差はないものの
東水瀬駅が目的地から離れており、バスで行った方が歩く距離が短くなる。
まさか、休日のバスが満員だとは思いもしなかったのだが……
(ふうちゃん、嘘みたいだよね……)
エリスの小声に小さく頷く。
八朝達は転生して以来
緩くブラコン&てシスコンで切れ者の咲良しか知らない。
無表情で端末をいじくっている彼女の様は
まるで全ての物事に興味を示していないようである。
咲良の元々の性格なのか、或いは錐体細胞が死滅したからなのか。
(逆に何があったら俺たちの知る咲良になったのか……)
その問いに対する記憶は『タロットを渡された』あの時の記憶のみ。
あれを再現すればいいのかと言われると、何か違和感を感じてしまう。
異界の知識を共有した程度で、人の性格が180度も変わるのだろうか。
『次は終点、篠鶴機関本部前……』
アナウンスと同時に周りの人々が忙しなく少しずつ動き始める。
何の事だと泰然自若としていた八朝は『料金後払い』のトラップに見事に嵌ってしまった。
何とか硬貨を捻出し、バスから降りると咲良は先に行ってしまっている。
「ま、待ってくれ」
それ程走ってはいないが、精神が削れているのが主因であった。
咲良は「何?」と冷めた声で返してくる。
「いや、道案内って」
「……その必要ある?」
「そりゃあ俺はここを……」
「そんな訳無いでしょ
貴方、ここを知っているんじゃないの?」
彼女の予言めいた物言いに八朝が固まってしまう。
もしかすると『巻き戻し』に気付いているのでは、という希望的観測はすぐさまに打ち砕かれる。
漸く近づいてきたかと思えば、1枚のカードを渡してきた。
『魔術師』の上下逆……混迷や無気力、詐欺を意味するタロットである。
受け取っても何も返すことが出来ず、やがて咲良が溜息を吐いた。
「じゃあ私はあっちの棟だから」
そう言って八朝が目指す『一般受付』とは違う方向に歩いて去ってしまった。
【2月9日(日)・朝(11:36) 篠鶴機関本部・一般待合スペース】
診察の結果は概ねマスターの言った通りであった。
後遺症による睡眠障害の場合、治す手立ては異能力を治療する事。
念のためにと睡眠薬は処方されたが、意味が無いと職員に断言された。
『あんな言い方は無いよねー!』
「そりゃあ、寝不足を訴えてきた患者の脳波に特に異常が無かったらな」
『いやいやいや、流石にそれは卑屈すぎでしょ』
エリスの反論は有り難いが、相手側に立つとどうもこうしか言えない。
ふと目を向けた廊下の先に見覚えのある影があった。
(あれは……辻守か)
またも雰囲気は異なっているが、隣にいる真っ黒な人影が決定打である。
八朝の変化に気付いたエリスも同じく辻守の存在に気付く。
『どうする……?
もしかしたら、異能部の……』
敵対している可能性は十分にあり得る。
だが、今の八朝の脳裏に過るのは咲良と別れた瞬間。
その象徴である『魔術師』のカードを見つめる。
……たとえ今が敵対関係でも、いずれはこちら側に引き込む必要がある。
その為には『先程』のように何もしないのでは不十分に違いない。
そう思った瞬間に八朝は辻守の元へと歩き出した。
「異能部の辻守か?」
「その声は、もしかして亡霊の?」
その『いつも通りの口調』に一瞬油断してしまった。
だが未来と今ではまるで違う……もう一度気を引き締め直す。
「俺は後遺症治療の相談でな」
「そうなんですか、差支えが無ければどんな後遺症で」
「気絶無効だ」
その一言で辻守が察してくれた。
バトルには有利でも、日常生活においては致命的な『気絶無効』に沈痛な表情を向ける。
「それはまぁ、何とも……」
「どこも無理だったんで漸く頼ることにした
それで辻守は何をしにここに?」
「あー……僕も同じような野暮用でして」
辻守はこれ以上話してくれなかった。
不公平ではあるが、敵対ではない顔合わせは既に完了した。
これ以上問い詰めても、不信感を抱かれるだけである。
「そうか、お大事にな」
「ええ、貴方もお大事に」
辻守をそのまま見送った。
彼の影が見えなくなるころ、エリスを呼び出す。
『ん、どったの?』
「この施設のマップを入手できるか?」
『おっけー!』
最早息つく暇もなく処理が完了した。
端末画面に表示されたマップの内
見るべきは辻守がやってきた方向の先。
「脳神経内科と心療内科……だけなのか?」
『うん、そうらしいね
丁度MRIやCTがあるみたいだし……』
「何を言ってるんだ、MRIもCTも篠鶴には無い……筈……」
だが、マップにはMRI検査室とCT室の表示が存在した。
MRIならギリギリあっても
コンピューターを用いるCTは『異世界知識』の範疇である。
「前から思っていたが
コンピューターの影も形も無いのに、どうして端末が……」
エリスと二人して唸る。
少しずつ、何か根本的な歯車が動き始めていた……
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DATA_NOTFOUND
Interest RAT
Chapter 64-d 差異 - Variance
END
これにてCase64、『早すぎる転換点』を終了致します
合計で3つの伏線が撒き散らされました
回収の見込みは……まあ何とかしてみせましょう
それはともかく、今後の主人公について
現環境に折り合いをつけるか、逆に『巻き戻す前』に戻そうとするか
どちらを選ぶのでしょうか
少なくとも一方は……
次回は『親衛隊』
それでは次回もよろしくお願いします




