Case 61-3
2021年4月1日 完成&季節ミス修正
目を閉じたまま眠れずに朝を迎える。
いつも通りに朝食を取りに1Fの共用スペースに行こうとするが……
【2月6日(木)・朝(7:20) 太陽喫茶・自室】
「咲良、おはよう」
「……」
いつもなら、向こうから声を掛けられるのだが今日に限っては逆。
どころか、咲良は一瞥もくれずに階段を下りていく。
その様子をエリスと共に呆然と見ていた。
(ねぇ、これどゆこと!?)
(恐らく『巻き戻す前』の記憶が無いんだろう
咲良があんな風になるのは2月中旬ぐらいの筈だ)
そう説明しても今一納得のいかないエリス。
彼女の元気さの指標である回転数も、普段の1/2で考え込んでいるのだろうか。
「……!?」
そんな事を考えていると背後に気配を感じる。
振り向くいてみると、起き抜けの柚月がきょとんとした顔になっていた。
「ああ、柚月もおはよう」
声を掛けてみるも反応は無し。
取り敢えずは朝の準備が押しているので共用スペースに向かう事にする。
(思えばアレも奇跡的な物だったんだな)
それは八朝の異能力のターニングポイントになった咲良との会話。
あれ以降咲良も柚月も(異常に)懐いてきたが、一体何だったのだろうか。
共用スペースに着くまでの間、背中から微かな気配が取れなかった。
「おはよう」
「おう……おはようさん」
マスターも一瞬驚いた表情になっていた。
更には咲良からの視線が絡みついてくる。
何となく居心地の悪い事になっていた。
「お前さん、珍しいなァ」
「何が珍しいんだ」
「いや、記憶失ってから無口だったのが、こうも喋るじゃねぇか」
マスターの怪訝そうな反応が更に八朝に不安を与える。
4月までの自分は一体何をしていたんだろうか。
「これからはそうするつもりだ」
「そうか、それはそれで有難いんだがなァ」
マスターはそう言ってコーヒー一杯を呷る。
どうやら関心を無くし、いつも通りに接するつもりなのだろう。
こういう所が、マスターをマスター足らしめる由縁なのである。
「そうか、喋る気になったんだったら一つ聞かせてくれや」
次に話しかけてきたのは飯綱であった。
彼は居候仲間ではあるが、篠鶴機関の『三壁』の一人で、しかも『妖魔』。
もう知っているだろ、という八朝の視線に
飯綱が『そうじゃねぇんだよな』と返してくる。
「お前、後ろ何か気付かないか?」
「後ろが何だ……って?」
すぐ後ろに柚月の姿があった。
身長差のせいで頭頂部しか見えないが、普段よりも距離が近く一歩たじろいでしまう。
「いや、そんなに吃驚してやんなよ
いつものアレでもしてみたらどうだ?」
冗談交じりに飯綱が囃し立ててくる。
取り敢えずは、言った通りに柚月の頭を撫でてみる。
すると、突然その距離がゼロになった。
「ちょ……!?」
「ほぅ?
うちの娘に手を出すとは良い度胸じゃねぇか」
指を鳴らしてこちらに近づいてくるマスター。
その後ろでゲラゲラと笑っている飯綱。
「エリス……助けてく……」
足が動かない。
よく見ると障壁魔術が足に展開されていた。
そして、エリスは既に机の上で回っていた。
『ごめーん
私もマスターから言われてるからね』
四面楚歌のままマスターの鉄拳を脳天で受けてしまう。
悶絶するような激痛のお陰か
咲良からの変な視線が感じられなくなった。
【2月6日(木)・朝(8:00) 篠鶴地区・篠鶴駅前付近】
いつも通りの登校路を、頭をさすりながら歩く。
『ごめんごめん
後で埋め合わせしてあげるから』
「別に要らんよ、寧ろ助かったぐらいだ」
柚月との会話はいつもこの調子である。
即ち恐怖か抱擁か……マスターが居なければ離れてくれなかっただろう。
ここまでの情報を整理してみる。
恐らく咲良は確定で忘れており、飯綱はその逆。
柚月については情報が少ないので保留とする。
(何がトリガーで『巻き戻す前』を保持できるんだろうか……)
現時点では情報が少なく答えが出ない。
また、他の問題と比べても優先度が圧倒的に低いのもあり
これ以上考えるのが無駄だと判断するのに時間はそう掛からなかった。
「あっ……」
小声ではあるが、振り返るぐらいには特徴出来なもの。
即ち三刀坂の驚愕の声に八朝が気付く。
「三刀坂、おはよ……」
全て言い切る前に頬を思いっきりビンタされる。
何人かが立ち止まるか振り向いてしまうぐらいには衝撃的な光景である。
「な……何を……?」
文句を言おうとしたが、彼女の目が赤く腫らしている事に気付く。
今朝のエリスの反応と根本が同じらしい。
「……今度からは対策を練る」
「そう言って、いっつも一人で死ぬじゃん!
そういうの、本当に嫌だからホント少しぐらい……」
身に余るほどの激情で言葉が詰まってしまっている。
その大半の原因が自分にあるのが堪らなく心苦しい。
「あら、野蛮ですこと」
に対して鳴下は至って平静であった。
……家の位置関係上、鳴下の方は遠回りになるのは些細な問題に違いない。
「そう言って、一番おかしくなってたじゃん!」
「それはそれ、これはこれですわ
こうして健在なのでしたら問題はありません、そうでしょう?」
「ですが先程の言葉、嘘ではありませんわね?」
鳴下からは冷たく、人を試すような気配が漂う。
流石に、自分でも問題だと思っている事なので肯定以外を返す気は無かった。
「ああ」
「でしたら不問に致しますわ
但し、約束を違えましたらその時は覚悟して下さいませ」
その笑顔からは微塵も安心できる要素は無い。
それ程までに自分の死はダメージを与えたのだと、今回も気づかせられる。
(不殺ならぬ不死か
道のりは険しいが、ゼロじゃないのは救いだ)
何としてでも『青銅人』の情報を集める。
そう決心した所に、鳴下から本題を切り出される。
「その様子ですと、覚えていますわね?」
「ああ、バッチリとな
俺もその事で皆と話がしたくてな」
「では私がその場を設けておきますわね」
おんぶにだっこの形になるが、交渉においては彼女の方が上手である。
という事で首肯しようとしたところに三刀坂の野次が飛んでくる。
「ちょっとー!
二人で勝手に話進めないでよ!」
「でしたら、今後は相手を慮る事を学ぶとよろしいかと」
この調子だと面倒事に巻き込まれるので幻惑で囮を立てておく。
寒空の澄んだ高い空の下、縮こまるように歩いていった。
続きます




